第2話 ニートの思う芸術とは
わかりやすいようにタイトルにニートって入れてるんだけど
語呂がよくて使いやすいから今後も続けていきたい。
暇なニートである筆者はただいま芸術の迷い人だ。
音楽番組を好んでみたことはないし
楽器を手にしてアンサンブルやらバンドセッションなんかを
したこともなけれど、それでもいろいろ聴いている。
絵画や彫刻なんかも高尚でいいなとは思うものの、
田舎ではどこで生まれたのか不思議でならない地蔵なんかしか
見て回れないんだから、まあ触れてこなかった部分だ。
芸術をwikiなんかで調べると表現者と表現物と鑑賞者の間で
相互に作用する精神的・感覚的活動と記されている。
正直、地元の地蔵が風化して砕けているのをみていて
申し訳ないような縁起の悪さを感じることがある。
これは芸術か?
いや、違うな。地蔵の製造年数を考えると
決して相互に作用しているとは思えない。
もしかして、図工や美術・音楽を義務教育で学んでいたけれど
自分は芸術を理解できていないのではないだろうか。
そしておおよそのひとが私と同じ芸術の迷い人ではなかろうか
そういった考えにたどり着いた。
ならばここでじっくりと考えてみようと思う。
芸術をとらえ始めるニートの過程を
簡単に触れてきたものとして絵画を例に扱うが、
いまの私でも名前を聞いたことのあるような
有名作家の作品を遠い過去である幼児の私がみたとしよう。
その子どもは壁にかけられた絵をみて何を感じるだろうか
おそらくだが、幼児の私には壁が一部模様がかかっている、といった
違和感のようなものしか拾えないのだろう
それどころか絵画に怯えて泣いていたかもしれない。
もっと年齢を高めて、小学生の頃の私がみたとしよう。
教科書に載っている絵に遭遇したとしても
(教科書に載っているとおりの絵だな)と思うだろう。
そこに特別性を感じないし、絵は絵であって
自分が書く落書きより上手だとか、どうやって書いたんだろうと
疑問に思ってもそこから同じものを書いてみようとは考えないだろう。
それよりも自分の脳内のイラストを描き起こすのに夢中だったに違いない。
中学生くらいの私が絵画をみたとして、
きっと抱くのは目の前の絵の技法だとか芸術家の苦悩や当時の生活、
そしてどこの絵なのか何をモチーフにしていたのかとか
絵としてではなく、絵描きの人生や絵ができあがる背景だったりで
テストに出るぞと言われた作品をマーカーで色を塗るくらいで
この絵に特別な意味をもつことはしないだろう。
しかしこの時期に多感で芸術を生涯の仕事につなげると
意気込んでいた友人もちらほらいた。
つまりは自己を表現したいと意気込む年頃であったのだろう
過剰な自信を持ったようにふるまう彼らが羨ましかったものだ。
そして高校生の頃の私が絵画を目にして何を思うか
(いいな、芸術家になって家に籠っていたい。)
身近に迫った社会への扉と周囲の否定的な感情に塗れて
きっとそこが社会から隔離された楽園のように扱っていただろう。
絵をどこか別の世界のように受け止めて、
現実を忘れるためにみつめていただろう。
漫画やアニメをみるときのような別世界の窓として絵を見ていただろう。
つまりは、私が思う芸術とは必ずも相互作用を生むものではなく
作品をどう見つめるかの自身の成長や心境によって変化してみえる別世界の窓。
そして自分の中の芸術とはなにか過去に振り返ることで
当時の自分の価値観をカケラでも思い出させてくれるタイムマシーン的な役割が
ほんの僅かにでもあるのではなかろうか。
それゆえに、どれだけ時間がたとうとも芸術は色あせずに誰かの特別として
心にとどめられているのではなかろうかと、考える。
夕日がぼんやりと沈んでいく、また今日も終わってしまうな
散歩コースに無残にも横たわる、地蔵を眺めては切なくなる。
いつか私の芸術の記憶に
この身元不明の地蔵がランクインしていることだろう。
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