ウサギのスープと野草サラダ

星積 椿

ウサギのスープと野草サラダ

 鳥のさえずりと共に、目が覚める。

 差し込む朝日と小鳥の声が、今日もいい天気だと告げていた。

「……んんー、ん」

 軽く伸びを一つ。

 そしてベッドから出て、軽くストレッチ。


 よし、今日も万全だ。


 顔を洗おうと部屋を出て、ふと、隣室の様子をうかがう。

 隣室の主はまた夜更かしをしたようで、ドア越しに高いびきが聞こえていた。

 この様子だと、きっと起きてくるのは昼近くになるだろう。

 やれやれ、と肩をすくめてできるだけ足音を忍ばせて、俺は裏の井戸に向かった。


 井戸で顔を洗うと、ずいぶんと目が覚めて頭がしゃっきりしてきた。

 ついでなので、シャツとパンツも脱いで寝汗をかいた身を清めておく。

 井戸の近くに放り出したままにしている布を冷たい桶の中の水に浸し、よく絞って、体を拭う。

 こんなこと、街中でやれば変態呼ばわり間違いなしだが、ここは森の中。

 こんな早朝にやってくる奴などいない――


「きゃっ!? ちょ、ちょっとあなた、何してるんですかっ!?」


 そう、いないはずだった。



§



「……で?」

「で? じゃないですよ変態」

「ほーぅ。じゃあその変態が作るメシなんか食えないよなぁ」

「すみませんごめんなさいたべたいですごめんなさい」


 俺の目の前には鍋。

 汲んできたばかりの井戸水を沸かし、キノコと昨日のうちに塩漬けにしておいたウサギの肉を適当にカットして煮込んでいる。

 調味料と香りづけのハーブも一緒にしっかりと煮込んでいるため、キッチンに満ちるこの香りは、ダイニングにも漂っていることだろう。


「だんまりじゃわかんないだろ。こんな森の中にわざわざこんな時間にやってくるなんて、何かあったんだろ」

「そう……ですけど……」


 それきり、彼女は口ごもってしまう。さっきからこの調子だ。

 ぐぎゅるるるる、という元気な腹の虫だけが返事を返してくる。


「……まぁいいけどな。こっちも腹ペコの奴を無下に放り出すほど鬼じゃないし」

「…………」


 ウサギを煮込んでいる間に、他のものも作ってしまおう。

 俺はダイニングでうつむいたまま腹の虫を鳴らしている彼女を放置し、フライパンを取り出した。


 軽くフライパンを温め、木の実を放り入れる。

 塩をひとつまみふりかけて、軽くフライパンをゆすりながら炒ってやれば、香ばしい香りが広がる。

 十分に炒れば、大きめの皿に取り出して荒熱を取る。


「……木の実……」


 何か聞こえたが気にしない。

 保存しておいた野草を丁寧に水洗いし、大きめにカット。

 荒熱を取った木の実と合わせて、おおざっぱに和えればサラダの出来上がり。


「っと、そろそろこっちもいいか」


 吹きこぼれないうちに、鍋の蓋を取り、アクを取ってやる。

 キノコの出汁が肉にしっかししみていて、塩漬けウサギのおかげで塩味はしっかりしている。

 あとは胡椒を加えて味をととのえ、最後にバターをひとかけ。


「で、あとは……」


 パンにチーズを添えて。

 ウサギのスープをカップに注いで。

 サラダを皿に取り分けて。


「ほい、完成。あり合わせのもので悪いな」

「ありあわせ……? これが……?」

 きらきらとした目で、彼女はテーブルの上に並べられた料理を見ていた。

 なんとなく気恥ずかしくて、無意識に頬を掻く。

「んな豪勢なもんじゃないし、男所帯だから味付けもおおざっぱだしな。ま、食えりゃいいだろ」

「ほ、ほんとにたべても、いいんですか?」

「なんで今さら聞くんだよ。お前が食わないと一人分余分に作ったのにもったいないだろうが」

 そう言って俺がパンにかぶりつき、スープに口をつけたところで、ようやく彼女も、恐る恐る、という様子でスープに手を伸ばした。

「おいしいぃぃぃぃ……!」

「そりゃどうも」

「ウサギのお肉がすっごく柔らかくて、ハーブとの相性が最高ですっ! キノコのお出汁もしっかりしていて、それでいて雑味がないです!」

「そうかい」

「このサラダも、ほとんど味付けされていないですけど、木の実の味と野草の味が、すごくマッチしててっ!」

「お、おう」

「パンはご自分で焼かれたんですか?」

「んなわけないだろ。パンは近くの街で毛皮を売った金で買ってるんだよ」

「なんだぁ……」

 とたんにしょんぼりとしょぼくれてしまった彼女に少々いらっとする。

 自家製ではないのは事実だが、一体俺に何を期待しているんだこいつは。

「……お前あれか? 人んちのメシの感想言いに来ただけか?」

「いいふぇっ!」

 パンをほおばりながら彼女はまっすぐにこちらを見つめてきた。

 もぐもぐもぐもぐもぐごくん。

 パンを飲み込んで、彼女は続ける。

「でも、私が見込んだ甲斐がありますっ! ディオルさん!」

「は? 何で俺の名前」

「私はネストゥル! ネストゥル・ガイアレアー! ディメルテの街から来ました、グルメを求める冒険者です!」

 疑問の声は、喉を振るわせることなく明瞭な音をなさないただの吐息となって飛び出した。

 

 いや冒険者は分かる。それぞれ何かしらの目的を持って世界を渡り歩いたり、困っている人間の依頼をこなして日銭を稼ぐ連中のことだ。

 目的は冒険者によって異なる。仇を探している者、名誉となる何かを探している者、単純な一攫千金など……あげればきりがないほどだ。

 しかし、こいつは何て言った? グルメ?


「話が、見えないんだが?」

「実はですね、つい昨日、イスターの街でディオルさんのお話を伺いまして」


 彼女――ネストゥルの言うことによればこうだ。

 三日前、イスターの街、つまり俺たちの住むこの森から最も近い町にたどり着いた彼女は、街で一番料理が上手い人というのを探してあちこちの酒場に顔を出したらしい。

 まぁ当然と言えば当然の話だが、どこの酒場もうちが一番だと言って聞かない。

 困り果てたネストゥルは、とりあえずそれぞれの酒場で一番人気のメニューを一通り平らげたものの、物足りなかったのだと言う。

 彼女に言わせれば、どれもどこかで食べたことがあるような味しかしなかった、だそうだ。

 もちろんそれを聞いた酒場の親父たちは盛大に頭に来たらしく、ネストゥルは酒場への出入りを禁止されてしまった。

 挙句の果てにそんな彼女に食事を出そうという宿もなくなってしまい、途方に暮れていたところに、街の噂好きの女たちから俺の話を聞いたそうだ。

 

 曰く、森の中に住むエルフとドワーフは、森でとれた新鮮な食材で毎日おいしいご飯を食べている、と。


 それを聞いたネストゥルは、街の片隅で野宿をし、朝日が昇る前に街を発って、この森に来たのだと言う。


「それで、俺の朝の水浴びに遭遇した、と」

「その節は大変な失礼を……」

「で? さっきの様子じゃとりあえずご満足いただけたみたいだが」

 既にネストゥルの分の皿は綺麗に空になっている。

 俺は最後のパンとチーズのかけらを口に放り込むと、皿をまとめて下げるために席を立った。

「あ、あのですね! お願いがあるんです!」

「ふぁんだよ?」

 パンを咀嚼しながら見下ろす俺に、ネストゥルはこれ以上ないくらいまっすぐな目と声で訴えた。


「私と一緒に、冒険しませんか!」

「しない」


 ……………………。


 しん、と静まり返るダイニングに、俺が皿を下げる音だけが響く。


 ゆうに10秒は硬直していただろうか、ネストゥルは油をさし損ねたカラクリ人形のようにぎぎぎ、と首をぎこちなく傾けた。

「あの、何故か、とか、お聞きしても……?」

「俺は親父……お前が街で聞いたドワーフに恩があるんだよ。そいつを返すまではこの家を離れないって決めてるんだ」

「恩、ですか」

「そう、恩。腹ペコのところを無償で飯をふるまってくれたこと以上の恩をな」

 うぐ、と言葉に詰まるネストゥル。

 俺は構うことなく、二人分の食器を洗い始めた。


 ――のす、のす。

 耳慣れた足音が階段を下りてくる。

「おう、そいつはなんでぇ、ディオル」

「親父、早かったな」

「そりゃあ、あれだけうるさくしてくれれば嫌でも目が覚めるってもんだ」

「そいつは悪かったな。どうにもトンチンカンな客で」

 のす、のす、とドワーフ特有の平たく大きな足で床板を踏みながら、親父はあご髭をなでつけた。

「――で? こいつがその客か?」

「ああ。もう用は終わってる。親父の分の朝飯よそうから待ってろ」

「あ、あのぅ」

 か細い声で、ネストゥルが親父に声をかける。

「ん、なんだ、嬢ちゃん」

「ええっと、ですね。私、冒険者をやってまして……それでその、ディオルさんに是非ともご同行いただきたいんですけれど……」

「本人は何て言った?」

「ええと、あなたに恩があるから、この家を離れたくないと」

「じゃあ俺からはどうしようもねえなぁ。ディオルがこの家を出たいってんなら考えもするが」

「そんなぁ……」

 がっくりと肩を落とすネストゥル。


 ……もちろん、恩があるから、というのもあるのだが、こいつの言う『グルメ』がまったくもってわからないから断った、というのが大きい。

 こう言ってはなんだが、俺は料理の腕は人並みだと思っているし、酒場の親父たちの方がもっといいものをふるまってくれただろう。

 それを一蹴して、こんな森の中、確かに素材の新鮮さには自信はあるにしても宿の朝食の方がよっぽど豪勢だと思うあの食事を口にしてグルメなどとぬかすのが意味がわからなかった。


「なぁ、ネストゥル」

「はい」

「お前、グルメを求めてとか言ってたけど、何食ったら満足なんだよ? ここらの食える野草や木の実やキノコくらいなら、俺が適当にスケッチしてやるぞ?」

「そういうのじゃないですぅ! 私の求めるグルメっていうのはですねぇ、調味料を最低限に、自然のままをいただける、そんなで!!」


 空気が凍る、とはまさにこのことだろう。


 親父の手からパンが落ち、俺は危うく皿を取り落としそうになった。

 

「モンスター料理、って、お前、まさか」

「コボルドは筋張っててあんまりおいしくなかったですけど、スライムは水と一緒に火にかけてどろどろに煮溶かしたらスープのいい出汁になりましたよ。凍らせてもみたいんですけど、私、あまり魔法が得意じゃなくて」

 ちらり、と視線だけをネストゥルの荷物へと向ける。

 女の一人旅にしてはやけに大荷物だと思っていた。そのくせ、武器らしい武器が腰のショートソードだけだ。

 よく見れば、リュックサックのサイドに、何種類かの包丁が大事にケースに入れられて吊るされていた。

「ディオルさん、エルフですから魔法得意ですよね? それに、野草にも詳しいでしょうし、ぜひその腕を活かして私のモンスター料理をよりおいしく――」


「「帰れェッ!!」」


 俺と親父はほぼ同時にそう叫んで、俺は荷物を、親父はネストゥルの首根っこを、それぞれ掴んで放り出した。

 ネストゥルはしばらくドアの向こうで「ディオルさぁん、私と一緒にドラゴン料理を~」とか「ドラゴンは無理でもせめて冷やしスライムを~」等とぬかしていたが、気がつくと諦めたのか、どこにもいなくなっていた。


 できれば、二度と来ないでくれと願いながら、その日の夕食はとても肉を食えるような食欲はなく、かなり軽めの野草中心の食事となった。

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ウサギのスープと野草サラダ 星積 椿 @camellia-stardust

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