正気あるいは、ベルトコンベア
気づくと薄気味悪い場所にいた。俺は四方に首を振る。壁壁壁壁、灰色の壁に囲まれた場所だった。目の前にはベルトコンベアがあった。
「誰かいないのか?」
俺の出した声はやたらにか細かった。
「そこには誰もいない。お前だけだ」
「誰だ!」
俺は声のした方向を見た。上だ。しかしそこにはライトがあるだけだった。目がくらむ。
「お前にはこれから、ある作業をしてもらう。逃げようとは考えるな。どうなるかはわかるな?」
スピーカーを介した声だ。どこか別の場所から話しているのだ。逆らう気にはならなかった。なにをしでかすかわからない。男の声にはそういう響きがあった。
止まっていたベルトコンベアが動き出す。五十ヘルツの唸り声を上げ、向かって左から右へ。俺はなにかが出てくるのを予期し、左奥の四角い穴の闇に目を凝らした。
穴から出てきたのは俺だった。俺自身だった。
「なんだこれは……」
「お前だよ」
「俺だと、ふざけるな! いや、たしかに俺だが」
「壊れたお前だ。動きも喋りもしないから心配するな」
「だが、なんで……」
「そんなことを考える必要はない」
ベルトコンベアは俺を俺の目の前まで運び停止した。モーターの音が止み、しんと静まり返る。
「どうしろってんだ」
「お前にはお前を解体してもらう」
俺は言葉を喉に詰まらせた。
「え」
「細かいパーツになるまで分解するんだ」
「嘘だろ。無理だ」
「無理じゃない。やるんだよ」
「ぎゃあ!」
俺は叫んだ。背中に電流が走ったのだ。腕を後ろに回して掻き毟るがなにもない。
「見つかりゃしないよ」
俺は背中を掻き毟る。
「体内に埋め込んであるんだ」
また電流が走る。痛いのと苦しいのと恐怖。心臓がバクバクと伸縮する。寿命が削り取られるようだ。
「ぐああ……」
「次はもっと強くするぞ」
「わ、わかった、やめてくれ」
俺は埋め込まれた装置を探すのを諦めて、自分自身に向き直った。あぐらをかいた格好で座っている。まずはそれを寝そべらせた。それだけの作業でも重労働だった。たぶん、俺と同じだけの体重がある。
「道具はそこだ」
スポットライトが照射され、俺の手元近くに道具が浮かび上がった。ナイフとかペンチ、アイスピック。いろいろな種類とサイズが取り揃えられ選り取り見取りだが、ありがたくはなかった。気分が悪くなる。これを使って自分と同じ姿をしたものを解体しろと強要されているのだから。
「まずは先っぽからやったらどうだ? それかばっさり真ん中か」
「うるさい。好きにやらせろよ」
「いいとも、いいとも」
俺はペンチを拾った。
それを目の前の自分の指先に当てた。
「どうした? はやくしろ」
「うるさい! わかってる!」
俺は力を込めた。指先を引きちぎる。ぐちゃぐちゃにひしゃげてしまった断面から、妙な液体がどろりと出てくる。
「その液体も集めるんだ。再利用しなければならないからね」
べつのスポットライトがバケツを照らす。かたわらには大小のガラス瓶もある。
俺はときどき反吐を吐きながら、長い時間かけて自分自身を解体した。休もうとしたり、泣き言を言えば、すぐに電撃が御見舞された。これ以上、バラバラにできないほどバラバラだ。ガラス瓶の山、骨の羅列、脱いだみたいな皮や髪に爪、食肉のように切り分けた肉や内臓、血管の束、脳みそ、眼球、奇妙なほど理路整然と解すことができた。まだ足りないと言うなら、ミキサーに突っ込んで、切り刻めばいい。
「これで満足だろ」
俺は反吐を飲み込みながら、やっとそれだけ吐き捨てた。
「ああ、よくやった」
俺はいろいろな液体(ほとんど汚物だろう)が混ざり合いテカテカした床にうずくまる。
「さあ、じゃあ、次だ」
「次……?」
沈黙していたベルトコンベアが動き出す。
俺が解体した俺は右奥の闇に消えた。
そして左奥の闇からまた俺が現れた。
「どうして! もう充分だろ!」
「お前はお前自身と向き合わなければならないのだ」
俺には理解できなかった。
「なんで! どうして!」
「理由が知りたいか」
「ああ、当たり前だ!」
「簡単なことだ。お前が正気であるからだ」
「つまり俺の気が狂うまで、こんなことを続けさせるつもりなのか」
「それは違う。お前は、自分で自分を正気だと思っているか? これが正気か?」
「そうか、そうだったのか、俺は気が狂ったんだ。こんなの現実のはずがない」
「そうだ。お前は、お前自身で、自ら狂気になろうと望んでいるのだ」
それから俺は何人も何人も、自分を解体した。そのなかにはやめてくれと懇願するものもいたが、俺は自分自身の願いを聞き入れなかった。
ふと気がつく、ベルトコンベアが新しい自分を運んでこない。ほっとしたのも束の間、両足に激痛が走る。
「あああぁぁぁ!」
痛みが思考を介さず、俺の喉を震わせた。
見ると、指を三本束ねたくらいの太いネジが両足の甲から飛び出ていた。足の裏から貫通しているらしい。足の肉や骨にネジの深い溝ががっちりと噛みつき、少しも動かすことができない。叫び声も最初に上げられただけで打ち止めになった。死ぬほどの苦痛に呆然となる。
自分の立たされている床が五十ヘルツの唸り声を上げて動き出す。四角いトンネルを抜けると、俺がいた。
「なんだこれは……」
「お前だよ」
「俺だと、ふざけるな! いや、たしかに俺だが」
「壊れたお前だ。動きも喋りもしないから心配するな」
「だが、なんで……」
「そんなことを考える必要はない」
それらの言葉はもう、俺には向けられていない。俺ではない俺に向けられている。今度は俺が解体される側に回ったらしい。やめてくれと言っても無駄だろう。俺が、正気、であるうちは。
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