第15話
ぴんぽーん
軽快な音が響く日曜の朝。ぼんやりとした頭でベッドに寝転んでいたところに突然の来訪者で心臓が跳ねる。こんな時間にアパートに訪ねてくるような知り合いはいない。隣に住む駿でさえも訪ねる時は事前に連絡をしてくれていた。のっそりと起き上がり立ち鏡を見ればぼさぼさの髪に草臥れた私がいて、気持ちばかり整えるように手のひらで頭を撫でる。
「はい」
インターフォンに繋がる電話に向かって言った声は低く掠れて、到底気持ちのいいものではなかった。
「あの、どちらさまですか。」
いくら返答を待っても返事がない。悪戯かもしれない。一人暮らしの女性の家に悪戯をしかけるなんてたちが悪い。しかもここは東京だ。地元のど田舎なら子供の悪戯で済むけれど、ここではどんな人間が周りにいるか匿名性が高すぎて分からない。ひんやりと汗が背中を伝うのがわかって鳥肌がたった腕をさすった。そっと玄関に近づいて小さな覗き穴から外を覗く。と、同時に息をのんだ。
がちゃっと勢いよくドアを開けてすぐに声を出す。
「何してるの、柳瀬君。」
思ったより大きな声が出た。突然飛び出した私に驚いた柳瀬君の顔を見て、しまった、と思った。けれどもう遅い。柳瀬君は心底困ったようにこちらを見て微笑む。
「突然ごめんな、迷惑やったやんね。」
声の聞こえない柳瀬君にはアポなしの来訪に怒ったように見えたのかもしれない。私は慌てて部屋に戻って机の上のiphoneを充電器から引き抜いてまた玄関へ戻る。
『ぜんぜん、ごめなさい、おこってないの、おどろいぢけよ。』
打ち込んで勢いよく柳瀬君に見せる。文字を見た柳瀬君は可笑しそうに声を上げて笑った。何がおかしいのか文字を見ると慌てて打ったせいで誤字が酷かった。それも全部ひらがなだ。おかしくなって私も笑う。久々に間抜けなことで笑った。社会人になって、張り詰めていた糸のようなものがずっとあったけれど、ようやく間抜けで素っ頓狂な自分の姿を見て緊張がほぐれたような気がした。
『でも、どうして東京に?どうしてここがわかったの?』
聞きたいことは沢山あったが、どうにか二つに絞って未だ笑い続ける柳瀬君に見せる。
「ああ。君に会いにきたんや。住所は、君のお兄さんに聞いた。」
兄が。私の家族の中では唯一東京での住所を知っているけれど、突然兄を訪ねて住所を聞き出したのだろうか。
『兄がよく住所を教えたね。』
「役場で働いとるのは知ってたんよ。あ、あがってええ?ほんで、役場行ってな君のお兄さん呼んでもろて、ゆいさんの住所紙に書いてください。て言うた。」
そう言いながら柳瀬君は最初から返事を聞く気がなさそうに私の部屋を指差して玄関に入れば靴を脱いで勝手なあがった。こういうところは、矢張り地元の人間だと思う。東京の男性は女性の家に勝手に入ったりはしない。いや、東京じゃなくともだ。突然家を訪れたり、兄の仕事場に行って妹の住所を紙に書いてくれといってみたり、そもそも柳瀬君は耳が聞こえようとなかろうとこういう性格なのかもしれない。きっと兄もさぞ驚いただろう。想像すると兄が凄く気の毒に思えた。
「せやけど君のお兄さん僕のことうたごうてな、教えてくれんのや。それになんやごちゃごちゃ言うてたみたいやけど何いうとるか分からんしなぁ。やからすまんけど、嘘八百言うて説得した。すまんな。地元帰ったら色々勘違いされとるかもしれんけどそれ僕のせい。」
一体何を言ったのか。柳瀬君は話しながら勝手に冷蔵庫を開けてお茶を取り出せば乾燥機の中のコップを二つ用意してお茶を注ぐ。
「ほれ。」
そう言って丸机にお茶を置くとクッションを掴んでその上に座った。さも自分の家のような手際の良さに感心すらしてしまう。
『ありがとう』と打ち込んで見せると「ええよ。」と微笑んだ。
『ちなみにどんな嘘を言ったの』
「もうほとんど忘れたけど僕は君の彼氏やからとか。小さい頃から仲が良ろしいとか。なんなら君と風呂入った仲やとか。取り敢えず僕と君が仲ええから安心して教えてくれ言うたな。」
呆れた。呆れてもう何も言えない。言ったところで聞こえないが。柳瀬君は、かなり、変だ。私は小さい頃の柳瀬君など全く覚えていないのに。随分間抜けな顔で柳瀬君を見ていたのか私の顔を見た柳瀬君は可笑しそうにくつくつと笑う。この人は、どこまで勝手なのか。地元ではあった時は閉塞感からか寂しげな雰囲気を出していたのに、今ここにいる柳瀬君は大違いだ。少しでも耳の聞こえない人を理解しようと字幕をつけたり駅をイヤホンをして歩いた私が馬鹿だった。
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