賭け 1

「おい、あいつ振りかぶったまま、動かないぞ」


レッドスターズのベンチ内がざわめきに包まれた。

マウンドに登った藤堂は、投球モーションを開始せずに、両腕を上げたまま、じっと正面を見つめている。


それから数秒ほど経った時だろうか。

藤堂はボールを投げる事なく、振りかぶった両腕を再び下ろした。



「ボール!」


主審がそう声を上げる。

もちろん、藤堂の行為は反則投球、つまりボークに当たるが、走者が居なかった為、ボールが宣告された。


藤堂は、主審にタイムを要求すると、小走りでベンチへと戻ってきた。


坂之上が「おい、藤堂、何やってんだよ!」と声を荒げたが、戻ってきた藤堂は落ち着いて「すいません」と謝罪した。


その態度に面食らったのは誰でもない、坂之上である。


これまでにも、そのように謝ってきたことなど一度もなく、坂之上は「お、おう。分かればいいんだ」と拍子抜けしている様子だった。


当の藤堂は、坂之上の言葉に返答しながら、ベンチに置いておいた、自分の左投げ用のグローブを持ち、森国に告げた。


「監督。申し訳ありません」


「何故、謝るんだ?」


「もしかしたら、この試合、自分は滅多打ちにされるかもしれません。または、ストライクが入らずに自滅するかもしれません。だから事前に謝っておこうと」


森国は険しい表情で藤堂に近寄る。



「お前は今、左で投げる事を決断したんだろう。俺はお前の決断に口を挟むことも出来ないし、その結果にいちゃもんをつける権利もない。もし、左投げで上手く投げられなかったとしても、俺だけじゃなく、このチームの奴はだれ一人お前を責めないよ。ただな…」


森国がベンチの選手たちをグルリと見渡す。


「もし、お前が左投げでチームメートたちを驚かすぐらいの投球をしたら、こいつらはめちゃくちゃ喜ぶだろうな。だって、先発ローテーションの柱がもう一人増えるんだから」



藤堂は頭を下げた後、微笑みを見せた。


森国には、それが自信の表れのようにも見えた。


藤堂がベンチを飛び出していく。


相沢が森国に「あいつは大丈夫そうですね」と呟くと、森国も「当たり前だ」と腕組みして藤堂を見据えた。

「何せ、あいつ、自前で左利き用のグローブ持ってたんだからな。もしかしたら左投げの練習も陰でしてきていたのかもしれん」



その想像は当たっていた。


マウンドの藤堂は思い切りは投げられないにしても、左での投球フォームを固める為、シャドウピッチングを何万回と繰り返しやってきていた。



藤堂は投げる腕を変えた為、投球練習を行い、感触を確かめる。


「悪くない。むしろ、軽い感じすらある」


キャッチボールをしていなかったこともあり、先頭打者には三割の力で投球した。


体のキレは、申し分なかった。


ボールがすうっと真っ直ぐな線を描いてミットに収まる。



ベンチでは坂之上たちが「藤堂って左でも投げられたのか」と驚いている。

相沢はベンチにいた選手たちに、この状況に至るまでの経緯を説明した。


「だから、藤堂君はあの姿が本来の彼の姿なんです」


そう相沢が話していると、相手チームの先頭バッターがセンター前ヒットを放った。



「でも、全然駄目じゃないか。打たれてるぞ」と声が上がるが、相沢は「まだ三割ぐらいですよ。だって、肩温まってないですもん」とフォローし、藤堂の投球を見守った。




二番バッターにもライト前ヒットを打たれたが、森国を始め、レッドスターズの選手たちは物静かに藤堂の投げる姿を見つめ続けた。


そこには、大きく飛翔しようとしているチームメートの投球を、見逃したくないという思いがあったのかもしれない。

もしかしたら、これが藤堂の最後の投球かもしれないと思い、目に焼き付けようと思ったのかもしれない。



何れにせよ、藤堂はチームメートの思いを背にボールを投げていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る