第4話 ニートは安易に共感せず

私は完全なるゆとり世代の人間だ。

土日は学校が無く、小学生の時は道徳の時間やボランティアの時間が多く存在し、

ついでに田植えや芋掘りなんかを地域の住民と協力して行う授業なんかもあった。

文字に起こしてみると「これだからゆとりは」と声をあげたくなるかもしれない。


恥ずかしい話、自身でも「ゆとりだな…。」と感じてしまう話がいくつかある。

同年代が働き出して、まずよく聞く言葉は「土日休みがない」だった。

社会人なのだから当たり前だろう、と軽く返答してみると

「これじゃイベントに参加できないから、近いうち転職する。」と返ってきた。

優良企業で、珍しく地方でも福利厚生や有給消費が義務付けられているというのに

なんて甘ったるい思考で生きてきたのだろうと、私ですら硬直してしまった。


これだけじゃないのが恐ろしい話だが、

SNSを活用して同年代の情報を集めると殆どが働きだし2年経たずに転職している。

しかも、こぞって土日休のデスクワークに再就職したようだ。

それぞれがオサレな生活を気取るために読みもしない本やら料理グッズを片手に

写真をインスタに投稿しているのをみて意味もなく腹が立ってくるではないか。


少しだけ、不満を語ろう。

他人とのプライベートをほとんどわけない現代に、辟易しないか?

私は正直、いまの世代のコミュニケーションが苦手だ。

カップル垢や悪口用アカウント、芸能人の結婚に一喜一憂しては他人と

大して深くもない傷口をなめあう社会を、ゆとりの世代は継続させていくだろう。


ゆとりの国は野心も闘争心も持ち合わせない

大学なんかはサークルと飲み会が社会勉強と信じて疑わない

そんなやつばかりで、先輩も後輩もそこでゼミやら単位の話やら

楽してうまくいく手法を一部の慕ってくれる後輩にだけ教える。

そのおこぼれをその友人たちが拾い、馬鹿でも卒業ができてしまう。

そんな奴ばかりを横目に見て、まじめに頑張ってきたけれど

報われる日が、来るのだろうか。


悪いことばかり語ってしまったように感じたので、

補足すると、それでもゆとりでよかったとも感じる日々がある。

ボランティアや稲作なんかをしていたおかげか、多方面から社会に触れてきた。

農耕器具で指が欠けた高齢者やボランティアでハンディキャップを抱える人に

ふれあい、かかわりながら成長してきた部分がある。

だからこそ偏見や差別といった言葉には縁がないかもしれない

ジェンダーフリーやら男女平等やら、当たり前に受け止める気構えはできている。

そういった部分では近い未来に適応しやすい人材かもしれない。


長々と語ったが、私の意見は根拠がないため過度な期待はしないでくれよ。

散々偉そうに語ったが、ニートの立場で言えたことじゃないな。


明日こそ、軽い寝物語を書いてみようと思っている

いい夢をみようではないか、それではおやすみなさい。

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