Ⅳ・メンカル研の研究室《ラボ》日誌_2
翌朝。
「やあ、アステラ。よく
アステラは目をこすりつつ、首を
ルディは朝食の後、プレアデスの姉妹に用を命じて追い
「つまり君は星なしってこと?」
「はい。
「なんてことだ。悲劇だよ。あれだけの才能見せられて、
ルディは大げさに
「とにかく、私には十一歳以前の
「夜の鯨の
「ええ」
ルディは難しい顔で
「その話を聞く限り、君は夜の鯨の
アステラは
「考えてみれば、教授から家族の話を聞いたことはなかったな。君に危害が及ぶことを恐れて隠していたのかもしれないが……確かなことは分からない。すまないね」
「いえ、そんなこと」
ルディは例の手紙を何度も開いたり閉じたりした。けれどそれ以上思い当たることはなかったらしく、手紙を折りたたんで胸ポケットに
そして不意にぐったりとソファの背に
「それにしても、天下のプロキオンが地下鉱山で便利屋とは。宝の持ち
「ロキさんって、そんなに
便利屋といっても、
信じていない様子のアステラを見やり、ルディは何かを思いついて
「そうだ、いいものを見せてあげよう」
そして部屋の隅の大きな
「メンカル研究室の
ルディはその日誌をアステラに
「教授と
日誌を広げれば、そこには確かに三つの
「私と、ぼうえんきょう座のテレコ、そして、ロキだ」
アステラは日誌に目を落とす。
十二月十日、記録者プロキオン
【活動記録】
引き続き、星輝石の
【通信
今年のふたご座流星群は月が明るくて条件が悪いらしい。仕方ないから研究室で夜通し酒盛りでもするか?
──僕はアルヘナ研の観測会に交ぜてもらう予定です。飲みはまたの機会に。 テレコ
──ロキ、君は下戸だろ? ルディ
──そもそも君たちは未成年です。 メンカル
二月二十三日、記録者アルデバラン
【活動記録】
こんなにいい天気の日に研究なんてごめんだね。それよりみんな外に出ようよ! 本の山の中に引きこもってると、テレコみたいにカビが生えちゃうよ。
【通信欄】
そろそろ入試だね。今年もまた新入生の女の子たちの
──知りません。それと、カビは生えていません。 テレコ
──同じく、知りません。見つかるといいですね。 メンカル
──ベガ本人が取り返しに来たぞ。お前にやった覚えはないってよ。 ロキ
──嘘だ。愛を
──ベガにはアルタイルっていう
五月二十六日、記録者アルファ・テレスコピウム
【活動記録】
新月なので張り切って観測の予定でしたが、星像の
【通信欄】
メンカル教授から、僕以外の二人はちゃんと研究しているのか、とのご質問がありました。僕の方は
──ぐうの音も出ません。反省します。 ロキ
──右に同じ。 ルディ
──研究者としての自覚を持ってほしいものですね。ところで、ちょっと実家の方がばたついているので、もしかしたら長めの里帰りをしなければならないかもしれません。また
アステラは夢中で日誌をめくった。アステラの知らない、星の子ロキの姿。生意気な口調。態度は悪いが、どうやら才能はあるらしい。
「楽しそうですね。あはは、研究室で猫飼ってもいいか、だって」
「テレコが動物
ルディはアステラの
「皆さん、何の研究を?」
「ばらばらさ。仲間はずれが集まったような研究室なんだ。テレコは星魔法に興味なし、根っからの観測屋だから、望遠鏡を自由に使えればそれでよかった。私は星座
「はあ……」
アステラが思った以上に、学院の研究は
「そしてロキは、
(星なしでも……)
アステラの胸がじわりと温かくなる。ルディは短く笑った。
「最初に会ったときには最高に
(今でもちゃらちゃらして仕事は遊び半分だけど)
アステラが苦笑いしそうになったとき、ルディの顔が変わった。
「……それなのに、才能では
「ルディさんでも?」
おうし座のアルデバランの
「かなわないさ。私は一等星とはいえ明るさは十四位。順位
「そう、なんですか」
どうも
「その上あの顔だろう、モテまくってたよ。セイほどじゃないがね」
ざわりと、胸に不快な感覚がよぎった。アステラがその意味を
「気になるの、アステラ?」
「いや、別に、そんなことは」
ルディに問われ、アステラは顔をそむけた。でも、当然と言えば当然だ。ロキは確かに
(そりゃ、モテるよね。
苦虫を
「心配しなくても
「
「そして
「壁と向き合ってる方がましです」
「アステラ、私の
「ともかく、最初のころロキはそんな感じで、
ルディは
「教授の
アステラはよく分からないもやもやをいったん心の奥に追いやって、
「メンカル教授って、どんな人だったんですか?」
「教授は……
アステラは想像する。メンカル教授の優しい赤い瞳、白髪の交じった
「教授はね、おそらく学院設立以来初めての、星なしの研究家だった」
「星なしの、研究?」
さすがのアステラでも、そんな研究があるとは思わなかった。
「ああ。もっとも、本来は
「星なしのために……」
ロキがメンカル教授に影響を受けたと言ったのが、理解できる気がした。やっぱり、メンカル教授は星なしと同じ視線で世界を見ていたのだ。
「
「星なしとして、
(でも、たぶん、それは難しい)
言わなくても分かるよ、と、ルディの顔にはそう書いてあった。
「もちろん誰にも相手にされなかったさ。星の光を使えないから星なしなんだ。あ、これ、君たちを馬鹿にしてるわけじゃないよ」
「分かってます、大丈夫」
「それでも教授は、星なしを便利な道具くらいにしか考えない今の
ルディは
「星の子と星なしとの格差
アステラは笑えなかった。星の原の不自由や不公平を正すために苦心していたメンカル。それが本当だとしたら、彼の行動が
「本当に優しい人だった。だから目をつけられたんだな。研究費を減らされ、論文を
ルディの言葉が
「アステラ、これだけは覚えておくんだ」
それは教え子に
「天に絶対はない」
六月三日、記録者プロキオン
【活動記録】
【通信
どうして教授が出勤停止にならないといけないんだ。こんなのおかしいだろ、納得できない。誰か
──天帝の方でからす便を差し止めているようですね。
六月九日、記録者プロキオン
【活動記録】
【通信欄】
教授はくじら区に帰ったのか? ケートス家の
七月十九日、記録者アルデバラン
【活動記録】
【通信欄】
ロキ、教授会に論文を提出するって本気なのかい? 確かに単位は
──ロキの論文は受理されました。あれだけ遊んでいたくせに、たかだか一か月やそこらであれだけの研究を仕上げられるって、化け物ですよ。ともかくロキはこれで正式に星導士ということになりますね。僕も話が聞きたい。研究室に来てください。 テレコ
「これ、どういう……」
その年の初夏辺りから
「ロキは信じられない速度で論文を書き上げ、予定より一年と半期切り上げて学院を卒業したんだ。正規の星導士になるためにね」
「だって、どうして?」
「自由に動きたかったのさ。ここに
七月二十日、記録者プロキオン
【活動記録】
【通信欄】
くじら区に向かう。
「日誌はこれで終わり」
ルディはアステラの手の上で、ぱたんとノートを閉じた。
「このころ、ケートス家の関係者が次々
そして最終的にどうなったか?
「ケートス家
不幸な事故。その言葉の
「メンカル教授はどうなったんです?」
「ケートス家は全員死亡。星府の発表はそれだけさ。教授の消息は途絶え……教授室から研究成果は
「ロキさんは?」
「彼は教授の後を追ったきり、学院には二度と帰って来なかったよ。その先のことは、君の方がよく知っているんじゃない?」
アステラはロキの星輝石を胸の前でそっと
ルディは長い
「アステラ、君が何者なのかは分からない。教授の
「ええ」
「ただ、あの日、
赤く燃える
「私も君を守るよ。夜の鯨の
「ありがとうございます」
アステラは心からの感謝を述べた。不安と混乱とで頭はぐちゃぐちゃだけれど、その言葉だけで、どれだけ心強いか。
ルディは
「それにしても、ロキの
午後、二次試験。
もう試験を受ける必要はないのだが、一次試験首席通過の注目株が欠席するわけにもいかない。下手に動けば
今のところ、できることは何もない。でも、こんなことをしている場合なのだろうか。
(ロキさんに会いたい)
ただ、その
(会いたい)
天都に来たときは、とにかく不安だったから。いつものように皮肉を
(何があったの? 何を考えてるの? どうして隠してたの?)
彼の過去を知れば知るほど、疑問は増えていく。
(会いたい)
「時間ですね。二次試験を始めます! 受験生はついて来てください」
試験官がやって来て、
そこは丸い部屋だった。
「シリウスさまは今日もいらっしゃらないわね」
「お
ひそひそと話す受験生たち。確かに、二階の窓に
(よかった。フードを
「
そこで、受験生たちに長い棒が
「その棒で、床の星図の上に星座
試験官はそう言うが、同時に競う受験生は十人。
(結局、早い者勝ちってことになるよね)
アステラは棒を握りしめ、深呼吸した。
「では、はじめ!」
試験官の言葉を聞くや、案の定受験生たちは我先にと床に線を引き始める。
有名な星座はすぐに他の人に取られた。オリオン座、こいぬ座、おおいぬ座……。冬の星座はどんどん
「えっと、じゃあ、おうし座……!」
アステラは
「
「ご、ごめんなさい!」
立ち上がったころには、冬の星座はほぼ埋め
(落ち着いて、落ち着いて……)
アステラはゆっくり息をしながら、周りを見回す。オリオン座からおうし座を通り
「ここには……」
アステラがそこに立ち、棒を床に立てると、なぜか上の窓からざわざわと
(星を、繋がなきゃ)
フードが外れるのも気づかず、アステラはほとんど無意識に、棒を動かした。
彼女はまず、おうしの前足の下あたりの星を結んで小さな丸を描いた。それから、その
「あれ?」
アステラはそこでふと手を止め、
「……星がない」
丸と雫形を繋がなきゃいけないのに。二つの間に、星が足りない。
「その者、直れ!」
そのとき、
(あれ、私、何してたんだろう……?)
受験生たちが動きを止める。
「シリウスさま!」
頭が冷えるにつれ、アステラは自分がどんなに
「アステラ!」
すぐにルディが二階から走って下りて来た。
「セイ、これにはわけがあるんだ。彼女は」
「
しかし、シリウスは手で厳しく制する。
「ルディさん」
助けを求め、黒い
「アステラ、その星座陣は教えてない」
「え?」
「くじら座の星座陣は禁じられている」
「くじら座?」
アステラは
「あ……、わた、」
「話を聞く。
シリウスはルディに
「昨日ぶりだな。……いや、以前にも会ったか。こいぬ区の地下鉱山で」
「うっ」
(やっぱりばれてる)
人けのない
「さて、何から言い訳する? 星なしの分際で天都へ
何もかも、言い
「お前はいったい何者だ? 夜の
「ちが……」
(
そう思ってしまって、アステラの言葉はかすれて
──反乱分子を一家
ルディの言ったことを思い出したとき、背中を冷たいものが駆け上がった。
(一家皆殺し?)
もし、アステラがメンカルの
不幸な事故、で。
(ロキさん)
「お前は何者だ」
シリウスに
(ロキさん)
(……ロキさん!)
「アステラ!」
そのとき、声がした。一番聞きたかった声。見たかった姿。
アステラは振り返る。走って来たのか、
「兄さま!」
ロキの声に
続きは本編でお楽しみください。
天球の星使い きみの祈りを守る歌/天川栄人 角川ビーンズ文庫 @beans
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