12. 他愛ない日常の中で

 翌日の昼休み。

 自分の席で頬杖を突いて、オレは約束のことを考えていた。

 桜田頼正が宇佐美と交わし、果たせねぇまま果てた約束。

 大したことじゃないわって言葉が、たったひとつのヒントだけれど、それだけに余計思い出せねぇ。

 記憶にも残んねぇほど他愛ねぇ約束を、宇佐美だけが覚えてて、果たさぬまま死んだオレを今も恨んでる?

 あーもうっ、本当にオレは、何をやらかしたんだっ。


「あーっ、やっべぇ」


 不意に、教室の真ん中ら辺で、男子の大きな声が上がった。


「持ってくんの忘れた」

「えーっ、マジかよー。昨日約束しただろう」

「悪ぃ。明日こそ、ちゃんと持ってくっから」

「約束だぞ、忘れんなよ」

「わぁーってるって」


 そう多分、オレと宇佐美の約束だって、こんな感じの、ありふれたやり取りだったんだろう。

 オレは何気なく、彼らの方を見る。

 するともう一人、別のクラスメイトが加わった。


「何やってんの、オマエら」

「コイツが持ってくんの忘れたんだよ。オレが貸したマンガ」

「だーから、明日こそ持ってくるって」

「忘れんなよ。絶対返せよ」

「わぁってるよ。必ず返すって」


 あれ?


 ――必ず返すって。


 そんなことをいった気がする。

 宇佐美に。

 いつだ?

 オレは必死に記憶を辿る。


 そう、あれは確か、オレが頭を打った日の昼休み。

 その日は確か金曜で、何かどーしても観たいテレビがあったんだけど、オレはうっかり録画予約をし忘れてしまっていた。


 部活が終わって急いで帰れば、ギリギリ間に合うかもしんねぇけど、やっぱし不安だ。

 今日は母さん、パート遅番のはずだから、この時間ならまだ家にいるかもしんねぇ。

 一応電話して、いたら予約を頼もう。


 そう思ってオレは、隣の席の宇佐美に借りたんだ。

 電話代の10円を。


 今は一応申請すれば携帯持ち込みOKになったみてぇだけど、あの頃は完全持ち込み禁止で、電話したきゃ外にある公衆電話を使うしかなかったから。

 いや最初は義日に借りようとしたけど、細かいのはねぇって断られたんだ。

 それで宇佐美に借りたのに、結局、留守電になってて、録画を頼むことは出来なかった。


 そうそう、それで、電話代の10円は、後で必ず返すといったんだった。

 結局、返すことは出来なかったけど。


 おおっ、ひょっとして、これか。

 ものすごくアホらしい、些細な約束。


 借りた方はすぐ忘れちゃっても、貸した当人はずーっと覚えてんもんな、こういうことって。

 例え、たった10円であっても、コイツは金を返さねぇケチな野郎だって、脳裏に深く刻み込まれちまう。

 おまけに額が少ねぇと、請求する方もちょっぴりしづらくて、親しいヤツならまだしも、そうじゃねぇ相手なら、あんましつこく催促すっと逆にケチくせぇって思われる恐れもあり、貸さなきゃよかったと、後悔だけが残ったりする。


 いや、オレの場合は、不可抗力で返せなかっただけだけど。

 ちゃんとすぐ返す心算つもりだったけど。

 でも、絶対これだ、間違いねぇ。


「オイ、白菊っ。オレ、思い出したよっ」


 そのことが嬉しくて、オレは隣の席のルナールに、コソコソと話しかける。


「ほう」


 ルナールは、読んでた文庫本を閉じ、顔を上げた。

 琥珀色の瞳が、探るようにオレを見返してくる。


「宇佐美に10円借りたのに、まだ返してなかった。返すって、約束したのにさ。これだろっ、オレの犯した罪って」


 だが、彼は頷かない。


「さあ、どうかな」

「えーっ、他には何も思い出せねぇよ。絶対これだって」

「じゃあ、それが正解だとして、それでオマエはどうする心算だ?」

「そりゃあ、返すよ10円。なんなら、利子も付けて」


 そんなん当たり前じゃねぇか。

 しかし、ルナールは、変わらず淡々という。


「どうやって? これ、桜田頼正があなたに借りた10円ですって、オマエが渡すのか?」

「あー、そっかぁ、やっぱ、頼正の姿じゃねぇとマズいよなぁ。でも、オレ、男に化けらんねぇんだろ。どうすりゃいいんだ?」


 ルナールへさらに顔を寄せると、ヤツもより声を潜め呟く。


「どうでもいいが、メッチャ見られてるぞ」

「えっ?」


 顔を上げ、辺りを見回すと、教室中の視線がオレたちに集まっていた。

 なんで、こんなに見られてるんだ?

 観衆の中には、なっちゃんやその友達もいて、目が合うと、意味ありげな笑みとともに、ガッツポーズを送ってくる。

 頑張れって、一体何を?

 ハッ、まさかっ!


 ――ルナールくんと桜田さん、美男美女でお似合いだよね。

 ――応援するよ、わたしたち。


 そういった、彼女らの言葉を思い出し、オレはまいがしそうになった。


Par パ ルdon. 僕、ちょっと用あるから」


 ルナールが、爽やかな笑顔とともに立ち上がり、教室を出て行こうとするのを、オレは慌てて追いかけようとし、なんとか思いとどまった。

 お願いだから、こんな状況で一人にしねぇでくれっ。

 そう思ったが、ここで二人揃っていなくなれば、さらに恐ろしい噂が立つことは間違いねぇ。

 オレは素知らぬふりをして、ひたすら長く感じる時を、一人やり過ごした。

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