Ⅳ・メンカル研の研究室《ラボ》日誌_1
Ⅳ・メンカル研の
「くじら座にはね、不思議な星があるんだよ。その星がね、私の希望なんだ」
いつの間にか日も
(いったいどういうことなんだろう)
夜の
(なんだか、導かれてる気がする)
アステラの船を進めるために、夜の鯨が海流を用意してくれているみたいだ。
結論を急ぐにはまだ早い。アステラは散歩しながらもう少し考えることにした。幸い夜の空気はひんやりとして、考え事をするにはちょうどよさそうだ。
(それにしても、本当に綺麗なところ)
建物はどれも白い石で造られており、どの部屋も夜間は光が
「……っとと」
気づけばずいぶん遠くまで来てしまったようだ。講義や研究のための
(何あれ?)
アステラは目をすがめつつ、歩を進める。
「そこで何をしている?」
後ろから声がかかった。アステラは
銀糸のような
「シリウス……さん」
相変わらず絶世の
「
青年はつかつかと
「君は受験生か? 名を名乗れ」
「あ、えっと、
アステラは言い訳しようとして、わたわた手を振った。と、その
「あ、わわわわ!」
「わ!」
そして二人はもつれながら噴水に向かって
ばっしゃあああああん!
直後、冷たい水しぶきが月光を浴びて
アステラの法則一、液体は必ず
「あ、え!? わっ、ごめんなさい!」
アステラは頭からつま先までびしょ
「だ、
「何一つ大丈夫じゃない」
彼は水の中に座り込んだまま、こちらを見上げた。濡れた
「うっ」
(
口元を押さえるアステラの前で、シリウスはゆっくり立ち上がろうとした。しかし、
びりっ。
「あ」
嫌な音がして見やれば、アステラが彼の上着を
「ご、ごめんなさい!」
シリウスはもはや返事もしない。
(お、
アステラはフードの下で青ざめ、
「あの、
青年の無言がアステラの
ぽつり。
案の定、
(やっぱりついてない……!)
顔を引きつらせるアステラの前で、シリウスは大きくため息をついた。無理やり落ち着こうとしているように見えた。今度こそ殺される、と、アステラがきゅっと目を閉じたとき、
「あそこに
「え?」
予想外の
「濡れたままでは
「え、ちょっと」
案外押しの強いシリウスに連れられ、アステラは東屋へ向かった。
シリウスは右手の人差し指を立てた。その先に、青い光が
「
「ろ座の星座
ろ座は晩秋から初冬、南の空低くに見える星座だ。化学実験に使う
「ありがとうございます」
空中に描かれた星座陣から、温かな光が漏れだした。ぱちぱちと火のはぜる音。東屋全体が
アステラがうっとりとその光に見とれていると、シリウスは長い
「コートを
「あ、いや、あの」
アステラはしどろもどろになる。今フードを取って顔を見られれば、地下鉱山で出会った少女だとすぐにばれてしまうだろう。そうなればただではすまない。
(のんびり温まっている場合じゃなかった!)
「私は、あの、これで大丈夫ですから」
「しかし、身体が冷えてしまう。ほら、フードを取って」
アステラは頭を高速回転させる。こういうとき、どうすれば……。そこで彼女は、一次試験のときにシリウスを
「あ、あの」
「なんだ」
「私、その……」
「何なんだ、はっきり言え」
アステラは腹をくくり、
「私、あなたさまをお
前ぶれもなく
「だからその、顔を見られると
「……そ、そうなのか」
早口でその場しのぎの言い訳を重ねるアステラ。シリウスは
「いや、僕はその、女性の
耳の先が赤くなっているのは星座陣の熱のせいだろうか? 彼は平静を装うように、
「その、失礼した。そのままで構わない」
二人の間に、いたたまれない
「じゃあ、せめてもっとこっちに。火に当たるといい」
「ありがとうございます」
(意外と
地下鉱山での星なしへの振る
アステラは左手でフードを引き下げたまま、右手を突き出した。
「あの、上着貸してください。
「構わない。新しいのを買う」
「これだからお金持ちはっ!」
「まだ使えますよ、
そして無理やり上着を
「……君、受験生なんだよな?」
「ええ。ちょっと道に迷ってしまって」
アステラは東屋から噴水の向こう側を見やった。
「あの真っ黒いのが、
試験会場で受付の女性が言っていた。星の子の親星を判別できるのは天象儀だけ。天象儀の問答で親星が分かれば、以降はその星の名で呼ばれるようになる……とか。
「そうだ。試験を勝ち進めば、君もやがてここに来る」
(勝ち進む気はないんだけど……)
アステラの目的はあくまで
(……あれ、これってもしかして、絶好の機会なんじゃ?)
星輝石を取り上げていった張本人が目の前にいるのだ。危ないと言えば危ないけれど、これを
(どうにかして聞き出さなきゃ。星輝石の在り
決意するアステラをよそに、青年は天象儀の話を続ける。
「天象儀はその者が星導士になるに足る人物かどうかを
「わわっ!」
星座陣に近づけすぎて上着が熱くなっていた。アステラは乾いた上着をぱんぱんと
「星導士になるに足る人物って、どんな人ですか?」
シリウスは
「星導士は……星の光をもって
そこでアステラの
「それってどういう意味ですか?」
「そのままだ。天は絶対で、星々の
青年は
アステラは
──
「星輝石に関しても、星導士がきちんと管理しなければ。配給は中央星府が
くじら区のことを言っていることはなんとなく分かった。星府が
「でも、どの区もいつでも豊かってわけじゃないでしょう? 冬の宮は
シリウスは強い青の
(お、
ひやりとするアステラに、彼はけれど落ち着いた表情のまま、こう口を開いた。
「我々星の子は親星に選ばれ、その力を地に
「え、ええ」
「だが、わざわざ地下の星輝石を
シリウスが右手を握り、また開く。いとも簡単に、その手のひらの上にシリウス石──
「身体の中の光を取り出すことができるんだ」
それは星に愛された者の特権。アステラには夢に見ることすら許されない。
「考えてみろ。星の子の数はたかだか数千。我々の分だけなら、自分たちの身体から生み出す星輝石でまかなえる。
(あ……考えたこと、なかった)
確かに、星なしのことをそんなにも見下すのなら、
「どうして、ですか?」
「立場を分からせるためだ」
(ああ)
星輝石が空から降らず、地面から湧いてくるのはどうしてなんだろうと、ずっと思っていた。でも今分かった気がする。星なしは
「星なしは星の光を持たない。我々が彼らに、分け与えてやってるんだ。そのところを
針を動かす手が止まった。星の子がこんな風に星なしを見下している限り、天帝が
「
シリウスは
「夜の
アステラは
「天は絶対だ。反乱を許してはならない」
青年はじっと、どこかを見つめていた。自分への
「どんなに小さい芽でも、必ず
地下鉱山でも、彼はそんなことを言っていた。アステラは一歩
「でも……、夜の鯨はずっと
「天帝はここ最近お
「だが、僕が
シリウスは自信ありげに胸を張った。
「試験
楽しむような口ぶりに、アステラは唇を
「もうずいぶん取り上げたんですか?」
「ああ。
「その星輝石は……どこに?」
さすがに不自然だったろうか。シリウスに
「単なる
「たとえ星の子であっても教えられないな。秘密の場所に
「秘密の場所、ですか」
「ああ。兄さまと僕しか知らない」
(簡単に教えてくれるわけ、ないか。でも、なんとかして聞き出さなきゃ)
この
(夜の鯨の、正体……)
ルディとの会話で、ある危険な仮定を心に
「あの……夜の鯨は、くじら区の生き残りだって、本当でしょうか?」
「思った以上に
シリウスは困ったように言った。
「メンカル・ケートスが生存しているという確証はない」
歯切れが悪い。余計なことを口走ってしまったと、その顔は
「少なくともくじら区の鉱山は死んでいる。あるのは黒い石ころばかりで……もちろんメンカル石は育っていない。だからメンカルが生きているとは思えない」
「でも夜の鯨は」
「だから、
シリウスは強い語調で
「
声が次第に冷えていく。氷のような青い目に力を込めて、
「それは天帝への明確な反逆だ。必ず
(天帝の
だとすれば。アステラは彼の上着をぎゅっと
「メンカルには」
そして問いかける。上ずる声で。
「メンカルには、
とたん、シリウスは顔つきを変えた。
「何だと?」
行き過ぎたらしい。彼はアステラの方へ身を乗り出した。
「君……どこかで……」
と、そのとき。
「やだなあ、アステラ。散歩だなんて言って、
「ルディさん!」
短い
「あんまり
ルディは歯の
「おや、君かい!
ルディもシリウスも一等星の子。アステラは星導士のトップ二人に
「ルディ、知り合いなのか?」
「まあちょっとね」
ルディは傘をたたみ、東屋に入ってきた。
「君も一次試験を見てたらきっとびっくりしただろうよ。この子はなんと一位通過だ」
「君が?」
シリウスの見る目が変わったような気がした。
「いや、まぐれですよ、まぐれ」
アステラは言葉を
「いやあ、
「急きょ来客があったんだ……結局来なかったが」
「あははっ、すっぽかされたのかい!
「君にセイと呼ばれる筋合いはない!」
「よしよし、
「こいぬじゃない、おおいぬだ!」
(この人、こっちの方が素なのかもしれない)
星なしの前では
ルディは彼をからかうのがよほど
「星府の仕事に熱心なのは結構だが、試験の方にも気を配ってくれよ。将来共に学院を支えていくような才能ある子が、受験生の中にいるかもしれないんだぞ? 気にならないのか?」
「別に」
「セイ、次期
「ふん。半分は年寄りで、四分の一は無能だ」
シリウスは
「おや、私は残りの四分の一に入っているのかな?」
「その女好きが治れば認めてやってもいい!」
シリウスは噛みつくように
「
「え?」
「縫えたのか?」
「あ、ええ、はい」
アステラが
「セイ、帰るのかい? せっかくだしもっとお話ししようよ」
「断る。彼女も受験生なら、今日は早く休ませるべきだろう」
シリウスはその
「二次試験は明日の午後からだな」
「え、ええ」
そして少し
「……せいぜい
(
「ありがとうございます」
やっぱり
(
アステラはますますシリウスのことがよく分からなくなった。
ルディと言えば、なぜだかにやにやしている。何がそんなにおかしいのか。
「アステラ、君も
「え、三人って?」
アステラは
「私とシリウス、それと、」
そして三本目を立てると、
「ロキ、だろ?」
そう、言った。
「……え?」
「正式な名で呼んだほうがいいかな? こいぬ座の一等星、プロキオン」
アステラの息が、止まった。
(ええええええっ!?)
「ちょ、ちょっと待ってください、プロキオンって、あのプロキオン?」
冬の大三角の
「君の持ってる石はね、
確かに、プロキオン石は黄色い水晶型を成す。とはいえ水晶型はありふれているし、黄色い星も多いから、深く考えたこともなかった。
(だってまさか、あのロキさんが、一等星の子なんて思わなかったから……!)
ロキはアステラに親星の名を教えてくれなかったけれど、それは名前もないような暗い星だからなんだって、思っていた。
「ロキさんは何も……」
アステラは言いかけて、そこで、顔を上げる。
「ルディさん、知り合いなんですか?」
ロキは元
ルディはにっこり笑って、答えた。
「私とロキとはここで同期だったんだ。研究室が同じでね。どういうことか分かるかい?」
「同じ研究室って……まさか」
「そう。彼もまた、メンカル教授の教え子だよ」
アステラは先ほどの話を思い出す。メンカル・ケートス。天帝に歯向かって殺された、かもしれない人。でも、もしかしたら生き延びて、そして……、
(学院にやって来た私の保護を、元教え子であるルディさんに
じゃあ、それまでのことは? 地下鉱山で自分の保護を任されていたのは
(夜の
それは彼もまた、メンカル教授の教え子だったから……?
ルディは
「確信したよ、アステラ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます