サウスポー 5

「藤堂は何故、あんなに急に取り乱して、泣いたんだろうな。俺は、あいつが高校時代から冷静な姿しか見た事がなかった。あんな事は初めてだったよ」


森国は球場のベンチに腰を下ろした。相沢はベンチから少し身を乗り出しながら、まだ誰も居ない球場を見ている。


「多分ですが、ホッとしたんだと、思います」



「ホッとした?」



マウンドに一羽の小さな鳥が降りてきて、羽を暫く休めている。相沢はその姿をぼんやりと眺めながら森国に返答する。


「これまで藤堂君は一人でずっと戦ってきたんだと思います。もちろん、仲間の事を考えていなかったわけではなく、むしろ高校やこのレッドスターズの仲間を思うが故に、何とか自分の精神的な問題を、一人で解決しようとしてきたんだと思うんです」


「それがどうやったら、さっきの藤堂の様子に繋がるんだ?」


「藤堂君は、イップスを克服しようと一人でここまで来ました。でも、とうとう、その先の道が見えないまま、自身の限界が来てしまったんでしょう。それが、私達に知られた事で、『しまった』という思いを抱いたと同時に、これ以上隠し続けなくて良いんだという安心感を持ったのではないかと」


「何故、そんな事がお前に分かるんだ?」



相沢は、暫しの休憩を終えて、マウンドから飛び立って行く小鳥を見ながら、自分の姿に重ね合わせた。


「それはいずれ分かると思います。というか、森国さんなら、現時点でも気づくかもしれませんが」


「もしかして、お前も同じような事が?」



「まあ、そんな感じですね。一人で苦しむってのは予想以上に辛いもので、素直に誰かに頼れば良いのに、何故か身体が言う事を聞かないんですよね。迷宮の中にいるような感覚ですし、普通は途中で折れちゃうものですけど、私はギリギリのところで立ち直れたんで」


そう言って、相沢はあっけらかんと笑った。



ーーーーーーーーーーーーーーーー




この日の藤堂には、オープン戦のマウンドがいつになく大きく見えた。


持っているグローブは右投げ用だった。


藤堂は一切周りを見る事なく、マウンドだけを見つめながら、その上に立った。



藤堂にとってマウンドと言う場所は聖地だった。人によっては甲子園が球場の聖地だと言われるかもしれない。


ただ、藤堂にとって、左肩を壊したあの日から、このマウンドがとてつもなく遠い存在となった。もしかしたら、もう二度と投げられないかもしれない。そんな恐ろしさもあった。もし投げられたとしても、この左肩はいつかまた、壊れるのではないか、そんな恐怖もあった。



だからこそ、藤堂は自ら右投げの練習を始めた。中学時代はどのチームにも所属せず、学校が終わると、一目散に帰宅し、一人で右投げのフォームを固めた。

もちろん、ウェイトトレーニング、走り込みなどの基礎体力もフォローしながら、一日も早く投手として復帰する事を目指した。


その時間は驚くほどに辛い時間だった。仲間も居なければ、相談する友達も居ない。



孤独だった。



だが、高校に入ってからはその練習のおかげで右手投げのピッチャーとして復帰する事ができた。高校のチームメートからはたくさん学ぶべきものがあり、一生ものの付き合いが出来ると、今も感じている。高校を卒業してからも、こうして、プロ野球にも入団させてもらえた。


もう、これ以上、何を望むのか。


最早、これで充分じゃないだろうか。







もう、選手生命の幕引きを行なっても、後悔はしないはずだ。




藤堂はそんな事を胸に描きながら、白いボールを握る。主審が「プレイボール!」とコールし右手を上げた。



藤堂は、これまでの記憶を思い出しながら、大きく振りかぶった。

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