そして、またキミに恋をする

絢野悠

第1話

 朝、コンビニで金を下ろした。なけなしの十万だった。


 俺は週に二回、一万ずつ火曜と木曜にカツアゲされる。銀城と金井という二人のギャルにだ。校門を出てすぐのところでいつも待っていた。


 一年の秋から今まで、二年近くカツアゲされ続けている。あと一年くらいはこの状態が続く。


 けれど、今回だけ十万にしろと言ってきた。彼氏と温泉に行くらしいが、ここで十万渡してしまえばつけあがる。でも渡さなければこれからどうなるかわからない。


 銀城も金井も顔が広く、素行が悪くて有名だ。彼女たちに目をつけられて学校を辞めていった者も多い。


 学校につき、授業を受けた。その間にもカバンの中の十万が気になって仕方がなかった。


 お昼休みになり、いつも通りに人気のない教室で昼食を取った。銀城に目をつけられた俺には友達などいなかった。正確には離れていったのだ。


 弁当を食べ終えて、弁当箱をカバンに入れた。


「裕司……?」


 心臓が口から飛び出そうになった。教室の入り口から顔を出したのは暦だったから。


 青根暦あおねこよみ。俺や銀城とクラスメイト。黒くて長い髪の毛は艷やかに光を弾き、目端がつり上がっているので少々キツイ顔立ちだ。けれど鼻筋が通っており、誰の目から見ても美人に映るだろう。胸は大きいと言えないが、すらっと長い脚や細い腰が彼女の女性らしさを引き立てる。学校内でも「青根暦を彼女にしたい」と言う男子は多い。


 そして幼馴染みでもある。中学までは隣人だったが、高校入学と同時に一軒家を購入して引っ越した。中学まで暦が住んでいた家は、彼女の父方の実家だった。


 彼女はおそるおそる歩いてきて俺の前に立った。


「ここ、座っていい?」


 俺の前の席を指差してそう言った。


「拒否する権利はねーよ」

「そ、ありがと」


 イスをこちらに向けて彼女が座った。


 窓の外に視線を投げた。心臓の鼓動が強く早く波打つのを感じながら、暦の動向を目端で見やる。


「受け取って欲しいの」


 机に視線を戻すと、机の上に茶封筒を置き、細い指が戻っていくところだった。


「なんだよ、これ」

「十万」

「なんでお前が!」


 知ってるんだよと、思わず声を荒げた。


「偶然聞いちゃったのよ」

「そ、そうなのか」

「なにか理由があるんでしょう? だったら、私も協力するわ」

「元幼馴染だからって何様のつもりだよ。それは受け取れない」

「元幼馴染みなんて言い方、しないでよ」

「家も離れた。会話もほとんどない。遊ぶこともない。俺はバイトで忙しいしな」

「そのバイトもカツアゲから身を守るためなんでしょ?」


 ドキッとした。図星だからこそ、どう切り替えしたら良いのかわからなかった。


「予想が当たっちゃったみたいね」

「うるせーよ。とにかく、その十万はもらえない」


 勢いよく立ち上がった。いつか余計なことを口走ってしまうかもしれない。それはお互いに都合が悪いはずだ。


 早足で教室を出た。そのまま廊下を歩き続けた。角を曲がるときに振り振り返ったが、そこに暦はいなかった。自分で突き放しておきながら、なぜか寂しさを感じていた。


 放課後になり、一人で教室を出た。喧騒に包まれる廊下を抜け、階段を下り、下駄箱へ。


「ユージ」


 後ろから声をかけられた。振り返ると、中学からの同級生である紫堂創太がいた。肩で息をしているけれど、なぜか神妙な顔つきをしていた。


「なんか用事か?」


 俺は床に視線を落とした。


「迷ったんだけど、言っておいた方がいいかなと思って」

「なにを?」

「青根が連れて行かれた。銀城たちに」


 勢いよく顔を上げた。創太は目を見開き、口を半開きにしていた。


「どういうことだよ」

「それと二組の黒瀬と四組の白河とかもいた」

 前に出て、創太の肩を思い切り掴んだ。

「どこに向かった!」

「屋上だ、銀城が自分で言ってた」

「いつ!」

「お前が教室を出てすぐ。お前が帰るのを待ってたんだと思う」


 奥歯を噛み締めた。二組の黒瀬も、四組の白河も、この学校では幅を利かせている不良だ。過去には暴力事件だって起こしてる。黒瀬は医者の息子で、白河も社長の息子だ。力が強く身長も高い。それに顔も悪くない。暴走族の仲間がたくさんいるとか、ヤクザの知り合いがいるとかで逆らうヤツはいない。


 創太も、元友人の一人。でも俺と暦が幼馴染みだって知ってるから、このことを教えてくれたんだろう。


「ありがとうな」


 そう言ってから駆け出した。


 全速力で階段を駆け上がった。肩の端が誰かに触れた。体勢を崩しながら、階段に手をついてなおも走り続ける。


 駆け上り、屋上のドアを思い切り開け放った。


「暦!」


 そこには銀城、金井、黒瀬、白河、不良数名がいた。だがそれよりも、制服と下着を脱いだ暦の姿から目が離せなかった。


 ブラウスと青色のスカートが脱ぎ散らかされて、その上に白いブラジャーとパンティーが置かれていた。


「見張りくらいしとけよ」


 黒瀬が笑いながらそう言った。


「青根のストリップショーだよ? 誰も見張りなんてしないでしょ」


 白河が薄ら笑いを浮かべながら言い返す。


「動画に撮ってあるから大丈夫。おい赤川、お前も見たいだろ? 愛しい暦ちゃんのレイプショー」


 銀城と金井が笑いあっていた。汚らしくゲハゲハと、腹を抱えて笑っていた。


 それが、俺の中のなにかをぶち壊していった。


「ふざけんじゃねーよ!」


 痛いくらいに歯を食いしばり、俺は力いっぱい突進していった。


 俺は不良の輪の中に飛び込んでいく。拳を振り上げ、一番前にいた黒瀬に殴りかかった。


 黒瀬の顔に俺の拳が当たった。人を殴ると、殴った側も痛いだなんて初めて知った。同時に人を殴ったときの感覚も初めてだった。


「てめぇ!」


 黒瀬が俺の胸ぐらを掴んだ。そして、顔面に衝撃がやってきた。


 でも、俺の記憶はそこまでだった。





 目を開けると、暦の顔が近くにあった。泣いている。涙の雫が落ちて、俺の顔を何度も叩いた。


 背中が冷たい、けれど頭は温かい。暦に膝枕をされているんだなと気がつくまでしばらくかかった。


「大丈夫? 痛い?」


 悲しそうに眉根を寄せていた。愛おしそうに俺の頬を撫でながら、口をへの字に曲げている。


「いろんなところが痛い」


 火の近くかと思うほどに顔が熱い。それに身じろぎだけで全身に激痛が走る。


「あれからどうなった?」


 眉間に刻まれたシワは健在だが、目と口は笑っていた。


「黒瀬くんに殴られて、他の人たちも裕司に殴りかかっていった。裕司はひるまずに立ち向かったけど、結局ボコボコにされちゃった」

「じゃあお前はアイツらに……」

「先生が来てくれたから大丈夫。私が友達に頼んでおいたから」

「俺は骨折り損だったか」

「そんなことないわ。あのままだったらどうなってたかわからなかったもの」

「お前を守れたんだな」

「今までも、そして今も」

「小学校までのことだろ?」

「違うわ。銀城さんたちから私を守ってくれた」

「それは今の話だ」

「それも違う。私ね、お金を渡している理由を知ってたの」

「もしかして、急に接触するようになってきたのは……」

「ええ、証拠が揃ったから」


 手で顔を覆った。俺は銀城にも暦にも踊らされてたってわけか。


「でも私が気づいたのは去年の秋。偶然だった。裕司と銀城さんたちのやり取りを聞いてしまった。ごめんね、気づけなくて」

「知られたくなかった。高校の間だけ金を渡せばよかったから」


 また、どうしようもなく涙が出てきた。


 同じ病院で生まれて家は隣同士。どちらの両親も「このまま結婚してくれれば」なんて言うくらい仲もよかった。


 元々は気弱な正確だった。保育園、小学校のときは俺の後ろに隠れていた。それが中学に入り、少しずつ強くなった。言いたいことを言い、間違いを自分で正すようになった。生徒会副会長なんかもやって、俺の存在が必要ないくらい強くなった。


 校内でも暦は有名人だった。生徒会書記、成績優秀、運動はちょっと苦手だけどスタイルがよく美人だ。そんな暦のことが気に食わなかったのだろう。男たちの下心を利用して、銀城たちは暦を襲わせようとした。


 一年生の秋、忘れ物を取りに教室に戻ったときに二人の話を聞いてしまった。そこで俺は銀城たちと取り引きをした。


 卒業までカツアゲを受け入れる。その代わり暦には手を出さない。若干不服そうにはしていたのが印象的だった。


 もう一つ、俺が暦に干渉しないという条件が付けられた。極力接触を避けるというのが条件だった。


 ここ数日で俺と暦の接触が増えた。それを見て焦ったのだろう。確かに、最近は用事もなく暦は話しかけてきていた。俺は聞き流していたが、銀城たちはそれが気に入らなかったのだ。


「今まで、ありがとう」

「服を脱がされて、動画や写真も撮られた。そういうことをさせたくなかったから取り引きをしたんだ」

「その契約をぶち壊したのは私。私もね、裕司を守りたかったんだ」

「なんで俺なんかを」

「昔から守ってもらってた。今度は私が守らなきゃって。中学生になって、ようやくそう思えるようになった」

「それで俺に頼らなくなったのか」

「守られてばっかりじゃいられないから。どこかで自立しなきゃいけなかった。私を守るという義務から開放してあげたかった。後ろじゃなくて隣に立ちたかった」

「でも俺はお前を守っていたかった。寂しかったんだ」

「すれ違っちゃったね。私たち」

「そう、だな」


 風が吹いた。暦の髪の毛が揺れる。夕日に輝く髪の毛が、暦の美しさを際立たせた。


 彼女の顔から、いつの間にか眉間のシワが消えていた。残ったのは優しい微笑みだけだ。なにか、大事なものを慈しむような顔だった。


「非謹慎だけど、銀城との契約で俺は少なからず救われたんだ。またお前を守れるって。でも、違ったんだ。最終的にはお前に助けられてた」

「そんなことない。結果は大事だと思う。でもね、その結果を出すのには過程が必要なの。通ってきた過程があって結果がある。裕司は自身のためにやったって言う。でもね、それで私は救われた。誰にも知られることなく私を守ってくれたんだよ。私はそれが嬉しかった」


 彼女は俺の眉をなぞり、鼻を押し、頬を撫で、唇に触れた。


「嬉しいの」


 笑いながら、泣いていた。


 俺たちはいつからかすれ違った。気持ちや意見を確かめないまま、自分の気持ちだけを優先させた。


「暦じゃなきゃここまでしなかった。もう一度必要とされたかった」

「私はいつでもアナタを必要としてる」


 すれ違ったけど、気持ちは最初から変わってなかったんだ。


 痛む腕を上げて彼女の頬に手を当てた。すべすべとしていてさわり心地がいい。こうやって身体を触らなくなったのはいつからだろう。


「俺にもお前が必要だ。保育園も、小学校も、中学校も、高校も、他の女子は目に入らなかった。俺が女だと思うのはお前だけだ。お前が、ずっと好きだ」

「私もアナタが好き、大好きよ。ずっと一緒にいて欲しい。小さい頃から同じ時間を生きてきて、私を守り続けてくれたアナタが好きなの」

「でももう守る必要ないかな」

「これからも守ってよ。その代わりに私がアナタを守るわ。私には私の、アナタにはアナタの良いところがあるし弱点もある。そうやって補っていけば、すれ違ってもいずれどこかでわかりあえると思うから」

「そうかな」


 髪の毛の束を口元に持ってきた。金木犀の香りで鼻と口をいっぱいになった。


「そうだよ」


 彼女の顔が近付いてきた。同時に目を隠されてしまった。


 唇に柔らかな感触。ピリッと、電気が走ったような気がした。たぶんそれは本当に

「そんな気がした」だけ。でもそれはとても都合がよかった。いつまでもこの気持ちを忘れないように、俺と彼女が繋がった証としてとっておこう。


 唇を離し、手がどけられた。


 彼女は涙を浮かべながら、幸せそうに目を細めて微笑んだ。いや、満面の笑みを浮かべていた。だから俺も笑うんだ。この破裂しそうなほどに膨張した気持ちを抱え、俺は彼女の頭を撫でた。






 放課後、屋上に上った。誰もいない。まっすぐに歩いていって、フェンス越しにグラウンドを見下ろした。


 風が生ぬるい。額に浮かぶ汗を拭い、茜がかった空を見た。


 銀城たちは退学処分。慰謝料ももらったし、接触禁止の念書も書かせた。それも全部、暦が証拠を集めてくれたからできたこと。身を挺して、銀城たちのスマフォに動画を残させたからできたことだ。


 背後でドアが開く甲高い金属音がした。そして、バタンという音と共に閉まった。


「ここにいたのね」


 俺は振り向き笑いかけた。


「少しでも青春ぽいことできればいいなって」

「屋上で異性と風に吹かれるなんていかにもって感じがするわ」

「可愛い彼女と二人きりだから余計にな」


 夕日に照らされてるからわかりにくいが、たぶん彼女の顔は真っ赤なんだろう。


 ゆっくりとこちらに歩いてきた。風が吹くと彼女の髪が乱れた。その乱れた髪の毛を耳にかける仕草は、はやり彼女にはとても似合う。


 俺の隣に立ち、スカートの後ろで指を組んだ。先程の俺と同じように夕日を見ている。


「ごめんね、本当はすぐにでも助けたかった。でもなにも解決しないと思った。助けるのであれば、徹底的にやりたかった」

「お前が思った通りにやって成功したんだ。きっとこれが正しかったんだ。感情のままに正義を振りかざすだけじゃ誰も守れない」

「これが私のやり方だったってだけよ。ときには感情的に正義をうたうのもいいと思う。というか、裕司はそういうやり方しかできないでしょう?」

「お前ほど冷静でもなく頭がいいわけでもないからな」

「あら、私だって冷静じゃいられなかったわよ?」

「でも現実にこうなったぞ」


 今度は俺の方を見た。目が合うと、その大きな瞳に吸い込まれそうになる。


「なんとしても救いたかった。絶対になんとかしてやるって。だって、私はこんなにもアナタが好きだから。愛ゆえに、ってヤツかな」


 彼女は満面の笑みを浮かべた。夕日に照らされた横顔は美しく、このまま写真にでも収めておきたいとさえ思った。


「じゃあお前を守ってきた俺も愛ゆえにってことになるかな」

「そうだと嬉しいな」


 彼女は俺の腕を抱きかかえた。そのまま塔屋へと引っ張られる。


「な、なんだよ」

「デートしましょ」

「これから?」

「今までできなった分、毎日デートしてもらうから」

「俺が銀城にカツアゲされなきゃデートしてたみたいにも捉えられるな」

「私はそのつもりで言ったんだけど?」


 そのときも彼女は笑顔だった。


 きっと、ひまわりよりも華やかで、太陽よりも明るく照らしてくれるんじゃないかと思う。


 一度は距離が離れた、俺たち二人の夏が始まる。高鳴っていく胸は、きっとこれからの未来への期待からくるものだろう。


 ずっと、彼女の笑顔をみていられたらいいなと思う。守っていかれたら幸せだなと、俺は本気で思っている。


 だから――。


「もう、離れないから」


 俺は彼女にそう言うんだ。


 ギュッと、腕が強く抱かれた。それが、彼女から返事だった。

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そして、またキミに恋をする 絢野悠 @harukaayano

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