都市伝説のピンク(6,007文字)

 小学生の頃は、多くの子供たちがそうであるように、わたしも冒険好きだった。

 登下校のときには、いつも近道を探して、畦道を通った。学校の裏山、行ってはいけないと言われる場所には真っ先に行きたくなった。岩だらけの沢で、なにも釣れないのに釣りをした。いくら注意されても高いところに登ることをやめられなかった。

 今から考えると、いつ死んでもおかしくないような子供時代を過ごした。

 中学生になると、わたしがおとなしくなったので、両親はだいぶ安心したはずだ。冒険小説ではなく、恋愛小説を読むようになったし、危ない場所には近づかないという知恵をつけた。

 死んでしまった子供も大勢いる。テレビニュースを見ていると思う。彼らとわたしの違いはなんだったのか。わたしは生きて、彼らは死んだ。その違いはなにか? なにもない。わたしは運良く生き延びたにすぎない。


 ピンクと呼ばれる都市伝説が、わたしの地元の、ごく狭い範囲にあった。市内レベルの都市伝説だ。その証拠に高校に進学した折り、それとなく聞いて回ったが、知る人はだれもいなかった。

 この都市伝説には物語が欠如していた。ただ、ピンクという存在がいるというだけで、そこから派生して語るべきことがなにもなかった。だから、都市伝説としての伝染力に乏しかったのだろう。

 話として聞いたのは精々、ピンクから十円もらったという程度だった。その十円を持っていると幸運になれるとか、逆に不幸になるとか、それくらいあれば、また違ったのかもしれない。

 なぜか、わたしはこのピンクという都市伝説にひどく興味を惹かれた。小学生の頃のわたしの性格はさっき言った通り。そして、わたしには強力な相棒もいた。ひとりでは心細くても、ふたりでいれば、なんでもできるという気になった。

 小学生のわたしたちはピンク探しのために夏休みを費やした。ラジオ体操のあと、西へ東へ、北へ南へ、自転車を漕いで、海にまで行ったりもした。真っ白な日差しとか、汗ばんだTシャツを風が乾かしてくれる感触はよく覚えている。ガタガタの道と、自転車の軋み方とか、旅の仔細は話し出したら切りがない。ノスタルジーだ。

 結局、ピンクはごくごく近くにいた。家から一番近いローカル駅の北口・ロータリーに彼女はいた。枯れた生け垣を突っ切って横断歩道を渡り、国道沿いを歩いて行く。見てすぐにピンクだとわかった。

 まず視線を吸い込まれたのは、すごく長いマフラー。それを地面に引きずって歩いていた。それだけでも尋常じゃないものを感じた。その他の服装も、田舎町には浮いていた。メイド服、当時のわたしはファッションに疎かったから、変な格好としか思わなかった。今で言うとあまロリってやつで、なんにせよ、老婆の格好には痛々しいものだった。

 ボロボロのバレエシューズ、リボンが並んだニーハイソックス、タイツだったかもしれない。フリルとボタンが山ほどついたメイドドレスは、うさぎのアップリケでついであるところもあった。シルク地の肘まである手袋に、シュシュとおもちゃの指輪がいくつか。

 肩から上は比較的すっきりしていた。首にはチョーカー、イヤリングはなし、頭にはメイドカチューシャをつけて、灰色の髪の毛は腰より下まで伸びていた。

 髪の毛と肌の色以外は全部がピンクだった。薄いピンクと濃いピンクのグラデーションだった。それがピンクという名前のいわれというわけ。ピンクが自分のことをピンクだと名乗ったという話は聞かない。聞いてみたら、案外、普通の名前を持っていたかもしれない。

 変な格好のお婆ちゃんだけど、恐怖までは感じなかった。夏の暑さで麻痺していたのかもしれない。やっと見つけられたという喜びのほうが大きかった。そのことをわたしは相棒と確認しあった。

 自転車を停めてから、自動車に注意して、国道を駆けて渡った。ピンクの前に出る。ピンクは長身で背筋だけはしゃきっとしていた。顔は高い位置にあって、見上げなければならなかった。なにか薬品のツンとする匂いがした。

 尖った鷲鼻、らんらんとした目、痩せこけた肌は赤褐色に焼けただれていた。交通整理のおじさんが毎日毎日、太陽に焼かれて、なってしまうような肌の色だ。ピンクも毎日毎日、町を徘徊して、太陽に焼かれているらしい。若ければいいけど、年老いた肌の日焼けは醜く見える。当時のわたしは多分そこまでは考えなかった。単に、そういう肌をした生き物だと認識していたと思う。

 わたしたちはまず、噂を検証することにした。

 相棒とふたり、せーので同時に言ってみた。

「かわいいね」

「かわいいね」

 するとピンクはしわしわの顔をくしゃくしゃにして、首から下げているガマ口から、十円を取り出した。わたしたちはそれぞれ十円をピンクから受け取った。

「やった、もらえた」

「噂通りだね」

 わたしたちはこそこそ言い合って、ピンクから離れた。もちろん、それで終わりにしたわけではない。シャーロック・ホームズのように、あとをつけるつもりだった。夏休みの自由研究にもしようと思っていた。タイトルは桃色の研究と決めていた。

 隠れながら、わたしたちは、ピンクのあとをつけた。ピンクは一度も振り返らなかった。きしきしと気味の悪い音を鳴らして歩き、だれからも避けられ、どの店にも建物にも入らなかった。

 炎天下、一時間もあとをつけたから、飽きてもうやめたいと思った。相棒がちょうど同じことを言った。だけど、つい……怖いんでしょ? って言葉を返してしまった。わたしも帰りたかったのに、そう言ってしまったから、もう引っ込みがつかなくなった。

 さらに一時間、ピンクの後ろ姿を追いかけることになった。夕方までかかって、やっと苦労が報われた。わたしたちはついにピンクの家をつきとめたのだ。

 ピンクは小さなピンクの家に住んでいた。人間の家と犬小屋の中間みたいなボロ家だった。屋根も外壁もトタンで、ピンクのペンキでべったり塗ってあった。

 ふたりで手を取り合って、喜びを分かち合い。興奮が多少落ち着くまで深呼吸を繰り返した。そして、ピンクの入っていった玄関を調べた。鍵はかかっていなかったけど、そこから入っていく気にはならなかった。一センチだけ隙間を開けて、中を覗いだけど、奥のほうは暗くてよくわからない。手前の玄関にはとくに変わったところはない。

 裏手に回ると、勝手口があった。そちらもドアノブが回り、鍵がかかっていない。ここまで来たからには、中を見ないことには終われない。後日にしようという発想はなかった。一度家に帰ってしまったら、二度とこの場所に戻ってこられないような気がした。今日一日の苦労が無駄になってしまう気がして、惜しかった。

 わたしたちは二手にわかれることにした。ピンクの家をつきとめたという証拠がほしかった。そのためにはやはりピンクの家に入る必要がある。しかし、こんな狭い家に入れば、すぐにピンクに見つかってしまうだろう。だから、ひとりがおとりになってピンクを引きつける計画を立てた。ふたりとも、いざとなったら足の速さも腕力も、老婆に負けるとは思っていなかった。それぞれ、自分のお婆ちゃんのか弱さを知っていた。もちろん、幽霊とか超能力を信じていなかったわけではない。超常的な力を計算に入れなかったのは、夏の暑さと疲労のせいだった。

 じゃんけんの結果、おとり役は、相棒がやることになった。相棒は不満をもらしつつ玄関のほうへ、わたしは勝手口のほうへ向かった。

「ごめんくださーい」

 玄関のほうから、相棒の声が聞こえた。

 中でバタバタという音、ピンクが玄関に向かった気配を感じて、わたしはそっと勝手口を開けた。ピンクの部屋の中は極彩色だった。予想していたピンクだらけではなく、あらゆる色があり、すべてネオンカラーだった。それらが、勝手口から差し込んだ夕焼けで赤く色づいていた。

 わけのわからないものがごちゃごちゃと飾られていて、本来の床や天井や壁は少しも見えなくなっていた。まるで、怪獣の体内のようで、入るのに躊躇したが、おとりになっている相棒のことを思い出して、中に入る。土足で上がるのには遠慮しないくらい、ゴミ袋も放置されていた。嗅いだことのない薬品の匂いがした。ピンクから漂っていた匂いを濃くした匂いだった。

 ピンクの家を見つけたという証拠になるもの、明日の登校日、クラスで自慢できるもの、やはりピンク色のものだと、わたしは極彩色の中からピンクを探した。

「ピンク……ピンク……」

 ゴミの祭壇の上に、わたしはピンク色のものを見つけた。それは小さなクッションのようなもので、触ってみるとつるつるとしていて、弾力があった。これが確実な証拠になるかわからなかったが、ともかく変わったものであることは間違いなかった。わたしはこれを持ち帰ることに決めた。ほかに目立ったものも見当たらない。

 そのときだった。

「いやっ!」

 玄関から相棒の声が聞こえて、わたしは思わず、その名前を呼んでしまった。

 つぎの瞬間、音もなく、鬼の形相をしたピンクが、わたしのところまで走ってきた。

 わたしは恐怖のためか、意識を失った。


 目を覚ますと、身動きが取れず、声も出なかった。縛られているわけでも、猿ぐつわもなかったから、薬をもられたのかもしれない。眼球だけが微動し、目の端に、相棒の姿も見えた。隣に同じように座らせられているらしい。

 前方にはピンクの後ろ姿があった。部屋の中だからとか、そういう考えがあることが意外だったけど、ピンクはマフラーと手袋を外していた。

 ピンクは振り返り、笑った。その顔は悪魔のようだったけど、わたしは逃げることができない。ただ成り行きを見ていることしかできない。

 ピンクは鋭く尖った肉切り包丁を振りかざした。それをわたしに向け、それから相棒に向け、またわたしに向けた。そういうことを何度も繰り返した。なにをしているかわかった。どちらにしようかな神さまの言うとおり。もうろうとして声は聞き取れないが、口がそういうふうに動いていた。

 わたしは相棒を選んでって祈ってしまった。でも、こんなときに、自分を選んでなんて思える人がいる? 神さまがこんな祈りを聞き届けたとは思わない。相棒は祈ることさえできなかったんだから。

 ピンクは長い長い、神さまの言うとおりを終えて、相棒を選んだ。そして、服を脱がせた。わたしの目の端に白いお腹が見えた。

 わたしの相棒の白いお腹に、ピンクは鈍色の肉切り包丁を当てると、何度も何度もそれを上下に動かした。優しく撫でるようだったけど、徐々に赤い血が滲んで、流れ出し、ぽたりぽたりと落ちた。

 わたしは目を背けることができなかった。じっと見つめていた。やっぱり薬をもられたのだと思った。相棒はお腹を捌かれても、ちっとも苦しまなかった。死んではいない。だって、肺は上下していたし、流れ出る血はいきいきとしていたから。

 ピンクはついにお腹を開くと、その中にまで包丁を入れた。そして包丁を捨てて、両手を相棒のお腹の中に突っ込み、内臓を取り出した。それらは一連の消化器で、胃から腸までつながっているロープだった。それをピンクは自分の首に何重にも巻きつけた。それでも腸は長くて、だらりと床にまで届いているようだった。

 ピンクはわたしに感想を求めていた。だから、わたしは懸命に口を動かして、こう言ったの。

「かわいいね」

 ピンクはそれを聞いて笑っていた。

 わたしはそれ以上、意識を保っていることができなかった。


 つぎに目を覚ましたとき、わたしは自分の家のベッドにいた。だから全部、夢だと思った。でも、相棒は行方不明になってしまった。事件になったけど、わたしはピンクのことをだれにも話せなかった。わたしがなにか隠していることを、大人たちは気づいていたけど、最後には両親が守ってくれた。

 中学生になったあと、ピンクの家を探したことがあった。だけど、どうしてもピンクの家にはたどり着けなかった。

 あれ以来、ピンクを見ていないし、だれからもピンクの噂を聞いていない。わたしも今日まで、ピンクのことを話そうとは思わなかった。もしかしたら、都市伝説のピンクというのはわたしが作り出した妄想なのかもしれない。



 A先輩はそこまで話してから、ろうそくの火を、ふうと吹いて消した。

 会の途中だが一旦、電気ランプの光量を上げる。休憩のためだ。

「話してみると、怪談というわけではなかったわね、良かったかしら」

「ええ、もちろん」

 代表のぼくが答え、サークルのみんなも頷く。

「終わった?」

 途中で耳をふさいでしまった一人が言った。

 ぼくが身振りで肯定すると、彼女は耳栓をやめる。

「すいません。怖くって」

「いいのよ」

 A先輩はみんなの顔をぐるりと見回した。

「ピンクの噂を知っていたという人はいる?」

 はっきりした答えはない。眉をひそめるか、首を傾げるか、横に振るかしている。だれも知らないようだ。

「そう」

 とだけ呟いたA先輩の表情は複雑だった。

 失望したのか、安心したのか。

 サークルメンバーのBくんが言う。

「知るわけがないですよ。今の話って、A先輩のでっち上げでしょ」

「どうしてそう思うの?」

「だって年中、全身ピンクで、ピンク色のマフラーって、まさにA先輩自身のことじゃないですか」

「そうね、でもだからって、わたしの話が嘘にはならないはずよ」

「おかしいですよ。本当にそんな目にあったって言うなら、ピンク嫌いになっているはずです」

 A先輩はおもむろに首に巻いていた長いマフラーを外す。それをまるめて、口答えするBくんに向かって投げた。

 彼は悲鳴をあげて、それをかわす。

「……あなたは今、そのマフラーがなにに見えたの? 心の奥底では、わたしの話を信じてしまったわけね。それとも単にわたしのことが気持ち悪くなったのかしら」

 Bくんは口をつぐみ、A先輩は微笑した。

「ちょっと前までは、みんな、動物の死骸をどうどう身にまとっていたのを忘れている。まあ、わたしたちはその世代ではないけどね。そして、たいていの人は、他人の身につけているものが、なんの素材であるかなんて考えもしないし、あるいは、わかっているつもりになっている」

 ぼくはA先輩の言わんとしていることを察した。

「つまり、A先輩は、ピンクが身につけていたものは最初から人間の死体だったと考えているんですか? それをだれも気づかなかった、と……」

「そうかもしれない、そんな気がするの。信じられない?」

「いえ、ぼくは、A先輩の話を信じます」

「ありがとう」

「しかし、腑に落ちないこともあります。Bくんも言ったように、A先輩が、都市伝説のピンクと同じファッションをしているのは不自然です。なにかピンクから悪影響を受けたとは考えられませんか?」

 A先輩は床に転がった自分のピンクのマフラーをじっと見つめながら答える。

「どうだろう。わからない。だけど、ひとつだけ。……ピンクをかわいいと思ったのは、嘘ではないのよ。あのときも、今でも」

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