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「…
ぼそりとつぶやくと、
「しかたないだろう。これでも
「俺のほうが大きいから、お前より
「だから、これ以上は寄れないっての」
ぼそぼそと、だが少しずつ会話は
「まったく、もうちょっと考えようがあるだろう? なんだってこんな地味でかつおそろしく気の長いしかもあまり有効じゃなさそうな手しか出てこないんだよ」
「だったらもっくん、何かいい手でもあるのかよ」
明らかに気分を害したらしい声が、不満たらたらで言い
「そういうのを考えるのはお前の仕事。人に
「……」
「あーあ、今夜も
「…だぁったら、付き合ってないでとっとと帰れっ! 第一、
「おっ、そんなこと言ってていいのか? 俺がいなかったら心配でしょうがないじゃんか。お前まだまだ半人前のくせに。あーあ、あの小さくてかわいい
わざとらしくさめざめと泣くそぶりを見せる相手のほうをじとっとにらみ、昌浩は冷たく返した。
「…お前と初めて会ったのは確か数ヶ月前で、俺はすでに十三歳だったはずなんだが、どうして『小さくてかわいい』なんて
いくら目を
「……あ、ばれた?」
昌浩は、
ざわざわと、冷たい何かが接近してくる。
それは、常人には感じ取ることの出来ない特異な存在。だが、多少
じっとりと、昌浩の額に
「……来た」
奴は、こちらが姿をさらしていると現れない。三日待ってもだめだったので、今夜は姿を
さて、これからどうする。やはり一気に片をつけるために、ぎりぎりまで近寄ってきてから飛び出すのが得策か。
こそりと、
「ぬかるなよ、
ぶちっ。
頭のどこかで何かが切れた音がする。反射的に昌浩は
「孫、言うなっ!」
がたがったんという派手な音が、彼の声に重なった。思わず立ち上がった
ぱあっと開けた視界。
ときは夜半をかなりすぎた
真っ暗で窮屈だった唐櫃とはうってかわった明るさと開放感の中、昌浩は足元をぎっとにらんだ。
「なんども言うけど孫言うなっ! わかったかっ、物の怪のもっくんっ!」
「そういうお前ももっくん言うな」
四つ足の生き物が、昌浩の足元で
それは、大きな
対する昌浩は、「いいじゃん別に、たいした違いじゃない」と取り合わないので、物の怪は不本意ながらも「もっくん」と呼ばれている。
細い
「おい」
「なんだよ」
「前」
「あぁ!?」
半分けんか
目と鼻の先にいる、
すっぱりきっぱり忘れていたが、そういえば本来の目的はこいつだったのだ。
とっさに動けない昌浩の前で、大髑髏はその
都には、無数の妖が
いま、昌浩と
昌浩は、その
元服の日取りを決めるための
さて、安倍昌浩は、非常に有名な祖父を持っている。
その名は安倍晴明。
あの晴明の孫、と。
本人的に、非常に
「昌浩っ!」
眼前に
昌浩は目を
「歯────っっっ!」
昌浩は反射的に下がろうと右足を引き、唐櫃のふちに
もしかしなくても、転ばなかったらあの歯にかじられていたのではなかろうか。
「昌浩、立てっ!」
物の怪が昌浩の
「うわっ」
横に
「なにす…っ!」
すると、それまで昌浩がいた場所に、大髑髏が
すさまじい音を立てて、
「────…わぁい」
さすがに
「やっとお出ましか、よくも四日も待たせてくれたな。ここで会ったが百年目」
「そうだそうだ、言ってやれもっくん!」
「いいか都を
昌浩は思わず
物の怪の、少し高めのよく通る声。しかし、その内容は。
彼は何とか立ち直って
「ちょっと待てもっくん、その言い草かなりひどくないか」
「
昌浩の
「ほら、来るぞ」
都はずれのあばら家に、夜な夜な化け物が
そんな相談が祖父の晴明のもとに持ち込まれたのは、十日ほど前のことだった。
そのとき安倍
そろえなければならない調度品や衣類の注文、後の後見役にもなる
安倍邸の一角に構えられた自室で、昌浩は山のような書物に囲まれながら、それを一心不乱に読み
陰陽道の関係書物は、祖父の晴明を筆頭に、父の
そこに、晴明が姿を現した。
「おお、感心感心。
「……どーしたんですか、わざわざ」
突然やってきて
昌浩にはひとつの確信がある。
彼の祖父であり稀代の大陰陽師安倍晴明は、人間ではない。
晴明の母は
たぬき。これだ。
しかも、ただのたぬきではない。何十年も生き延びて
深くしわの刻まれた顔をほころばせて、晴明は書物や巻物をどけると、よいしょと
昌浩はちっと舌打ちして、しかたなく立ち上がると、自分が使っていた円座を晴明に
「
「……用件は何ですか」
素っ気ない昌浩の態度に気分を害した風もなく、晴明は
「そうそう、昌浩」
「はい?」
床にじかに腰を下ろしながら首をかしげる昌浩に、晴明はほけほけと笑いながらこう言った。
「化け物が出ているとのことだ。お前、ちょっと行って
大体、正式に
「もっくん、そう思わないっ!?」
「わかったから、とにかく
直立歩行も可能な物の怪は、しかし
あばら家と言っても、なにがしかの貴族の住居だったこの
ぼろぼろになった
その後を、大髑髏が障害物をなぎ倒して追ってくるのだから、なかなかにぞっとする
「わっ!」
昌浩が突然つんのめって、そのまますっ転んだ。暗がりで見えなかったが、なぜか
「あたたた」
もろにぶつけた額を
「おいおい、しっかりしてくれ、晴明の孫」
昌浩は呼吸を整え、両手で印を結んだ。
「オンアビラウンキャンシャラクタン!」
大髑髏がぴたりと動きを止めた。
昌浩は首にかけていた
「ナウマクサンマンダバザラダン、センダマカロシャダソワタヤウン、タラタカンマン!」
痛いほどの妖気が大髑髏からほとばしる。それは
「おー、少しは上達したか?」
茶々をいれる物の怪を片足で蹴り、昌浩は
「
言上もろとも放たれた符は、大髑髏のちょうど額に当たると、まばゆい
すさまじい
「……
「そういう問題と違うだろう!」
首をかしげた物の怪の場違いだが
その
昌浩は目を見開いた。
大きな、それこそ
「うそっ、ちょっと待ってっ!」
さすがに
その正体は、
大量の髑髏が、昌浩を一斉ににらむ。さすがに息を
「いいか昌浩、物の怪っていうのはな、ああいうのを指すんだ。これ以降、俺のことを物の怪なんて呼ぶなよ、ちゃんと実物見たんだから」
「こんなときになんて冷静なっ」
半分泣き声の昌浩に、物の怪は
「あ? あー、問題ない問題ない。だって、お前のさっきの術で、こいつら大髑髏でいられなくなったんだぜ? ということは、もう悪さする力が残ってないっていうことさ」
自信満々に語る物の怪に呼応したかのように、それまで昌浩をじっと
数千の髑髏だったものは、ごうごうと音を立て、
昌浩は全身の
「お、終わった……」
息をつきながらつぶやいたとき、不意にびしりという不吉な音がした。
「びし……?」
昌浩と物の怪が同時に顔を上げると、天井の
ばらばらとたくさんの
「わ────っっっ!」
倒壊する邸の中から、昌浩の
「思うんだけどな、昌浩」
「……なんだよ」
ほこりまみれの物の怪が、
「やっぱり、運がいいっていうのは大事だよ。日頃の行いに関してはあんまり自信持てなくても、運がいいだけでやっていけるもんだって」
同じくほこりまみれの昌浩が、さすがに力なく座り込んでいる。
「俺の日頃の行いがいいから、梁にも屋根にもつぶされずにすんだんだって、どうして言わないかなぁ」
見事に倒壊したあばら家の
が、昌浩は知っている。倒壊の瞬間に
そして、全てが収まると同時に人影は消えて、自分と物の怪が残った。
「あーあ、あちこちぶつけちまった」
傍らで、顔をしかめながら大きく
「…ふぁ~あ…ねむ…」
三日の
ぐらぐらと船を
「こらこら、
「うー」
物の怪は
「でぇいっ、起きろ晴明の孫っ! 孫ったら孫っ!」
しかし、叫ぼうとも揺さぶろうとも、昌浩は
「捨ててくぞ、ちくしょーっ」
物の怪の情けない声が
気がつくと昌浩は、
「…はれ?」
起き上がって周囲を見まわしてみる。見知った天井と調度品。日に焼けた
彼の
思わず額に手を当てた昌浩だったが、心配ないのかと考え直した。
この
昌浩は自分の姿を見下ろした。
身に付けているのは
などなどという
それにしても。
「別にあのままあそこで寝てても良かったんだけどなぁ」
かりかりと頭をかいてひとりごちると、それまで寝ていたはずの物の怪の足が、昌浩のわき腹を
「うぉっ」
ひょいと起き上がった物の怪は、
「礼を言え、礼を。
しかし、昌浩は物の怪のいうことを聞いていない。ぐしゃぐしゃのまま放置されていた狩衣と狩袴を広げて首をかしげている。
「うーん、
「お前なぁ、
「あ、もしかしてもっくん、板か何かに俺のことのせて来たんだ? あったまいいなぁ」
「あ、そうそう。さすがに着物破けたらかわいそうだと…て、ちがうっ」
ついつい昌浩の話につられてしまった
「いくら五月半ばとはいえ、明け方は冷えるからと思っていっしょうけんめー運んでやったっていうのに、昌浩、お前って
「昔っていつだよ、数ヶ月前は昔とは言わないって」
昌浩は首を
「もっくん
「誠意が見えない礼の言い方だなあ」
半眼になる物の怪の背を軽くたたいて、昌浩は
「さて、
見たかたぬき
「──それなんだがな、昌浩」
昌浩の横でおすわりをしていた物の怪が、
「あれ。晴明から」
「じい様から?」
物の怪は
「…………」
だんだん昌浩の顔が
やがて彼は、ふるふると
ぐしゃりと握りつぶされた晴明からの文、それにはこのように書かれていた。
『ひとりで祓ったにしても、あばら家
つまりはあれか。晴明は
「……」
心得ている物の怪は、昌浩と
そして昌浩は、丸めた文を
「あんのクソジジイ─────っっっっ!」
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