第2話

 それは、あまりにも唐突だったから、本当にびっくりしてしまった。

 と同時に、彼の口調が自然でさりげないものであったことに、ため息をつきたくなった。

 末成くんって、女の子に優しいんだな。って、がっかりしているわたしがいたのだ。

 うそみたい。

 そんなふうに思う自分自身に、少なからず面食らってしまって――。


 しばらく返事をしないままでいると、末成くんが怪訝そうな顔をした。

「日渡……?」

 黙り込んだわたしを、少し心配そうに覗き込む。

 彼と目が合いそうになったので、わたしはあわてて首を横に振った。

「ダメだよ、そんなことしたら。末成くんが風邪をひいちゃう。だって、もうすぐ練習試合があるんやろう?」

 彼の優しさは嬉しかったけれど、セーターを借りるわけにはいかなかった。ただの同級生にしては度の過ぎる行為だったし、男物のセーターを着て家に帰るのは恥ずかしいと思ったからだ。

 他の同級生や知り合いに見られたら、冷やかされるんじゃないだろうか。

 末成くんは気にしないのかなあ。

 わたしにはいろいろ思うことがあるのに、末成くんはなんとも思ってないようだ。頑として引き下がらない。

「日渡だって、テスト中やろ? おれ、部活で鍛えてあるから平気やで」

 わたしの手にセーターを押しつけてくる。

 だからといって、はい、そうですか。と受け取るわけにもいかず――。

 わたしは、両手をげんこつにして、ギュッと丸めた。

「でも、ダメなものはダメやし……」

 声が風に散る。

「なんやって?」

 彼が訊き返したので、今度はもう少し、大きな声で言った。

「やっぱり、ダメやし。それに、恥ずかしいんやもん!」

「――へ?」

 彼の動きが止まった。

 あっけにとられた顔をして、目を丸くする彼。そして次に、クスリと笑った。

「そんなこと言うなよ」

 末成くんはささやくように言うと、自分の手元にセーターをぐいっと引き寄せた。その裾に両手を突っ込んで、横に広げる。

「遠慮しなくていいんやで」

 歩いて近づき、わたしの頭の上にそれを被せようと腕をあげた。


 一瞬、視界が真っ白になる。

「わっ」

 セーターが頭にひっかかった。

「ちょっと待ってや」

 末成くんがセーターを引っ張って下げてくれたので、わたしは頭を外に出すことができた。

 視界が開く。

 ふと気づくと、目の前に末成くんの顔があった。彼の両の瞳が、真っ直ぐわたしを見つめている。

「あ……」

 口から小さく声が漏れ、息苦しくなるのを感じた。

 末成くんはハッとしたあとに顔をそらし、軽く咳払いをした。


「ほら、手、通して」

「う、うん……」

 促されるまま、彼の言うとおりに腕を動かした。すっぽりと包まれる。とても大きいので、わたしのお尻の下まで隠れた。

 素直にセーターを着たわたしを見て、末成くんは満足そうにうなずく。

「これで寒くないやろう、な?」

 確かに末成くんのセーターのおかげで、いつのまにかお腹の痛みは消えていた。

 とってもあったかい。

「うん、だけど――」


 いつ返したらいいんだろう。今日だって、偶然会ったのだ。今度はいつ会えるかわからない。

 そう言おうとしたら、末成くんは手をあげて、わたしを制した。

「別にいいんやって。替え持ってるし。今度、また会ったとき、返してくれればええって。気にすんな」

 と、彼が平気な顔で言うので、かえって不安になってしまった。

「本当に大丈夫?」

 念を押して訊いてみる。

 彼は強くうなずいた。

「ああ、大丈夫。おれ汚してばっかで、母ちゃんによく怒られるんや。だから、ようけ服を持ってるんやで。今、クローゼットの中身、見せられないのが残念でしょうがないほどや」

 わたしを安心させようとしているかのようにニッと笑うと、さっき道端に放り出したスポーツバッグを拾った。バッグについた砂埃をパンパンと手でたたいて払い落とし、肩に担ぎあげる。

 ちょっと視線を下げて、わたしを見返した。

「じゃあな、日渡。テストがんばりやあ」

 と、言ったと思ったら、彼は急にダッと走り出した。


「すっ、末成くん!」

 突然のことだったので、「ありがとう」と声をかける暇がなかった。

 末成くんは神社の階段の前を通り過ぎて、あっというまに、わたしから遠ざかっていった。そのあいだ、こっちを一度も振り返ることはなかった。

 末成くん……。

 わたしは、ただ黙って彼を見送ることしかできなかった。


 そのときだった。


 ちょうど木枯らしが吹いてきて、凍えるような空気が頬にあたったのだ。

 でも、ぜんぜん寒くない。

 降り注ぐ光があったかく感じられ、心地いいとさえ思える。

 ――ありがとう、末成くん。

 肩からずり落ちそうになるセーターを押さえながら、わたしも家に向かって元気に歩き出した。

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