15. 帰結する恋心

「ああ、でも、今のでだい、陽の気も溜まったんじゃねーか?」


 ルナールが、オレを見て目を細める。


ぐわっちまえば、一発で満タンなんだが、まあ、あと少しで男に化けられそうだ」

「本当に?」

「しゃーない。足りない分は、俺がくれてやる」


 すらっとした指にクイっとあごを持ち上げられた瞬間、義日を思い出し、身体がびくんと震えた。


「なんだ、怖いのか?」

「別にっ、怖くなんかっ」


 強がると、笑われた。

 天使のように綺麗な笑顔で。


「安心しろ。俺が忘れさせてやる」


 囁く声がくすぐったくて目蓋を閉じると、そっと唇が重ねられる。

 清々しく上品なニオイに包まれ、身も心も浄化されてくようだ。


 ルナールが離れたので、目を開くと、そこには、赤紫の着物の上に白い着物を重ねて着た、小柄な少女が立っていた。

 白菊と同じ生っ白い肌に、前髪を両耳の上で結った、灰白色のおかっぱ頭。

 幼い顔立ちには不釣り合いな、聡明な琥珀色の瞳も、目尻に施された赤い化粧も、並外れた美貌も同じだが、明らかに白菊でもルナールでもねぇ。


「だっ、誰っ?」


 驚いて尋ねると、彼女は平然と答える。


「オマエに陽の気をやりすぎて、男になれなくなっただけだ。気にすんな」


 声はすごく可愛いのに、この横柄な口振り、まさかっ。


「ルナール、いや、白菊なのかっ?」

「他に誰がいるってんだ」


 マジで白菊なのかっ。


「えっと、その、大丈夫なのか?」

「たりめーだ。本当にヤバかったら、元に戻ってるさ」

「元?」

「んなことより、とっとと化けてみろよ、頼正に」


 小さくなっても上から目線で白菊はいう。


「宇佐美友恵は、俺があの階段へ呼んでやっから、早く」

「わかった」


 オレは目をつむり、再び頼正の姿を思い描く。

 髪型や肌の質感、手の形、足の長さ、すべてのディテールを正確になぞらえて。


 目を開けると、少しだけ感覚が違っていた。

 何がどうとは上手くいえねぇけど、なんだかすごく満ち足りてる気がする。

 視界に映る男子の制服の、シャツの白さが目にまぶしい。


「はーん……」


 じろじろと何かいいたげに見つめてくる少女へ、オレは肝心なことを聞く。


「なぁ、10円持ってる?」

「もちろん、持ってるぜ。木の葉のお金じゃなく、造幣局が造った本物だ」

「ちょっと貸してくれ」

「そりゃ構わんが、っつうからには返してくれんだろうな」

「わかってる。ちゃんと返すから」


 白菊から借りた10円を手に、オレは教室を飛び出した。


「宇佐美っ」


 どこか不思議そうな顔付きで踊り場へやってきた宇佐美へ、階段の上から声をかける。

 偶然にも、初めて会ったときと同じような格好の彼女の目が、オレを見上げ、鈴のように丸くなった。


「桜田っ!? ウソっ、本当に……」


 いきなりが出るなんて、怖がられるか、信じて貰えねぇかとも思ったが、彼女は驚いてはいるものの、この状況を普通に受け入れてるみてぇに見える。

 だからオレも普通に続けた。

 あの頃のノリで、前置きもなく用件を伝える。


「こないだ、宇佐美から借りた10円、返しにきたんだ。もう、ウソつき呼ばわりされたくねぇし」

「聞いてたの?」

「ああ」

「ゴメン」

「いや、こっちこそ、遅くなってゴメン。約束したのに」


 オレは宇佐美の正面に立ち、10円を差し出す。


「はい、これ。サンキュー」


 おずおずと出された掌にそっと乗せてやると、彼女はとても大事なもののようにぎゅっとそれを握りしめた。


あったかい」

「ずっと持ってたからな。それじゃあ」


 用も済んだし、ボロが出る前にとっとと帰ろう。

 オレは階段を下り始める。


「あっ、待って、桜田っ!」


 慌てたように呼び止められ、振り仰ぐと、すがるような目とぶつかった。

 両手を胸元に当て、祈るように彼女は告げる。


「好きなのっ」

「えっ?」

「わたし、桜田のこと、ずっとずっと好きだった」


 それは、予想外の言葉だった。

 でも、これで、すべてに得心がいった気もする。

 宇佐美がここで幽霊に会いたがってた理由や、義日の想いを利用しつつも受け入れられなかった理由、告白出来なかったという恋心の行方や、義日のあの言葉の意味も。


「ありがとな。オレ、誰かにそんなんいわれたの初めてだし、すっげぇ嬉しい。でも、ゴメン」


 驚くほど冷静に、オレは言葉を選んでいた。

 傷付けねぇように、少しでもいい印象を残せるように。

 オレを好きになってよかったと、一生思って貰えるように。

 ちょっとズルいかもしんねぇけど、そうしたかった。

 そう思えるくらいには、宇佐美のこと、気になり始めていたのかも。

 だから、これも、ある意味、嘘だ。

 大嘘だ。


「オレ、宇佐美のこと、そんな風に見たことねぇし、これからも見ることは出来ねぇから、宇佐美はオレのことなんか、とっとと忘れ――られるのは、さすがにちょっと寂しいから、全部いい思い出に変えて、オレがうらやむくらい幸せになってくれ」


 やべぇ、なんか、力が抜けてきた。


「それじゃあ、宇佐美、元気でっ」


 早口にいって、階段を駆け下りる。

 最初の角を曲がった瞬間、変化の術が急にけた。

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