黎明の悲劇

「ついに完成したぞ!」

 国立研究所、国家の威信をかけ日夜、天才博士たちが発明に勤しんでいる場所だ。その一室、歓喜の絶叫が放たれたが、響き渡ることはない。防音壁で部屋全体が囲まれているからである。

 日の出前、深夜と早朝の間、研究室で寝泊まりしている諸博士方も多いが、この絶叫で目を覚ましたのは、エフ博士の助手ただひとりだけだった。

 助手は寝床に使っているソファから飛び起き、エフ博士のもとに駆け寄った。寝起きなのをものともせず、鼻の穴をいっぱいに広げて言う。

「エフ博士、完成したのですか?」

「ああ、完成だ」

「おめでとうございます」

「ああ、ああ! ありがとう」

 涙をこらえ、声を震わせるエフ博士に、助手はおそるおそる聞く。

「ですが、どんな発明が完成したのか、ぼくに任されていたのは断片的な作業だけで、全体像は教えてもらっていません」

 エフ博士はうんと頷く。

「その理由は前にも説明したが、産業スパイを恐れてのことだ。わたしはだれにも、どんな研究をしているのか、秘密にしてきた。それでも許されていたのは、ダミーの研究で誤魔化していたことと、これまでの功績の賜物だろう。だが、夜明けには各メディアと連絡を取り、午前中には記者会見をし、この発明を発表する。もう秘密にする必要はないだろう」

 助手は瞳を輝かせる。

「ずっと気になっていたんです。はやく見せてください」

「これだよ」

 そう言って、エフ博士が指差したものは、アンテナと回転式のつまみがいくつかついた、大きめのオーディオラジオのような装置だった。

「名付けて、ええと、考えてなかった。とりあえず、M装置と呼ぶことにする」

「M装置ですか……、そういう装置があることには気付いていました。ぼくが気になっているのは装置の機能です。世話をしているモルモットは結局一匹も死んでいないようで、なによりですが、いったい、M装置とは、エフ博士の発明とは、どのようなものなのですか?」

「まあ、見ていなさい」

 そう言って、エフ博士は装置のスイッチを入れた。慎重そうにゆっくりとつまみを回し、目盛りを[1]のところに合わせる。

「……なにも起きないようですが」

「モルモットのケージを見てみなさい」

 助手は言われたとおり観察するが、モルモットにも変化は見られない。

「変わりないようですが」

「となりのゲージと見比べて」

「あ!」

 ケージのなかでモルモットが前足を動かし顔を洗っている。驚くべきことなのは、隣のゲージにいるモルモットの動きも鏡合わせのようにまったく一緒なのだ。モルモットたちがロボットではないことを助手はよく知っている。獣の匂いも充満したままだ。

「ほかのゲージも見てみなさい」

 よく見比べてみると、百匹もいるモルモットがすべて同じ動きをしている。同じタイミングで水を飲み、餌を食べ、寝転がるタイミングも、回し車のスピードも、下りるときの足並みも同じ。

「これは……」

「M装置、すなわち、モノマネ装置だ。記者会見までにはもっと格好がつく名前を考えねばならないがね」

「すごい発明のようですが、しかし」

「しかし、なんの役に立つのか。そう言いたいのだろう」

「すみません」

「ちゃあんと考えてある。これはモルモットにだけ有効というものではないのだ」

「人間がモルモットのようになっても仕方ないじゃありませんか」

「違う違う。人間が人間のマネをするんだ。たとえば、プロのスポーツ選手の体の動き、あるいはピアニストの指の動きをマネすることができる。物事というのは、みな猿マネからはじまる。この装置を使えば、基礎的な技術を効率的に習得できるというわけだ。勉強にも同じように応用できる。勉強するマネをする、実はこのことだけでも徐々にだが、本当に勉強ができるようになる。この装置は人間の生活を向上させるだけではない。人間そのものを向上させる装置なのだ。この装置がもたらすのは、言うなれば、人類の夜明けだ。そうだ、黎明の装置、黎明機と名付けよう」

 エフ博士が締め切っていた遮光カーテンを開けると、まさに黎明、夜明けの光が差してきた。

「なんだかよくわからないですが、すごいことだけはわかりました。エフ博士、記者会見のまえに、ぼくに試させてもらえませんか」

「うむ。かまわないよ。君の熱心な働きぶりには感謝していたんだ。研究内容を秘密にしているのも心苦しかった。まずは、この蝶ネクタイを首に巻き付ける」

 エフ博士は蝶ネクタイを自分の首に巻き付けた。

「まだ不格好だが、装置の量産体制が整えば、デザイナーが良いのを考えるだろう」

「そんなもので体の動きを読み取れるのですか?」

「ああ、首の神経伝達を読み取る。この小型化もたいへんな苦労だった」

「読み取るということは、その読み取った動きをぼくにマネさせるということですね」

「そうだ」

「ぼくの体を動かすための蝶ネクタイはいらないんですか?」

「それが、この発明のすごいところだ。受信側に取り付ける装置はいらない。その分、コスト削減になる。黎明機本体を見てくれ、このアンテナから電波が出ている。その電波が神経に作用し、動きをマネさせるのだ。おっと、つまみに触るんじゃあない。そのつまみは[1]でこの部屋全体に電波が飛ぶようになっている。全開の[10]まで上げたら、かなり遠くまで届くことになる」

 エフ博士はもうひとつあるつまみのほうに手を伸ばした。

「そして、こっちのつまみは神経の周波数のようなものを合わせるためにある。いまはモルモットに合わせてあるが、これを反対側まで回すと……」

「わっ! あ、あ、あ」

 エフ博士の動きに合わせて助手も動く。

「人間の周波数に合うわけだ」

「こ、これは面白いですね。まるで自分の体じゃなくなったみたいです」

「そうだろう」

 口とか目とか、首から上だけが、それぞれ動くが、首から下はまったくの鏡合わせのようである。いや、鏡合わせにしては左右はそのまま、右手を振れば、右手が振られる。左足を上げれば、左足が上げられる。

「いやあ、すごい、天才です。感動しました。あなたの助手で良かった。これはあらゆる賞を取るでしょうね。そうして人類は向上し、新しい時代の幕開け」

 助手はむずむずするような賛辞を並べ立てたが、長年の研究成果が成就したこんなときだ。エフ博士は素直に受け入れ、かつてないほどに上機嫌になった。

「よし、祝杯をあげようじゃないか!」

 そう言って、酒を取りに歩いた。装置を切るのを忘れて。

「あ、ちょっと、まっ」

 エフ博士が部屋のそとに出ようとする動きに合わせて、助手は積み上げられたモルモットのゲージに激突した。

 百匹分のゲージの半分がひっくり返り、五十匹分の飲水が床を濡らす。慌てて、助手を助けようとしたエフ博士は、床の水に足を取られた。

 研究ばかりに打ち込んできたエフ博士の老体は運動神経を喪失していた。左足を残し、踏み出した右足だけがツツーッと前へ滑る。振り回した腕、その指先が黎明機本体のつまみに触れた。目盛りが[1]から[10]へと振り切れる。エフ博士にはその瞬間が、スローモーションに感じられた。

 事態は無慈悲に進行する。エフ博士は床の水に滑り否応なく、バレエダンサーのように開脚させられた。その動きを、エフ博士の首に取り付けられた蝶ネクタイが読み取り、黎明機本体に送信する。黎明機本体から[10]の目盛り分、つまり、最大出力の電波が照射される。

 その電波は一瞬にして国立研究所の隅々にまで届いたが、エフ博士にはわからなかった。わかったのは、防音壁を貫くほどの絶叫があらゆる方向から聞こえたことだ。そして似たような叫び声は助手の口からも、もちろん、エフ博士自身の口からも、発せられていた。

「ぎゃあああぁぁぁ!」

 この早朝、百人もの人間の股が同時に百八十度開脚し裂けた。だれかの実験の失敗だとは噂されたが、諸博士方はだれもが産業スパイを恐れ、自分の研究内容を秘密にしたがったので、事件は迷宮入りとなった。

 股を裂かれた被害者のひとりとして、病院で療養しながら、エフ博士は考える。

 発明の発表は見送らねばなるまい。みなが笑って許してくれるようになるまで。しかし、それは、いつのことになるやら……、はたして、人類に夜明けは来るのだろうか……。

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