ヴァンパイア(8,445文字)

◆Ⅰ


 分厚いカーテンを引いた仄暗い寝室には甘い香の匂いが満ちていた。天蓋付きのベッドは乱れ、ぬいぐるみたちがそこら中で無数の山になっている。動物のぬいぐるみたちは、寄り集まってまぐわうようだ。

 わたしは鏡の中の自分に触れて、ほぅと感嘆のため息をつく。

「こんなに美しい人はどこを探しても、ほかにいないでしょうね」

 曇りひとつなく、姿見の中のわたしも頷く。

「世界の果てにさえ、誰ひとり、わたしの自惚れを咎められるものはいないわ」

「わたしにはそれだけの価値があるんですもの」

「もしも咎める声が聞こえたなら」

「それは嫉妬に狂ったものの妄言にすぎないの」

「まさにそのとおりよ」

 鏡の中の自分とはいつも意見が一致する。

 ぬいぐるみたちも一斉に首肯した。

「うんうん」

「だけどね、この世界はとても残酷だわ」

「時間というものがあるでしょう」

「神さまは素敵な贈りものをくださったけど」

「最後にはみんな取り上げてしまうのね」

「永遠というものがあれば」

「わたしはいつまでも幸せでいられるというのに……」

 ぬいぐるみのひとりが山から這い出てきて口を利く。

「それならば、一つ方法がございます」

「なあに?」

 わたしは鏡越しにぬいぐるみの隊長を見た。チキン・ブレイブリーだ。綿製の甲冑を着て、柔らかい剣を腰に下げている。兜からは真っ赤なトサカがはみ出る。彼はほつれた糸をなでつけて身なりを多少整えながら、これまた赤く細い足でよたよたと歩み出るとひざまずいた。

 チキンは首をカクカク前後させながら話す。

「森の奥に沼地があります。その先、切り立った崖の上には古城があり、そこには世にも恐ろしい怪物が住んでいると聞きます」

「待って、わたしも聞いたことがあるわ」

「そう、お母さまが言っていた」

「確か、その怪物の名前は」

「ヴァンパイア」

 ぬいぐるみたちは一斉にその名を復唱する。

 ヒソヒソ声やオノノキ声。

「静かにしなさい。君たち」

 チキンは羽をばたつかせて、ぬいぐるみの騒ぎを制する。

 沈黙が訪れた後、わたしに向き直って答える。

「その通りでございます」

「ヴァンパイア……ね。それってどんな怪物なのかしら。お母さまは詳しくはお話にならなかったわ」

 わたしはベッドに腰を下ろす。

 チキンはわたしの足元に寄る。

「恐れ多くも、姫さま」

「教えてちょうだい、チキン」

「はい、ヴァンパイアというのは、死なずのものという意味です」

「なんですって!」

 わたしは思わず立ち上がった。その拍子にチキンを蹴飛ばしてしまう。

「あら、ごめんあそばせ」

「いえ、わたくしめが悪いのです」

 わたしはほんの少し頷く。それが姫らしい振る舞いというものだ。けして媚びず、しかし慈悲深く。

「死なずとは、つまり永遠ということでしょう?」

「その通りでございます。なんでも、老いることすらないとか」

「妬ましいわね。美しいわたしがこうも恐れていることを、怪物は気にせずにいるなんて」

 わたしはムカムカしてきて、鞭を取った。

「そんな話をわたしにして、どういうつもり?」

 パシンと床を打つと、チキンは両翼を床に、ひれ伏して言った。

「姫さま、我らはその死なずの秘術を見つけたのでございます」

「なんですって?」

「あれを!」

 革表紙の古書を背負ったロバのぬいぐるみが前に出てくる。

 わたしはそれを手に取る。

「ずいぶん穢れた本ね。これが秘術の書なの?」

 チキンが言う。

「それは女王さまの日記でございます」

「お母さまの日記?」

 わたしは興味を惹かれて、日記のページをめくる。黄ばんだ紙の上に難しい言葉が並ぶ、青インクは赤黒く錆びついていた。ずっと昔に書かれたものらしい。

「お母さまは隣国の出自であったから、これはきっと向こうの言葉ね」

 読めないので、わたしは本を閉じて、ロバの背中に戻した。

「昔々にはお母さまも美しかったと聞くわ。それは永遠にはならなかった。老いて臥せったお母さまを見て、わたしはたまらなく死が恐ろしくなったのよ。だから不老不死の秘術など、お母さまの空想に過ぎないのでしょう。幼い時分にはそういう空想がいろいろあると聞くわ。ありもしないものを見たり、話すはずのないものたちと話すのよ」

「それがそうとも言い切れないのです。女王さまはヴァンパイアに会ったことがあるのです。本当に」

 チキンはイヌとネコを踏んで、ロバの背の上の日記をめくった。イヌはワンワン、ネコはニャーニャー言って抗議した。ロバだけはじっと黙っている。

「このページを見てください」

「まあ、なんて真っ赤なページでしょう」

「これがヴァンパイアの血でございます。これがなければ、我らもすべて女王さまの空想だと考えて、姫さまの耳を煩わせるようなことはいたしませんでした」

「たしかに、この赤には不思議な魔力を感じるわ」

 わたしは触れて、すぐに手を引っ込める。

「や、まだ濡れているじゃない」

 気持ち悪くて、シーツになすりつける。

「いたずらだったら承知しないわよ」

「滅相もございません」

 チキンはさらにページをめくる。

「ここに書いてあることを翻訳したところ、こう書かれていました」

 その続きはおしゃべりオオムが引き取った。わたしのお母さまの声を真似して。

「わたしは古城で怪物に会い、その不老不死の秘術があることを知った」

 わたしは叫んだ。

「嘘よ! だってお母さまは死んだんだから!」

「まだ続きがございます」

 これ以上、聞いても無駄だと思う一方で、わらにもすがる思いが耳をそばだたせる。

「しかし不老不死の代償はあまりにも大きかった」

 オオムは首をぐりぐり傾げてさらに続ける。

「不老不死になったあかつきには、わたしは二度と笑うことができないだろう」

 わたしはお母さまのことを思い出す。病に臥せる前は、皺だらけになってよく笑っていた。

「だから、わたしは不老不死になることを諦めた」

「諦めたですって?」

「はい」

 チキンが答えた。

 わたしは追求する。

「間違いないのね? 絶対に?」

「はい」

 わたしはチキンもロバもイヌもネコもオオムも突き飛ばした。自分の体もベッドに放り出す。

「お母さま、どうしてわたしを捨てて、天国などに行ってしまったの! 生きていさえしてくれれば、笑ってくださらなくても良かったわ! わたしは、わたしは!」

 ノックの音、返事を待たずに姥が入ってくる。

「姫さま、また泣いておいでなのですか」

 わたしは涙を拭って立ち上がった。

「泣いてなどいません」

「さようですか」

「ええ」

「明日は戴冠式でございます。くれぐれも」

 わたしは遮って言った。

「わかっているわ」

 姥は崩れたぬいぐるみの山から、鋭い目で革表紙の日記を見つける。

「また書物を持ち出して、お父さまに叱られますよ」

 わたしは駆けて、取って、それを胸に抱いた。

「さわらないで、これはわたしのものよ」

「お父さまに話しておきますからね」

 姥はそれだけ言って、ぬいぐるみに手を伸ばす。

「ちょっと待って、なにをするの?」

「お父さまの勅命でございます」

「さわらないで!」

 いくら言っても無駄だった。近衛兵たちも来て、寄ってたかって、みんなを連れて行ってしまった。わたしは部屋に閉じ込められて、城の裏手では黒いのろしが上がった。遠くて聞こえたはずもないのに、わたしの耳には彼らがあげる絶命の悲鳴がこびりついた。


◆Ⅱ


 二年後。

 アルゴン城の姫さまがお戻りになられた。その噂だけで城下は祭りの賑わいだ。道化は芸を披露し投げ銭を集め、飲んだくれは愉快そうに昼間の広場で踊る。商売人は露天を拡大し、兵士はなにごとか起こらねばいいのだがと肝を冷やしている。子供たちは小遣いをせびって遊びに出発し、大人たちは男も女もそれに続いた。羊飼いだけはそんな日にもいつもと違わず、世界の果てをぼんやり眺めながら、美しい詩を思いつこうと腐心している。

 近隣の貴族たちは総出で、城下の本道に行列をつくった。普段はけちくさい彼らもお祝いの気持ちをあらわしたいのか、乞食たちに金や食べものを配って歩く。野花までも売り尽くされた。

 そして隣国の第三王子、テルビ伯爵も駆けつけた。彼の白馬がいななくと、人垣は貴族も含めて道を開ける。古い伝説に登場する海を割った聖人のように思えて、歓喜を極め卒倒するものもいた。城下の騒ぎは最高潮に達し、年に一度のカボチャ祭りのとき以上にもなった。

 テルビ伯爵は白馬に跨って悠然と城下を登る。その姿を見た臣民は噂しあった。あのかたこそが次代のアルゴン王なのだと。アルゴン城に入られる頃には、テルビ伯爵は城下の人々にすっかり愛されていた。

 アルゴン王はテルビ伯爵と謁見し、豪奢にもてなした。長旅の労をねぎらい、湯浴みをすすめ。それが済むと貴族たちも揃い、晩餐会が開かれた。カボチャ料理と大きなパン、ウミガメのスープとジャムタルト、貴族によって持ち込まれた海のもの山のもの。それからこの日、何頭の子羊が皿に載せられてしまったか、数え切れないほどだった。

 晩餐会が終わり、夜の社交界が佳境になっても、姫さまはお姿をあらわさなかった。宰相は、姫さまは二年にも及ぶ長旅でお疲れなのだと弁明した。それが事実であったし、それ以上、あからさまに詮索するものはいなかった。アルゴン王の濁っていながらも射殺すような目を恐れたのだ。

 貴族たちが帰ったあと、アルゴン王はテルビ伯爵を書斎に呼んだ。その場からは、もっとも親しい使用人でさえ、外に出るよう命じられた。

 しんと静まり返った書斎、テルビ伯爵はアルゴン王のお言葉を一つも聞き漏らさぬように耳を澄ませる。

「我が娘、サマルのことだ」

 テルビ伯爵はじっとお言葉を待った。

「二年前の戴冠式の日、そなたとの婚約を発表するはずだったな。だがその日、サマルは行方知れずになってしまった。姥がいけなかったのだ。母をなくしたばかりで辛かったであろうサマルに厳しくあたりすぎたのだ」

 テルビ伯爵は、その姥と近衛兵の五名が国外追放になり、野垂れ死んだことを知っていたが、眉一つ動かさなかった。そして強権を振るっているのがアルゴン王自身であることももちろん知っていた。姥ごときが近衛兵を動かすなど勝手なことをできたはずがない。しかしアルゴン王のお考えになったことが、この国では真実であり、法である。それを忘れてはならない。

「そなたはよく待っていてくれた」

「私はずっと姫さまがお戻りになることを信じておりました」

 アルゴン王は頷く。

「そなたとの約束を果たさねばならぬと思っている。テルビよ、我が娘、サマルと結婚して、この国を治めてくれる気概はまだ変わらないか?」

「もちろんです」

「よくぞ申してくれた」

 アルゴン王は王冠を取って、膝の上でもてあそぶ。

「ワシが城下や隣国で、暴君などと呼ばれていることは知っているよ。しかし、こうして王冠を下ろしたワシはどう見える? いい、率直に言ってくれ」

 テルビ伯爵は怖じけず答える。

「なにか心配事があるようにお見受けできます」

「さすがだな、そのとおりだ。ワシはもう長くないだろう。そのことは運命だと受け入れている。大勢を殺してきた。今さら自分だけ永遠に生きられるなどとは思わない」

 アルゴン王は長いため息をついた。

「ワシも人の親にすぎないということだ。死を目前にして娘のことばかり思うようになってしまった。失踪していた二年の間によっぽど辛い思いをしたのだろう。サマルは少しも笑わなくなって帰ってきた。ワシは最後に一度だけ、サマルの笑顔を、いやワシを許さないと言うのなら、遠くからでいい、その笑い声だけでも聞きたいのだ。しかしワシにもどうしたらいいのかわからない。もちろんすでに思いつく限りのことは試した。ワシにはもう時間がない。テルビよ、そなただけが頼りなのだ。サマルの笑顔を取り戻してくれまいか」

 テルビ伯爵は即答する。

「この命に代えても」

 アルゴン王は王冠を着直すと言った。

「任せたぞ、テルビ、次代のアルゴン王よ」


◆Ⅲ


 アルゴン王との約束から一週間後、テルビ伯爵とサマル姫の結婚式が執り行われた。

 一週間の間、昼も夜も問わずに行われたお祭りの見物も、教会での式、内々での披露宴でも、サマル姫は笑うことがなかった。それどころか誓いの言葉を口にすることもなく、頷くだけにとどめた。誓いの口づけも小鳥のついばみ以下のそっとした触れ合いだけだった。サマル姫は聾唖だという噂が流れ、それを疑うものはいなかった。誰ひとりとして、サマル姫のお言葉を耳にしたものはいなかったのだ。

 だが、サマル姫にとって聾唖というのはさしたる問題とも思われなかった。それを補って余りあるほどの美しさがあったからだ。二年間の旅を経ても、その美しさは失われず、むしろ増しているように見受けられる。

 存在するだけで世界を切り抜いてしまうようなサマル姫の美しさを誰もが愛し崇め、その笑みを一瞬でも見たいと胸をかき乱すのであった。「どうか笑ってください」と躍り出て逮捕されたものもあった。その衝動は男女も老いも若きも違いがなかった。

 そして、運命の初夜がやってきた。テルビ伯爵は侍女たちによって入念に身を清められるとサマル姫の寝室へと通された。隣の部屋ではアルゴン王が老いて病んだ体を寝具に沈め、じっと耳を澄ませている。

 広い寝室の中央にサマル姫はぽつんと立っていた。ゆらめくろうそくの炎が、姫さまを官能的に照らしていた。侍女たちが身を縮め、部屋の扉を静かに閉め、テルビ伯爵とサマル姫を二人きりにした。テルビ伯爵はほとんど本能的にひざまずいた。

 サマル姫はゆっくりとテルビ伯爵に歩み寄り、その御手を伯爵の鼻先に伸ばした。テルビ伯爵がその手を取ると、氷のように冷たく感じた。忠誠の口づけをしようとする前に、サマル姫はテルビ伯爵の手を自分の方にそっと引きつけた。駿馬の手綱を引くため擦り切れ固く厚くなったテルビ伯爵の手のひらを氷の指先がつつと撫でる。

 聡明なテルビ伯爵はサマル姫がなにをしているのかすぐに察した。そして感動で胸を震わせた。サマル姫はテルビ伯爵の手のひらに言葉を書いていたのだ。それもテルビ伯爵の国の言葉だった。伯爵はそれを深い親愛の証と取った。単純な三つの単語だ。

『明かりを消してください』

「わかりました」

 テルビ伯爵はすぐに部屋中のろうそくを消して回った。最後のろうそくの火が落ちたあとも、部屋の中はまだ明るかった。月の輝きがレースのカーテンを透かし、部屋を照らしていたからだ。テルビ伯爵が分厚いカーテンを引くと、やっと部屋に充分な闇が満ちた。暗闇に感覚が研ぎ澄まされたせいだろうか、香の爽やかな匂いが増す。その中にはサマル姫のものだろう、なんとも言えない素晴らしい香りも混ざっている。

 テルビ伯爵はサマル姫に誘われ、ベッドの縁に隣り合って腰を下ろした。

「わたしを見ないでください」

 サマル姫の声は神聖な鐘の音のように透き通っていた。おそらくそれは天国を満たしている音楽の一つなのだろう。

 テルビ伯爵は、サマル姫を強引に抱きすくめたりはしなかった。その気がなかったのではなく、矜持によって思いとどまったのだ。あるいはずっと滞っていた心配の種であるアルゴン王との約束を果たすために、笑ってくれと無粋に願うこともしなかった。

 テルビ伯爵はサマル姫のお言葉通りにした。その美しい御姿の影から、惜しむ視線を引き剥がし、うつむき、つまらない御自分の足先と絨毯とを見るようにした。

 サマル姫はおっしゃった。

「わたしのことをどう思っていらっしゃるの?」

「愛しています。本当に愛しています」

 テルビ伯爵はその言葉を伝えられただけでも、泣き出したいほどの想いだった。伯爵のお気持ちは本物だった。サマル姫のためなら政治などどうでも良かった。二年と少し前、サマル姫を一目見たときに王権への野心も消え失せ、ひとりの男になってしまったのだ。二年間、縁談を断り続け、生死不明の姫を待ち続けたのも当然のことだった。サマル姫の笑顔を取り戻したいのも本当はアルゴン王のためなどではなかった。自分のためでもない。

「わたしも、あなたのことを憎からず思っています」

 その言葉を耳にしたときの、テルビ伯爵の喜びは、真実の愛を成就させることができた稀有な人々にしかわからないだろう。あの勇ましいテルビ伯爵が、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしたのだ。

「この二年間、なにがあったのか聞いてくださりますか?」

 テルビ伯爵は震える体を律し、はっきりと答えた。

「はい、ぜひ、私にお聞かせください」

 言いつけを忘れず守り、うつむき続けることもやめなかった。


◆Ⅳ


 サマル姫は朗々と語りだす。テルビ伯爵は黙って聞いていた。

 姫さまがどういうお気持ちで、城を御出になったのか、そして、古城に潜むという怪物、ヴァンパイアをめぐる冒険の数々をテルビ伯爵は嘘とは思わなかった。愛の盲人は愛する人の発する言葉なら「あなたが嫌い」以外のすべてを信じてしまうものなのだ。

 それにサマル姫のお話はすべて真実だった。そのため、沼から発せられた臭気や、傷の痛みまでも自分が経験するかのように伝わってくるのだ。テルビ伯爵は自分がそこにいればと悔やんだ。どれだけお助けできただろうかと。

 お話の佳境、もっとも重要な部分に差し掛かる。

「お母さまの日記にも、一つだけ嘘があったのです。それは崖の上には古城などなかったということです。しかし、わたしにはお母さまの気持ちがわかります。あの恐ろしさを隠すために、そうせざるをえなかったのでしょう」

「それでは、ヴァンパイアはどこに?」

「沼です」

「沼?」

「ヴァンパイアは沼の底で生きていたのです」

「なんということだ。真実とは、私が聞き及んでいることとはまるで違うのですね」

「長い年月をかけて伝えていくうちに捻くれて間違えられてしまうのでしょう。それも自分たちの信じたいように。ヴァンパイアは神も銀も杭も水も鏡も恐れません。むしろそれらが好きなくらいなのです。ですが、伝承には正しい部分もありました。彼らがまことに不老不死であるということです。それから、彼らの食事についてです」

「つまり、ヴァンパイアは伝承どおり、人間の生き血を啜るのですね」

「ええ、そのための牙は異様に発達していました。ヴァンパイアになるためにはその牙も受け入れなくてはなりません」

 サマル姫は話し疲れたようで、ほぅとため息をついた。

 催促するのは気が引けたが、一番重要な部分がまだ聞けていなかった。テルビ伯爵は少年のような心持ちで、とうとう我慢ができなくなった。そして言葉にしながら、疑心を深めた。

「それでサマル姫は……あの……」

 姫さまは答えない。

「サマル姫は……、皇后さま、つまり、サマル姫のお母さまは、ヴァンパイアになるのではなく、人間として生きることを選んだのですよね。では、サマル姫は……」

「どちらでもいいことじゃないかしら」

 サマル姫のその言葉には言い得ぬなにかが込められているように感じられた。

「本当にわたしのことを愛しているのでしたら、どんなわたしでも愛せるはずです」

 テルビ伯爵は我に返った。

「その通りです。私はどんな貴方さまでも愛します。そう神と貴方さまに誓ったのですから」

「テルビさま、あなたはわたしの笑みが見たいのでしょう。アルゴン国の宝石とうたわれた、わたしの笑みが。母から受け継いだ、わたしの笑みが」

 テルビ伯爵は答える。

「はい、どうか」

「いいですよ。テルビさま、こちらを見てください」

 テルビ伯爵の目は闇に慣れていた。サマル姫の笑みを間近ではっきりと目にすることができた。国中のすべての人々、王も奴隷も分け隔てなく恋い焦がれるサマル姫の笑みをテルビ伯爵は見た。

 顔がなかった。代わりに深淵があった。その中には、ぐるりぐるりと幾重にも円を描き、細長い牙がみっちりと生えそろっている。それらは一つ一つ白くギラギラ輝き、誘うように蠢いていた。目も鼻もない、そのお顔はヒルそのものだった。沼地のヴァンパイアとはヒルの吸血鬼だったのだ。

 不老不死のために笑みを捨てた怪物は笑った。その美しい笑い声を耳にしたアルゴン王は安心して眠るように息を引き取った。最後に脳裏に映ったのは、皇后さまと、その腕に抱かれ無邪気に笑っていた頃のサマル姫だった。

 その日を境にテルビ伯爵は姿をくらまし、誰も行方を知らない。のちに一度だけ、サマル姫がテルビ伯爵について話したことがあった。誰とも再婚しないことについて聞かれ、衝立の向こう側から彼が今でも自分の中で生きているのだと答えたのだ。そのお言葉は世の恋人たちの手本となった。

 サマル姫は、アルゴン女王となり、気の遠くなるほど長い間、アルゴン国を治めた。のちに氷の女王とか、不老の女王、かつてのアルゴン国の宝石、そして特に笑わずの女王と呼ばれるようになる。誰もが女王を愛し、その笑みを想像し、胸を焦がし続けた。しかし誰も、そうテルビ伯爵以外は誰も、その笑みを見たものはいない。

 幻想歴史家たちは、彼女がまだ生きているのだと主張する。そしてどこかで、美しい顔の奥に無数の牙を隠し、静かに澄ましているのだろうと。

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