あしおと、爪痕、Enter Key①

 あの生首は何がしたい?

 天井から長い髪を垂らした首から上だけ女が、身体?顔?をくねくねとくねらせている。髪に隠れてどんな表情かまではうかがえない。

 自分は今、さぞ濁った眼をしているに違いない。真央は授業中にも関わらず、大きなため息をこぼして思う。

 大講義室にマイクを通した教授の声が響いている。一年次の必修であるため大講義室の席は、ほぼ空きが無く学生であふれていた。真面目にノートを取ったり教授の話を聞いて授業を受ける者と、スマホをいじったり居眠りしたり、ひそひそ雑談に興じる者。半々といったところか。

 そんな中、真央は出席するだけでなく単位はしっかり取りたいので真面目に授業を受ける派だ。

 そう、受けていたのである。

 しかし今、真央の意識は建物の二階ほどの高さ、吹き抜けの天井に向いてしまっていた。教壇に立つ60歳台であろう教授のバーコードの様に見事にすだれた頭。そこにソフトクリームのごとく、とぐろを形成しつつある黒髪の行方はどうなるのか。視線だけ上へ動かすと、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた生首女と眼が合ってしまい慌ててそらす。

 どうしてこうなった!?

 そっ、と正面を見ると、心なしか教授の顔が火照り、息苦しそうだ。教授には見えていないだろうが、あんなもっさりしたソフトクリームか、う○ち的な物体が乗っていたら、重そうだなあと同情するしかない。

 憑いているのか否か、見える人レベル1であろう真央としては判断するのも難しいのだ。思考する内にも髪の毛は更なる変態、もとい変化を遂げようとしていた。

「ほぉぉおい!?」

 意図せずに奇声を真央に漏らさせた新たなヘアスタイルは、国民的な家族の日常を描いたアニメーションの貝な名前のお母さんの髪型であった。

 芸術的すぎるスタイリングを前にして咄嗟に手の平で口をふさいで声を絞れた自分を褒めてやっても良いんじゃなかろうか。

 教授が咳こみだした。

 やはり何らかの霊障か、残念な効果がありそうな気がするが真央には、どうしたって判断がつかない。

「――ま、――ねぇ、ま――ちゃ――。」

 妙な物が見えると気付いたのも5/2の事件。ニュースで謎の集団昏倒災害と一時世間を騒がしていた一件。

 父を亡くし、真央自身も5/9に目を覚ますまで意識不明に陥っていた。あの時、瞼を開いた瞬間、真央の暮らす世界の価値観は違ってしまった。

 一週間ほど寝ていた後のリハビリに、3週間かけた。

 5/31に退院するまでの間に真央は様々な俗に言う霊体験に出くわした。それまで記憶している限り心霊現象など見たことなどない霊感ゼロ人間を自負していたのに。

 毎日、霊を見ない日は無かった。

 それはもうばっちりハッキリと。

 泣く子も黙る恐ろしい形相で生きている人間を睨んでいる者や、頬はこけて目の下を窪ませて生気なく廊下を滑るように歩く入院服の死人に出会った。敷地内の庭では3本尾の猫が横切ったこともあるし、半透明のカラスが火の玉をセットにして頭上で鳴いていた時もある。誰かにこの体質について相談するか悩みもしたのだが――。

「まーちゃん!」

「――はひっ!?」

 飛び上がってしまった。

「ど、どどどど、どうしたの?」

 ついでにどもってしまう。恥ずかしい。

「どうした、は私のセリフだよ~。さっきからまーちゃん、様子変だったから。何かあった?良かったら、話聞くよ?」

 気遣わしげに声をかけてくれたのは隣に座っていた高校からの親友の、都咲三子とさき みつこだった。

「まーちゃん?」

 丸顔で優し気な顔立ちの三子から寄せられた戸惑い混じりの温かさに、不覚にも涙が勝手に浮かびそうになるのをとっさに飲み込んだ。

「――ありがと、三子ちゃん。」

 ここで泣いたら情緒不安定もいいところである。しかもやり取りの最中にも、謎の髪の毛は教授の可哀そうな頭髪と合体を続けているのだ。

 そして事件は起こる。

「ぶぇぇぇっくしょい!」

 教授のくしゃみの振動でカツラと化していた黒髪が前にずり落ちたのだ。

 前髪と呼ぶには長く、黒髪が顔から腰の辺りまでを覆いつくしている様は悪霊のごとくである。教授の表情は全く伺えなくなってしまった。

 当の本人にも、真央以外の誰にも見えていないから騒ぎにはなってはいない。おかげで涙は引っ込んだ。ついでに目から生気も引っ込んだ。

 気付かないというのは幸せだ。自分を襲う髪に教授が気付いていたら失神ものだろう。そっと生首の女を覗くと、何故かとても残念そうにうなだれたように見えた。逆さまなのだが。

 すると、女がこちらに二度目のニヤリとした笑みを、ただ前と違ってそこはかとなく真央には気落ちしたように感じる笑みをこぼして、髪の毛ごと天井に吸い込まれるように消えてしまった。

 唐突な退場にぼおっと天井を凝視してしまう真央。正気に戻してくれたのは、授業終了を告げるチャイムの音だった。

 油?でテカッた顔で爽やかな笑顔で授業終了を告知する教授の声を聞き真央は、ようやく黒板の板書が終わっていないことに思い当たり、とりあえずスマホのカメラで黒板を撮影する。続々と席を立つ生徒たちの波に三子ちゃんと遅れないように続きながら思う。

 誰かに妙ちきりんな正体不明の何かが認識できることをいいかげん相談しないと色々と困る。

 

    



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