猿
「ははあ、この短編小説のオチがわかったぞ。ずばり、主人公が猿なんだ」
彼は自信満々に言った。
わたしは答えてあげる。
「違うわよ」
「なるほど、なるほど、じゃあ、この火星人が実は猿だったというオチなんだな」
わたしは額を押さえる。頭痛がした。
「そうやって言い続ければ、いつかは当たるわね」
「フン、それよりも飯だ。飯を出せ」
「もちろん、食事の用意はしてあるわよ」
彼は食事と聞くと、恥ずかしげもなくよだれをたらす。
「早く、早く」
「この読み聞かせが終わったらね」
わたしは「ん、ん」と喉を整える。
「――スペースシャトルは座礁してしまい」
「やっぱり猿だろう」
わたしはため息をついた。
彼との意思疎通は特殊なヘッドセットによって行われている。電極の束が接続されていて、脳波から思考を読み取るのだ。それを翻訳したものがわたしのヘッドセットで再生される。わたしの言葉も翻訳され、彼に届けられる。
小説の内容を聞かせるだけでは上手くいかなかった。彼はすぐに興味を失くし、最後まで聞いてくれないのだ。誰かが興味を引き続ける必要があった。それが、わたしの仕事だ。
「この話のオチが猿だということはわかっているのだよ、証拠もある」
「証拠? 難しい概念を知っているのね」
「ばかにするんじゃない」
「それで証拠って?」
「君が言わなかったのが証拠だ」
「わたしがなにを言わなかったって? はっきり言ってちょうだいよ」
「察しが悪いなあ。君は言わなかったじゃないか。主人公が猿だと言ったのには違うと言ったが、火星人が猿だと言ったのには違うと言っていない。叙述トリックというやつだ。つまりこの火星人が猿というオチだろう」
「違うわよ」
「え?」
「火星人は猿じゃないわよ」
「じゃあ、この女が猿か! ヒロインが猿とはな」
「それも違うわ」
彼は絶句した。脳波計が硬直している。
「……じゃあ誰が猿なんだ。登場人物全員が猿だということはあるまいな」
「猿なんて出てこないわよ」
「他に考えようがないんだ」
「もっとよく考えてみなさいよ」
「どうして俺にこんな小説を読み聞かせるんだ?」
「理由ならあとで説明してあげる」
「ダメだ、さきに話せ」
「食事のバナナを三本から二本に減らすわよ?」
「なんてことを……卑怯者め」
「とにかく、あなたは最後まで話を聞いて、それから感想を言ってちょうだい」
「人を畜生あつかいしやがって!」
「バナナ二本から一本よ」
「待て、待ってくれ、わかった、最後まで聞いて感想を言う。それでバナナ三本だ」
「次はないからね。あなたが真面目に聞いているかどうかも脳波でわかるんだから」
わたしはやっと短編小説の内容を最後まで話すことができる。地球から出発したスペースシャトルは座礁して、乗組員は火星人に捕まる。地球から救助隊が派遣される。救助隊は無事スペースシャトルと乗組員を地球に連れ帰るという内容だ。
「めでたし、めでたし」
わたしはそう結んだ。
彼は顔をしかめた。元々くしゃくしゃの顔が、余計くしゃくしゃだ。
歯茎をむき出しにする。
「で?」
「これでおしまいよ」
「ふざけるな!」
「おしまいはおしまい。文句があるなら作者に伝えておくわよ」
「じゃあ、こう伝えてくれ、こんなオチのない小説なら猿でも書けるってな」
「ほかには?」
「俺の感想はそれだけだ」
「そう」
わたしは本を閉じた。机にそっと置く。
「このお話わね、猿が書いたのよ」
彼はそれを聞くとポカンと口を開けて固まった。対象的に脳波計はガクガクと動く。その軌道を目で追って、わたしは効果があったようだと思う。
「今度までに猿には書けないオチのあるお話を考えておいてね。あなたが猿ではないという証明になるわ」
わたしは助手の学生を呼ぶ。
「ねえ、バナナ三本あげてちょうだい」
「わかりました」
助手が運んできたバナナは大ぶりでおいしそうだ。彼はそれに釘付けになって、よだれをたらす。もう猿じみた嬌声しか発しない。
「あとはお願いね」
「わかりました」
わたしは彼の食事を見届けない。食べているところを見てもつまらないからだ。治療室を出て、喫茶スペースで一息入れることにした。そこでばったりとお世話になっている教授に会った。
「やあ」
「ご無沙汰しております」
わたしがお辞儀している間に、教授は飲みものをいれてくれた。
「ありがとうございます」
「どうだい、精神科医の仕事は捗っているかね?」
「おかげさまで」
「それは良かった。しかし大変な治療を押し付けられたらしいね」
「いえ……」
「たしか、自分を人間だと思いこんでいる猿だったか?」
「少し違います。自分を人間だと思いこんでいる猿だと思いこんでいる人間です」
「ややこしいな。具体的にはどんな症状を?」
「まずバナナしか食べないんです。それから発作的に高いところに登ったり、ウキーッと叫んでみたりするんですが、自分は人間なのだと主張します。しかもその人格が、もともとの人格とは別なんです」
教授は「うーん」とうなって、少し考えてから言った。
「つまり、猿化した多重人格患者というわけか」
わたしは教授のものわかりの良さに嬉しくなる。
「そう、それです、そのとおりです」
「重症だな。それで、どんな治療を?」
「脳波翻訳装置を使って、猿の書いた短編小説の読み聞かせをしました。猿でもある程度のお話くらいはできるのだと思ってもらうためです。今度は彼にお話を書いてもらいます。オチのある話を書けなかったら、自分を猿だと認めるかもしれません」
「その治療だと成功しても猿の人格は残るんじゃないか?」
「それでいいんです。自分を猿だと思いこんでいる人間の治療なら前例がいくらでもありますから」
「なるほど。それにしても猿の書いた短編小説なんて、よくそんなもの手に入ったね」
「でっち上げですよ。オチまで話さなかっただけです」
教授はしみじみ言う。
「君の苦労はわかるよ。さあ、遠慮せず、ぐっといってくれ」
「ありがとうございます」
わたしは飲みものを飲み干した。いい味だ。
「教授はどんな治療を?」
「最近の動物愛護精神には頭が下がるよ」
「精神病の動物ですか?」
「ああ、自分のことを精神科医だと思いこんでいる猿なんだ」
教授はわたしからコップを取り上げた。
「バナナジュースはうまかったかな?」
「はい、もっとください」
よだれがたれる。
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