そして、またキミに恋をする
絢野悠
第1話
朝、コンビニで金を下ろした。なけなしの十万だった。
俺は週に二回、一万ずつ火曜と木曜にカツアゲされる。銀城と金井という二人のギャルにだ。校門を出てすぐのところでいつも待っていた。
一年の秋から今まで、二年近くカツアゲされ続けている。あと一年くらいはこの状態が続く。
けれど、今回だけ十万にしろと言ってきた。彼氏と温泉に行くらしいが、ここで十万渡してしまえばつけあがる。でも渡さなければこれからどうなるかわからない。
銀城も金井も顔が広く、素行が悪くて有名だ。彼女たちに目をつけられて学校を辞めていった者も多い。
学校につき、授業を受けた。その間にもカバンの中の十万が気になって仕方がなかった。
お昼休みになり、いつも通りに人気のない教室で昼食を取った。銀城に目をつけられた俺には友達などいなかった。正確には離れていったのだ。
弁当を食べ終えて、弁当箱をカバンに入れた。
「裕司……?」
心臓が口から飛び出そうになった。教室の入り口から顔を出したのは暦だったから。
そして幼馴染みでもある。中学までは隣人だったが、高校入学と同時に一軒家を購入して引っ越した。中学まで暦が住んでいた家は、彼女の父方の実家だった。
彼女はおそるおそる歩いてきて俺の前に立った。
「ここ、座っていい?」
俺の前の席を指差してそう言った。
「拒否する権利はねーよ」
「そ、ありがと」
イスをこちらに向けて彼女が座った。
窓の外に視線を投げた。心臓の鼓動が強く早く波打つのを感じながら、暦の動向を目端で見やる。
「受け取って欲しいの」
机に視線を戻すと、机の上に茶封筒を置き、細い指が戻っていくところだった。
「なんだよ、これ」
「十万」
「なんでお前が!」
知ってるんだよと、思わず声を荒げた。
「偶然聞いちゃったのよ」
「そ、そうなのか」
「なにか理由があるんでしょう? だったら、私も協力するわ」
「元幼馴染だからって何様のつもりだよ。それは受け取れない」
「元幼馴染みなんて言い方、しないでよ」
「家も離れた。会話もほとんどない。遊ぶこともない。俺はバイトで忙しいしな」
「そのバイトもカツアゲから身を守るためなんでしょ?」
ドキッとした。図星だからこそ、どう切り替えしたら良いのかわからなかった。
「予想が当たっちゃったみたいね」
「うるせーよ。とにかく、その十万はもらえない」
勢いよく立ち上がった。いつか余計なことを口走ってしまうかもしれない。それはお互いに都合が悪いはずだ。
早足で教室を出た。そのまま廊下を歩き続けた。角を曲がるときに振り振り返ったが、そこに暦はいなかった。自分で突き放しておきながら、なぜか寂しさを感じていた。
放課後になり、一人で教室を出た。喧騒に包まれる廊下を抜け、階段を下り、下駄箱へ。
「ユージ」
後ろから声をかけられた。振り返ると、中学からの同級生である紫堂創太がいた。肩で息をしているけれど、なぜか神妙な顔つきをしていた。
「なんか用事か?」
俺は床に視線を落とした。
「迷ったんだけど、言っておいた方がいいかなと思って」
「なにを?」
「青根が連れて行かれた。銀城たちに」
勢いよく顔を上げた。創太は目を見開き、口を半開きにしていた。
「どういうことだよ」
「それと二組の黒瀬と四組の白河とかもいた」
前に出て、創太の肩を思い切り掴んだ。
「どこに向かった!」
「屋上だ、銀城が自分で言ってた」
「いつ!」
「お前が教室を出てすぐ。お前が帰るのを待ってたんだと思う」
奥歯を噛み締めた。二組の黒瀬も、四組の白河も、この学校では幅を利かせている不良だ。過去には暴力事件だって起こしてる。黒瀬は医者の息子で、白河も社長の息子だ。力が強く身長も高い。それに顔も悪くない。暴走族の仲間がたくさんいるとか、ヤクザの知り合いがいるとかで逆らうヤツはいない。
創太も、元友人の一人。でも俺と暦が幼馴染みだって知ってるから、このことを教えてくれたんだろう。
「ありがとうな」
そう言ってから駆け出した。
全速力で階段を駆け上がった。肩の端が誰かに触れた。体勢を崩しながら、階段に手をついてなおも走り続ける。
駆け上り、屋上のドアを思い切り開け放った。
「暦!」
そこには銀城、金井、黒瀬、白河、不良数名がいた。だがそれよりも、制服と下着を脱いだ暦の姿から目が離せなかった。
ブラウスと青色のスカートが脱ぎ散らかされて、その上に白いブラジャーとパンティーが置かれていた。
「見張りくらいしとけよ」
黒瀬が笑いながらそう言った。
「青根のストリップショーだよ? 誰も見張りなんてしないでしょ」
白河が薄ら笑いを浮かべながら言い返す。
「動画に撮ってあるから大丈夫。おい赤川、お前も見たいだろ? 愛しい暦ちゃんのレイプショー」
銀城と金井が笑いあっていた。汚らしくゲハゲハと、腹を抱えて笑っていた。
それが、俺の中のなにかをぶち壊していった。
「ふざけんじゃねーよ!」
痛いくらいに歯を食いしばり、俺は力いっぱい突進していった。
俺は不良の輪の中に飛び込んでいく。拳を振り上げ、一番前にいた黒瀬に殴りかかった。
黒瀬の顔に俺の拳が当たった。人を殴ると、殴った側も痛いだなんて初めて知った。同時に人を殴ったときの感覚も初めてだった。
「てめぇ!」
黒瀬が俺の胸ぐらを掴んだ。そして、顔面に衝撃がやってきた。
でも、俺の記憶はそこまでだった。
目を開けると、暦の顔が近くにあった。泣いている。涙の雫が落ちて、俺の顔を何度も叩いた。
背中が冷たい、けれど頭は温かい。暦に膝枕をされているんだなと気がつくまでしばらくかかった。
「大丈夫? 痛い?」
悲しそうに眉根を寄せていた。愛おしそうに俺の頬を撫でながら、口をへの字に曲げている。
「いろんなところが痛い」
火の近くかと思うほどに顔が熱い。それに身じろぎだけで全身に激痛が走る。
「あれからどうなった?」
眉間に刻まれたシワは健在だが、目と口は笑っていた。
「黒瀬くんに殴られて、他の人たちも裕司に殴りかかっていった。裕司はひるまずに立ち向かったけど、結局ボコボコにされちゃった」
「じゃあお前はアイツらに……」
「先生が来てくれたから大丈夫。私が友達に頼んでおいたから」
「俺は骨折り損だったか」
「そんなことないわ。あのままだったらどうなってたかわからなかったもの」
「お前を守れたんだな」
「今までも、そして今も」
「小学校までのことだろ?」
「違うわ。銀城さんたちから私を守ってくれた」
「それは今の話だ」
「それも違う。私ね、お金を渡している理由を知ってたの」
「もしかして、急に接触するようになってきたのは……」
「ええ、証拠が揃ったから」
手で顔を覆った。俺は銀城にも暦にも踊らされてたってわけか。
「でも私が気づいたのは去年の秋。偶然だった。裕司と銀城さんたちのやり取りを聞いてしまった。ごめんね、気づけなくて」
「知られたくなかった。高校の間だけ金を渡せばよかったから」
また、どうしようもなく涙が出てきた。
同じ病院で生まれて家は隣同士。どちらの両親も「このまま結婚してくれれば」なんて言うくらい仲もよかった。
元々は気弱な正確だった。保育園、小学校のときは俺の後ろに隠れていた。それが中学に入り、少しずつ強くなった。言いたいことを言い、間違いを自分で正すようになった。生徒会副会長なんかもやって、俺の存在が必要ないくらい強くなった。
校内でも暦は有名人だった。生徒会書記、成績優秀、運動はちょっと苦手だけどスタイルがよく美人だ。そんな暦のことが気に食わなかったのだろう。男たちの下心を利用して、銀城たちは暦を襲わせようとした。
一年生の秋、忘れ物を取りに教室に戻ったときに二人の話を聞いてしまった。そこで俺は銀城たちと取り引きをした。
卒業までカツアゲを受け入れる。その代わり暦には手を出さない。若干不服そうにはしていたのが印象的だった。
もう一つ、俺が暦に干渉しないという条件が付けられた。極力接触を避けるというのが条件だった。
ここ数日で俺と暦の接触が増えた。それを見て焦ったのだろう。確かに、最近は用事もなく暦は話しかけてきていた。俺は聞き流していたが、銀城たちはそれが気に入らなかったのだ。
「今まで、ありがとう」
「服を脱がされて、動画や写真も撮られた。そういうことをさせたくなかったから取り引きをしたんだ」
「その契約をぶち壊したのは私。私もね、裕司を守りたかったんだ」
「なんで俺なんかを」
「昔から守ってもらってた。今度は私が守らなきゃって。中学生になって、ようやくそう思えるようになった」
「それで俺に頼らなくなったのか」
「守られてばっかりじゃいられないから。どこかで自立しなきゃいけなかった。私を守るという義務から開放してあげたかった。後ろじゃなくて隣に立ちたかった」
「でも俺はお前を守っていたかった。寂しかったんだ」
「すれ違っちゃったね。私たち」
「そう、だな」
風が吹いた。暦の髪の毛が揺れる。夕日に輝く髪の毛が、暦の美しさを際立たせた。
彼女の顔から、いつの間にか眉間のシワが消えていた。残ったのは優しい微笑みだけだ。なにか、大事なものを慈しむような顔だった。
「非謹慎だけど、銀城との契約で俺は少なからず救われたんだ。またお前を守れるって。でも、違ったんだ。最終的にはお前に助けられてた」
「そんなことない。結果は大事だと思う。でもね、その結果を出すのには過程が必要なの。通ってきた過程があって結果がある。裕司は自身のためにやったって言う。でもね、それで私は救われた。誰にも知られることなく私を守ってくれたんだよ。私はそれが嬉しかった」
彼女は俺の眉をなぞり、鼻を押し、頬を撫で、唇に触れた。
「嬉しいの」
笑いながら、泣いていた。
俺たちはいつからかすれ違った。気持ちや意見を確かめないまま、自分の気持ちだけを優先させた。
「暦じゃなきゃここまでしなかった。もう一度必要とされたかった」
「私はいつでもアナタを必要としてる」
すれ違ったけど、気持ちは最初から変わってなかったんだ。
痛む腕を上げて彼女の頬に手を当てた。すべすべとしていてさわり心地がいい。こうやって身体を触らなくなったのはいつからだろう。
「俺にもお前が必要だ。保育園も、小学校も、中学校も、高校も、他の女子は目に入らなかった。俺が女だと思うのはお前だけだ。お前が、ずっと好きだ」
「私もアナタが好き、大好きよ。ずっと一緒にいて欲しい。小さい頃から同じ時間を生きてきて、私を守り続けてくれたアナタが好きなの」
「でももう守る必要ないかな」
「これからも守ってよ。その代わりに私がアナタを守るわ。私には私の、アナタにはアナタの良いところがあるし弱点もある。そうやって補っていけば、すれ違ってもいずれどこかでわかりあえると思うから」
「そうかな」
髪の毛の束を口元に持ってきた。金木犀の香りで鼻と口をいっぱいになった。
「そうだよ」
彼女の顔が近付いてきた。同時に目を隠されてしまった。
唇に柔らかな感触。ピリッと、電気が走ったような気がした。たぶんそれは本当に
「そんな気がした」だけ。でもそれはとても都合がよかった。いつまでもこの気持ちを忘れないように、俺と彼女が繋がった証としてとっておこう。
唇を離し、手がどけられた。
彼女は涙を浮かべながら、幸せそうに目を細めて微笑んだ。いや、満面の笑みを浮かべていた。だから俺も笑うんだ。この破裂しそうなほどに膨張した気持ちを抱え、俺は彼女の頭を撫でた。
放課後、屋上に上った。誰もいない。まっすぐに歩いていって、フェンス越しにグラウンドを見下ろした。
風が生ぬるい。額に浮かぶ汗を拭い、茜がかった空を見た。
銀城たちは退学処分。慰謝料ももらったし、接触禁止の念書も書かせた。それも全部、暦が証拠を集めてくれたからできたこと。身を挺して、銀城たちのスマフォに動画を残させたからできたことだ。
背後でドアが開く甲高い金属音がした。そして、バタンという音と共に閉まった。
「ここにいたのね」
俺は振り向き笑いかけた。
「少しでも青春ぽいことできればいいなって」
「屋上で異性と風に吹かれるなんていかにもって感じがするわ」
「可愛い彼女と二人きりだから余計にな」
夕日に照らされてるからわかりにくいが、たぶん彼女の顔は真っ赤なんだろう。
ゆっくりとこちらに歩いてきた。風が吹くと彼女の髪が乱れた。その乱れた髪の毛を耳にかける仕草は、はやり彼女にはとても似合う。
俺の隣に立ち、スカートの後ろで指を組んだ。先程の俺と同じように夕日を見ている。
「ごめんね、本当はすぐにでも助けたかった。でもなにも解決しないと思った。助けるのであれば、徹底的にやりたかった」
「お前が思った通りにやって成功したんだ。きっとこれが正しかったんだ。感情のままに正義を振りかざすだけじゃ誰も守れない」
「これが私のやり方だったってだけよ。ときには感情的に正義をうたうのもいいと思う。というか、裕司はそういうやり方しかできないでしょう?」
「お前ほど冷静でもなく頭がいいわけでもないからな」
「あら、私だって冷静じゃいられなかったわよ?」
「でも現実にこうなったぞ」
今度は俺の方を見た。目が合うと、その大きな瞳に吸い込まれそうになる。
「なんとしても救いたかった。絶対になんとかしてやるって。だって、私はこんなにもアナタが好きだから。愛ゆえに、ってヤツかな」
彼女は満面の笑みを浮かべた。夕日に照らされた横顔は美しく、このまま写真にでも収めておきたいとさえ思った。
「じゃあお前を守ってきた俺も愛ゆえにってことになるかな」
「そうだと嬉しいな」
彼女は俺の腕を抱きかかえた。そのまま塔屋へと引っ張られる。
「な、なんだよ」
「デートしましょ」
「これから?」
「今までできなった分、毎日デートしてもらうから」
「俺が銀城にカツアゲされなきゃデートしてたみたいにも捉えられるな」
「私はそのつもりで言ったんだけど?」
そのときも彼女は笑顔だった。
きっと、ひまわりよりも華やかで、太陽よりも明るく照らしてくれるんじゃないかと思う。
一度は距離が離れた、俺たち二人の夏が始まる。高鳴っていく胸は、きっとこれからの未来への期待からくるものだろう。
ずっと、彼女の笑顔をみていられたらいいなと思う。守っていかれたら幸せだなと、俺は本気で思っている。
だから――。
「もう、離れないから」
俺は彼女にそう言うんだ。
ギュッと、腕が強く抱かれた。それが、彼女から返事だった。
そして、またキミに恋をする 絢野悠 @harukaayano
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