Ⅰ・星の子と星なし_2


「じゃあ一つ質問をしよう」

 先ほどのほらあなのすぐ横にある、さびれた事務所。アステラは硬いに座らされ、黒い服を着た男と机をはさんで向かい合っていた。この部屋もまた土を掘って作ってあるので、もちろん窓はない。頭上では星輝石ランプがれ、足の裏からかんせんしんどうにぶく伝わってくる。

「いいか、簡単な質問だ。足し算より簡単だぞ」

 黒服の男は机の上で手を組むと、ことじりだけはやさしく、そう尋ねた。彼はどこかねずみに似た顔をしている。小さな二十日はつかねずみではなく、暗がりでしぶとく生きるがっしりとしたどぶねずみだ。

「ここは何をする場かな?」

 アステラは肩をきゅっと縮め、苦々しい表情で答えた。

せいせきの市場、です……」

「満点はあげられないな」

 正確な答えを求められ、手のひらがあせばむ。確かに、ここはただの市場ではない。ここは、

「……やみいち、です」

「よくできました」

(目が笑ってない!)

 アステラが心の中で悲鳴を上げる中、鼠似の男は硬い息をつくと、

「分かりやすく説明しようか。こっちが地下で、あっちが天上」

 机の上に万年筆を置き、二つの区画に分けた。

「こっちに住むのが星なし。そしてあっちで暮らすのが星の子たちだ」

 そう、星なしと星の子の生きる世界の間には、明確に線が引かれている。地下鉱山と天上世界。星の原を水平に分断する、一本の線。

 男はきんちやくぶくろを取り出すと、こっち側──アステラたち星なしの暮らす地下鉱山側でひっくり返した。星輝石のさざれ石がこぼれ出て、小さな山になる。アステラは考える前に口走った。

「うお座の石ですね」

「よく見ただけで分かったな。大したもんだ」

「え? ああ、まあ確かにすいしよう型は最もありふれた星輝石ですけど。でもこれ、ところどころハート形のそうしようが混じってる。愛の神アフロディテにまつわる星座では、よくこういう石が採れます。中でも今期はうお座が豊作だから……えっと、はいごめんなさい関係ないですよね」

 ついもうれつな早口で語り始めてしまったアステラは、鼠のとがめる視線を感じ、言葉を切った。どうも星輝石のこととなると興奮してしまう。男は一度せきばらいをして、話題を元にもどす。

「こっちが地下で、あっちが天上」

「は、はいごめんなさい」

「もう怒ってないから謝るな。いいか、我々星なしが毎日毎日鉱山をって、星輝石を採る」

 鼠はさざれ石の山を指さした。暗い星の星輝石は大きなけつしように成長しないし、色もにごっていることが多い。しかしこれでもランプには十分使えるし、ひとつぶたりともにはできない。

「で、集めた星輝石を」

 しかし、彼はせっかく作ったその星輝石の山を丸ごと掴み、天上世界側に移動させた。

「こうやって毎月、ちゆうおうせいいつかつ上納する。採れた石、全部だ」

 溝鼠は零れ落ちた結晶もていねいに拾い上げ、残らず天上側に移した。彼の言う通り、鉱員たちが掘り出した星輝石の原石はすべて、鉄道に乗って鉱山をいったん出て行ってしまうのだ。

「各区から上納された星輝石は中央星府で管理され、配給という形で再び各区に分配される」

 男は天上世界側に移った星輝石の山の中から、ほんの一粒二粒──笑ってしまうくらい少ない量をつまみ、地下鉱山側に戻した。

「ご覧の通り、きわめて公正な仕組みだ。そうだな?」

「公正、ですね」

 アステラはかわいたみで返した。

 ちようでもなんでもなく、これが中央星府による配給の実態だ。星なしに配給されるのは、さいくつされた星輝石の数十分の一ほどでしかない。残りの大部分の星輝石は中央星府こうにんの市場におろされるが、労働者階級の星なしにしてみれば法外な価格で、とても手が出せない。

「星の子なら高価な星輝石を好きなだけ買えるんだろうが、我々はそうは行かない。だがとぼしい配給にたよってたら死んじまう」

 男の言葉は真にせまっていた。ゆうふくな星の子たちには知るよしもないことだが、冷気のまる地下鉱山では、だんぼう用の星輝石なしでは冬を越せないのだ。しかし、どんなに需要に見合っていなくとも、配給量が変わることはない。雲の上の人々には地下からの声は聞こえないらしい。

「だから、我々がいるんだ。分かるな?」

 男はかべにかかった旗を指さす。そこにはしんばんくじらびれを模したもんしようえがかれていた。

「ここはただの市場じゃない。夜の鯨の闇市だ」

 溝鼠──闇市のちゆうかい業の男は、後半をことさら強調して言った。

「星府の配給ではちょっとだけ足りない分を、いろんなところからいただいてきた石でまかなうための、支え合いの場だ。分かるな」

 そう、ここはせつとうや横領によって不正に流れてきた星輝石の闇市。もちろん明白な犯罪こうだが、星なしにとってはたのみのつなだ。配給では絶対に手に入らない希少な石や、星なしの収入ではとても買えない高価な石も、ここならかくてき手ごろな値段で手に入る。

 その闇市を取り仕切っているのが、夜の鯨。五年前、すいせいのように現れ、地下で乱立していた闇市を半ばごういんにまとめ上げた、闇社会の首領である。

 冬の宮の地下できそい合っていた闇商人たちを専属にし、各所の闇市を統一して適正な価格を定め、やいかさまを厳しく取りまった──夜の鯨は生ける伝説だ。おかげで、星なしたちはずいぶん安心して売買を行えるようになった。

「夜の鯨は星なしの味方だ」

 夜の鯨は、いわばぞく。人々は感謝と尊敬のおもいをもって、その名を口にするのだ。

「だが闇市は闇市だ。星府にはもちろん目をつけられてる。さわぎを起こされると困るんだ」

 男はそこまで言って、かたの力をいた。小休止よろしく煙草たばこに火をつけ、

「……って、何度説明したら分かるんだ? 

 実はこういう説教を受けるのは初めてではない。アステラは頭を低くし、もう何度目かのおびをする。

「すみません、溝鼠さん」

「謝罪に悪口を混ぜるんじゃない」

「あー、ほんと、うちの子がめんどうかけて悪かったね」

 そこで第三の声が割り込んだ。アステラはむっとして、

「ロキさんの子じゃないもん」

「当然だ。俺の子ならこんな鹿はしない」

「うっ、言い返せない……」

 アステラのとなりこしかけ、いつしよに説教を受けていたのは、先ほどのきんぱつの青年だった。

「あんたも苦労するな、便利屋」

「おたがいさまだよ、溝鼠」

「さっきから自覚がないみたいだが悪口だからな、それ」

 男はくぎを刺すと、人差し指と中指で挟んだ煙草でアステラを指さした。

「ともかく、おかげさまで大損失だ。、とっちめてるところだぞ」

 鼠の言葉の後、いつしゆんちんもくが降りた。くちびるんでうつむいてしまったアステラを見て、溝鼠はけむりっぽいため息をつく。

「闇社会のボスのかくし子だって自覚があるなら、せめてもう少ししんちように行動できないのか? 中央星府につかまってみろ、あんたがお星さまになっちまうぞ」

「……ごめんなさい」

 しゅんとするアステラの隣で、ロキも居住まいを正し、頭を下げる。

「いや、目付役は俺だ。かんとくゆきとどきだったよ。すまない」

 再び顔を上げたとき、揺れるまえがみの間から両目がのぞいた。そのひとみは、い黄色をしていた。この色が表す意味は重い。

「その目で言われると変な気分だ」

 どぶねずみはいささか気まずそうに頭をく。

 そう、黄色や青、水色、赤……、星の色をしたひとみは、星に選ばれた者──星の子のあかしだ。反対にアステラたち星なしは、こんいろや黒、深い茶色など、夜色の瞳をしている。

「星の子が星なしに頭を下げるとはね」

 溝鼠はの背にもたれかかり、煙をいた。

 星の子は、星輝石をどくせんし、星なしのことを見下すこうまんな存在。地下世界では、ポラリスがいつでも北にかがやくのと同じくらい確かな事実とされていることだ。それなのに、この黄色い瞳の便利屋は、口こそ悪いが、星なしと対等に付き合う。

(それに、ほしほうも使わないし)

 アステラは隣の青年をぬすみ見しながら、心の中でそう付け加えた。

 星の子の証明ともいえる、星魔法。星の名を唱えたり、宙に図形を描いたりして、星の光を具現化させるものだ。星の子にのみ使える魔法で、星なしにとっては、おそれとあこがれの対象。

 でも、ロキはそれを使わない。瞳の色以外、星なしと何も変わらない暮らしをしている。

「……星の子がみんな、あんたみたいなやつだったらよかったのにな」

「あれ、もしかして俺、められてる? やだなあ、照れるぜ」

「調子に乗るな。とっとと帰れ」

 ぴしゃりと言いつけ、鼠は立ち上がった。

「なんにせよ、気をつけることだ。最近取り締まりが強化されてるから」

「取り締まり? いつものガサ入れか?」

 中央星府だってただ手をこまねいているわけではない。どこかに密告者がいるのだろう、やみいちとつぜん強制そうが入ることはめずらしくなかった。しかし、彼らがやって来るのは闇市のしゆうりよう間際だったり、逆に始まる前だったりして、たいていは不発に終わる。闇市の会場や開始時間は不定期にへんこうされる上、人づてにうわさで聞くしかないので、なかなかしつつかめないのだ。

 しかし今回は、いつもと様子がちがうようで。

「どうも今度のは、やり方が乱暴だ」

「乱暴?」

 鼠のおんな返答を、ロキが聞きとがめる。

「ああ。夜の鯨の居場所を吐かなきゃ、手持ちの星輝石をぼつしゆうされるらしい。たとえそれが配給で正当に得た石であっても、だ」

「ひどい……」

 アステラが思わずつぶやく横で、ロキは難しい顔をした。

「だが、だれも吐きゃしないだろう」

「当然だ」

 鼠は壁の紋章を見やった。つられてアステラとロキの視線もそこに集まる。

 そう、闇社会の支配者・夜の鯨は、絶対に人前に姿を現さない。彼ら仲介人への指示も、書面でのみやりとりしているという。

「俺たちはおろか……、実のむすめでさえ顔を知らないんだからな」

 意味ありげな視線を寄せられ、アステラは紺色の瞳を泳がせる。溝鼠は煙草を地面に捨てると、くつのかかとでみつけて火を消した。

こわいのは星府よりも夜の鯨本人だよ」




 こいぬ区、第三鉱山の底。せまい建物が立ち並ぶ一角に、ロキとアステラが暮らす家はあった。

 げんかんのドアを開けると、そこは広い部屋。てんじようが高く、大きな天窓から暗い夜空が見える。はりや柱がしゆつしているのは、この部屋が元々倉庫として使われていたからだ。部屋を仕切る壁はなく、代わりに背の高いたなが区切っている。手前にソファとローテーブルが置かれた居間けん客間、カーテンの奥にロキの部屋、キッチンの上に設けられた中二階がアステラの部屋。

 とにかく目につくのは大量の本、星図、てんきゆうにアストロラーベ、棚に並んだせいせきの数々。散らかり放題のロキの部屋には、ぽこぽこと蒸気をき出すなぞの機械や、星輝石をすりつぶにゆうばち、どろついた液体をめたビーカーの姿も見える。実験室とでも呼んだ方がふさわしい。

「さて、アステラ」

 ドアを閉めたたん、ロキはり返ってアステラに向き直った。ブーツのつま先を玄関マットにこすりつけてどろよごれを落としながら、

「仕事を初日でクビになったのは、まあ許そう。はなから続くとは思ってなかった」

「ひどい!」

 ロキはポケットから十徳ナイフを取り出すと、慣れた手つきで柱に傷を入れた。いつからか、ロキはおもしろがってアステラのクビになった回数を数え始めたのだ。

「おめでとう、あと一回で六十連敗だぞ。今週末は記念パーティだな」

のろいみたいなこと言わないでください」

「呪いじゃない、統計的予想だ」

 ロキはナイフをい、アステラいわく呪いの柱に寄りかかってうでを組んだ。

「お前が新しい職場で棚をたおさないことがあったか? 書類に何かをこぼしたり、機械をこわしたりしないことがあったか?」

 アステラの法則一、アステラの周りには安定しているものでも倒れさせるとくしゆな引力が働く。一、コーヒーは必ず重要書類の方向に零れる。一、アステラのれるときが、その機械の寿じゆみよう

「やりたくてやってるわけじゃなくて……全部たまたまなんです。ついてなかっただけで」

「分かってる。だからそれは許す。だが」

 ロキの声は、そこでまた一段階冷たくなった。

「仕事は何時間も前に終わってたはずだな? そうだいな寄り道じゃないか」

 目をそらそうとするアステラに、ロキはいよいよ語気を強めて、

「アステラ、何度も言わせるな。闇市に行くのはやめろ!」

「でも」

「でも、じゃない。お前に何かあったら困るのは俺なんだ」

 子どもをあやすように、ロキはアステラのかたに手を置いてさとした。アステラはむっとしてその手を振りはらう。子どもなものか。確かに歳は十もはなれているけれど、ロキとアステラは家族ではないし、友人でも、ましてこいびとでもない。ロキがアステラと暮らしているのは……、

「仕事だから、ですか」

「ああそうだ。残念ながらな」

 そう、ロキがアステラの世話を焼くのは、それが便利屋としての仕事だからだ。

 らい主は、夜のくじら

 ロキは夜の鯨からアステラの養育を任され、五年前から彼女を手元に置いて育てている。しかし、事情は少し複雑だ。というのも……、ロキはもちろん、アステラ本人もまた、夜の鯨の正体を知らないのだ。

「さんざん顔にどろられて、夜の鯨も泣いてるぞ」

「泥塗るも何も……、その顔を

 そう、アステラには五年前、十一歳以前のおくがない。つまり、ロキに出会った日以前のことを、彼女は何一つ覚えていないのだ。頭でも打ったのか、高熱を出したのか。その理由すら判然としない。ある日突然ロキに依頼の手紙が来て、気づけば玄関に彼女がいたらしい。

(あの日、夜の鯨って聞いたとき、それが父さまに関する言葉だってことだけは、分かった)

 でも、本名も顔も思い出せない。彼女が記憶しているのは、一つだけ。

「ダイヤモンドの中の花……」

 かすれるような声でささやいたのは、たぶん、アステラの父だ。

 ──アステラ、ダイヤモンドの中の花だ。覚えておくんだよ。そうすればまた会える。

 その言葉だけをたよりに、アステラは五年間、父をさがし続けている。

「いい加減あきらめろ。ダイヤモンド型の星輝石なんてそうそう出回らないし、第一危ない」

 父に会うために闇市に通うアステラと、彼女に安全な場所にいてほしいロキは、何度もしようとつしている。アステラだってめいわくをかけたことは申し訳ないと思っているけれど、父を捜すことだけはどうしても諦められないのだ。

 ロキは上着をいでソファの背にかけ、星輝石ストーブに赤い石を投げ込んだ。そしてぶるりと身体からだふるわせながらキッチンへと向かうと、やかんを火にかける。

「だいたい、どうしてそこまでして夜の鯨に会いたいんだ? 会ってどうする?」

 キッチンの奥にかくれてしまったロキが、声だけでたずねた。

「その貧相な身体の文句でも言うのか? 発育の良しあしは親の責任じゃないぞ」

「どうしてそう、いちいち神経さかでするようなこと言うんですかっ!」

 皮肉屋の家主に、アステラは声をあららげた。

「そりゃ会いたいですよ。父なんですよ!」

 コツコツ。

 そのとき、居間の窓をたたく音がした。アステラはふくれっつらのまま部屋を横切り、窓を開けた。

「会って、それで、世話役にはもっとしっかりした人を選んでくださいって、そう言いますよ」

「失礼なやつだな、俺のどこがしっかりしてないんだよ」

 飛び込んできたのは、銀白色のかがやく羽を持つからすだった。アステラはしかし、おどろきもせず、さっと手を差し出す。すると白い烏は彼女の腕の上にとまり、不思議な光を放ちながら手紙の形にへんした。

「……こういうところですよ」

 アステラは低く呟きつつ、その手紙を開いた。

「何か言ったか?」

「からす便です」

 からす座は神々の伝令役だった白い烏を表した星座だ。そのからす座のほしほうによる速達制度が、からす便。利用料は高いが、差出人の住所を知らせずに手紙を送ることができる。ロキの便利屋には、訳ありの客からこういうからす便がしばしば届いた。

「マーガレットって人から、食事会は来週に、ですって。この前はキャサリンって人から同じような手紙来てませんでした?」

 アステラはきたないものでもさわるようにふうとうすみをつまんだ。今に始まった話ではない。この男、いつも何かと女性のかげをちらつかせているのだ。

「こら、人の手紙を勝手に見るな」

 そこでロキがやって来て、アステラの手から手紙をひったくる。アステラは彼を見上げ、

「その人だれなんです?」

「依頼人だよ」

うそですね。食事のどこが依頼なのよ」

「あっちがそうたのんでんだから、依頼だろ」

くつ

 冷たい目でじっとり見られ、ロキは手紙を手にしたまま、しばがかっておおぎように礼をした。

「ロキの便利屋は何でもけ負います。ねこ捜しからばくやく製造まで、お困りのときはいつでもどうぞ……ただし人殺しと毛虫じよだけはお断り。うねうねした奴らは生理的に無理だから」

「はいはい」

 ロキのいつもの口上。決してな態度とは言えないのに、なぜか客受けはいい。

(そもそもどうして星の子が地下鉱山で便利屋を? 永遠のなぞだわ)

 星の子でありながら、絶対に星魔法を使わないロキ。代わりにせいせきの調合にはけていて、やつかいな問題をかかえた依頼人を拾ってはうさんくさい薬を売ってひとかせぎしているようだ。星には性格やあいしようがあり、恋人同士の星輝石──ベガとアルタイルとか、スピカとアルクトゥルスとか──を混ぜればやくになるし、仲の悪い星座の星輝石──オリオン座とさそり座とか──をいつしよくだいて小さな容器にめておけば、ちょっとしたしようげきはじけ飛ぶ爆薬になる。

 とはいえ、そんなあやしい仕事で食っていけるとはとうてい思えない。アステラの養育のほうしゆうとして、ロキはいったいいくらもらっているのだろう。そもそも、なぜ彼が選ばれたのだろう。星の子だから? でも、彼は星魔法を使わないのに。……なんて、ロキ本人にいても仕方ない。

(訊くとしたら、夜の鯨本人に)

 夜の鯨の正体は誰にも分からないという。でも、アステラは、諦めたくなかった。

 だって、諦めなくていいって、そう教えてくれたのは、ロキなのだ。




 あれはいつだったか、アステラが近所の子どもたちにいじめられたとき。

「アステラ、泣くな」

「泣いてるのはあいつらの方です」

 子どものけんに親が割り込む……どころか、ロキは大人げなくも悪ガキたちを少しばかり、いや、かなり、おどかした。だいたい、地下鉱山で黄色いひとみを持つロキはそれだけで目立つのだ。その上左手には大きないれずみ。いじめっ子たちのめいのため、アステラはしようさいを忘れてあげることにしたが、なんにせよ彼らは上から下から、あらゆる種類の水を放出していた。

「あいつら、わたしのこと、捨て子だって」

 帰り道、ゆうやみに長くびる二つの影をながめながら、アステラは何でもないみたいに言った。

「昔のこと覚えてないなんて嘘だ、本当は親に捨てられたんだって」

 記憶がない以上、こうていも否定もできなかった。実際、夜の鯨はアステラにれんらく一つ寄こさない。わたしの父さまはやみいちぎゆうってるのよ、なんて、もちろん口がけても言えないし。

(どうして父さまはわたしをロキさんに預けたんだろう? どうしてむかえに来てくれないの?)

 幼いアステラは、そこで後ろから引っ張られて立ち止まった。ロキが足を止めたのだ。彼はひざをつき、アステラの前にしゃがみ込む。真っ赤に燃えていた夕日は夜に飲み込まれるぎわ名残なごりしむように彼のはだの上にい影をえがき、くっきりとそのいんえいきわたせていた。

「ロキさん、わたし、さみしくないですよ」

 アステラがそのときそう口にしたのは、本心だったと思う。

「だって寂しいっていうのは……、持っていたものを失くしてつらいっていう意味でしょ?」

 あるべき場所からぬくもりがぎ取られる痛みのことを、寂しさと呼ぶのなら、

「わたしは最初から持ってないもの。わたしは、最初から空っぽだもの」

 顔も知らない父のことを思うとき、身体の真ん中に空いた穴をすうすう風が通るようで、アステラはなんだか空寒くなる。でも、これは寂しさではない。その穴が開いたときの痛みを、アステラは、思い出せないから。

「ねえ、ロキさんはどうして星の子なのに星魔法を使わないんですか?」

 とうとつに問われ、青年はちょっと言葉に詰まった。

「……どうしてそんなこと訊くんだ?」

「ううん。ただ」

 こんいろの瞳の少女はつかの間、しゆんじゆんしてから、

「わたしは星なしだから捨てられたのかなって、思ったんです」

 もしアステラが星の子だったら……、夜のくじらは、そばに置いてくれたのだろうか。むすめとして闇市の手伝いをさせてくれた? ちゆうかい業の黒服たちのように、あるいはロキのように、アステラだって、夜の鯨の役に立てていた?

 なんて、想像してもむなしいだけだけれど。

「わたしは星なしだから、夜の鯨にも会えないし、役にも立てない」

「アステラ、泣くな」

「だから泣いてないですってば」

 アステラはみように落ち着いた子どもだったから、実際めったに泣きべそはかかなかった。それでも、ロキは気づいてくれたのだ。アステラの心が流すなみだに。

「アステラ、ほら、見てみろ」

 顔を上げると、彼はこちらに右手を差し出していた。結んだこぶしを開くと、そこには、

「星輝石!」

 手のひらの上に、すいしよう型の星輝石。大聖堂のせんとうのように何本もき出したぞろいな六角柱のれんしようだ。さわやかにき通り、きらきら輝くけつしようは、ごくわずかにレモン色を帯びていた。

「きれい……」

 石の内側からあふれ出す力強い輝き。星の力を内にめ、天と地とをつなぐ、神秘の石だ。

「これ、ロキさんが出したんですか?」

 星の子は、望めば自分の親星の星輝石を手のひらから生み出すことができる。話には聞いていたけれど、実際にもくげきすると、いわく言いがたを感じずにはいられなかった。ロキはその石をアステラの手にせた。寒気でもするのか、ひだりうでをしきりにさすりながら、

「やるよ。お前が持ってろ」

「え、いいんですか?」

 アステラは目をかがやかせた。右手で黄色い石をぎゅっとにぎり込むと、やわらかい温もりが身体からだじゅうに満ちていく気がする。さっきまでの寄る辺ない気持ちが、すっと消えて行くようだ。

「不思議……これが星の光なんですね」

 アステラはり返ると、空をあおぐ。日がしずみ切り、深い闇がひたひた満ちた夜空には、星々が姿を現し始めていた。

(この石の親星は、今どこで輝いてるんだろう? 空を見上げれば自分の星がそこにあるって、きっと心強いだろうな)

 アステラには、星は、ないけれど。

「ねえ、ロキさんの親星ってどの星なんですか? どれくらいの明るさ? 今、見えてます?」

 ロキは答えず、アステラを後ろからきしめるように右手を伸ばすと、彼女の右手を包み込んだ。そしてそのまま、つかんだ右手を上へと引っ張り上げる。すると、

「わ!」

 ロキの右手が光った。いや、ちがう。アステラの拳の中の星輝石が黄色い光を放っているのだ。

「大事なのは見えるか見えないかじゃない」

 人差し指を伸ばすと、拳から光がれ、まるで指先に星の光がともったように見えた。星の子がほしほうを使うとき、こういう風に指先が光るのを、アステラは知っている。それはまるで、

(まるで、わたしも星の子になったみたい)

「アステラ、大事なのは、自分の星を信じることだ」

 ロキはアステラの右手を導き、光の線で星を結んでいく。大昔の人が夜空に絵を描いたように、星を自由に辿たどって、自分だけの目印を?いで。海図を作るみたいに。

 ロキはアステラの耳元で語りかけた。

「星空は海だ。自分の航路は自分で決めればいい。進むべき道は、自分の星が教えてくれる」

「でも、わたしは」

「自分は星なしだからって、それを言い訳にして何もかもあきらめるのか?」

 見開いた大きな瞳は、確かに星のない夜の色をしていた。でも、

「目で見えないなら心を使え。お前の中の星を、お前が信じないでどうするんだ」

 諦めるくらいなら信じろ。自分だって、見えない星を宿しているんだと。

「星の光は、未来を照らす希望なんだ」

 だから、信じて。

「お前はどこにだって行ける。なんだってできる。何者にもなれるんだ」

 確かにがらんどうだったアステラの胸に、そのとき初めて灯った光は、濃い黄色をしていた。



 ロキはだか、それから二日間んだ。いい大人が子どもに本気出してふくしゆうしたばつだろう、たぶん。一方アステラは、もらったせいせきをペンダントにして、今でも首から下げている。

 あの日、アステラは決めたのだ。星なしの自分でもできることはあると、信じてみようと。ただいじけて待っているんじゃなく、自分で父をさがそうと。ロキの方は、なぐさめるつもりが予想外の航路に送り出してしまい、ずいぶん手を焼く羽目になったが。

ひくぞ」

 そう声がして、ベランダで夜空を見上げていたアステラはのけぞって後ろを見た。上下さかさまの美青年がとなりにやって来て、ベランダのさくに寄りかかる。

 アステラは身体からだを起こし、たずねた。

「ロキさん、今日のこと、まだおこってますか?」

「まあじやつかん

「ごめんなさい。あと、いつもありがとうございます」

 ロキは答えの代わりに、アステラの頭をでた。アステラは目をせ、されるがままになる。あのころから……、二人の関係はおどろくほど変わっていない。アステラはもう十六になるのに、いつまでたっても子どもあつかいのままだ。

 ロキがアステラを心配し、闇市に行くのを止め、いつしよに頭を下げてくれるのは、それが彼の仕事だから。十歳も年上で、家主で、保護者という立場だから。

 アステラはそれが、むずがゆかった。

「お、雲が退いてきたな」

 もんもんと考えていたアステラだが、隣でロキがそう言ったとたん、ぱあっと顔を明るくした。

「本当だ!」

 にわかに元気を取りもどしたアステラは、ロキのうでを引っ張りながら、

「あ、ほら! ちょうど大三角が見えます!」

 冬の夜空は、え冴えときらめきわたる宝石箱。アステラは目を輝かせ、指さす。

「ベテルギウス、シリウス、プロキオン……ああ、本当にれい!」

 アステラはやっぱり星が好きだ。自分は星に愛されなかったけれど、それでも。

 こうやってきることなく夜空を見上げてしまうのも、星輝石や星魔法への興味をおさえられないのも、きっとあの日ロキが教えてくれたからだ。

 星の光は、未来を照らす希望だって。

 彼女はんだ水のような声で、そっと歌を歌い始めた。

「大犬、子犬に、ふたの弟、ぎよしやうしの目玉。最後はあらぶるきよじんのつま先……冬の夜空に歌がひびくよ」

 冬の大三角からもう少し足を延ばして、もっと遠くまで、夜空を散歩してみよう。

 大三角の一辺、おおいぬ座のシリウスとこいぬ座のプロキオンから始めて、ふたご座の弟星ポルックス、ぎょしゃ座の黄色い星カペラ、おうし座の真っ赤なアルデバラン、最後にオリオン座のリゲル。これらを繋ぐと、きよだいな六角形がかび上がる。

「冬の大六角形」

 こわくなってしまうほど大きな、けれどぐうぜんにしては美しすぎる六角形。アステラはしばらくそれに見入っていたが、前ぶれもなくおでこをはじかれ、きゅっと目をつむった。

「十分たんのうしたろ。もう部屋に入れ。ただでさえ小さい脳みそがこおっちまうぞ」

「小さくないです!」

 アステラはうらめしげに額をさすった。でも確かに、そろそろ寝るころいだ。

「あの、私、明日あしたまた職業案内所に行ってみます。今日のパン屋は卵のかごをひっくり返してクビになっちゃったけど、割れるものがない職場ならきっとだいじようですよね。針子とか……」

「どうせまたクビになるのが落ちだ」

 ロキは取り付く島もない。

「アステラ、無理に働きに出なくたって食わせてやってるだろ。お前が外で危ないことせずに大人しく家にいてくれれば、夜のくじらも安心してねむれるんだ」

「でも、独り立ちしたいんです。いつまでもロキさんの世話になってるわけにはいかないし」

「お前はいつもそう言うけどさ」

 ロキはちょっとだけ、小首をかしげて。

「そんなに俺と一緒にいるのがいやなのか?」

 不意に問われ、アステラはぐっとまる。

(そういう、わけじゃ……)

 アステラの無言をどう取ったのか、ロキはくちびるを突き出し、上向きに息を吐きだした。まえがみあおられてい上がる。

「……とにかく、お子ちゃまはもう寝ろ」

「お子ちゃまじゃないです!」

 そう、アステラはもう子どもではない。でも、おくも親類も仕事もなく、ロキに寄りかかったままでは、いつまでたっても一対一の対等な関係にはなれないだろう。いつまでも預かりもの扱いで、お子ちゃまだと言われ続けるだろう。

 だから、記憶を取り戻したい。夜の鯨に会いたい。それが無理なら、せめて仕事を得て、ロキにたよらなくても生きていけるようになりたい。

 でも、どうやって? 磁力を失ったしんばんの針のように、アステラは空回りを続けている。

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