―由良千晃―

 女の子って柔らかい。

 大して肉はついてないのに、折れそうなくらい細いのに、どうしてこうも離れがたい感触をしているのか。抱きしめているだけで、仕事の疲れが吹っ飛んでしまう。


「腕の中におさまるこのサイズ感。温かい子供体温。あー可愛いなぁ、癒やされるなぁ」

「…………」


 一花いちかちゃんはぎゅっと身体を固くする。後ろから抱きしているので、こちらからは顔は見えない。でも嫌がっていることがありありと伝わってくる。


千晃ちあきさん……こういうことは、別の人にやってください」


 一花ちゃんは非難めいた口調で言った。言ってる意味は分かるけど、僕はあえて聞き返す。


「別って誰のこと?」

「…………恋人」

「いないよ、恋人なんて。だいたいね、抱きしめるのもなでなでするのも、娘相手だから安らぐんだよ」

「意味が分からないです」


 まったくツレない。甘い囁きは、川の流れのようにさーっと通り過ぎていく。

 離ればなれだった16年がそうさせているのか。悲しいかな。その空白を今すぐ埋める手段は、僕にはない。


「もっと早く会いたかったなぁ。やりたいことたくさんあったのに。お風呂入れたりご飯食べさせてあげたり。あ、それは今からでもまだ間に合うかな?」

「間に合うわけないし、もし間に合わせようとするなら鹿路木ろくろぎ法律事務所に駆け込みます」

「あはは、冗談だよ冗談。こうしてるだけでも幸せだしね」


 愛しい娘。言葉が素通りしてしまうなら、抱擁で愛を示そう。

 僕は抱きしめる腕を強めた。つややかな髪に頬ずりして、頭を何度も撫でる。


「……分かってるんですよ、千晃さんがこういうことする理由」


 一花ちゃんはぼそりと言った。


「私のこと――にする気なんでしょ」

「え? ごめん、何だって?」

「…………ふぁ」

「ふぁ?」

「ふぁざこんにするって……前に言ったでしょ」


 僕はあっけにとられた。


『どこに出しても恥ずかしくない立派なファザコン』


 ああ、そういえばそんなこと言ったな。あの同居を決めた日に。今の今まで忘れてたけど。

 軽い冗談のつもりだったんだけど、どうやら真面目な一花ちゃんは本気に捉えていたらしい。こちらに顔を向け、僕をにらみつける。

 赤くなった頬、ちょっと揺らいだ瞳。ああ、君って子は本当に――


「……っ、あははは!」

「な、何で笑うんですか!」

「一花ちゃんは鋭いねぇ。その通り、君を甘やかしまくって、僕なしじゃ生きられないようにするのが僕の目的さ」

「あ、悪魔みたい……」

「悪魔じゃなくてパパだよ。父親は娘に必要とされて初めて成立する生き物だからね。君のこと守ってあげるから、安心してパパに甘えなさい」

「…………」

「その代わりって言ったらなんだけど、こうやって僕のこと癒やしてね」


 一花ちゃんは押し黙る。

 ほどなくして、消え入りそうな声で呟いた。


「千晃さんは変です。こんなことで癒やされるとか、幸せとか。普通じゃないですよ」

「…………」


 こうして、常識だと思い込んでいる言葉を聞くたびに、彼女のことが哀れになる。


 娘に触れて、抱きしめる幸福が普通じゃないって?

 君の厳格なお祖父様は、どんな風に君に接してきたんだろう。お祖母様は?

 早くに母親を亡くした君は、もう覚えてないのかな。無償の愛や親子の情というものたちを。


「……だったら僕が、教えるまでだね」

「え? 何ですか?」

「君を立派なファザコンにしないとって、改めて決意を固めたとこ」

「本当にいやです、やめてください」


 やっぱり君は何も分かってないね。


 僕にどうこう言ったって仕方ない。

 ファザコンになるかならないかは、君次第なんだから。




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