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 道長と吉昌とは、まだなにか話があるらしい。それはとても重要なことで、まだ半人前の昌浩が同席していてはいけないたぐいのものであるようだった。おそらく、まつりごとに関わることだ。

「昌浩、退たいくつか? 舎人とねりに命じて船を浮かべても良いぞ」

 道長がそう言ってくれたがさすがに辞退して、昌浩は許しをもらって東三条ていの庭を探検させてもらうことにした。

 さすがに広い。この広大な邸宅を更に囲んでいるのだから、その広さたるや。

「庭だけでうちが収まりそう…」

 てくてくと歩きながらつぶやくと、となりの物の怪が同意した。

「そーかも。さすがだな、藤原氏一の実力者だけのことはある。でも、こんなにりが良くなったのは最近だぞ」

 藤原初代のかまたりは、もっと質素だったけどなぁ。

 昌浩は目を見開いた。鎌足といったら、数百年以上前の人だ。

 さすが物の怪、ことあるごとに自分はものすごく長生きしてるんだぞと、ごうするだけのことはある。そんなはるか昔のことを思い出として語ってしまえるのだから、たいしたものだ。

 しきを囲むついべい沿いに散策しながら、昌浩はふと思いついてたずねた。

「もっくんさぁ、俺といつしよにいるのは、なんで?」

 この物の怪は、ただのあやかしではない。本当は、とても大事な役目を持っている。父の吉昌が物の怪に対してていねいな物言いをするのは、そのためだ。

 自分は物の怪のもっくんと呼んでいるが、本当は彼にはもっと立派で、きれいな名前があるのだ。その名は特別で、彼が選んだ者にしか呼ばせないという。

 昌浩は、その名を呼べる権利をあたえられた。

「最初は、化け物もゆうれいもまったく見えない俺のこと助けるために、そばにいてくれてたわけだろう? だったら、もうちゃんと見えるようになったし、心配ないよ?」

「……うん。で?」

 よいしょと後ろの足で直立して、物の怪はなるべく昌浩の視線に近づくようにびをする。そうしながらぽてぽてと歩くのだから、時々足元がおぼつかない。

 昌浩は手をばして、物の怪の身体からだをすくいあげた。つうの動物とは根本的に違うのだろう。同じくらいの大きさの犬などよりはるかに、この物の怪は軽いのだ。

 かたに物の怪を乗せて、昌浩はとろとろと歩き出す。

「もうすぐ元服だし、一応一人前になるわけだし?」

「格好だけな」

「そうだけど! ちゃんと頑張って修行するさ。だから、……じい様のとこにもどってもいいよ」

 物の怪はなるほど、とてんがいった。これが言いたかったのか。

 物の怪は、晴明と取り決めをして、昌浩についているのだ。異形の見えない昌浩のために、危険なことがないように、と。絶体絶命のきゆうおちいっても、昌浩を守るために。

 だが、今は失われていた見鬼の力も戻り、少々危なっかしいがひとりでものを退治することもできるようになった。

 だから、と。一応、昌浩なりに気を遣ってくれたわけだ。

 池沿いに歩いていくと、小島にかかる橋がある。それをわたりながら、昌浩は続けた。

「ま、もっとももっくんが俺とどーしても一緒にいたい、っていうんなら、別にいいんだけどさ」

 昌浩の言葉に、物の怪はき出した。

「なんだよ、それは。お、もしかして昌浩、俺がいなくなるとさびしかったりするんだ」

ちがうわっ!」

 反論する昌浩の頭をわしゃわしゃとかき回し、ものは彼の肩からひらりと飛び降りた。

「そんなに寂しいんなら、しかたがないからいてやろっかなー」

 動物走りでけながら、物の怪はげんよさそうにった。

「いらんっ!」

「照れない照れない、いやぁ可愛かわいいねぇ、昌浩くん。そういうところは昔とぜんぜん変わらなくて」

 むきになって追ってくる昌浩につかまらないようわた殿どのの下を駆けけ、物の怪はひょいひょいとげていく。

 昌浩は物の怪を追って邸宅の奥のほうに入り込んでいった。確か、このあたりはとうほくのたいのになるはずだ。

「どこだ?」

 大声を出す気にはなれず、昌浩は視線を走らせて物の怪を探す。

 対屋の簀子の下にがらな姿を見つけて、昌浩は急いで駆け寄った。

「見つけた。ほら、もっくん帰るぞ」

 物の怪は、伸ばした手に簡単にらえられた。どうだにせずに、されるままになっている。様子がおかしい。

 昌浩はまゆを寄せた。

「もっくん、どうした?」

「……なにか、いるぞ」

 かたい声だった。あいきようのある丸い目が険しい光を帯びて、額のあかい模様が燃えたように見えた。

「ここに? でも、俺なにも感じないけど…」

 物の怪は首を振った。

「ここにじゃない。ここにじゃないが、…そうだな、ここにはざんみたいなものがある。異形のものだが、俺の知らないなにかだ」

「なにか…?」

 昌浩は、振り返ってしん殿でんを見上げた。

 ここは、内覧藤原道長のていたくだ。道長はほかにもいくつかのやしきを所有しているが、一番大きいのはここだという。

 東三条邸の歴史は古い。道長が五、六代目だというから、相当なものだろう。

 古い邸には、いんねんのようなものが生まれることもある。物の怪の知らない異形というのは、そういった因縁なのだろうか。

 それとも。

「道長様をねらってる、…じゆとか」

 さすがに声をひそめて昌浩がつぶやくと、物の怪はそれは否定した。

「いや、呪詛の類じゃないな。…ていうか、昌浩、それくらい自分でつきとめろよ」

「えっ。だって、俺まだ半人前だしさぁ」

 ごまかすように頭をいて笑う昌浩の額をぺしぺしとたたいて、物の怪はあきれ顔になった。

「この間は、半人前だって言ったら文句たらたらだったくせしやがって。都合のいいやつだなぁ」

 そのとき。

「あなたたち、なにしてるの?」

 とつぜん降ってきた声に、昌浩と物の怪は固まった。

 高い、少女の声だ。おそる恐る視線だけめぐらせると、簀子にももいろころもすそが見えた。

 こうちよくしてしまった首をぎしぎしと鳴らしながら、昌浩はさらに上を見上げる。

 少女が、不思議そうな顔をして自分たちを見下ろしている。あどけなさの残る、可愛らしい女の子だ。年は、昌浩と同じか少し下か。

「なにをしているの? その生き物は、なぁに?」

 首をかたむけて、んだ声で問うてくる彼女に、昌浩はおどろいて声を上げた。

「えっ、きみ、これが見えるの?」

「これ言うな」

 かんはついれずつっ込んで、物の怪は少女を見やった。

 話し声がするから、この東北対屋から出てきたのだろう。ということは、道長のむすめか。確か、昌浩と同じくらいの娘がいたはずだ。

 昌浩の肩に乗って、物の怪は少女を見つめた。

「左大臣のひめだよな? 俺が見えるってことは、他の異形とか化生も見えるってことか? 苦労するなぁ、貴族の姫が」

 すると、姫は楽しそうに笑った。

「でも、晴明様が守ってくださっているもの。だからだいじようなのよ。お父様もそうおつしやっているわ」

 なるほど、晴明が。

 なつとくする反面、昌浩はおもしろくない。あのたぬきがこんなにしんらいされているというのは、世の中絶対にちがっている。

「あなた、今日吉昌様といらしたっていう子?」

「うん、そう。昌浩」

「昌浩ね。おんみようになるの?」

 名も知らない姫は、楽しそうに聞いてくる。

 昌浩は少しちゆうちよしてから、うなずいた。姫は目をかがやかせた。

「晴明様のお孫さまだもの、きっとすばらしい陰陽師になるわね」

 むか。

 昌浩はけんのんに目を細めた。

「じい様の孫じゃなくたって、すばらしい陰陽師はいっぱいいるよ」

 まったく、どこに行っても「安倍晴明」の名前はついて回る。もしかしなくても、この先一生ずっと自分は「晴明の孫」なのか。

 いやいや、いつか必ず「昌浩の祖父」と呼ばせてみせるぞ。

 姫は目を丸くした。それから、声を立てて笑う。

 昌浩は、驚いて彼女を見つめた。姫はひとしきり笑ってから、目元ににじんだなみだをぬぐってほほえんだ。

「そうね、そうだわ。ごめんなさい」

 なおに謝られてしまったので、昌浩はあわてて首を振った。

「いや、別にいいんだけど。…俺、もう行かないと」

 さすがに、そろそろ寝殿に戻らないとまずいだろう。寝殿からは庭が見通せる。見えるところにいないとにようぼうが探し始めるかもしれず、奥に入り込んでいるところを見つかったら言いのがれができない。

 いくら自分が元服前で、この姫が前でも、見つかったらさすがにまずかろう。なんといっても、相手は左大臣の娘だ。

「じゃあ、おじやしました」

 一応びを言ってからもと来た道を走りだし、昌浩は一度だけ後ろを振り向いた。

 姫は昌浩をじっと見送っていた。振り返った昌浩に、いつしゆん笑いかけた気がする。

「貴族のお姫様って、みんなああなのか?」

 突然現れた見も知らぬ相手にくつたくなく笑いかけて、さらに物の怪が見えても動じない。動じないどころか話しけてくるのだから、たいした度胸だ。

「へたに見えると、おっかながってふるえ上がるもんだけどなぁ。やっぱあれかね、大陰陽師が守ってくれてるっていう信頼があるから、不安なんてないのかね」

 子供というのは、異形のじきになりやすいのだ。身を守るすべも持たず、まただれも助けてくれないことが多いために、都ではよくかみかくしとしようして子供がさらわれる。

 だからなのだろう、対屋には、晴明のほどこした術で見事な結界が張ってあった。異形の見える姫のために、特別強い術をかけたのだろう。中にいれば絶対にあやかしは見えないだろうし、当然入ることはできない。

 彼女に物の怪が見えたのは、物の怪が害をす異形ではない上に晴明のえんじやであるからだろう。

「見えたって気にしなきゃいいだけの話だが、女子供だからなぁ。やっぱりすげぇな、晴明は」

 晴明の評判が良いと、物の怪としてはさりげなくうれしい。しかし、昌浩は正反対の感情を覚えるようで、じゆうめんを作っている。

「まぁまぁ、がんれや。いつか努力が実を結ぶ。それにしても」

「それにしても?」

 物の怪は、意地の悪いみをかべた。

可愛かわいかったなぁ、お姫様。お前もまんざらでもなかったんじゃないの?」

 昌浩は、無言で物の怪をかたからはらい落とした。




 昌浩が寝殿にもどると、それを待っていた吉昌がこしを上げた。

「では、これで失礼させていただきます」

「うむ。たのむぞ、吉昌」

「はい」

 道長に一礼して、吉昌はきびすを返す。昌浩もぺこりと頭を下げると、左大臣は破顔した。

「またいつでも来るといい。わたしには八つになる子がいてな、将来仕えることになるだろう」

「はい」

 頷きながら、昌浩は考えた。ということは、あの姫の弟か。どんな子供なのだろう。こんな大貴族のちやくだと、いろいろ考え方もちがう気がする。わがままじゃないといいなぁ。

 もう一度頭を下げて、昌浩は道長の前を退出した。

 中門では、吉昌が息子むすこが来るのを待っていた。

「父上、お待たせしました」

 急いでくつをはき、見送ってくれた女房や舎人とねりたちに礼を言って東三条ていを出ると、あたりは夕焼けに染まっていた。

 西洞院大路を北に向かいながら、吉昌は元服のかん役が決まったことを昌浩に告げた。

 加冠役というのは、後の後見にもなる大事な役割だ。加冠役の地位によって、出世が決まるといっても過言ではない。

「誰なんですか?」

大臣おとどの縁者でな、右大弁と蔵人くろうどのとうねておられる藤原ゆきなり殿どのだ」

 年は二十八歳で、同年代の貴族の中ではしゆつがしらだという。

 なんでも、以前じゆを受けた際に晴明に助けられたとかで、大変恩義に感じているのだという。その晴明の末の孫がめでたく元服をむかえることになったと聞きおよび、加冠役がまだ決まっていないのであるならばぜひ自分を推挙してもらえまいか、と道長に申し出たのだとか。

 道長にしても、将来有能(予定)の陰陽師見習を自分の手の内にしておきたい。行成の申し出は、道長にとっても願ってもないことだったのだろう。

 時の権力者が自らさいはいしてくれたのだから、断るいわれはない。客観的に見て、これで昌浩の将来は約束されたも同然だ。

 約束されたはいいのだが。

 昌浩はなんともいえない気分で考え込んでしまった。

 これで、役立たずの大して実力もない陰陽師になったら、しゃれにならないぞ。

 過度の期待はものすごい重責だ。

 やれやれと息をつき、昌浩はせまりくる元服の日に思いをはせるのだった。

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