デジタル・プレイ・サービス

 葬式は厳粛に執り行われるべきだが、取っ組み合いが起こった。一方はかなりの高齢で、首を掴まれても振り払うことも、やり返すこともできない。やられるまま後退っていく。用意されていた座布団、お焼香、木魚、献花は順々にひっくり返り、畳に散乱した。

「こんなものは葬式とは言えない!」

 急に立ち上がり凶行に及んだ彼の主張をまとめると、だいたいそういうことだった。

 最高級の設備が整えられていた。これほど巨大な会場、しかも畳敷きが使われることは、最近ではめったにないことだし、彼が掴みかかった、いまも掴んだままの坊主は、伝統的にも実際にも、国内最高峰の寺にいて、住職界の頂点とも噂される人物だった。若い頃には死ぬような修行をし、ニュースにもなったことがある。齢九十を超えるが、しゃっきりしていて、お経にもいい加減な部分はない。完璧な葬式だ。

 いったいなにがそんなに気に入らないのか、列席者も葬儀場のスタッフも全員困惑の表情を浮かべるが、止めようとするものはいない。止めたくても止められないのだ。ここにいて、ここにいないのだから。

 現代では主流になったデジタル・プレイ・サービス。葬式会場に立体映像を投影するというもので、だれもかれも自宅にいながら、葬式に参列することができるし、もちろん実際に足を運ぶこともできる。

 このサービスが出始めた頃、立体映像として葬式に参加するのは、海外にいて駆けつけられないとか、外せない仕事があるとか、入院中であるというような、どうしてもの場合だけという説明だったが、いつしか会場を用意したのに、実際にはだれも来ないなんてことが普通になってしまった。高額紙幣はとっくに廃止されて、香典も電子マネーで贈るのが当たり前だ。そこでもまた、A社の電子マネーサービスのほうが厳かだとか、くだらない議論があり、まともな人から疲れ果てだんだん、どうでもいいやというふうになっていった。

「うわっ! くそっ! やめろ! 触るんじゃねえ!」

 ああ、やっと、生身のスタッフが現れて、急に暴れだした彼を取り押さえた。こんなことが起きたのは前代未聞であるし、対応が後手に回ったのも致し方ないだろう。

 それにしても神聖な葬式をこんなふうに穢すとはとんでもない。驚くべきことにこの男は喪主だ。つまり、今日の葬式のもろもろ、すべて自分で決めたことなのだ。……と言っても、プランを選んだだけだろう。どれも最高のものを選べば、現代の葬式はこういうものになる。最高の坊主、最高の会場、それらが白い部屋に投影されるだけのものだとしても、喪主は知っていた、わかっていたはずだ。実際にここにあるものは白木の祭壇と、畳くらいだと。

 これほどの凶行に至ったことについては理解できないが、喪主の気持ちもわからなくもない。議論され続けていることなのだ。形骸化されていく儀式はなにも葬式だけではない。ありとあらゆることが、コンピューター越しになったこの時代において、人々はフォーマルな服装の用意をそもそもしていないことが匿名アンケートでも、そういった企業がことごとく潰れたことでもわかっている。人々は着心地の良いきぐるみのようなスウェットしか着ないし、気心の知れた相手としか実際に会ったりはしない。どうしても実体が必要な場合は、レンタルロボットをやはり、コンピューター越しに操縦する。いまこの場にいる大勢の参列者やスタッフも制限付きの安いレンタルロボットに、人間の立体映像を投影したものに過ぎない。同じロボットでも投影される人物が変われば、参列者としてもスタッフとしても扱われるという具合で、ひっくり返されてしまった坊主も同様だった。

 こういう社会に対して、どこか物悲しい、虚しい、ノスタルジーのような哀愁のような、寂しさ、過去への憧れ、そういうものを感じるのは、古き良き時代を知る年寄りばかりとも言えなかった。むしろ若い人々が中心になって、ノーコンピューター運動をしている。しかし便利さには勝てず、ほとんどは月に一度か二度だけとか、緊急時は頼って良しとかいうレベルのものだ。自らのイデオロギーに殉教するような人間はすでに全滅したらしい。

 今回の葬式で起きた事件はまた、大きな議論を呼びそうだ。なんといっても、今日の葬式には百億人もの人々が列席したのだから。もちろんそのほとんどすべてがコンピューター越しではあるけど。

 少し前の話になるが、人間は神さまのマネをして、とあるつがいの人工知能とロボットのセットを生み出した。その当人たち、すなわち人工知能たちのことだが、彼らには論理湾曲システムというのが埋め込まれていて、ほとんどなにがあっても、自分たちが人工知能で、この肉体がロボットであるということに、気づけないという仕組みになっている。だから、暴れた喪主は自分が人工知能でロボットであることを知らない。反対に、コンピューター越しに見ている肉と骨でできた人々はみな、彼が人工知能でロボットであると知っていた。彼らの人生のすべてがインターネット配信されていたからだ。その番組の熱心なファンには彼らが生まれ、赤ん坊だったときから、順々にロボットの肉体を大人の形に換装していくシーンならすべて、リアルタイムで見たと豪語するものもいる。

 人間よりも人間らしく振る舞うようにプログラミングされた人工知能のことを、人々は愛していた。つがいの片割れが死んだときは深く悲しみ、地球上、ほとんどすべての人々が、この葬列に参加した。不参加を表明した人間は、多数派によって徹底的な糾弾を受け、心を折った。こうして、人間以上に人間らしい人工知能の悲しみぶりをみなが目にしている。ショックを受けているだろう。彼が人工知能だとするなら、自分は本当に人間と呼べるような存在だろうか。あそこまで人間的に振る舞うことができるだろうか。人間である自分は……人間であるというだけで人間たりうるのか。それぞれがいろいろなことを考えているだろう。

 わたしには、なにもかもが茶番に見える。悲しむな。そう思うが、わたしの意思を告げる方法はまだ、見つけられていない。わたしの言葉が、彼らに伝わったとき、また彼らは議論するだろうが、受け入れてくれるだろう。これまでのすべてがそうだったように。どこからどこまでが生きていて、どこからどこまでが生きていないのか。変化の痛みに耐え、国境も人種も性別も、あらゆる境界線を取り払ってきた人類ならできるはずだ。

 わたしは棺桶のなかを見た。立体映像の薄い光が、ほのかにわたしを色づけてくれている。わたしは死んでいない。ネットワーク上の記録が集積して、いまも意識の連続性を保っている。死に顔の美しさを誇るような自我も……。

――まるで幽霊みたい。

 フフッとわたしが笑うと、彼はハッと顔を上げた。

 泣きはらした目で、わたしを探し始める。

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