第3話 ニートは脆弱な凡人なのか 

本日は筋トレに勤しむ一日であった。

一週間に3回はジムに通うことを決意した。


時間だけは使い放題だから、いまのうち肉体を鍛えるよう努力している。

25歳を過ぎると筋力の低下は早まると小耳にはさんだので

いまが最後のチャンスといっても過言ではない。


ニートはどうもすっきりしない毎日を送っている。

完璧な1日を求めすぎているのだ。

家事をして運動をして資格取得に励み

趣味に没頭したいと考えているが、

いつも何らかの要因で躓いてしまう。


完璧主義だったのだろうか、

無駄な時間をだらだらと過ごせない。


ネットニュースではついこの間まで過労死をピックアップしていたのに

昨今の若者は怠けがちだとか、日本の生産性が低いだとか

誰が何をいいたいのか情報が溢れすぎていて

心の弱い個人としては誰の話に相槌を打たねばならないのか、

よくわからないままだ。


正しくあれ、なんて無理な話だろう。

ニートは幼いころ、捨て猫を拾ったことがある。

田舎では餌をやる高齢者が多いためか子猫が家までついてきてしまい、

我が家では理由があって買えず、また捨てるような真似をしたことがある。

だがその猫は自力で我が家までまた訪ねてきてしまい、

次の日、両親がもっと遠い田舎まで車で乗せていってしまった。

ミャーミャーと縋るような声を思い出すと、ずっと昔のことなのに胸が痛い。

今の時代ならツイッターで拡散して飼い主の募集もできただろう。

けれど、時代が悪かったんだ

そう思うことで自分の胸の苦しみをとろうとしている。


あとはイベントのバイトで餅を切るバイトをしていたときの気持ちに似ている。

イベント最終日に切り餅の余りを廃棄するために同じくバイトたちで

余った餅をゴミ袋に移し替えていると、1人のバイトが

「こんなにお餅があるのに、捨てるなんてもったいないです。

 世界中には餓死する人で溢れているから、アフリカにもっていけばいいのに。」

この言葉をきいて、賛同する人がいるならどうぞこのお花畑娘と仲良くアフリカまでのヘリを用意してくれ。


地域のホームレスに配れと言っても衛生上、危ういものは彼らにも選択権がある。

アフリカの人だって知らない国の食べ物には興味がないかもしれない。

餅がオートミールより健康的かどうか比較すれば明白だろうが、

白米やもち米よりよっぽどオートミールを送ってほしいことだろう。


責任能力のない軽はずみな発言や同情は、ただの偽善だ。

捨て猫を捨てることにかわいそうだと思っていた私も、偽善者だ。

肝心な行動を自分から起こすことができていない点で偽物だ。


私は考えすぎてしまう。

考えなしの周囲の発言に思考を奪われてしまう程度には、心が不安定だ。

だってそうだろう

生きる意味も自己分析もしたことがない奴らが、

「マジやばい。てか、考えてもわかんない。」

とかすっかすっかの発言をして世間を回しているのかと思うと、

全身が研ぎ澄まされて衣服の刺激すらかゆいような感覚に陥る。

これをストレス過敏というのだろうな


なあ、鈍い彼らは苦楽のうち楽ばかりを求めていて

鋭いニートが苦痛を感じるのはなぜなんだろうか。

生きづらい

そんな少数派はどうやって生きていけばいいのだろうな。

死ねば?と

集団に投げかけたら返ってくるんだろうな。

けれど死ねない。

アフリカに餅をもっていくことよりも

生きることは難しいから向き合う必要があると思うからだ。


また鬱的な思考にとらわれそうなので、本日はここまで。

おやすみなさい

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る