Ⅳ・メンカル研の研究室《ラボ》日誌_2


 翌朝。

「やあ、アステラ。よくねむれた?」

 アステラは目をこすりつつ、首をった。昨晩はもう遅かったので、ルディはシリウスの助言に従い、受験生であるアステラの休息を優先してを言わせずしんしつに引き下がらせたのだ。こころづかいはうれしいが、あんなばくだん投げられてあんみんできるとしたら相当の図太さだ。

 ルディは朝食の後、プレアデスの姉妹に用を命じて追いはらい、ようやくアステラと二人の時間を作った。アステラは口から飛び出しそうになる疑問の山をいったんはわきに置き、これまでのいきさつを語った。いまさらかくすことでもないだろう。夜の鯨をさがす中央星府のやり方が、近ごろ度をしてきようこうになってきていること。夜の鯨はうばわれたせいせきを取りもどしたがっていること。そのためにアステラが学院にやってきたこと。そして……、

「つまり君は星なしってこと?」

「はい。ほしほうは使えません」

「なんてことだ。悲劇だよ。あれだけの才能見せられて、あきらめきれない!」

 ルディは大げさになげいた。でも、アステラにとってはそんなのまつなことだ。これでもう下手なうそを重ねなくて済むのなら、いっそ気が楽なくらいだった。

「とにかく、私には十一歳以前のおくがなくて、それで、ロキさんに育てられたんです」

「夜の鯨のらいで、か」

「ええ」

 ルディは難しい顔でうなった。

「その話を聞く限り、君は夜の鯨のえんじやだと考えるのが自然だね。もし夜の鯨がメンカル教授だとすれば……君はつまり、教授のむすめ?」

 アステラはたよりなく首をかしげる。確信がないのが情けなかった。自分のことなのに。

「考えてみれば、教授から家族の話を聞いたことはなかったな。君に危害が及ぶことを恐れて隠していたのかもしれないが……確かなことは分からない。すまないね」

「いえ、そんなこと」

 ルディは例の手紙を何度も開いたり閉じたりした。けれどそれ以上思い当たることはなかったらしく、手紙を折りたたんで胸ポケットにう。

 そして不意にぐったりとソファの背にたおれかかると、うらめしげにくちびるき出した。

「それにしても、天下のプロキオンが地下鉱山で便利屋とは。宝の持ちぐされもいいとこだ」

「ロキさんって、そんなにゆうしゆうだったんですか?」

 便利屋といっても、だんのロキは危険な調査もえた推理もせず、あやしい薬品づくりやねこさがしでづかかせぎをしては、キャサリンだかマーガレットだかと食事に出かけるだけだ。腐らせるような宝を持っているとは思えない。

 信じていない様子のアステラを見やり、ルディは何かを思いついて身体からだを起こした。

「そうだ、いいものを見せてあげよう」

 そして部屋の隅の大きなたんの引き出しを開けると、その奥から一冊のノートを取り出した。

「メンカル研究室の研究室ラボ日誌だ」

 ルディはその日誌をアステラにわたした。

「教授とてんていとの不和は当時すでにされていたからね。メンカル研は当然不人気で、毎年へいの危機だったんだよ。だが私の年はとくなことに三人も学生がいてね」

 日誌を広げれば、そこには確かに三つのひつせきが見て取れた。大ぶりで力強い字、ちようめんそうな小さな字、そして見覚えのある、勢いよくとがった字。

「私と、ぼうえんきょう座のテレコ、そして、ロキだ」

 アステラは日誌に目を落とす。



 十二月十日、記録者プロキオン

【活動記録】

 引き続き、星輝石のあいしよう実験。しばらくはラボ内で小規模なばくはつ事故に気を付けてくれ。予想はしていたことだが、オリオン座の星はたいていの星と仲が悪い。

【通信らん

 今年のふたご座流星群は月が明るくて条件が悪いらしい。仕方ないから研究室で夜通し酒盛りでもするか?

 ──僕はアルヘナ研の観測会に交ぜてもらう予定です。飲みはまたの機会に。 テレコ

 ──ロキ、君は下戸だろ? ルディ

 ──そもそも君たちは未成年です。 メンカル



 二月二十三日、記録者アルデバラン

【活動記録】

 こんなにいい天気の日に研究なんてごめんだね。それよりみんな外に出ようよ! 本の山の中に引きこもってると、テレコみたいにカビが生えちゃうよ。

【通信欄】

 そろそろ入試だね。今年もまた新入生の女の子たちのういういしい顔を見られると思うと待ち遠しいよ。ところで、私の持っていたこと座のベガ石をぬすんだのは誰? おこらないから白状しなさい。

 ──知りません。それと、カビは生えていません。 テレコ

 ──同じく、知りません。見つかるといいですね。 メンカル

 ──ベガ本人が取り返しに来たぞ。お前にやった覚えはないってよ。 ロキ

 ──嘘だ。愛をちかい合ったのに。 ルディ

 ──ベガにはアルタイルっていうこいびとがいるだろ。いい加減目を覚ませ。 ロキ



 五月二十六日、記録者アルファ・テレスコピウム

【活動記録】

 新月なので張り切って観測の予定でしたが、星像のらぎがひどいので、機材の整備日に当てることにしました。今度知り合いから古いくつせつ望遠鏡とせきどうゆずり受ける予定です。改良は必要でしょうが、研究室の反射式よりはよいシーイングが得られるでしょう。

【通信欄】

 メンカル教授から、僕以外の二人はちゃんと研究しているのか、とのご質問がありました。僕の方はしつぴつ中の論文が二件、実験結果待ちの共同研究が一件というじようきようですが、お二人はどうなんですか? 研究室に来てもロキはているか怪しいばくやくを作っているかだし、ルディに至っては在室自体がまれ、校内で女性を口説いている姿しか見ません。二人とも一等星の子なんだから、才能のづかいはやめて、に研究してください。

 ──ぐうの音も出ません。反省します。 ロキ

 ──右に同じ。 ルディ

 ──研究者としての自覚を持ってほしいものですね。ところで、ちょっと実家の方がばたついているので、もしかしたら長めの里帰りをしなければならないかもしれません。またれんらくします。 メンカル



 アステラは夢中で日誌をめくった。アステラの知らない、星の子ロキの姿。生意気な口調。態度は悪いが、どうやら才能はあるらしい。

「楽しそうですね。あはは、研究室で猫飼ってもいいか、だって」

「テレコが動物ぎらいだから否決されたんだよ。あれは研究熱心だがへんくつでね」

 ルディはアステラのとなりいつしよに日誌をのぞき込みながら、なつかしさにほおゆるめている。

「皆さん、何の研究を?」

「ばらばらさ。仲間はずれが集まったような研究室なんだ。テレコは星魔法に興味なし、根っからの観測屋だから、望遠鏡を自由に使えればそれでよかった。私は星座じんかいしやくが専門だ。図象学の見地から、それぞれの線の意味を考えている」

「はあ……」

 アステラが思った以上に、学院の研究ははばひろいようだ。つえひとりして星魔法を使う、そんな簡単な想像しかしていなかった。

「そしてロキは、せいせきの研究や調合に熱心だった。星なしでも、星の光をもっと自由に使えるように」

(星なしでも……)

 アステラの胸がじわりと温かくなる。ルディは短く笑った。

「最初に会ったときには最高にこうまんちきだったけれどね。甘やかされて育ちましたって感じで、何を言うにも上からだし、ちゃらちゃらして研究は遊び半分だし」

(今でもちゃらちゃらして仕事は遊び半分だけど)

 アステラが苦笑いしそうになったとき、ルディの顔が変わった。

「……それなのに、才能ではあつとう的にかなわない」

「ルディさんでも?」

 おうし座のアルデバランのきようれつな赤いかがやきを思うと、右に出る者などそうそういないような気がする。けれど、ルディはくやしさすら見せず、ごうかいに白旗をった。

「かなわないさ。私は一等星とはいえ明るさは十四位。順位ひとけたやつらはやっぱり特別だ」

「そう、なんですか」

 どうもなつとくできないアステラに、ルディはいたずらっぽくふっかける。

「その上あの顔だろう、モテまくってたよ。セイほどじゃないがね」

 ざわりと、胸に不快な感覚がよぎった。アステラがその意味をつかむより先に、

「気になるの、アステラ?」

「いや、別に、そんなことは」

 ルディに問われ、アステラは顔をそむけた。でも、当然と言えば当然だ。ロキは確かにれいな顔をしているし、皮肉屋だけどなんだかんだでやさしいし、その上一等星の子とくれば。

(そりゃ、モテるよね。だれか恋人がいたのかな……もしかしたら今もいるのかな。私、ロキさんのこと何も知らない)

 苦虫をみつぶしたような表情になるアステラ。ルディはくつくつ笑った。

「心配しなくてもだいじようだよ、奴は言い寄って来る女の子たちを片っぱしから振ってたから。興味ない女と一緒にいるくらいなら、かべと向き合ってた方がましだとさ」

いやな奴……」

「そしてなみだにくれる女の子たちを私が優しくきとめてあげていたわけだ。アステラ、君のこともなぐさめてあげようか?」

「壁と向き合ってる方がましです」

「アステラ、私のあつかいぞんざいになりすぎじゃない?」

 いつさいなびく様子のない小鳥に、どこでちがえたのかなあ、とルディは首をひねった後、

「ともかく、最初のころロキはそんな感じで、ゆうしゆうなくせに態度が悪いものだから、いろんな研究室に配属を敬遠されてしまってね。最後の受け皿という形で、万年学生不足のメンカル研に入った。同じくのけ者にされてやって来た私やテレコと共にね……そこで彼は変わった」

 ルディはひざの上で指を組み、ソファに深く身を預けた。

「教授のえいきようだな。ロキは教授を尊敬していた」

 アステラはよく分からないもやもやをいったん心の奥に追いやって、たずねた。

「メンカル教授って、どんな人だったんですか?」

「教授は……鹿みたいに優しい人だったよ。赤いひとみをしていて、眼鏡をかけてて。苦労しようでね、まだ若いのに白髪しらがだらけだった」

 アステラは想像する。メンカル教授の優しい赤い瞳、白髪の交じったかみ

「教授はね、おそらく学院設立以来初めての、星なしの研究家だった」

「星なしの、研究?」

 さすがのアステラでも、そんな研究があるとは思わなかった。

「ああ。もっとも、本来はほしほう史の専門家なんだけれどね。だがくじら区の区長になって星なしとれ合ううちに、彼らのために何かできないかと考えるようになったと言ってた」

「星なしのために……」

 ロキがメンカル教授に影響を受けたと言ったのが、理解できる気がした。やっぱり、メンカル教授は星なしと同じ視線で世界を見ていたのだ。

くなる前の十年ほど、教授は星なしの人々を研究対象にしていた。具体的には、星の光の力を星なしでも自由に使えるようにする方法をさくしていたんだ。アステラ、どう思う?」

「星なしとして、じゆんすいうれしいです。でも……」

(でも、たぶん、それは難しい)

 言わなくても分かるよ、と、ルディの顔にはそう書いてあった。

「もちろん誰にも相手にされなかったさ。星の光を使えないから星なしなんだ。あ、これ、君たちを馬鹿にしてるわけじゃないよ」

「分かってます、大丈夫」

「それでも教授は、星なしを便利な道具くらいにしか考えない今のせいどう協会の在り方に異議を唱え続けていた」

 ルディはね放題の短い髪をでつけながら、

「星の子と星なしとの格差せいほんそうして……配給を増やすよううつたえ続けて。挙げ句、星なしにも星魔法を教えよう、とまで言ってたんだよ。そこまで行くと笑っちゃうよね。いい人すぎたんだ、あの人は」

 アステラは笑えなかった。星の原の不自由や不公平を正すために苦心していたメンカル。それが本当だとしたら、彼の行動がてんていへの反逆として片づけられるのはあまりにも悲しい。

「本当に優しい人だった。だから目をつけられたんだな。研究費を減らされ、論文をきよぜつされ、教授会で辞職のあつぱくをかけられ……挙げ句」

 ルディの言葉がえた。アステラが顔を上げると、燃えるような赤い目と目が合った。

「アステラ、これだけは覚えておくんだ」

 それは教え子にあたえるしんげんのような。あるいは切実ないのりのような。

「天に絶対はない」



 六月三日、記録者プロキオン

【活動記録】

【通信らん

 どうして教授が出勤停止にならないといけないんだ。こんなのおかしいだろ、納得できない。誰かれんらくをつけられないのか? からす便も届かない。

 ──天帝の方でからす便を差し止めているようですね。けんえつの可能性があるので、送付は見合わせるべきかと。 テレコ



 六月九日、記録者プロキオン

【活動記録】

【通信欄】

 教授はくじら区に帰ったのか? ケートス家のえんじやが次々消えてるらしいが、まさか殺されたってわけじゃないよな。俺も天都を出てくじら区に向かいたいが、親父おやじが許さない。いつまでここで待ってればいいんだ。教授の身に何かあったらどうすればいいんだ。



 七月十九日、記録者アルデバラン

【活動記録】

【通信欄】

 ロキ、教授会に論文を提出するって本気なのかい? 確かに単位はそろってるみたいだけど、正規のしゆうりよう年限までまだ一年半もあるんだぞ。教授が心配なのは分かるが、無茶が過ぎる。何を考えてるんだ、とにかく顔を見せてくれ。

 ──ロキの論文は受理されました。あれだけ遊んでいたくせに、たかだか一か月やそこらであれだけの研究を仕上げられるって、化け物ですよ。ともかくロキはこれで正式に星導士ということになりますね。僕も話が聞きたい。研究室に来てください。 テレコ



「これ、どういう……」

 その年の初夏辺りからおんになってきた日誌の記録。アステラはこんわくかくせない。

「ロキは信じられない速度で論文を書き上げ、予定より一年と半期切り上げて学院を卒業したんだ。正規の星導士になるためにね」

「だって、どうして?」

「自由に動きたかったのさ。ここにとどまっていれば、くじら区の動向を知ることができない。解任されて以来、連絡の取れなくなったメンカル教授を追いかけたかったのさ」



 七月二十日、記録者プロキオン

【活動記録】

【通信欄】

 くじら区に向かう。



「日誌はこれで終わり」

 ルディはアステラの手の上で、ぱたんとノートを閉じた。

「このころ、ケートス家の関係者が次々くなっていった。くじら区は当然せいせきの上がりが減り、上納に苦労することになるが……、星府からの配給が増えることはなかった」

 そして最終的にどうなったか?

「ケートス家ほんていの火災をきっかけに、くじら区は大火にわれ、だつしゆつを試みた船はちんぼつ。ケートス家がぜんめつするまで、れんは止まらなかった」

 不幸な事故。その言葉のかげに、アステラはどうしても、じんを感じないではいられない。

「メンカル教授はどうなったんです?」

「ケートス家は全員死亡。星府の発表はそれだけさ。教授の消息は途絶え……教授室から研究成果はすべて消えていた」

「ロキさんは?」

「彼は教授の後を追ったきり、学院には二度と帰って来なかったよ。その先のことは、君の方がよく知っているんじゃない?」

 アステラはロキの星輝石を胸の前でそっとにぎりしめる。五年間もそばにいたのに……、彼はアステラに、自分の過去をいつさい語らなかった。

 ルディは長いしゆんじゆんの後、口を開いた。

「アステラ、君が何者なのかは分からない。教授のむすめなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そもそも、夜のくじらが教授本人なのかどうかも分からない」

「ええ」

「ただ、あの日、とつぜん消えてしまった旧友が、五年間大切に育ててきたのが君なら」

 赤く燃えるひとみの中には、メンカルとロキへのしんらいだけがあった。

「私も君を守るよ。夜の鯨のらいには関係なくね」

「ありがとうございます」

 アステラは心からの感謝を述べた。不安と混乱とで頭はぐちゃぐちゃだけれど、その言葉だけで、どれだけ心強いか。

 ルディはやわらかくみ、立ち上がってびをした。

「それにしても、ロキのやつはいったいどこで何をしてるんだ?」




 午後、二次試験。

 もう試験を受ける必要はないのだが、一次試験首席通過の注目株が欠席するわけにもいかない。下手に動けばあやしまれるとルディにも受験をすすめられ、アステラは大人しく従うことにした。ただし、シリウスに見つかるわけにはいかないので、例のフード付きの上着を着ている。

 今のところ、できることは何もない。でも、こんなことをしている場合なのだろうか。

(ロキさんに会いたい)

 ただ、そのおもいはふくらむばかりで。

(会いたい)

 天都に来たときは、とにかく不安だったから。いつものように皮肉をらしながら、それでも最後には絶対に助けてくれる、彼の温かい手を求めていた。でも、今は、それ以上に、

(何があったの? 何を考えてるの? どうして隠してたの?)

 彼の過去を知れば知るほど、疑問は増えていく。きたいことがたくさんあった。ロキは五年間、アステラにいったい何を隠していたのだろう?

(会いたい)

「時間ですね。二次試験を始めます! 受験生はついて来てください」

 試験官がやって来て、ひかえ室のとびらを開けた。アステラは?ほおたたき、気を引きめる。受験生は数組に分けられ、組ごとに小さな部屋に通された。

 そこは丸い部屋だった。ゆかにはきよだいな星図。見たところ、秋から冬の星座が星座早見ばんのようにえがかれているようだ。てんじようは高く、上方に窓があって、二階からのぞき込めるようになっていた。そこには一次試験のとき同様、一等星の面々の姿がある。ルディがこっそり手をってきた。アステラは少しほっとした。

「シリウスさまは今日もいらっしゃらないわね」

「おいそがしんだよ。合格すれば顔を拝む機会もあるさ」

 ひそひそと話す受験生たち。確かに、二階の窓にぎんぱつの美青年のかげはなかった。

(よかった。フードをかぶっててもやっぱり不安だったし)

せいしゆくに。説明を始めます」

 そこで、受験生たちに長い棒がわたされた。棒の先には木炭が取り付けられている。

「その棒で、床の星図の上に星座じんつなぎなさい。ただし、速さをきそうのではなく、正確さを見るものです。結んだ星座陣が一つでも合格することはありますし、逆にたくさん結んでも星が合っていなければ不合格になりえます。のないようにゆずり合ってください」

 試験官はそう言うが、同時に競う受験生は十人。だれも彼も、目を血走らせている。

(結局、早い者勝ちってことになるよね)

 アステラは棒を握りしめ、深呼吸した。

「では、はじめ!」

 試験官の言葉を聞くや、案の定受験生たちは我先にと床に線を引き始める。

 有名な星座はすぐに他の人に取られた。オリオン座、こいぬ座、おおいぬ座……。冬の星座はどんどんまっていく。

「えっと、じゃあ、おうし座……!」

 アステラはけ出そうとするが、いつもの不運で誰かの棒に足を引っかけ、転んでしまった。

じやだよ! どいてくれ!」

「ご、ごめんなさい!」

 立ち上がったころには、冬の星座はほぼ埋めくされていた。

(落ち着いて、落ち着いて……)

 アステラはゆっくり息をしながら、周りを見回す。オリオン座からおうし座を通りし、さらに先。がらんと空いたその領域で、星を繋ごうとしている人は誰もいなかった。

「ここには……」

 アステラがそこに立ち、棒を床に立てると、なぜか上の窓からざわざわとけんそうが聞こえた。落ち着け、落ち着け。アステラは心でり返す。周りの声を聞いている場合じゃない。

(星を、繋がなきゃ)

 フードが外れるのも気づかず、アステラはほとんど無意識に、棒を動かした。

 彼女はまず、おうしの前足の下あたりの星を結んで小さな丸を描いた。それから、そのななめ下に、大きなしずく形。そしてその二つを?ぐように……、

「あれ?」

 アステラはそこでふと手を止め、まばたきした。

「……星がない」

 丸と雫形を繋がなきゃいけないのに。二つの間に、星が足りない。

「その者、直れ!」

 そのとき、するどい声が飛んだ。アステラはびくっと体をふるわせ、我に返る。

(あれ、私、何してたんだろう……?)

 受験生たちが動きを止める。すような視線が、アステラに集まる。せいじやくの中、つかつかとかわぐつを鳴らしてやって来たのは、

「シリウスさま!」

 ぎんぱつへきがんの美青年を前に、受験生たちはみなこうべを垂れる。シリウスはてついた目でアステラをとっくりとながめた。顔を……見られた。

 頭が冷えるにつれ、アステラは自分がどんなにおろかなことをしているか気づいた。地下鉱山で会った少女だと気づかれてしまう。ろうばいどうようからまり合って、アステラは完全に思考停止してしまった。

「アステラ!」

 すぐにルディが二階から走って下りて来た。

「セイ、これにはわけがあるんだ。彼女は」

だまっていてくれ、ルディ」

 しかし、シリウスは手で厳しく制する。

「ルディさん」

 助けを求め、黒いたんぱつせいどうまなしをやるアステラ。しかし、ルディの表情はなぜかかたかった。床に引かれたすみの黒い線を見やり、再び顔を上げて、アステラを真っぐ見る。

「アステラ、

「え?」

 こおり付くアステラに、シリウスが告げた。

「くじら座の星座陣は禁じられている」

「くじら座?」

 アステラはあわてて床を見下ろす。オリオン座から、おうし座を越えて、そのとなり。そこはもう、秋の夜空だ。彼女が立っているのは、確かに、くじら座の領域だった。

「あ……、わた、」

「話を聞く。いつしよに来い」

 シリウスはルディにかんとくを続けるよう言いつけると、問答無用でアステラの手を引き、試験会場から連れ出した。




「昨日ぶりだな。……いや、以前にも会ったか。こいぬ区の地下鉱山で」

「うっ」

(やっぱりばれてる)

 人けのないろう。シリウスは立ち止まると、アステラの手をはなし、言った。

「さて、何から言い訳する? 星なしの分際で天都へしんにゆうしたことか? 神聖なる試験をけがしたこと? 禁じられたくじら座の星座陣を引いたことか?」

 何もかも、言いのがれできなかった。アステラの身体からだが、がたがた震え始める。

「お前はいったい何者だ? 夜のくじらの関係者か?」

「ちが……」

ちがわないかもしれない)

 そう思ってしまって、アステラの言葉はかすれてれる。

 ──反乱分子を一家みなごろしにして無理やりちんあつした、としか、思えないんだよねえ。

 ルディの言ったことを思い出したとき、背中を冷たいものが駆け上がった。

(一家皆殺し?)

 もし、アステラがメンカルのむすめなら……。てんていはその存在を許さないのではないか? 今ここでシリウスにらえられれば、五年前に次々と死んでいったケートス家の人々のように、アステラもまた、消されてしまうのではないか?

 、で。

(ロキさん)

「お前は何者だ」

 シリウスにめ寄られ、アステラはきようで目を見開いた。

(ロキさん)

 こんいろひとみが、いつしゆん、赤い光を放つ。

(……ロキさん!)



「アステラ!」



 そのとき、声がした。一番聞きたかった声。見たかった姿。

 アステラは振り返る。走って来たのか、かたで息をしながら、背の高い青年がそこに立っていた。やわらかそうなきんぱつい黄色の瞳、左手には大きないれずみ。けれど……、

「兄さま!」

 ロキの声にこたえたのは、アステラではなく、シリウスの方だった。








続きは本編でお楽しみください。

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天球の星使い きみの祈りを守る歌/天川栄人 角川ビーンズ文庫 @beans

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