ポールリードスミス
一時期、一緒にロックバンドをやっていた友人が、大きめのワンマンライブをやると言うので観に行った。百人以上も入れるライブハウスだった。
ライブは盛況のうちに終わり、おれは打ち上げに呼ばれた。というか、ノリでくっついて行ってしまった。じつは場違いだったが、しょうがない。真夜中にチェーン店でチゲをつっついていると、しかし思い出話に花が咲いた。
「あの子はどうしてる?」
「結婚して、子供もできたらしい」
とか
「医学部に行ったあいつは?」
「消息不明」
とか
「例の先生は?」
「病気で死にかけ」
とか
「あの時のメンバーは?」
「会ってないなあ」
とか
「で、音楽活動はどうなの」
「一瞬だけ、オリコンのるくらい」
とか
ほかにも音楽とか仕事とか、昔の暴露話をした。他愛ないんだけど、切り上げがたかった。箸が転がってもギャハギャハ笑った。だから、わかってはいたんだけど、おれは終電を逃して、そいつの家に泊めてもらうことになった。
Aは専門学生時代から相変わらず、ボロアパートの一階に住んでいた。財布から鍵を二つ取り出して、二つの鍵穴にそれぞれ刺して開ける。そんなことでは防犯になっていないだろうなと思う。
Aの部屋の中はなんとなく女っ気があった。毛布の柄とか、ごちゃごちゃした小物とか。
「彼女は?」
「別れた、今はいない」
「Bちゃんだっけか」
「いちいち懐かしいな」
「ああ、そっか」
おれは酔っ払っているのもあって、不躾に部屋の中を見回した。
床に置かれたBTOの巨大なタワーパソコン、そこから伸びているであろうケーブルが接続された二枚のディスプレイ、フルサイズの大きいのと、スクエアサイズの小さめの。
モニタースピーカーが可動式のポールの上に載せられている。オフィスチェアに座ったとき、音をちょうど耳にあてるためだ。その背後の窓らしき場所は分厚い防音材で締め切られていた。
ごちゃごちゃした机の上に、パソコン用のキーボードと、DTM用のMIDIキーボードがあった。それからオーディオインターフェイスとハーフラックが二台。ハーフラックはなにに使うものなのかわからない。どちらもスイッチが少なく古めかしい感じがする。
机の隣に目をやる。六台立てられるギタースタンドに楽器が並んでいる。フルサイズのMIDIキーボードは定番のローランド社製。フェンダー社のジャズベースは高校のときに使っていたやつだ。鮮やかなスリートーンサンバースト、傷とかステッカーを覚えていた。
もう一台、ジャズベースがあった。こっちは五弦で、国産のブランド、薄い白のラッカー塗装の下に目の詰まったアッシュ材が透けている。スラップ奏法用のフェンスもピックアップのところに取り付けられていた。
これに加えて、もう一台、今日のライブで使っていた黒色の変形六弦ベースは、専用のセミハードケースに収められたまま立てかけられている。
さらに、メーカー不明のシングルカッタウェイのエレアコっぽいのが一台。
そして、一際目を引いたのが青いエレキギターだった。
「ポールリードスミスじゃん」
「そうだよ」
Aはこともなげに答えた。
流しから取ってきたウイスキーグラスをガラスのローテーブルにカツンと鳴らして置くと、その流れのままポールリードスミスを掴んで、おれに投げ渡した。
おれは早速、ベッドに腰掛けさせてもらい、ハーモニクスを鳴らして、適当にチューニングを合わせた。キーンというハーモニクスの音からして高級だった。
コードを鳴らして、ピッチに一応満足したあと、高校時代に練習したフレーズをいろいろ弾いてみた。床には小型のマーシャルとラットも転がっていたから、アンプにシールドをぶっ刺したいところだったけど、深夜のアパートだから、さすがに遠慮する。生音でも充分でかかった。
「これ、八十万はしただろ」
「そんなしないよ」
おれは丁重にポールリードスミスをベッドに寝かせた。そう言うとおっさんを寝かせてるみたいだけど。なまめかしいアーチトップのラインとメイプル材の虎目模様、チョコレート色の指板材の上で七色に光るアバロンのインレイは女性的だった。
Aはグラスを渡してきた。中身は氷とスミノフだった。途中のコンビニで買ったものだ。ジュースみたいなもので、喉が潤う。
そこからは話がなくなってしまった。探せば、まだ話すことがあったかもしれないが、まあいいやと思って、打ち切った。お互い、ブラウン管に映る深夜番組を見るでもなく見ながら、スマホをいじっていた。
酔いが覚めてしまうと結局、昔、人づてでバンドを組んでいただけで、あまり気が合う同士ではない。だから、特に連絡先を交換しようとか、また遊ぼうという話にもならない。
Aというか、おれの知っている若い音楽関係者全般に言えることだが、彼らは、ノーライフノーミュージックじゃない人間に対して、ある種の軽蔑のようなものを持っている気がする。そして、脱落者にはさらに厳しい目を向ける。おれに対するAの視線がそれだった。
「そろそろ寝る。明日、仕事だし」
「ああ、うん」
「前さ、泊まったとき」
「たしか、三年前だな」
「布団なかったじゃん」
「冬だったから、寒かったな、毛布は借りたけど」
「だから、用意したんだよ」
Aが押し入れを開けると、布団が入っていた。
「おお、悪いな」
「でもさ、三年も前から一度も使ってない。男はだれも泊まらなかったから」
「いいよ、せっかくだし、使わせてもらおうかな」
ローテーブルだけどかして、ゴミ溜めみたいなところに布団が敷かれた。
………………
…………
……
眠れなかった。
布団はかび臭いということもない。放置されていたにしてはキレイだし、体がかゆくなるということもなかった。
ただただ眠れなかった。だけど、ごそごそして明日、仕事があるというAを起こしても悪いと思った。
おれは天井を見ていた。天井は布地の壁紙で、板目を数えるということもできない。照明はシーリングライト。怖いムードはなにもないが、鬱屈とする。ほこりを吸い込み、吐き出しながら、じっとしていた。
そうしている間に、一睡もできないまま、朝になった。
Aはむくりと起きると、洗面所に行った。
しばらくして戻ってきて言う。
「起きてるか?」
「うん」
おれも体を起こした。
「おれは行くけど、もうちょっといてもいいよ。鍵は郵便受けでいいし」
「いや、帰るよ」
「そうか、ああ、いい、布団もそのまんまで」
「わかった」
おれは荷物を取って、玄関に向かった。
「昨日はありがとな」
「おれこそ、楽しかったよ、泊めてもらったし」
「おう」
「じゃあ、またな」
「また」
おれは靴を履いて、外に出た。
朝の匂いがする街を歩いて、駅に向かう。
◆
一人暮らしの2DKに帰ったあと、休みだったのでシャワーを浴びてから、寝なおした。家のベッドに入るとぐっすり眠れた。起きたのは昼過ぎだった。
おれはパスタを茹でるために、お湯をたっぷり沸かす。火にかけた鍋に溜まった水の表面が揺れるのを見ながら、考えていたのは昨日のライブのことだった。
久しぶりに、音とタバコとアルコールが充満したライブハウスの空気を吸い込み。それは細胞のひとつひとつにまで染み込んだらしかった。くつくつとしている。
ぼうっとしている間に、お湯が沸いた。乾麺を入れる。鼻歌を鳴らしていたら、茹で上がるのもあっという間だった。
料理するのが億劫だったので、皿の上でパスタに、明太子、バター、しょうゆをぶち込んで、かき混ぜた。少なくともまずい味にはならない組み合わせだ。
コップに冷やしてあったペットボトルの緑茶をそそぎ、コンビニサラダの袋を開けて、直接ごまドレッシングをぶっかける。
おれの部屋にダイニングテーブルなんかないから、いつもパソコンデスクで飯を食べている。ユーチューブとかニコニコ動画を見ながら食べる。気に入っているゲーム実況動画が休みだったり、作業回だったりしてつまらない。ニュースはどうでもいいことばかり。もう見てしまった四コマアニメをまただらだら見る。
おれはずっと避けていた考えに行き着いてしまう。結局、おれみたいな人間が、ストレスを発散するのは、基本的に物欲に頼るということになってくる。つまり、ポールリードスミスがほしくなってしまっていた。絶対にいらないのに。
最高級モデルを買うとなると八十万くらいすると思う。
おれはおもむろにマウスを掴んで、ディスプレイに検索窓を開き、キーボードを叩いて、楽器通販サイトを検索した。当然、無事開く。
サイトのデザインは高校生時代に毎日のように眺めていたさまと、まるで変わりがなかった。おれが要望を入力すると、ポールリードスミス社のエレキギターがずらーっと表示される。
安いモデルもある。生産工場が違うとか、使っている材料が安価なものだとか、同じブランド名が刻まれていても別物だ。それらを検索から除外していく。
やはり、これと思うものは八十万から百二十万くらいの値段だ。車が買えてしまう。二百万なんてものもある。ギターは多少、店頭で値引き交渉もできるだろうけど。
おれはふうとため息をついた。
八十万、ないわけではないが、通帳から八十万も引かれる侘しさと言ったら……。労働と釣り合っているかどうかも考えてしまう。
おれは検索から中古というキーワードを選択する。それでも半値以下になるようなことはない。五十万くらいはする。中古でも五十万。探せば、中古でも新古品のようなものもあるかもしれない。
「やれやれ」
時間の無駄だ。すっぱり忘れたほうがいい。そう思いつつ、
「オークション……」
そう呟いて、おれはネットオークションのサイトを開いてみた。
ちょうどいいのは出品されていないが、今後、出物があるかもしれない。過去の取引履歴をあさる。信用に足るかわからないが、三十万以下という取り引きも一件だけ見つかった。
諦めきれずにいると、おれは一覧になったポールリードスミスの画像のひとつに目を奪われた。クリックして、拡大表示させてみる。メイプルの虎目模様も、アバロンの模様も、ふたつとして同じものはない。だからこそ価値がある。ファミレスのテーブルと違い、印刷ではなく自然の木目模様なのだ。
それは明らかに、Aが持っていたポールリードスミスだった。
なんだ、あいつも中古を買ったのか。扱いが雑だったのも頷ける。そう思うと、物欲も落ち着いてしまった。自覚していなかったが、くだらない対抗意識みたいなものだったらしい。
ブラウザを閉じるクリックを寸前で止める。べつの興味が頭をもたげてきた。あいつは、ほかにどんなものをネットオークションで買っているんだろう。
純然たる好奇心だった。ストーカー的な気持ち悪い行為だが、しかしこれくらい、だれにとがめられる心配もない。
そのオークションサイトでは、取り引きの結果をほとんど見ることができた。公正な取り引きが行われていることをアピールするためだ。
サイトのアカウント名だけでは、本名や個人情報が明らかにはならないから、だれがなにを買ったのか直接わかるわけではない。しかし、おれはこのアカウント名がAのものだと気づいてしまったから、クリックひとつで、Aがネットオークションで買ったものを知ることができる。
Aがネットオークションで買ったもの、あるいは売ったものが、一覧になって表示される。基本的には音楽関係のものが多かった。CDとか音楽機材、アイドル関係のグッズ、ブランドの服もあった。女に頼まれて利用したのだろう。Aの部屋にあったものもいくらか見つかる。小物類や、書籍、かなりの頻度で利用していることがわかった。
スクロールしていって、おれはよくわからないものを見つけた。なんだろうと思って、クリックしてみる。Aが三年前に買ったものだった。
おれはネットオークションの深淵をのぞくことになった。
わけのわからないものを出品する人間がいることは知っていた。そして、それを買うような人間がいることも。だけど、まさか、こんな身近にいるとは思わなかった。
Aがネットオークションで落札していたのは布団だった。ついさっきまで、おれが寝ていた布団に間違いない。なぜか一睡もできなかった布団だ。
説明欄を読む。――お通夜に故人を寝かせたお布団です。
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