第8話

小林くんの歩いて行った細い一本道を見る。真っ直ぐと川沿いの道に垂直になるように伸びている砂利道は、車なんて通れないほどに細く、人が歩く部分だけが道になったようだ。こういう、歩いたところが道になるというのは、東京にはあまり見られないけれど田舎の方では往々にしてあることだとおもう。


ひゅっ、と東京よりも冷たい風が頬をかするように吹く。もう日は西の山の後ろに隠れてしまって、静かに、けれど確かな闇がこの町を包み込もうとしていた。太陽が沈んだから夜、なんて感覚を東京にいる間に忘れてしまっていたのかもしれない。濃紺が夕焼けの真っ赤な空を消し去るにつれて、町は眠っていくんだろう。

ちかちかっと後ろが光った気がしてぱっと振り返った。丁度、長い川沿いの道を30メートルほどの等間隔に並ぶ白い街灯が手前からともりだしていく。その川沿いの道の奥の方でこちら側に歩いてくる陰が見えた。丁度街灯の下にその影が来た時にそれがワイシャツに黒いパンツを履いた男性だと分かった。ふらり、と力なく歩いてくる男性を眺めていると、その人は私の数メートル前で立ち止まった。


「何ですか?」


ぼんやりとその人を眺めている私に、男性は軽く首を右に傾けて聞き取りづらい小さな声で言った。なんだか、へんな感じがした。


「あ、いえ、なんでもな、」


「遠野さん?」


私の返事に被せるように男性は言葉を続ける。


「え、はい。あの、あな」


「ごめん、ぼく、耳聞こえへんので。君が何言うてるかわからへん。」


また私の声にかぶせてそう言った男性は両手で耳を塞ぐような仕草をして、首を振った。その声があまりにもはっきりとしていて、本当に耳が聞こえないのかと言いたくなるほどだった。それに、この人の話し方は地元の田舎臭い方言とは少し違っていて、さっきの小林くんの話を思い出した。たしか、柳瀬くんが、京都に行って、耳が聞こえなくなった話を。


私はポケットに入れていたiphoneを取り出してメモ帳を開く。


『やなせくんですか?』


文字を見た彼は少し驚いた顔をして、


「なんやねんな、知ってはったんか。」


とぼやいた。


「ほんま、お喋りな人が多い町やね。」


そう言った彼は呆れたように首元に手を当てて空を見上げる。


「君、東京から帰ってきはったの?」


ちらりと見下ろすように私をみる。そこになんの感情も受け取ることはできなかった。


『実家の、荷物の整理に。』


メモ帳に文字を打ち込んで見せる。


「そうか、君はこの町から逃げることができたんやね。」


そう呟く彼の声は田舎のしんっとした冬の空気の冷たさの中で一段と冷たい空気を纏って私の耳まで届いた。



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