Ⅳ・メンカル研の研究室《ラボ》日誌_1


Ⅳ・メンカル研の研究室ラボ日誌



「くじら座にはね、不思議な星があるんだよ。その星がね、私の希望なんだ」




 いつの間にか日もしずみ、夜のやみが天都を包んでいた。ルディの部屋から出たアステラは、あてもなく学院の構内を歩きながら、考える。

(いったいどういうことなんだろう)

 夜のくじらが、アステラを学院に送り込んだこと。ルディにアステラの世話を頼んだこと。ルディがほろびたくじら区の区長メンカル・ケートスの教え子だったこと。

(なんだか、導かれてる気がする)

 アステラの船を進めるために、夜の鯨が海流を用意してくれているみたいだ。

 結論を急ぐにはまだ早い。アステラは散歩しながらもう少し考えることにした。幸い夜の空気はひんやりとして、考え事をするにはちょうどよさそうだ。

(それにしても、本当に綺麗なところ)

 建物はどれも白い石で造られており、どの部屋も夜間は光がれないようにカーテンを引いてある。屋上にはところどころ観測用のドームも見えた。外灯がないので暗いが、今の時間は月明かりだけで十分歩ける。

「……っとと」

 気づけばずいぶん遠くまで来てしまったようだ。講義や研究のためのとうが立ち並ぶ区域をけ、がらんとした広場に出る。月光に照らされて、いしだたみの複雑ながく模様が、かび上がるようにかがやいた。広場の中央には大きなふんすい。そしてその奥に、何か黒い大きな半球が見える。

(何あれ?)

 アステラは目をすがめつつ、歩を進める。なぞの半球は小屋ほどの大きさで、中は見えなかった。月面のように白く輝く街で、ぬらりとしたその黒い半球だけがきようれつかんを放っている。こうしんき動かされ、アステラが噴水の前を通り過ぎようとした、そのとき。

「そこで何をしている?」

 後ろから声がかかった。アステラはり返り……飛び上がる。

 銀糸のようなかみき通ったはだ、ややり上がった青い目。

「シリウス……さん」

 相変わらず絶世のぼうだ。だが、アステラはできれば今その顔を見たくなかった。

てんしようの周辺は立ち入り禁止だ」

 青年はつかつかとかわぐつを打ち鳴らし、こちらに近寄って来た。アステラはルディに借りたコートのフードをぶかにかぶり、顔をかくす。暗くて助かった。顔を見られるわけにはいかない。

「君は受験生か? 名を名乗れ」

「あ、えっと、ちがうんです、私」

 アステラは言い訳しようとして、わたわた手を振った。と、そのひように足がふらつき、

「あ、わわわわ!」

 いやな予感を覚えるより先に、アステラは、あろうことかシリウスの方によろめいた。

「わ!」

 そして二人はもつれながら噴水に向かってたおれ込み、

 ばっしゃあああああん!

 直後、冷たい水しぶきが月光を浴びてきらめいた。

 アステラの法則一、液体は必ずこぼれる。あるいは、こちらが中に落ちる。

「あ、え!? わっ、ごめんなさい!」

 アステラは頭からつま先までびしょれになって立ち上がる。

「だ、だいじようですか?」

「何一つ大丈夫じゃない」

 彼は水の中に座り込んだまま、こちらを見上げた。濡れたまえがみななめにかかり、白い肌の上に銀色に輝くしずくしたたらせている。

「うっ」

れいすぎる。直視できない)

 口元を押さえるアステラの前で、シリウスはゆっくり立ち上がろうとした。しかし、

 びりっ。

「あ」

 嫌な音がして見やれば、アステラが彼の上着をんづけていたらしい。せいどうあかし、銀色のたまぶちが入ったすそが、わきに入ったスリットに沿って大きく破けてしまっていた。

「ご、ごめんなさい!」

 シリウスはもはや返事もしない。

(お、おこってる……!)

 アステラはフードの下で青ざめ、こわれたおもちゃみたいに何度も何度も頭を下げた。

「あの、べんしよう、たぶんできないけど……、本当にごめんなさい。許してください」

 青年の無言がアステラのろうばいを加速させる。アステラは知っていた。不運は不運を呼ぶ。こういう場合、災難がこれだけで終わるわけがなかった。

 ぽつり。

 案の定、はかったかのように、おおつぶの雨が降って来た。アステラの法則一、降ればしやり。元々ずぶ濡れの二人の上に、ダメ押しのようなもうれつな雨が降りかかる。

(やっぱりついてない……!)

 顔を引きつらせるアステラの前で、シリウスは大きくため息をついた。無理やり落ち着こうとしているように見えた。今度こそ殺される、と、アステラがきゅっと目を閉じたとき、

「あそこにあずまがある。とりあえず雨宿りしよう」

「え?」

 予想外の台詞せりふに、アステラはほうける。シリウスはを言わせず、少女の冷えた手を取った。

「濡れたままではをひく。来い」

「え、ちょっと」

 案外押しの強いシリウスに連れられ、アステラは東屋へ向かった。




 シリウスは右手の人差し指を立てた。その先に、青い光がともる。彼は空中にその光を押し付けるように、一つ、二つ、三つ、四つと星を打ち、いなずまのような模様をえがいた。

ほしほう!」

「ろ座の星座じんだ。少しは温まるだろう」

 ろ座は晩秋から初冬、南の空低くに見える星座だ。化学実験に使うを表しているが、明るい星がなく、目立たない。ただ、星魔法としては役に立つ。

「ありがとうございます」

 空中に描かれた星座陣から、温かな光が漏れだした。ぱちぱちと火のはぜる音。東屋全体がやわらかい熱で包まれ、しんから冷え切った身体からだのこわばりをほどいてゆく。

 アステラがうっとりとその光に見とれていると、シリウスは長いぎんぱつをかき上げてたずねた。

「コートをがないのか?」

「あ、いや、あの」

 アステラはしどろもどろになる。今フードを取って顔を見られれば、地下鉱山で出会った少女だとすぐにばれてしまうだろう。そうなればただではすまない。

(のんびり温まっている場合じゃなかった!)

「私は、あの、これで大丈夫ですから」

「しかし、身体が冷えてしまう。ほら、フードを取って」

 アステラは頭を高速回転させる。こういうとき、どうすれば……。そこで彼女は、一次試験のときにシリウスをしようさんしていた受験生たちの姿を思い出した。

「あ、あの」

「なんだ」

「私、その……」

「何なんだ、はっきり言え」

 アステラは腹をくくり、りようこぶしにぎりしめると、勢い込んで言い放った。

「私、あなたさまをおしたいしているんです!」

 前ぶれもなくとつぜんとんでもないことを告白され、シリウスはいつしゆん固まった。

「だからその、顔を見られるとずかしいので。ごようしやくださいませ」

「……そ、そうなのか」

 早口でその場しのぎの言い訳を重ねるアステラ。シリウスはめずらしくまごつき、さっと目をそらすと、ぶつぶつ言い始めた。

「いや、僕はその、女性のあつかいには慣れていないから……、」

 耳の先が赤くなっているのは星座陣の熱のせいだろうか? 彼は平静を装うように、

「その、失礼した。そのままで構わない」

 二人の間に、いたたまれないせいじやくが降りた。一方はばつが悪そうな顔でせわしなくまばたきをり返しており……、もう一方は、しかし、危機を乗り切れたあんでいっぱいで、自分が何を口走ったのかなんて深く考えてもいなかった。

「じゃあ、せめてもっとこっちに。火に当たるといい」

「ありがとうございます」

(意外とやさしいんだ)

 地下鉱山での星なしへの振るいとは印象が全然違う。アステラはおどろきつつ、なおに従った。そういえば、ふんすいっ込んだことも、上着を破ったことも、責めたりなじったりする様子はない。ごうまんそんな態度とづかいが不思議に同居していて、なかなかつかめない青年だった。

 アステラは左手でフードを引き下げたまま、右手を突き出した。

「あの、上着貸してください。つくろいます。さいほう道具持ってますから」

「構わない。新しいのを買う」

「これだからお金持ちはっ!」

 びんぼうしようのさがで、アステラは思わず大声を上げた。

「まだ使えますよ、もつたいない。ほら、いいから貸してください」

 そして無理やり上着をうばう。まだ濡れているから、まずはかわかさないと。ろ座の星座陣に向かって上着をかかげるアステラを、青年はみようなものを見る目でながめた。

「……君、受験生なんだよな?」

「ええ。ちょっと道に迷ってしまって」

 アステラは東屋から噴水の向こう側を見やった。

「あの真っ黒いのが、てんしようですか?」

 試験会場で受付の女性が言っていた。星の子の親星を判別できるのは天象儀だけ。天象儀の問答で親星が分かれば、以降はその星の名で呼ばれるようになる……とか。

「そうだ。試験を勝ち進めば、君もやがてここに来る」

(勝ち進む気はないんだけど……)

 アステラの目的はあくまでせんにゆうそうだ。星導士に巻き上げられたせいせきを取りもどすこと。

(……あれ、これってもしかして、絶好の機会なんじゃ?)

 星輝石を取り上げていった張本人が目の前にいるのだ。危ないと言えば危ないけれど、これをのがす手はない。

(どうにかして聞き出さなきゃ。星輝石の在り!)

 決意するアステラをよそに、青年は天象儀の話を続ける。

「天象儀はその者が星導士になるに足る人物かどうかをきわめる。うそやまやかしは通用しない。おじづいて帰ってくる者もいる……ところで君は僕の上着を繕いたいのかがしたいのか?」

「わわっ!」

 星座陣に近づけすぎて上着が熱くなっていた。アステラは乾いた上着をぱんぱんとはらい、ひざせる。ずぶれのかばんから裁縫道具を取り出し、慣れた手つきで針に糸を通しながら、

「星導士になるに足る人物って、どんな人ですか?」

 シリウスはまえかがみになり、両膝の上にひじをついて少し考えた。

「星導士は……星の光をもってたみを導く者だ。星なしは星の声が聞こえないからすぐにちがいを起こす。我々星の子が導かなければ」

 そこでアステラのまゆがぴくりとふるえた。

「それってどういう意味ですか?」

「そのままだ。天は絶対で、星々のちつじよは正しく美しくらがない。我々星の子はその神秘の力を行使する権利をあたえられたのであり、星なしにはその資格がない」

 青年はたんたんと答えた。悪意があるようには思えなかった。これが天上世界のはんなのだ。

 アステラはくちびるを引き結び、破れた上着をじながら、ルディの言葉を思い出していた。

 ──おおうそだよ、アステラ。てんていだまされちゃいけない。

「星輝石に関しても、星導士がきちんと管理しなければ。配給は中央星府がいつかつとうぎよするにしたことはない。地方の自治を許すとすぐに不正が起こる……星なしにえいきようされて星府に逆らうなど、なげかわしい」

 くじら区のことを言っていることはなんとなく分かった。星府がみ消したというだけあって、シリウスも名指しこそしなかったが。

「でも、どの区もいつでも豊かってわけじゃないでしょう? 冬の宮はかくてきゆうふくですけど、暗い星しかない区では星輝石もあまり育たないだろうし……そういう区には、配給を上乗せしてあげるべきだと思いません?」

 シリウスは強い青のひとみでこちらを見た。それは冷たすぎて火傷やけどするような光だった。

(お、おこらせたかな)

 ひやりとするアステラに、彼はけれど落ち着いた表情のまま、こう口を開いた。

「我々星の子は親星に選ばれ、その力を地にばいかいするためにつかわされている存在だ。我々が地に足をつけているから、鉱山で星輝石が育つ」

「え、ええ」

「だが、わざわざ地下の星輝石をらなくたって、我々はこうして」

 シリウスが右手を握り、また開く。いとも簡単に、その手のひらの上にシリウス石──ダイヤモンド型の美しいけつしようが現れた。

「身体の中の光を取り出すことができるんだ」

 それは星に愛された者の特権。アステラには夢に見ることすら許されない。

「考えてみろ。星の子の数はたかだか数千。我々の分だけなら、自分たちの身体から生み出す星輝石でまかなえる。きよくたんな話、鉱山でく星輝石は星なしに与えっぱなしでも問題はないわけだ。ではなぜ彼らにさいくつさせ、上納させ、配給するのか?」

(あ……考えたこと、なかった)

 確かに、星なしのことをそんなにも見下すのなら、かかわらなければいい。彼らは星輝石を自給自足できるのだから。それなのに、どうして配給制度にしゆうするのか?

「どうして、ですか?」

「立場を分からせるためだ」

(ああ)

 星輝石が空から降らず、地面から湧いてくるのはどうしてなんだろうと、ずっと思っていた。でも今分かった気がする。星なしはいつくばって星輝石を集めることを運命づけられているのだ。はるか高みから、星の子に見下ろされながら。目を合わせることすら許されないまま。

「星なしは星の光を持たない。我々が彼らに、分け与えてやってるんだ。そのところをかんちがいさせちゃいけない」

 針を動かす手が止まった。星の子がこんな風に星なしを見下している限り、天帝がだいわりしても未来は暗いだろうなと思う。いくら全天で一番明るい星でも。

やみいちだのなんだの……地下の規律は乱れている。秩序を取り戻さなければ」

 シリウスはうでを組み、そう言った。アステラののうに、こいぬ区の地下鉱山での出来事がよみがえる。目的の方向に話を持っていく好機だ。

「夜のくじら……ですよね? 聞いたことあります」

 アステラはおそる恐るたずねてみた。シリウスはうなずく。

「天は絶対だ。反乱を許してはならない」

 青年はじっと、どこかを見つめていた。自分へのかくにんのように、自分で信じ込もうとするように、何度も何度も、合わないしようてんをどこか遠くで結ぼうとして。

「どんなに小さい芽でも、必ずつぶさなければ」

 地下鉱山でも、彼はそんなことを言っていた。アステラは一歩み込む。

「でも……、夜の鯨はずっとびています」

「天帝はここ最近お身体からだが悪いから仕方がないんだ。兄さまが代わりにそうを続けてきたが、兄さまもおいそがしいし、成果は正直はかばかしくない」

 いらちをにじませるシリウス。確かに、地下鉱山での星府の調査はうまくいっているとは言えなかった。

「だが、僕がせいどうになったからには、すぐにらえるさ。この間もこいぬ区で強制捜査をしてきたところだ」

 シリウスは自信ありげに胸を張った。

「試験かんとくのために一時中断したが、終わりだいまた地下に向かおうと思っている。星なしたちは星輝石を取り上げるとおどせばずいぶんこわがるからな」

 楽しむような口ぶりに、アステラは唇をんだ。でも、ここはまんして、あくまで自分の本分を思い出す。そうやって無理やり奪われた星輝石を取り戻すために、ここに来たのだ。

「もうずいぶん取り上げたんですか?」

「ああ。やつら、なかなか口を割らん」

「その星輝石は……どこに?」

 さすがに不自然だったろうか。シリウスにけいかいの視線を寄こされ、アステラは取り繕う。

「単なるこうしんです。別に深い意図は」

「たとえ星の子であっても教えられないな。秘密の場所にかくしてある」

「秘密の場所、ですか」

「ああ。兄さまと僕しか知らない」

(簡単に教えてくれるわけ、ないか。でも、なんとかして聞き出さなきゃ)

 このらいを果たさないと、夜の鯨に会えない。夜の鯨の正体も、自分の身元も分からない。

(夜の鯨の、正体……)

 ルディとの会話で、ある危険な仮定を心にいだいたアステラ。彼女はそのむなさわぎを止めることができなかった。これ以上はきすぎかもしれないけれど。

「あの……夜の鯨は、くじら区の生き残りだって、本当でしょうか?」

「思った以上にうわさが一人歩きしているようだな」

 シリウスは困ったように言った。

「メンカル・ケートスが生存しているという確証はない」

 歯切れが悪い。余計なことを口走ってしまったと、その顔はこうかいしているように見えた。

「少なくともくじら区の鉱山は死んでいる。あるのは黒い石ころばかりで……もちろんメンカル石は育っていない。だからメンカルが生きているとは思えない」

「でも夜の鯨は」

「だから、つかまえなければならないんだ」

 シリウスは強い語調でさえぎった。

ゆうれいでもあるまいし……、どういうことなのかはっきりさせる必要がある。もし万が一本当にメンカル・ケートスが生き延びて、地下で闇市なんぞを仕切っているのだとすれば」

 声が次第に冷えていく。氷のような青い目に力を込めて、

「それは天帝への明確な反逆だ。必ずさがし出して、今度こそき者にしなければ」

(天帝のむすが二人がかりで……天帝もメンカル教授は死んでないって思ってるのね)

 だとすれば。アステラは彼の上着をぎゅっとにぎった。

「メンカルには」

 そして問いかける。上ずる声で。

「メンカルには、むすめがいましたか……?」

 とたん、シリウスは顔つきを変えた。

「何だと?」

 行き過ぎたらしい。彼はアステラの方へ身を乗り出した。あわてる間もなく、フードの下から顔をのぞき込まれる。かげがかかって瞳は見えないはずだが、このきんきよではごまかしきれない!

「君……どこかで……」

 と、そのとき。

「やだなあ、アステラ。散歩だなんて言って、うわは許さないよ」

「ルディさん!」

 短いくろかみに赤い目。すらりとした長身の星導士がかさをさしてあずまにやってきた。

「あんまりおそいからむかえに来てあげたよ。おひめさま」

 ルディは歯のくような台詞せりふの後、アステラのとなりの青年に目をやると、

「おや、君かい! ぐうだね」

 ルディもシリウスも一等星の子。アステラは星導士のトップ二人にはさまれた。本来ぜいたくながめなのだろうが、じようきようが状況だけに身が縮む思いだ。

「ルディ、知り合いなのか?」

「まあちょっとね」

 ルディは傘をたたみ、東屋に入ってきた。

「君も一次試験を見てたらきっとびっくりしただろうよ。この子はなんと一位通過だ」

「君が?」

 シリウスの見る目が変わったような気がした。

「いや、まぐれですよ、まぐれ」

 アステラは言葉をにごすが、ルディはシリウスに向かって力説する。

「いやあ、らしかったよ。目にも留まらぬ速さだったぜ。あれは見ておくべきだったな。どうして監督せず帰っちゃったんだい?」

「急きょ来客があったんだ……結局来なかったが」

「あははっ、すっぽかされたのかい! ない男だな、セイ」

「君にセイと呼ばれる筋合いはない!」

 あいしようで呼ばれ、シリウスは急に大声を出した。しかしルディはどこく風だ。

「よしよし、可愛かわいい子犬だな」

「こいぬじゃない、おおいぬだ!」

(この人、こっちの方が素なのかもしれない)

 星なしの前ではたけだかにふるまっているけれど、星の子相手ならやさしい一面もあるし、時おり年相応の感情のれも見せる。今こんなきんちようかんのないことを思うのも変な話だけれど、アステラは彼になんだか少しだけ親近感を抱いた。

 ルディは彼をからかうのがよほどおもしろいらしく、くつくつ笑いながら、

「星府の仕事に熱心なのは結構だが、試験の方にも気を配ってくれよ。将来共に学院を支えていくような才能ある子が、受験生の中にいるかもしれないんだぞ? 気にならないのか?」

「別に」

「セイ、次期てんていは自分だと高をくくるのはやめておけ。候補は二十一人もいるんだ」

「ふん。半分は年寄りで、四分の一は無能だ」

 シリウスはゆるんだふんをごまかすように鼻を鳴らした。

「おや、私は残りの四分の一に入っているのかな?」

「その女好きが治れば認めてやってもいい!」

 シリウスは噛みつくようにさけぶと、そこで急にアステラの方に声を投げた。

えたか」

「え?」

「縫えたのか?」

「あ、ええ、はい」

 アステラがつくろい終わった上着をわたすと、シリウスはひったくるようにしてそれをつかみ、ふっと息をいて、ろ座の星座じんを吹き消した。

「セイ、帰るのかい? せっかくだしもっとお話ししようよ」

「断る。彼女も受験生なら、今日は早く休ませるべきだろう」

 シリウスはそのれいな顔をアステラに向け、少しおこったような調子のまま、

「二次試験は明日の午後からだな」

「え、ええ」

 そして少し躊躇ためらった後、フードの少女にこう声をかけた。

「……せいぜいがんれ」

えらそうだけど……一応づかってくれたのかな?)

「ありがとうございます」

 やっぱりしんから悪い人とは思えない。青年は上着を羽織ると、足早に雨の中へ去って行った。

あらしみたいな人)

 アステラはますますシリウスのことがよく分からなくなった。

 ルディと言えば、なぜだかにやにやしている。何がそんなにおかしいのか。

「アステラ、君もすみに置けないじゃないか。虫も殺さぬ顔をして、一等星の子を三人も手玉に取るとはねえ」

「え、三人って?」

 アステラはおどろいてたずねる。ルディは指を一本、二本と立てる。

「私とシリウス、それと、」

 そして三本目を立てると、

「ロキ、だろ?」

 そう、言った。

「……え?」

「正式な名で呼んだほうがいいかな? こいぬ座の一等星、プロキオン」

 アステラの息が、止まった。

(ええええええっ!?)

「ちょ、ちょっと待ってください、プロキオンって、あのプロキオン?」

 冬の大三角のいつたんになう、こいぬ座のプロキオン。明るさは全天八位、もちろん一等星だ。

「君の持ってる石はね、ずいしよう型のけつしよう……貴重なプロキオン石だよ。一次試験首席通過の君ともあろう人が、気づかなかったのかい?」

 確かに、プロキオン石は黄色い水晶型を成す。とはいえ水晶型はありふれているし、黄色い星も多いから、深く考えたこともなかった。

(だってまさか、あのロキさんが、一等星の子なんて思わなかったから……!)

 ロキはアステラに親星の名を教えてくれなかったけれど、それは名前もないような暗い星だからなんだって、思っていた。

「ロキさんは何も……」

 アステラは言いかけて、そこで、顔を上げる。

「ルディさん、知り合いなんですか?」

 ロキは元せいどうだと言っていた。アステラに出会う前、彼はここ、天都にいたのだ。

 ルディはにっこり笑って、答えた。

「私とロキとはここで同期だったんだ。研究室が同じでね。どういうことか分かるかい?」

「同じ研究室って……まさか」

「そう。彼もまた、メンカル教授の教え子だよ」

 アステラは先ほどの話を思い出す。メンカル・ケートス。天帝に歯向かって殺された、かもしれない人。でも、もしかしたら生き延びて、そして……、

(学院にやって来た私の保護を、元教え子であるルディさんにたのんだ?)

 じゃあ、それまでのことは? 地下鉱山で自分の保護を任されていたのはだれか?

(夜のくじらがどうして私をロキさんに預けたのか)

 それは彼もまた、メンカル教授の教え子だったから……?

 ルディはむなもとから夜の鯨の手紙を取り出す。いつくしむように、白いふうとうに優しい視線を投げ、

「確信したよ、アステラ。せんせいは生きてるんだね」


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