Ⅱ・夜の鯨の依頼_1


Ⅱ・夜の鯨の依頼



 翌日。鉱員たちの作業着を扱う仕立屋の前で、アステラはほうに暮れていた。

かんしようと思っただけなのに、まさか窓からねこが飛び込んできて、糸という糸をからませちゃうなんて……やっぱりついてない……)

 かくして、やとわれた当日からひまを出されたアステラである。

(六十連敗確定だわ……ああ、ロキさんになんて言われるだろう)

 にやにや笑いながら柱に新しい傷を入れる姿がありありと思い浮かんで、のどの奥に苦い味が広がる。さすがにこのまま家に帰るのは気が引けて、アステラは目的もなく歩き出した。まだ日も高い。散歩でもして時間をつぶそう。

 鉱山の底を歩く。各所でけむりき上げるくつさく機、こうどうから坑道へとつながる鉱山鉄道のこう。トンネルから出て来た貨物車が日の光を受けて、山のように積まれた星輝石の原石がきらきらかがやいている。あの中のほとんどは、名無しの星のさざれ石だ。照明くらいにしか使えない。

 こいぬ座はせまくて、固有名のつくような明るい星も二つしかないが、幸いにどちらの星も星輝石の価値は高い。こいぬ区は面積の割にはうるおっている方だ。明るい星のない星区では、毎月の上納に苦労するところも多いと聞く。

「いくら星の子でも、親星の明るさを変えることはできないもんね……」

 アステラが独り言をこぼした、そのとき。

「!」

 見慣れた鉱山の風景にそぐわないものを目にし、アステラはさっとものかげに身をかくした。

 視線の先に、数人の男の姿があった。えりの詰まった上着はのうこんに銀のたまぶちみがき上げられた革のロングブーツに、ベルトからけんのように下げたつえ

 一目で分かる。このしようぞくは、

せいどう!」

 星導士。星の子の中でも特に強い力を持ち、すぐれたほしほうの技術を認められた者にあたえられるしようごうだ。名目上は星魔法の研究者だが、実質は中央星府の配下……星なしの敵である。

(どうして星導士がこんなところに?)

 天上世界に住まう星の子の中でもエリート中のエリート。その星導士が地下鉱山をうろついているなんて。アステラはこうしんから、そっと耳を澄ます。

「しかしさすがに気の毒じゃないか? 夜の鯨の情報を寄こさなきゃ、手持ちの石をすべて取り上げるなんて……こんなクズ石でも、星なしたちにすりゃ全財産みたいなものだろう」

 アステラは思わず目を見張った。星導士の手には、何かふくろにぎられている。彼がなぐさみに袋をらすたび、チャリチャリと音がした。星なしから取り上げた星輝石だろうか……昨日どぶねずみが言っていたことは、本当だったのだ。

「どうもやることがごういんなんだよな、あの方は」

「まあ、初仕事だからな。しょっぱなから反乱分子をばくすりゃ、はくもつくってとこだろ」

「で、あの方はどこに?」

さつそくそうに出てったぞ」

「うへえ、よくこんなところを歩く気になるよな。地下はきたなくてたまらない……星なしと同じ空気を吸ってると思うだけで嫌になるよ」

 そんなぼうが耳をかすめ、アステラは顔をそむけた。星の子から心ない言葉をかけられることには慣れているけれど。

「ともかく、今晩にもいつせいてきはつをかけるとのお達しだ。もうすぐ学院の入試だから」

「ああ、一等星は入試のかんとくもやるんだっけ」

「そう。明日には準備のために天都に戻るって。だからそれまでにケリをつけたいらしい」

「荒いなあ……急なんだよ、何もかも」

 今晩にも一斉摘発? 聞き捨てならなかった。星府はやみいちの会場をつかんでいるのだろうか。だとしたら、危ない。アステラはつばを飲んだ。

(……知らせなきゃ)

(夜の鯨の役に立ちたい……こんなときに動かなくて、何がむすめよ)

 そう思うや、音もなくけだしたアステラは、

「……まあ、綺麗だから許すけど」

「それだよなあ」

 星導士たちのつぶやきは聞いていなかった。




 暗い坑道を走りけ、闇市会場のほらあなへ。開始時刻が昨日と同じなら、あと数時間もすれば始まるはずだ。配給では決して手に入らないはずのせいせきがずらりと並ぶ現場を見られたら、そつこくたいまぬかれない。すぐにげるよう伝えなくては。

 記憶を頼りに、最短経路で進む。いつもなら何かとじやが入るはずの道のりが、今日はみようえんかつだ。それだけに、なぜだか悪い予感がした。もしかしてもうみんな検挙されてしまっているのでは? あるいは、夜の鯨が中央星府にき出されてしまった後なのでは……?

 不安を胸に、昨日の洞穴へ駆け込んだアステラは、直後、

「……あれ?」

 がらんとした空間に、間の抜けた声をひびかせることになった。

だれもいない……」

 てんしようたちが設営に取りかっているころだと思ったのに。洞穴にはひとかげ一つ見当たらない。

「また直前に闇市の会場がへんこうになったようだな」

「そうなんですか、よかった……って、え!?」

 とつぜん後ろから話しかけられ、アステラは風のようにり返る。坑道の暗がりから現れたのは、

「きっ」

「き?」

(き、き、れいな人……!)

 ちがいなしようさんの言葉を口にしかけてしまうほど、それはそれは美しい青年だった。銀糸のような長めのかみり上がった目、き通る白いはだ。人間ばなれしたぼうながら、なぜか親しみがくのは……、彼がまだ二十歳そこそこのねんれいに見えるためだろうか? とはいえ、落ち着きはらったものごしに幼さはなく、こうげき的な印象もある。

(いや、それよりも)

 あまりの美貌に動転して気づかなかったが、よく見れば彼のひとみの色は強い強い青。そして彼がまとっているのはよごれ一つないぎんぶちの制服だった。

(星の子……星導士)

 はくせきの青年は細身の身体からだをくったり曲げて、あせるアステラを見下ろした。

「ここで何をしていた?」

「さ……散歩、です」

うそをつけ。お前は闇市の関係者か?」

ちがいます」

 アステラが首を振ると、背中で長い髪が頼りなく揺れる。青年はしかし、意にかいさず、

「答えろ。夜のくじらはどこにいる?」

 高圧的に、そうたずねた。

 アステラは思い出す。昨日、溝鼠が言っていたこと。

 ──夜の鯨の居場所をかなきゃ、手持ちの星輝石をぼつしゆうされる……。

「し、知りません!」

 彼女はかばんをぎゅっと胸にき、首から下がっているペンダントを隠した。ロキにもらった大事な黄色い星輝石……これだけは絶対にわたせない。

「星輝石を取り上げたってですよ。夜の鯨の正体は誰にも分からないんです」

「その答えは聞ききた」

 青年はうんざりしたようにかたをすくめた。がらなアステラは彼の影にすっかりおおい隠されている。おびえる小動物のように身体をふるわせ、それでも従う様子のない星なしの少女に、

「やり方を変えよう」

 青い瞳をした青年はそんなことを言い、おもむろに右手を握って突き出した。アステラは半歩後ずさる。青年はにやりと笑い、手のひらを上向きに開いて見せた。……そこには、

「星輝石!」

 ごく小さな、しかし美しく透き通ったけつしようが、きようれつな光を放ちながらひしめき合っていた。つぶながら、あつとう的なかがやきととうめい度。すさまじく明るい星の星輝石だとすぐに分かる。

(もしかして、ダイヤモンド型!?)

 アステラはその星輝石にくぎけになる。もっと近くで見たくて身を乗り出したしゆんかん……、

「あっ!」

 青年はゆうぜんと、星輝石のった右の手のひらを返してみせた。み渡る透明の結晶が、ぱらぱらと地面にこぼれ落ちる。

「夜の鯨の居場所を吐けば、お前にやろう。本人を知らないならちゆうかい業の者でもかまわない。知っていることを教えるんだ」

 アステラはごくりとのどを鳴らし、地面を見つめた。そこに散らばる結晶は、見れば見るほどダイヤモンド型に似ている。ずっと探していたもの。父の手がかりになるかもしれない。

 でも。

 アステラはがしらにきゅっと力を入れ、顔を上げた。すぐにでもいつくばって星輝石をかき集めることを期待していたのか、青年は不満げだ。

「自分で言うのもなんだが、僕の星輝石は高いぞ。欲しくないのか?」

「欲しいです。喉から手が出るほど」

 アステラは大きな目で彼をにらみ上げ、ぜんとして言い放った。

「だけどあなたからは欲しくない」

 アステラはむなもとのペンダントを肌に感じていた。この黄色い石の温かみと比べて……、彼の生み出した星輝石の輝きの、なんと冷たいことか。

「なんだと?」

 青年の声が低くなる。いかりを買ったかもしれない。でも、星輝石目当てで夜の鯨や部下の仲介業者たちを売るなんて、できるわけがなかった。

鹿にしないで)

「私たち星なしが闇市に出向くのは、よくに目がくらんでるからだって思ってるんですか?」

 とんだかんちがいだ。こっちは少ない配給でやりくりしながら、なんとか生きているのに。

ぜいたくしたくて不正を働いてるわけじゃありません。星府からの配給だけじゃとても足りないから、仕方なく闇市で買うしかないんです」

 予想外のはんげきを受け、星導士の青年は少しおどろいたようだったが、

「……目的は関係ない。中央星府の許可なく星輝石を取引することは禁じられている」

 彼だって、こんなところで星なしの少女に言いせられるわけにはいかなかった。

「夜の鯨はやみいちを口実に、星なしたちを先導して反乱思想を広めている危険人物だ」

「夜の鯨は!」

 アステラは声を張り上げる。大声がどうくつ内にはんきようして、青年はいつしゆんおののいた。目の前の少女のこんいろの瞳の奥に、赤い火が燃えているように見えた。

「夜の鯨は、星なしに権力をしたり服従を求めたりするために闇市を仕切ってるわけじゃないわ。中央星府のかたよった配給じゃなく、公正な取引を、星なしにも自由に開放してくれてるだけです!」

 ほとばしるおもいをおさえきれず、アステラがそう、言い切ったとき。

「……それは反逆か?」

 のどもとに、つえがつきつけられた。

「うっ!」

「反乱分子は、どんなに小さな芽でもつぶす」

 せいどうの持つ杖はせいじようと呼ばれ、強力なほしほうに用いられる。彼がこれをひとりするだけで、アステラの小さな身体なんか難なくき飛ばされてしまうだろう。じようきようを理解したとたん、アステラの全身のうぶが逆立った。口をぱくぱく動かすけれど、声が出ない。

「星に選ばれなかった者が何を口走ろうと、意味はない」

 星の子が上、星なしは下。星の原の鉄のおきてを、青年は重く冷たく刻み込む。

こわい)

 このきようが世界を律しているのだと、アステラは思い知った。星の子と星なしとの間に引かれた一本の線。どんなに声を張り上げようが、その境界を乗りえることはできないのだ。細い首に星杖を強く押し付けられても……、アステラには反撃のすべがない。

「星なしが生意気を言うな」

 青い瞳が、自覚をいる。お前は星魔法を使えない。せいせきを生み出すこともできない。認めろ。お前は星の光を持たない。星に選ばれなかったんだ。

 アステラはくちびるんだ。ひざを折るとすれば、星の子への服従ではなく、星なしとしての無力感ゆえ。夜色の瞳が、くやしさでうるみ始めた、そのとき。

 キャウン!

 張りつめた空気を勢いよく切りいたのは、何かの鳴き声だった。星導士の青年ははじかれたようにり返る。とつぜん喉元のあつぱくを解かれたアステラは、こしかして座り込んでしまった。

 青年は目を細め、ほらあなの入り口をぎようする。

「……なんだ?」

 すると、そこへ姿を現したのは、

「子犬?」

 ガルルル……と喉を鳴らしてこちらをかくするのは、小さな白い犬だった。いや、よく見ると、様子が少しおかしい。あれは、

「こいぬ座の星魔法か」

 青年が言う通り、その子犬は毛の先からあわい光を放っていた。星魔法で呼び出された不思議な生き物。星の光でできた、美しいけものだ。

 とはいえ、子犬は子犬。全身にきんちようを走らせ、星杖を両手で構える青年に、アステラはちょっとついていけない。

「あの……子犬相手に大げさじゃ?」

おろかだな、星なし。こいぬ座が表すのは、ただの犬じゃない」

 ぴしゃりと言われ、アステラはこいぬ座の神話を思い出した。

(あ、そうか)

 そう、名前こそ可愛かわいらしいが、冬の夜空で鳴き声をあげるこの犬は、じやな幼犬などではないのだ。アステラは引きつり笑いで言う。

「確かこの犬、水浴びを見られておこったがみ鹿しかの姿に変えられてしまった飼い主を……」

「それと気づかず噛み殺す、りようけんだ!」

 青年のさけびと共に、きようぼうな猟犬はこちらめがけて一目散に走りかかってくる。

「きゃああ!」

 恐怖と混乱とでうまく立ち上がれないアステラの前に、青年が立った。手には星杖。

「ほ、星魔法を使うんですか?」

「星なしはだまってろ」

 思わず食いつくアステラに、青年はあくまで尊大な態度をくずさない。彼が星杖をかかげると、その先に青白くするどい光がともった。星杖はけんのようにひらめき、図形をえがいていく。星座じんと呼ばれる、一種のほうじんだ。星の子にしか使えない星魔法の一つ。……けれど、

「あ、たて座! たて座の星座陣ですね!」

い、気が散る!」

 アステラの言葉で青年が集中を乱したすきに、

 ガウッ!

「あっ!」

 輝く毛を持つ子犬が、彼の星杖におどりかかった。そして星杖をくわえ、力ずくでうばい取る。

「こら、返せ! それはおもちゃじゃないぞ!」

 青年が大声を上げる。しかし子犬はしつひるがえして背を向け、長い星杖を引きずったまま、洞穴の外へとけ出して行ってしまった。

「待て、おい、こら!」

 大切な道具を子犬にかっぱらわれてはことだ。ぎんぱつの青年はおおあわてで走り出し、子犬を追いかけてこうどうの奥へ走り去ってしまった。足音はだいに遠ざかり、やみの中に消えていく。

(な……なんだったの?)

 何が何だか分からないまま、アステラはゆるゆると息をく。

「とにかく助かった」

 しかし、安心するのは早かった。またも足音が近づいてくるのを聞きつけ、アステラは今度こそ立ち上がる。さっきの星導士が帰って来たのだろうか? いや、それにしては音が重い。足を引きずって歩くような音。それは案の定、洞穴の入り口で止まる。

 アステラは目を細め……直後、驚きの声を上げた。

「え? ロキさん!」

 現れたのは、見慣れた便利屋の青年の姿だった。

「アステラ、闇市には来るなって言ったな?」

 いつもの台詞せりふのはずなのに、何かかんがあった。こちらを圧迫するような低い声に、さっきの星導士と似たものを感じたのだ。いや、まさか。ロキが星導士に似ているわけがない。

(いや、ちょっと待って)

 アステラの危機を察知したかのようにとつぜん現れ、星導士を追っぱらってくれた子犬。こんなことができるのは星の子だけだ。そしてアステラに味方してくれる星の子は、ロキ一人だけ。

(ロキさん、さっきの星魔法……もしかして)

「でも、だって、星魔法は使わないんじゃ」

 彼は答えず、おぼつかない足取りで近づいてくる。そういえば、足音が変だった。明らかな異変に気付き、アステラは駆け寄った。

「だ、だいじようですか?」

 見れば、彼の額にはあぶらあせが浮かび、顔は血の気がない。ふらつくロキを支えるため、アステラはマントの上から彼の左手をつかんだ。

「え?」

 熱い。アステラはびっくりして、急いでマントをめくる。

 ロキのひだりうで。そこには、手の甲からひじにかけて黒いいれずみが入っていた。腕をめ付けるようにとぐろを巻いた何びきものへび、そして手首の内側には、大きく見開いた不気味な目。

 アステラは昔からこれが怖かった。でも、ただのしゆの悪い刺青だろうと思っていた。ところが今、刺青の周りのは石のように固くなり、全体が熱を帯びて赤くなっている。

「ど……どうしたんですか、これ」

 ロキはアステラのかたあごを乗せ、体重を預けた。アステラの小さな身体からだでは成人男性の重さを支えきれず、押したおされるように座り込んでしまう。

「ロ、ロキさ、」

 ロキの湿しめったいきが耳にかかる。

「もしかしてこれ……星魔法、使ったから?」

 ロキはふるえる手でむなもとからびんを取り出した。へびつかい座の星輝石だ。高名な医師アスクレピオスを表すへびつかい座。そのせいせきの力を持ち、薬代わりに使われる。彼はつぶけつしようを口にふくみ、無理やり笑うと、半分れた声で答えた。

「ゴルゴンの目だ。ほしほうを使おうとすると焼ける仕組みになってる」

 アステラはいつしゆん言葉を失った。そんなこと、彼は今まで一度だって言わなかった。

(ロキさん、星魔法を使わないんじゃなくて、使えなかったんだ)

「そんな……いったいだれがこんなひどいこと」

 星魔法をふうじる刺青など、自分で進んで入れるわけがない。けれど彼は答えなかった。アステラもこれ以上いてはいけない気がした。楽しいおくではないだろう。

「でも、じゃあ、……どうして?」

 身をほろぼすことが分かっているのに、それでも星魔法を使ってまで、どうしてアステラを?

「相手があいつじゃなきゃ、適当に星輝石ばくだんでも投げていてた」

「あいつ?」

 アステラはまゆをひそめた。そしてロキの肩を掴み、自分の身体から引きはがす。ロキは気だるげに身体を起こした。二人は地面に座り込んだまま、向き合うかつこうになった。

「ロキさん、あの人のこと知ってるんですか?」

 銀髪に青いひとみを持つ、冷たいせいどう。星なしを見下し、たけだかに命令した。

 ロキは口を開かず、ただうつむいて呼吸を整えていた。

「まさか、ロキさん……星導士だったの?」

 アステラは自分の過去同様、ロキの過去も知らない。でも、考えてみれば彼も星の子。ありえない話ではないのだ。

 ロキはぜん何も答えない。だんまりになったときの彼はがんだと、アステラはよく知っていた。赤く焼ける左手にれ、アステラは再びたずねる。

「どうして、ここまで」

 罪悪感が胸をす。なのに、この痛みはだか少し、甘かった。申し訳ない思いと同時に、どこかうれしくも感じている自分に気づき、アステラは混乱してしまう。

 彼がここまでしてくれた理由。危険をおかしてまでアステラを守ってくれた理由。

(私のために?)

 しかし、ロキはさっと目をそらし、冷たく答えた。

「……仕事だからな」

 アステラの心が、がしゃんとつぶれた。顔を見られたくなくて、さっと立ち上がる。

(私のことが大事だから、無理して助けてくれたなんて、思っちゃった。鹿みたい)

 思わずちようする。ロキがアステラを守るのは、それが彼の仕事だからだ。そんなこと分かっていた。これまで何度も聞いたはず。でも、

(でも、だとしたら)

 彼の左手が視界に入ったたん、アステラをえがたい苦しみがおそった。

「ここまですることないじゃないですか」

 こぶしにぎりしめ、叫ぶように言う。仕事のためという理由で……、ロキが彼女を守ってここまで傷つくのなら。アステラはそれでも守られたいなんて思わなかった。

「たいそうな言い方だな」

 ロキはよろめきながら、なんとかこしを上げる。青白い顔には、明確にいかりが見て取れた。

「俺が来てなきゃどうなってた? お前が言いつけを破ってやみいちに来たからだ」

 アステラはひるみつつ、それでも言い返した。

「今日中にいつせいてきはつがかかるって聞いて……私、助けになれればって思ったんです。知らせなきゃって」

「そりゃありがたい話だな。で、どうなった? めでたく二人して死にかけだ。家で大人しくしてろって、何度言ったら分かるんだ」

 ロキの言い分も理解できる。だけど、だけど、アステラは、

「だけど私!」

「アステラ」

「私だって、」

「お前に何ができる!!」

 ロキの大声が、どうくつ中にひびいた。

 ──お前に何ができる。

 

 アステラには、そう聞こえた。

 だまり込んでしまったアステラの前で、ロキは気まずそうに頭をいた。

「……って悪かった」

 アステラは首をる。怒鳴られなくたって、自分で分かっているべきだったのだ。

 アステラは星なし。星魔法は使えないし、記憶も親類も仕事もない。だから……、

 彼女は静かに切り出した。

「ロキさん、私もう十六です。いつまでも子どもあつかいはやめて、本当のことを言って」

「何が言いたい?」

 うすくらがりの中、黄色い瞳が光る。

いやなら嫌って、言えばいいじゃないですか。もうお前のお守りなんてこりごりだって」

(いくら仕事だからって、こんなになってまで守る価値、私にあるの?)

 アステラの声が震える。

「星なしだし、万年クビだし、何の役にも立たない……だから夜のくじらむかえに来ないんだわ」

 私は星なし。そう唱えるのは、アステラなりのけじめだった。生まれ持ったものをいったんこうていするための、前向きなあきらめだったはず。なのに、目の前の青年が、どんなにごまかしたってやっぱりあちら側の……、天上世界の星の子だったんだと気づいたしゆんかん、星なしの自分がまるで無価値な存在のように思えて。

「これ以上めいわくかけられません。夜の鯨にたのんで、私を追い出せばいいんだわ」

「そんなことしない。アステラ、ちょっと落ち着け」

「今のままはもう嫌なんです!」

 かくしの向こう側でロキが傷つくのを、知らんぷりなんてできない。自分のためにこんなにボロボロになったロキの姿、もう見たくない。アステラはこんいろの瞳をうるませて、たんがんした。

「夜の鯨に会わせてください」

 どれもこれも、アステラが何も覚えていないせいだ。何も持たないくせに、やさしく守ってくれるかごに甘えていたせいだ。このゆがんだ関係全部、まっさらにした方がいいのだ。

「本当のことが知りたい」

 それがどんな結果を招くとしても、アステラは今、心からそれを求めていた。無茶な頼みだとは分かっている。それでも、口にしないと、折れそうで。

 ロキは無表情でじっと黙っていた。そしてアステラにたっぷりとこうかいの時間をあたえた後、

「本当に知りたいんだな? 後悔しないな?」

 そう、かくにんした。

 条件反射でしゆこうしてから、アステラは不意に我に返る。

(……え?)

「お前ももう十六か」

 小さな声でこぼしたロキは、一瞬だけさみしそうに見えて、アステラはそれが自分のかんちがいだとは思いたくなくて、

「ちょっと前まで、あんなに小さかったのにな」

 そう言いえられたとき、いつものように子ども扱いしないでとは言えなかった。

「帰るぞ」

 無言のまま帰宅する足取りは重く、空には雲が垂れ込めて、今夜は星も見えない。

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