あしおと、爪痕、ENTER KEY⑤
都築 三子の運転手、伊藤 京一 51歳の証言より――。
私は、都築家で運転手を務めて8年になります。40歳にして、10歳以上も年下の妻との間にもうけた息子もいて、その息子はママにはまだ甘えん坊であり、私とは恥ずかしさはあるみたいですけど、仕事から帰ると子犬のように駆け寄ってきてくれるんです。
私の車の運転の腕を認め、雇ってくれた都築家の人たちは私に対して友人のように親戚とでも接するように親しくしてくれており、私も心地好く務めています。
おおむね良好な人生だと思ってます。
お嬢さんの大学への送迎を依頼されても断れば良かったとは、振り返ってみても思えません。大学まで空手で鍛えてもいたし、恩のある都築家のため、お嬢さんのため、特別手当も出してもらえるとも聞いていて、もし不審者の一人でも見つければ警察に突き出してやろうとすら考えていました。。
都築家から警察にも相談しているとのことで、すぐに犯人も厳重注意なり、とにかく何か処罰してもらって解決されるだろうと見込んでもいたんです。
そうして無事に一日の仕事と、お嬢さんの送迎の初日を終えて帰宅した夜のことでした。
「ただいま」
私は眉をしかめました。
いつもなら妻から「おかえりぃ」と返ってくるはずなんです。
けどその日は違って、廊下からリビングへの扉が開けっ放しで、茶目っ気のある笑顔で迎えてくれるはずの彼女がひどく無表情で焦点の合わない目をして立っていたんです。
私は戸惑って、尋ねました。
具合が悪いとかショックな事でもあったのかと心配する気持ちが浮かんだんだと思います。
「ぼおっとして、どうしたん?」
そんな私に妻はやんわりと笑って
「ねえ、あなた。高いところから下を見た時にね、『今、ここから飛び降りたらどうなるんだろう?』ねぇえ、どうなっちゃうんだろう、って考えて、
地面に引っ張られそうな気ガシテネ、喜ビニ震エタコトッテナァイ?」
何が嬉しいのか唇を捻じ曲げてニイッと笑って、そう、言ったんです。
光の無い黒い空洞のような眼をしていました。
――ぞっ、としました。
私は言葉らしい言葉も声も出せず、息を吸い込むだけで精一杯でした。
突然の意味不明な質問に私が答えられずにいると、
「大丈夫、変な顔して」
と彼女が首を傾げ、こちらを窺ってきました。そこにいたのは私の知っている
いつもの彼女でした。
何か取り繕う言葉を話しましたが、どんな内容だったかは覚えていません。
目を逸らすように脇に目を向けた私は、固まりました。
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