クリア
二十代で結婚を。それがスローガン。
わたしはそのための努力なら惜しまずやってきた。それを必死すぎるとか恥ずかしいとか、バカにするバカもいた。ありのままに自由な恋愛をすべきだって、偉そうに中学生みたいなことを言ってくる。彼女たちは放っておけばいい。シワシワになるまで働き詰めればいい。十年もしたら思い知ることになるわ。想像すると楽しくなる。
彼女たちとは違って、わたしには素晴らしい彼氏がいる。もう付き合って一年になるけど、結婚相手として完璧。年下で、そこそこイケメンだし、安定した職についている。大金持ちではないけど、ベンチャー社長なんかよりずっといい。彼らは博打好きの浮気好きだもの。
わたしの彼は、博打はやらないし、趣味はテレビゲームくらい。なによりわたしだけを愛してくれている。そろそろプロポーズをしてくれるはずだわ。答えはイエスに決まっていた。一キャラットのダイヤがあれば申し分ない。
スマホをちらりと見る。ちょうど着信があった。メッセージは彼から。
『今夜、会えないだろうか』
『いいわよ』
ついに来た。わたしはそう思ったけど、悟っていることを悟られないように、いつもどおりの対応をする。対象的に彼の文面はいつになくシリアスで、プロポーズを今夜にしようとしているのは間違いない。ディナーのレストランも、普段の三倍は値が張るお店を予約してくれた。
わたしは仕事を早退すると、家に帰って準備をはじめる。この日のために買っておいた三着のドレスの中から、今日着ていくものを選びなおす。一応それぞれ試着をしてみるけど、どれにするかは決まっていた。やはりブルーがいい。ダイヤにはブルーが似合う。折に触れて、ダイヤが好きと言っているから、まさかルビーは買ってこないわよね。赤は青には似合わない。アンクルサムじゃないんだから。
直前になって彼が気を変えないように、わたしは万全の状態を目指す。おやつを抜いて、三十分ほど半身浴をした。髪をブロウして、化粧は一度やり直した。香水をして、いい頃合いの時間、スマホに彼からのメッセージが届く。
『ついたよ』
『いま行くわ』
外に出ると、駐車場にスポーツカーが停まっていた。レンタカーなのはご愛嬌。彼は助手席のところに立っている。ドアを開けてくれるつもりね。目が合う。彼はわたしの美しさに目を見張っている。
丘の上のレストランで、フランス料理とワインを少々、シャンペンも頂いた。わたしは食べ物の中にダイヤが隠されているのではないかと疑った。噛んでしまっても、飲み込んでしまっても事件だから、注意しながら咀嚼した。結局、料理の中にダイヤはなかった。ウェイターがサプライズを仕掛けてくるかと緊張したけど、それもなかった。
彼が会計を済ませ、一緒に外に出る。
夜風を受けて、わたしは肩透かしを食らった気分になっていた。
「今夜はもう少し付き合ってもらえるかな?」
奥歯を噛みしめる。興奮で鼻の穴が広がらないように。
そして充分にもったいつけてから答えた。
「ええ」
「良かった」
スポーツカーは急な坂道をものともしなかった。
山の上の展望台につく。スポーツカーを降りて、景色を見る。
「うわぁ……」
星空も街並みもピカピカ輝いて、ダイヤを思わせた。一つ掴んでくれないかしらと、わたしは彼を見た。
「少し寒かったね。大丈夫?」
「平気よ、ワインでポカポカしているから」
わたしは笑った。
「君は優しいな」
彼は欄干に手をつく。
「なかなかの景色だろ?」
「ええ、すごくキレイね」
わたしは頷いた。
彼の言葉は探り探りで可愛らしく感じる。ダイヤが出てきても、まったく思ってもみなかった。そういうふうに驚いてあげなきゃいけないわね。
「この場所は穴場なんだ。誰もいない。二人きりだね」
「そうね」
わたしは微笑した。
彼は緊張したように息を震わせた。
「君に聞いてほしいことがあるんだ」
キターッとわたしは思う。
「なに?」
「僕らはもう、一年の付き合いだろう? このままで良いんだろうか」
わたしは首を傾げる。わからないふりをして言葉を待つ。
そして彼の口から思いもよらない言葉が飛び出した。
「僕は……実は病気なんだ」
「病気?」
わたしは眉をひそめずにはいられなかった。
頭の中でいろいろな悪い考えが浮かぶ。
癌って歳ではないでしょう? 糖尿病? 水虫?
「この間、総合病院の精神科にかかってきたんだ」
わたしは恐る恐る聞いた。
「鬱……とか?」
それならマシなほうだ。
でも、もっと悪い病気だったら。
「いや、違う。ばかばかしいと思うかもしれないけど、笑わないで聞いてほしい」
「う、ん」
わたしは俯いていた。
「僕がゲーム好きなのは知ってくれてるよね」
「ええ、時々、話してくれるわよね」
話が飛躍して、ちょっとついていけないけど、とりあえずは黙って聞くことにした。もしかしたら、すべて冗談で、ふっとダイヤが湧いてくるのかもしれない。
「ゲームをプレイしているとね、僕は多分、人より感情移入してしまうんだ。そしてラスト、つまりゲームクリアが近づくと、終わらせたくない気持ちが強くなってしまう」
彼はポケットを押さえた。
「なにかが失われてしまう気がするんだ。そのせいで僕はクリア直前のゲームを山のように溜め込んでいる。僕としては真剣な悩みなんだけど、精神科医には笑われてしまって」
「ひどいわね。人の悩みを笑うなんて」
わたしは極めて同情的に答えた。だけど精神科医が笑ってしまう気持ちもわかった。それから、たいした病気じゃないようでほっとした。ちょっとしたマリッジブルーみたいなものよね。女々しいけど、近頃の男には珍しくないと聞いたことがある。
今日のわたしは妙に冴えていた。彼がなにを言わんとしているか察した。
「わたしのこと?」
「ああ」
彼は苦笑した。
「君は頭もいいね」
「わたしもゲームの一つってわけ?」
いい気分のわけがなかった。
彼は慌てたように首を横に振った。
「誤解しないでほしい。君をテレビゲームなんかと一緒にしているわけじゃない」
「ならいいけど」
わたしは寛容さを示した。それに恋愛ゲームをしていたのはわたしも同じだったかもしれない。反省するわけじゃないけど。
「ただ、たとえは悪いけど、君をこのままクリアしていいのか。そうしたら、なにか大切なものが失われてしまうんじゃないかという気がするんだ」
わたしは彼の目を見て言った。
「クリアしなくても失われてしまうんじゃないかしら?」
わたしを逃していいの? 言外にそう訴えた。いつも下手に出ていればいいわけではない。ときにはこうして挑発してやるのも恋愛のテクニックよ。
「そうかもしれない」
完全に決まったと思ったのに、彼はまだまごついていた。
いよいよわたしは我慢できなくなった。
「わたしをクリアしなさいよ」
「でも」
「いいから! 準備はしてきたんでしょう?」
「それは、まあ、前から……」
「なら! ほら!」
わたしはそこで半分我に返り、醜態を晒していることに気づいた。飲みすぎていたのかもしれない。しかし彼は気にしていないようだった。
「僕も悪い病気は治さなきゃならないと思う」
「今日がいい機会よ」
わたしは辺りを見回した。誰もいない展望台、星空と夜景。くだらないやり取りは時間とともに薄れて、今日のことは、ただただロマンチックな思い出に変わる。きっと結婚式の日までには幸せな気持ちしか残らない。わたしにもそれくらいの柔軟さはある。あとはダイヤがあればいい。クリアで明瞭な未来の象徴を、左手の薬指にちょうだいよ。
「わたしはもう、心の準備、できてるから」
彼もようやく決心したみたい。
「君がそこまで言うなら、今日にしよう」
彼はそれをポケットから取り出す。
わたしは目を見開き、息を呑む。
ダイヤのように輝いたのはナイフだった。
「この一年間、ずっと君を殺そうと思っていたんだ」
わたしの胸にナイフが滑り込み、青いドレスに似合わない赤いシミが広がった。
「なんで……?」
そう言いながら、わたしは理解していた。彼がプレイしていたのは最初から恋愛ゲームではなかったわけね。ナイフを抜かれ、血が吹き出す。青と赤でアンクルサムみたいになったわたしは倒れた。徐々に意識が闇に閉ざされていく。
最後に彼のつぶやく声が聞こえた。
「クリア」
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