14. ディープインパクト

「おいっ、なんとかいえよ、宇佐美っ」


 オレは宇佐美じゃねぇっつっても、信じてくれるわけねぇし、ここは宇佐美のフリをして乗り切るっきゃねぇよな。

 ああ、早く答えねぇと、余計変に思われちまう。


「嘘じゃねぇ」


 とっに出たのは否定の言葉。


「嘘じゃないわ」


 もう一度丁寧に、今度は宇佐美になりきって答える。

 絶対に何としても誤魔化さねば。


「じゃあ、なんでいるんだよ?」

「それは……」


 救いを求めて辺りを見回すと、空き教室の壁に貼ってある、せた紙が目に入った。


『今月の目標 遅刻をしない。忘れ物をしない。』


 これだっ。


「忘れ物っ、忘れ物を取りに来たの」


 またまた嘘吐いちまったが、彼女までウソつきには出来ねぇから。

 ああ、これで来世も狐決定か?

 これで納得してくれるかと思ったが、義日はことほかしつこかった。


「なんだよ、忘れ物って」

「えっと……」


 なんて答えれば自然だ?

 財布? 携帯? 定期?

 焦るオレの耳に、パタンと乾いた音が届く。


「何か落ちたぞ」


 義日が床に手を伸ばし、その何かとやらを拾い上げた。

 紺色の小さな四角いもの。


「ん? これって、中学の生徒手帳?」

「えっ、あっ、それっ」


 ひょっとして、オレの、桜田頼正の手帳じゃねぇかっ。

 向こうもそれが、誰のものかに気付いたようだ。


「これ、頼正の……」

「返せっ!」


 オレは義日の手から、慌てて手帳を奪い取った。

 ポカンと見返す義日の顔が、急に引き締まる。


「そんなにそれが大事か?」

「そうだよ」


 これは桜田頼正の形見であり、オレが頼正である証。

 なくすわけにはいかねぇ。


「……んなにアイツが大事かっ。まだアイツが好きなのかっ。だからオレに、嘘まで吐くのかっ!」

「えっ?」


 何いってんだ、義日?

 アイツって、誰のことだ?


「いい加減にしろよ。頼正は死んだんだ。もうどこにもいねぇんだよっ」

「そんなことねぇっ!」


 気が付くと、そう叫んでいた。

 だって、オレはここにいる。

 オマエの目の前にいるっつうのに。

 それなのに、なんで。


「なんで、そんなひどいこというんだ」


 泣きてぇ気持ちで、オレは呟く。


「酷いのはどっちだっ。オレの気持ち、知ってるくせにっ」


 義日が一歩近付いてきたから、反射的に一歩下がると、背中が戸口に勢いよくぶち当たった。

 いてぇとかいうより先に、乱暴に腕を掴まれ、空き教室の中へ、強引に引っ張り込まれる。


 義日は、戸を後ろ手に閉めると、黒板脇にオレを追いやり、かくでもするかのように、横の壁をドンっと叩いた。


 これって、けんんとき、よく見かける構図だよな。

 もしかして、ものすごく怒ってる?

 恐る恐る見上げると、義日ともろに目が合った。

 さえぎるもののねぇ瞳に宿るのは、ギラギラした光。


「好きだ、好きだ、好きだっ。オマエが好きなんだっ!」


 えっ、義日のヤツ、どうしちまったんだ?

 オレが好きって、一体どういう――。


「トモエっ」


 左手首を掴まれてぐんと引き寄せられ、背中が壁から離れると同時に、義日の左手がオレの首筋に触れる。

 眼前に迫る義日の顔に、思わず目を閉じると、口まで何かに塞がれた。


「!?」


 何が起こってるのか、すぐには理解出来なかった。

 いや、本当はわかってるけど、認めんのが怖くって、この目で確かめることが出来ねぇ。


 荒い呼吸交じりに、ついばむようだった口付けは、次第にエスカレートしてゆき、無理矢理、歯の間から侵入してきたものに、舌を強くからめ取られる。

 イヤだ、気持ちわりぃ。

 顔をそむけようとしても、強く押さえ付けられ、逃れることはゆるされねぇ。

 熱い身体から立ち上る、不快な汗のニオイ。


 不意に、白菊の、ルナールの、綺麗な姿が脳裏に浮かんだ。

 彼の唇は優しくて、全然こんなじゃなかった。

 こんなん、ただの暴力だ。

 くそっ、なんでオレが、こんな目に合わなきゃいけねぇんだっ。

 だんだん怒りが込み上げてくる。


 じゅうりんされるのは、もうたくさんだ。

 逆に、オレが奪ってやる。

 寄越せ、義日。

 オマエのすべてをオレにっ、さぁ、もっと、もっとだっ。

 だんだん気分が高揚し、気持ちよくなってくる。

 ほら、もっと、もっと……。


「止せっ! それ以上気を奪ったら、その男が死ぬぞっ」


 いきなりルナールの声が聞こえ、目を開けると、義日が後ろに倒れるところだった。

 オレが手を伸ばすより先に、ルナールが彼を抱き止める。


「義日は?」


 濡れた口元を拭いながら尋ねると、義日を床に横たわらせたルナールが、淡々と答える。


「問題ない。気を奪われ、気を失っただけだ。滋養のあるもん食って休めばすぐ良くなるし、後で家に運んでおけば、全部夢だと思うだろう」

「よかった」


 安堵の息を漏らすと、向こうも同じように溜め息を吐いた。


「オマエ、したくないんじゃなかったか、こういうの。だから俺が、宝珠を通して、こっそり気を分けていたのに」

「えっ?」

「しかし、考えたな。惚れてる相手に化けて、欲情をあおり、気を高ぶらせてから奪うとは」

「違っ。オレ、そんな心算つもりじゃ……」

「冗談だ、バーカ」


 いつものルナールの軽口が、今はちょっぴり嬉しかった。

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