約束 2

「あの試合の日の2日前でしたかね。親御さんから連絡があって。そして次の日に泰祐君に会いにいったんっすわ。難しいことは俺もよく分からないんですけど、元々、心臓が弱かったらしいんすよね。そんで、試合の次の日が手術の日だって聞いてたんで、病院に直接行って元気付けようと思ってたんです」


「それで泰祐君はどんな感じだったの?」


憧れの選手が来てくれたことで、泰祐君はきっと喜んだに違いないと、相沢は勝手に思い込んでいた。


「それが…ずっと泣いてたんす。俺が病室に入った時、まあ、親御さんは気を使って外しててくれたんで2人きりだったんですけど、何も喋んないっすよ。そりゃそうですよね。手術ですよ、それも心臓の。俺だったら怖くて発狂してもおかしくない。だから、泰祐君も怖かったんだと思います。それでも、必死に歯を食いしばって怖さに立ち向かってた」


鮫島は遠い目をして、地平線の彼方を見つめている。


「だから、泣き噦る泰祐君に言ったんですよ。次の日の試合はテレビ中継が入る。そこで、泰祐君に向けてメッセージを込めたサインを出すからって。俺は野球しかできません。病室でいくら『頑張れ』って言っても、説得力がない気がして。だから、泰祐君が手術を受けるに、自分が努力している野球のグラウンドで泰祐君にサインを送りたかったんです」


「そうだったんだ」


「本当は誰にも言わないつもりだったんすよ。でも、こんな状況じゃ、言わざるをえないかなって。さっき、俺は栃谷のこと怒鳴りましたけど、もし俺が栃谷のようにレギュラーをすぐ取ってたら、同じような事をしていたかもしれません。実は栃谷の事を責めるつもりも全然ないんす。ただ、泰祐君は手術がうまくいかなくて、その手術の数日後にこの世を去りました。あんなに頑張ってた子が、悪いことも何もしていないのに、亡くなったことがあまりにもやるせなくて。そして、何もできなかった自分も情けなくて」


栃谷はその言葉を聞きながらも、どう返答していいか分からず、沈黙したままだ。相沢は鮫島の思いも、栃谷の胸中も、理解できた。


「でも、そのサインで泰祐君には何を伝えてたんだい?」


鮫島は少しだけ表情を崩す。


「あ、それだけは言えないんすよ。泰祐君との約束なんで」


「でも、それを言わないときっと八百長の疑惑は晴れないと思う。それでもいいの?」


鮫島はどこか吹っ切れているような顔で相沢を見る。


「いいんすよ。もしこれでクビになっても、俺は微塵も後悔しませんから。もし、この約束を破ったら、俺と泰祐君の繋がりはもう無くなっちゃいます。俺が泰祐君のためにできる最後のことは、この約束を守ることなんす」


相沢はもう何も言わなかった。

ただ、鮫島は、決して嘘はついてはいない。その確信は持つことができた。恐らく、栃谷も同じように受け止めているだろう。


3人の男は、浜辺へと寄せては引いていく穏やかな波の音に身を委ねるようにして、しばらくその場に留まっていた。





宿舎まで戻ってきた時、相沢は鮫島に自室に戻るよう促した。戸惑っていた鮫島だったが「監督には僕が今から説明してくるから」と諭す相沢の指示通りに、自室のある階へとエレベーターで上がっていった。


相沢と栃谷は別のエレベーターで森国の部屋へと向かった。

ノックをすると、「誰だ?」と荒げた声が響いた。

「相沢です」と答えた瞬間に、勢いよくドアが開かれる。


「お前らぁぁ!どこに行ってたんだぁ!」


下手をすればフロアの端の部屋にも響いてしまうのではないかと思われるほどの怒声が二人に浴びせられる。


「ちょ、ちょっと、落ち着いてください。別に遊びに行ってた訳じゃないんです」


栃谷がそう、慌てふためいてフォローする。


「とにかく、中に入れ!」


二人は森国に腕を引っ張られて無理やり室内へと入れさせられた。そんな事をしなくても元から中で話をしようと相沢は思っていたが、火に油を注ぐことになりかねないため、その点については黙っていることにした。


森国が怒鳴る前に、相沢の方から話を切り出す。


「監督、実は今まで鮫島君と一緒に居たんです」


「何ぃ?鮫島は今、何処にいるんだ?」


「大丈夫です。さっき自室に戻らせました」


「ったく、お前らは目を離すと、何かしでかしてくれるな」


森国の口調が先程に比べれば、かなり落ち着いてきた。鮫島が戻ってきていることで、少し安心した部分もあったのだろう。


「それで、八百長の件なんですが、多分鮫島君はやってませんよ」


「何故そう言い切れる?」


相沢は悩んだものの、「それは言えません」と答えた。


「はぁ?お前ら、ふざけてるのか?」


森国の声のボリュームが再び上昇しそうになった。栃谷が慌てて否定する。


「あ、いえいえ、違うんですよ。あ、何が違うかというとですね、えっと…」


「やっぱりふざけてるだろ?」


栃谷の言動で森国の怒りはさらに増長する。それを気にせず、相沢は淡々と説明した。


「実は、鮫島君は僕たちにあの日の事を説明してくれたんですが、その内容は、誰にも言わないで欲しいと。そして僕たちも約束しちゃったんです。信じてもらえるとは思いませんが、信じて欲しいんです。その内容は八百長とは全く関係がありませんでした。それは僕と栃谷君が証人になります」


森国は眉間に皺を寄せて、ため息を吐く。


「あのなあ、内容は話せません、でも、信じてください、って、通じる訳ないだろ?何かで証明してもらわないと」


相沢は考えていた事を一度頭の中で整理する。大丈夫なはずだ。


「証明になるかは分かりませんが、あの日の映像を見ながら釈明をさせてもらえませんか?もし、それで納得して頂けなければ…」


「納得しなければ、何だ?」


「僕と栃谷君も鮫島君と同じ処分を受けます」


「もし、八百長が明らかになって鮫島がクビになったら、お前たちもクビだぞ?相沢はともかく、栃谷は今、解雇になったら一家全員が路頭に迷うんじゃないのか?」


栃谷は意外にも「それで構いません」と森国に告げる。


相沢は、その栃谷の言葉に感謝し、鮫島のあの日の行動について説明し始めた。

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