第3話
家に帰ったら、お母さんがリビングにいた。取り込んだ洗濯物をたたみながら、テレビを見ている。番組に夢中になっているらしく、こちらを振り返る気はないようだ。
リビングの壁の時計は、四時半を差していた。
ああ、そうか。お母さんの好きなドラマの時間だったんだ。
そういえば、前に言ってたな。お母さん、このドラマが好きだったのよ。再放送やるなんて嬉しい。これは見逃せないわあ、ってね。
だったら、今がチャンスだ。
リビングの前の廊下を通って二階に上がるなら、今しかない。
「ただいまあ」
わたしは声を出すと、パタパタ廊下を走り、階段のいちばん上まで駆け上がった。
「果歩、帰ったん? 遅かったわねえ」
コマーシャルに切り変わったのだろうか。階段の真下から、お母さんが声をかけてくる。
うわ。
一瞬ギクリとして、躊躇してしまった。だけど、うちの階段は、なだらかなカーブのらせん型だ。わたしの部屋は死角になっている。お母さんのいるところからは、わたしの姿は見えないはず。
「うん、ちょっとね。中学のときの友達に会ったもんだから、話し込んじゃって。少し遅くなったんよ」
お母さんに怪しまれないように、落ち着いて答えるわたし。本当のことだ。嘘をついたわけじゃない。
「ふうん、そうなんだ。よかったわねえ」
お母さんの気のない返事が帰ってきた。
「着替えたら、手を洗いなさい。うがいもきちんとするのよ」
それ以上、追及することなく、スリッパの音が階段から遠ざかる。
ふう、よかった。
お母さんに見られたら、あとが面倒なんやもん。いちいち説明するの困るし。
わたしはホッとして、部屋の中に入った。
末成くんのセーターを脱いで、ベッドの上に広げた。たるみを伸ばして、袖の端まできちんと置く。それから、わたしもベッドの上に座った。
こうして改めて見ると、末成くんの体の大きさがわかる。セーターの袖は、完全にベッドからはみ出していた。足のサイズも大きいんじゃないかな。
三年間利用することを見越して、大きめのサイズを買ったのだろう。どこの家でもやることは同じだ。うちだって、そうだし。
にしても、やっぱり大きいな。たぶん……百七十センチぐらい?
わたしなんか、卒業してから、ちっとも変わっていない。スカートは長いままだ。うらやましい。
深々とため息をつく。
わたしって、成長がストップしているのかもしれないなあ。
思わず力が抜けて、ベッドにばたん、と倒れ込んだ。
そうしたら、末成くんのセーターに顔をギュッと押しつける格好になった。
彼の匂いがする。
彼と目が合ったことをふいに思い出し、ほっぺたが熱くなるのを感じた。
末成くん、背が高くなって、かっこよくなってたな。
ぜんぜん知らない人みたいだった。
やっぱり彼女、いるんだろうか。
うん、きっといるんだろうなあ。
なんだか切ない。
階下でピンポーンと鳴る音がして、わたしはあわてて飛び起きた。
「あっ!」
――わたし、何をやってたんやろう。
恥ずかしくてたまらなかった。人様のセーターに、しかも彼氏でもなんでもない人の服に、ほっぺたをすりすりしていたのだから。思わず顔を両手で押さえる。
――やだ。こんなん、変態やん。
頭の中で、いろんな言葉が巡る。それでも、自分の行いは変態としかいいようがなかった。
そうして悩んでいたら、お母さんの甲高い声が聞こえてきた。
「あら~、坂井さん! こんにちは。まあ、回覧板ですか? ご苦労さまです~」
お母さんの声で、いっそう恥ずかしさが増していく。
さっきより、もっと大きなため息が出た。
あかん。こんなこと、しとったら。
お母さんにばれないうちに、さっさと洗濯をして、彼に返そう。
とりあえず、今はどこかに隠す必要があった。
わたしは部屋を見まわし、セーターを隠すのに都合のいい場所をさがした。
やっぱり木を隠すなら森の中、かな。
クローゼットの戸を開ける。
ベッドへ戻り、セーターの袖を折ってくるくる丸めると、クローゼットの中の衣装ケースのふたを開けて押し込んだ。
ここなら、とうぶん大丈夫。お母さんに部屋を掃除されても、見つからないだろう。服が衣装ケースの中に入ってるだけなんだし。
わたしは満足して、クローゼットの戸を閉めた。閉める前に、ついでに着替えのジーンズとTシャツ、パーカーを出す。
制服のリボンをほどいて、カーテンレールの端っこに引っかけた。
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