ジゼル・ストリングス

 わたしは病室のベッドのなかにいて、起きている状態と寝ている状態のちょうど中間にいた。まどろんでいるのではない。意識ははっきりしていた。数分前に電動ベッドの傾きを調整してお医者さまは出ていった。その具合が、いまとなっては中途半端で、眠るには頭が高すぎるし、かといって起きている実感もないという状態なのだ。落ち着かず、空に浮かんでいるように感じる。たしかに、わたしの身体は雲みたいになってしまって、掴みどころがない。帳尻を合わせるように頭は重く、枕に沈み込んでいくようだった。このままではひっくり返ってしまう。

 そのとき、ふと思った。

 つまさきのことで、こんなにも悩み苦しむ人もいまい。

 わたしの瞳の黒い部分は、0.7ミリのボールペンで打ったピリオドのように小さくなっているはずだ。病室に鏡はない。あまりにも白く明るすぎるように感じるから、きっとそうだと思ったが、真逆もありえる。腕の血管に刺さった0.9ミリの針から、重力によってしたたり落ちてくる栄養剤、そこに混交された薬物が、わたしの瞳孔を麻痺させ、暗闇を光り輝かせているのかもしれない。

 つまさきだけが黒ずんで見える。彼女たちはシーツの端から顔を出し、すこし恥ずかしそうにしている。彼女たちは十人家族で、わたしは指先の十人よりも、足先の十人に数倍の親しさを覚えていた。わたしにとって、爪の先といえば、足先の十人に決まっている。わたしの身体の最果ての十人だ。

 意識を取り戻してから、十三日経った。もう一度寝て起きれば二週間になる。いっそ目を覚まさなければ良かった……とは思わないし、逆に生きていて良かったとも思っていない。実感がまだないのだ。実感してしまえば、死にたくなる。だから、脳が深くは考えないようにしてくれているのだろう。このまま全身不随で一生を過ごさなければならないことを。生理のこともままならなくなってしまっていることを。首から下の感覚は一切ない。自発的にはまったく動かすことができず、その取っ掛かりも予兆もない。

 母はカトリックで、わたしもカトリックだ。神さまに祈るのには慣れている。母はわたしがこうなってから、聖書の一節を引用をしていない。そのことに気がついたのが昨日で、わたしは母の信仰心に迷いが生じていることを知った。神さまは乗り越えようのない試練を与えることもあるのだろうかと。

 ……わたしはそう思わない。さあ、祈ろう。

 わたしの胸の上で両手の指はからまっている。感覚はなく勝手に解けないように、チタンの細い鎖で縛ってもらった。痣になるといわれたけど、必要なことだった。手のなかにはロザリオがある。

 感覚がするどかった頃の記憶をリフレインする。スポットライトを浴びたときは、その光のなかに神さまの姿を見ることもある。プロになってはじめて主役を勝ち取ったとき、言葉のなかに神さまがいた。気に入った衣装を身にまとえるとき、神さまに包まれていた。憧れの人に師事してもらえるようになったとき、神さまはあの方の視線をひととき奪ってくださった。身体がさらに0.1度深く曲がるようになったとき、神さまは支えてくださっていた。はじめて完璧なつまさき立ちができたとき、神さまはわたしを一瞬だけ空へ連れ去ってくださった。

 動いてと祈る。わたしの黒ずんだつまさきたち、わたしのすべてを受け止め続けた十人たち、とくに太い四本はいびつに歪んでいる。つめが割れて、なんどむしり取っただろう。バレエシューズに血をにじませた。錆びたカミソリの上を歩くような痛み。そんな痛みさえ帰ってきてほしい。

「……ねぇ」

 祈り疲れて眠っていたのかもしれない。気がつくと、かたわらには黒い影があった。神さまではなかったけれど、恐くはなかった。

「ジゼル」

 彼は、わたしをバレエの役名で呼ぶ。かっこつけだ。べつにかまわないけれど。

「なあに」

 わたしの言葉はデールクイン社製のラングデールによって発声プロセスを読み取られる。わたしの意志や考えはわたしの声帯を震わせないし、呼吸のリズムも自由にできない。ラングデールがわたしの言葉を代弁する。その声はわたしには間延びして聞こえる。

 ラングデールには男女それぞれ百人の声優の声が収録されている。それらの声をさらに自由に調整できる。感情の振れ幅、声の高さ、倍音、なまり。その組み合わせは百億通り以上あり、全人類に別々の声を当てはめることさえできる。

 母が調整してくれたわたしの声は、本当にわたしの声のように響いているのか、わたしにはやはりすこし違うように聞こえる。間延びしていて、高くうかれていて、子どもっぽすぎるようだ。

 ラングデールはふたつのパーツに分かれている。ひとつはわたしの後頭部に貼り付けられている薄いシートで、わたしの脳波や神経伝達を読み取っている。もうひとつはそのデータを受けて解読するキャラメル箱大のパーツだ。枕元にある。こっちは電源アダプタにつながっていて、コンピューターも内蔵しているから、熱くなることもあるらしい。バージョンにもよるが、わたしの選んだラングデールには小型だが高品質のスピーカーがついている。人間の自然な声を模倣するために設計されていて、よくある円形ではなくひょうたん形をしている。

 そんなようなことを、わたしがまだラングデールを介して話すことができなかったとき、延々とカタログをつきつけられ解説された。わたしは視線を動かすことでしか意思疎通できなかった。

「ジゼル、あなたは完璧なジゼルだった」

「ありがとう」

「また踊りたくありませんか」

 ――踊りたいに決まっている。

 その叫び声をラングデールが翻訳して発声することはない。内心の自由は保証されていた。心の声と、伝えたい言葉をわけてくれている。それはコンピューターが判断しているわけではなくて、読み取り機の時点で、心の声は読み取らないことになっている。それは企業の建前のような気もする。企業はこれまで、どれだけ個人情報を蹂躙してきただろう。だけど、わたしはそれほど気にならない。もとから、神さまを信じていたから、聞かれて困るようなことは思いもしないのだ。

「踊りたいですよ」

 わたしは答えた。

「そういうと知っていました」

 ラングデールは話さない。沈黙で先をうながした。

「デールクイン社で開発中の新製品があります。社内では仮にストリングスと呼んでいる試作品です。基本的な仕組みはラングデールとそう変わりません。脳波や神経を読み取ります。ラングデールではそれを機械で翻訳しますが、ストリングスはもっと簡単な方法を実現しつつあります。神経の伝達を翻訳せずに、そのまま、神経系に戻すのです」

 わたしには彼が話している言葉の意味がよく理解できなかった。

「つまり、この装置、ストリングスは、切断された神経部分をジャンプして、そのまま繋げることができます。いわば、神経のバイパス装置というようなところです。しかもラングデールよりも小型になる予定です。このすごさがわかりますか」

「ええ」

 そっけなく答えながら、わたしは溢れ出た涙を止めることも拭うこともできなかった。


 デールクイン社と新しいプロモーター契約を結んでからも、いくつかの障害にぶつかった。最大の問題は神経回路をバイパスすることによって起こるタイムラグだ。理論的には千分の一秒程度のタイムラグしか起きていない。その時間ともいえない時間の齟齬は、健康で完全な肉体でも起こっている程度のタイムラグでしかない。

 たとえば、人間は自分の身体を自由に動かしている。というのは錯覚で、実際には腕と足を同時に動かそうとするとき、神経の伝達距離の違いによってタイムラグが生じ、足が動くのが刹那的には遅れているはずだ。そういう齟齬が常に全身で起こっている。

 脳と神経回路が、意識を超えた領域でその錯綜を調整しているのだ。デールクイン社のストリングスが、切断された頚椎の神経をバイパスすることによって、絶妙に調整されたバランスが崩れ、わたしの身動きを止めてしまう。

 男がいうには、わたしの身体の神経回路が、子供の頃からのバレエの練習によって、より洗練され、常人よりも複雑になっているのが問題をややこしくしているらしい。素早く完璧な動きのゴーストがわたしの頭のなかにあって、それを再現しようとして失敗する。だから、もっと緩慢で大雑把な動きを目指せば、日常生活を取り戻すことは容易だ。しかし、それはもちろんわたしの望むところではないし、デールクイン社としても、操り人形のようにぎこちなく動くわたしをプロモーションに使うために、大金を投資しているわけではない。わたしとデールクイン社の考えは一致していた。完全な姿でクラシックバレエの舞台に返り咲かなければ意味がない。

 諸々の問題は、ラングデールの開発中にも起こったらしい。脳と神経の問題に取り組んだことのない人間はつぎのような幻想に陥りがちだ。人間は考えたままに行動できるはずである。

 すこし考えればわかる。人間は考えたままに行動できない。頭でわかっていてもできないことは山ほどある。理論を学ぶだけでスポーツや芸術の才能が開花するわけではない。人間は考えどおりには歩いたり走ったりしていないし、頭のなかで直線を描いた気になっても、実際にはフリーハンドで機械のように真っ直ぐな線は引けない。

 超意識とでも呼ばざるをえない、脳内のブラックボックスが、幻想と現実を齟齬を是正する。そうして出力された結果があるだけで、人間は自分の身体さえ、思うままには操縦していない。

 そういったたぐいの理論をわたしは学んだし、実感もしたが、やはり身体は、前のようにはなかなかならなかった。やはりここにもまだ解明できない、脳のブラックボックスが巨大な障壁になっているのだ。

 ラングデールの開発で、デールクイン社のクリエイターと人工知能は、脳のブラックボックスを解明しなかった。それではなにをしたか。スイートスポットを見つけたのだ。読み取り装置の読み取り範囲とその深さ、強さ、それらが完璧に調和するポイントを見つける。もちろん個人差も大きいが、一度、高レベルのスイートスポットを見つけられさえすれば、同じ手法をつかって、まるでラジオの周波数を合わせるように、ブラックボックスから必要なデータだけを抜き取ることができるようなる。奇跡を待たず、現実的なリハビリだけで、神経切断による不随を回復できるようになる。

 そういった医療の最前線に立っていると知って、わたしはバレエで主役をやるのと同じ誇りを抱くことができた。もちろん、いまだに自分の世話を自分でできない。耐え難い屈辱を、毎日、感じなければならないし、受け入れなければならない。


 そして、決断の日がきた。

 男はなぜか申し訳なさそうに切り出した。

「ジゼル、スイートスポットが見つかりました」

 わたしは取り乱さなかった。この日がくる予感はあったのだ。すでにわたしはラングデールではなく、プロト・ストリングスを介して、発声できるようになっていた。

「覚悟はできていますよ」

「あなたはわかっていないんだ。まさか、こんなことになるなんて」

 男は取り乱し、頭を抱える。

「あなたはデールクイン社に殺されてしまうかもしれないんだ」

「プロト・ストリングスを第二頚椎に埋め込むのだと説明は受けています」

「それがどんなに危険なことなのかもですか?」

「ええ」

「ここまで回復したのに、また寝たきりに逆戻りするかもしれません。人体実験なら、だれかにやらせればいい。ジゼル、あなたが断ってくれさえすれば、ぼくがなんとかします。契約書を破棄させることだってできる」

 わたしはいう。

「ねえ、ストーカーさん」

 男はわたしを見た。

「あなた、わたしのことならなんだってご存知なんでしょう?」

「あなたのことなら、だれかに負けるつもりはありません」

「わたしの愛する三つのものをご存知?」

 泣き出しそうだった男がすこしだけ笑った。

「プリミドール誌、昨年の十月号ですね」

「いつ言ったかなんて、どうだっていいんです。昔から変わりませんもの。子どもの頃から」

「ジゼル、あなたはインタビューで好きなものを問われて、こう答えました。母と、バレエと、神さま」

「正解です。ストーカーさん」

「そのことがなにか?」

「わかりませんか。わたしは愛する三つのものに、四つめを加えてもいいと考えているんです」

「え……?」

「どれだけ尽くしてくれたか、知っています。あなたは本当にジゼルを愛してくださっている。それに報いたいのです。わたしはまたジゼルを踊りたいのです。どうか、一緒に祈ってはくれませんか。無事に手術を終えられるようにと」

 わたしはいまできる限りの優雅さで右手を差し出した。

 男はひざまずき、そっとその手に触れた。

「おおせのままに」

 そういった彼の声はか細く震えていた。


 乳白色の暗闇で、赤い光が明滅する。心臓の鼓動であり、それが曲のテンポだ。

 プロト・ストリングスを第二頚椎に埋め込む手術は、半分成功し、半分は失敗した。わたしの身体は昔のように動くようになった。だが、その代償とでもいうように、わたしの感覚はもとには戻らず、むしろ悪化してしまった。身体に触覚はなく、聴力のほとんどを失い。味と匂いはこんがらがってしまっている。塩をなめると甘く感じ、潮風は土の匂いがするという具合だ。頼みの綱は視力だが、激しい運動をすると見えなくなってしまう。

 運動量の多いシーンでは、視界が一時的に乳白色の暗闇に閉ざされる。

 ジゼルを演じながら、わたしには踊っているという実感がない。つまさきをはじめとする全身の触覚がないから、頭だけ宙に浮いているようだ。音楽もかすかにしか聞こえておらず、わけのわからない匂いや味に気を取られる。わたしはそういったことをできる限り隠したかったが、聴力や触覚のことは隠し通せないし、デールクイン社のクリエイターにはすべてを知られている。

 クリエイターによると脳のブラックボックスと第二頚椎のプロト・ストリングスの間で混信やループが起こっているという話だ。治す方法を考えるというが、あまり期待していない。わたしの騎士は、わたしを哀れんで、自殺してしまったし、母は心労で倒れて、そのまま亡くなっていたことを、葬儀のあとになって知らされた。わたしの愛するものは三つから四つになり、二つになったのだ。バレエと、神さまだけになった。

 それだけのハンデを抱えながらも、わたしはもとの劇場、もとの劇団、もとの役に戻ることを許された。もちろん、すべてが実力のためではない。人々はストーリーを求めたのだ。奇跡の復活劇だとか、前評判はあらゆるメディアで取り上げられ、人々を賑わせた。そう聞いている。

 今日が復活後の初演だった。通しの練習は何度かしたが、その日の演技が一番良かった。一番というのは復活してからのことではなく、わたしの人生のすべてのなかで、一番の演技ができていた。そう思い込んでいるのかもしれない。肉体的にも精神的にも衰えてしまったわたしが、全盛期ほどに踊れているはずがない。うまくいったいくつかの公演が思い出された。今日がそれ以上などとは本当だろうか。なぜ疑えないのか。

 こうなったからこそわかる。結局、どこまでいっても、人間は自分の思い込みのなかに生きているに過ぎない。真剣に思い込むことができれば、それは真実になりうる。真実だけが特別ではない。あらゆる感情も思考も感動さえ、わたしのなかにしかないのだ。人はそれぞれがそれぞれの世界を生きている。

 わたしは本名を忘れ、演じることも忘れた。第一幕の最後、ジゼルの心臓が止まったとき、わたしという感覚が完全になくなった。

 つぎに我に返ったとき、わたしは第二幕のラストにいた。ジゼルは朝の光に照らされて消えていく。わたしには糸を手繰り、人形を操っているような感覚だけがあった。

 息が整い、徐々に視界が晴れる。カーテンコール、なにもかもが泣きたくなるほどに遠い。首の骨を折ってからの一年は、首から上の感覚しかなかった。それも麻酔がかかったふうな緩慢なものだった。

 わたしは祈る。

 ――神さま、もう一度だけ、これが最後でいいのです。この舞台の上にわたしの魂を連れ戻してくださいませ。

 その瞬間、すべての感覚が帰ってきた。神経の脳に対する出力と入力とが逆転したらしい。わたしはいっさい身体を動かせなくなった。そのかわりに懐かしい感覚を味わった。まともな匂いと味、全身の心地よい疲れ、ライトの熱さ、かすかな汗、観客の歓声、拍手。それから痛みもあった。錆びたカミソリの上を歩いているようなつまさきの痛み。生きる誉れ。

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