第12話

見おろすとバスのロータリーが見える窓際、細い茶色の椅子に座っていた。車やバスがゆったりとした動きでロータリーを円を描くように回る。がやがやとした店内からは電車も、バスも、駅の構内を歩く人も見おろすことが出来るようになっている。ホットコーヒーを一つ頼んで駿を待ちながら、昨日のことをぼんやりと思いだした。


昨日の夜、柳瀬くんと別れたあと、私はすぐに東京へ行く荷造りを始めた。早く、この町から離れないと駄目な気がしていた。柳瀬くんと話している時、妙に懐かしいような、ずっと居心地の悪かったこの町が一瞬、凄く私に馴染んだような感覚がして、それが何より怖かった。家に帰って、明日東京へ帰ることを家族に伝えた。父が「そうか。」と呟いて、兄と祖母はなにも言わなかった。母は何か言いたそうで、けれど父の一言からなにも言えないようだった。きっと、父に止められたんだろう。祖父が「また帰っておいでやぁ。」と言った。けれど、もう帰るつもりはない。この家に、私の物が全てなくなったということは、もう私の居場所が一片たりとも残っていないということだ。

この家と、そしてこの町に。

それが寂しい、なんて思わない。


今日の朝、ダンボールの郵送のために郵便局へ行こうと、朝早く家を出た。ふと、来た時の梅の木が気になって引き戸を開いて、石畳を歩き、庭の縁側を覗くと祖母が座っていた。


「あんたはね、私によぉ似てるのよ。」


祖母は、私が帰ってきた時と同じように、縁側に座って梅の木を見上げながら言った。もう梅の花は満開を過ぎてしまって、ちらちらと緑色の葉っぱが混ざっていた。桃色と、白色の花の間に、緑。それもまた、綺麗だった。少し冷え込んで、空が白くなっている。


「いつも居心地悪ぅてかなわん、言うような顔してね、この町の全てが気に食わんの。」


ひゅっと風が吹いた。冷たい冷たい風だった。祖母は目尻の皺を深くして、それでも鋭利な目でこちらを見た。しっとりと棘はないのに丸くもない、私の心臓を正確に捕まえるように言う。


「出て行きなさい。」


そう言ってまた梅の木の方を向いてしまった。出て行け、と言われてなんと返せばいいのかわからなかった。黙り込んでいるまま動かない私に「私はね、逃げられんかったのよ。」と小さく祖母は呟いた。もしかしたら、独り言だったのかもしれないと思うほど小さく。それが昨日の柳瀬くんと被ってしまって、やるせなくて、少し申し訳なくて、私も逃れられないんじゃないかと、怖くなった。


「私、この街が嫌い。」


この町が嫌い。そう言ってしまったら、心臓がきゅっと締め上がった。冷たい冷たい、風が吹いたからかもしれない。けれど声に出して言わなければ、この町に飲み込まれてしまいそうだった。祖母や柳瀬くんのように、逃げられなくなりそうだった。深い深い青色をして、この町は私を襲ってくるから。

私の言葉に祖母は鋭い目をさらに細めて、緩く口角を上げて微笑んだ。目尻の皺がまた深くなった。花の落ちた梅の木を見上げる祖母は、やはり綺麗だった。


「頑張りなさい。」


祖母の一言に、込み上げた何かを必死で飲み込んだ。つん、と鼻の奥が詰まる。もう祖母とも会うことはない、そう考えると溺れたように息が出来なくなった。




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