木枯らし
このはな
第1話
神社の長い石段のいちばん上。そこが、わたしの指定席だ。
学校の帰りにいつも寄って、そこに座り、ぼんやりと時を過ごす。
あたたかな小春日和のときも、木枯らしの冷たい冬の日も。
雨の日以外は、毎日そこで過ごすことにしていた。
いつのことだったろう。
そうだ、もう三年も前の話だ。
わたしはまだ高校生で、髪の色は真っ黒。スカートの丈も長く、今よりずっと野暮ったい女の子だった。
学校でテストがあった日、下校中この神社の階段をのぼろうとしたら、
「あれ? 日渡やないか」
と、ふいに声をかけられたのだ。
気づいて振り向くと、中学生のとき同じクラスだった男子、末成くんが立っていた。
「よっ」
末成くんは人なつっこく、ニッと歯を見せて笑った。
「久しぶり、元気だった?」
「う、うん、元気やったよ」
なんだかドキドキした。
わたしと同じぐらいの背丈だった彼が、わたしより高くなっていて、彼を見上げる視線の位置が変わっていたから。
男子ってすごいなあ。中学を卒業してから、まだ一年もたっていないのに。こんなに大きな変化をとげるのだ。
びっくりしてしまう。
自慢じゃないけど、当時のわたしは本当に引っ込み思案で、男子と話をすることもなかった。
女子校に通っていたので、臆病な性格にますます磨きがかかっていたのだと思う。
――あ、いたた……。
彼を意識したとたん緊張して、お腹が痛くなってしまったのだ。
むちゃくちゃピンチである。
とうぜん末成くんは、こっちの事情など知る術がない。
「うちの学校、来週から期末なんだ。日渡の方は?」
お日さまのような明るい笑顔で話しかけてくる。
わたしはキリキリと痛むお腹をおさえながら、必死に平静を装った。
「へえ、そっかあ。遅いんやねえ。うちは今日からだよ」
「ひえっ、今日から?」
「うん、だけどテストのあと休みがあるから。今回は三連休になるんで、楽しみなんやよ」
末成くんは、うらやましがった。
「いいなあ。私立は公立と違うんやな。おれなんかテストの終わった日から、さっそく部活だもんね。もうすぐ練習試合があるんだよ」
「練習試合? 末成くん、高校も野球やってるん?」
「おう。一年やから、球拾いばっかだけどな。あ、でも、代打で出るときもあるんやで」
得意げに言う末成くん。
わたしは、彼の足が速かったことを思い出した。
「そうかあ。末成くん、体育大会のとき、いつもいちばんやったもんねえ。今でも早いんやろうなあ」
わたしがそう言うと、末成くんは、ちょっと照れたように鼻をこすった。
しばらくは、なんとか会話を続けていられたが、そろそろ限界だった。
ますますお腹の痛みがひどくなり、冷や汗が出てきたのだ。寒い冬だというのに、体が熱っぽく感じた。
ひょっとして、風邪をひいてしまったのだろうか。
いやだなあ、テスト中なのに。
わたしは意を決して、彼に打ち明けた。
「末成くん、ごめん。わたし、お腹が冷えたみたい。家に帰りたいんやけど……」
彼は、あ、と小さく声を出した。
「おれの方こそ、ごめん。気づかなくて。長話をするつもりは、なかったんや」
「いいよ。気にしないで」
「じゃ、ここで。おれんち、あっちだから」
「うん、ばいばい」
「おう、じゃあな」
わたしたちは手を振りながら家のある方向へ、お互い反対の道を歩き出した。
もう彼と二度と会うことはないだろう。今日みたいな偶然が起きなければ。
振り返って、そっと彼の背中を見る。末成くんは寒そうに身を縮め、片手をポケットに突っこんでいた。
ばいばい、末成くん。
心の中だけでもう一度、彼の背中に向かって、さよならを言う。
そして、前を向き、タバコ屋さんの角を曲がろうとしたとき。
後ろからバタバタと走って来た誰かが、わたしを追い越して立ちふさがったのだ。
思わず足を止めて、視線を向ける。
「末成くん」
さっき別れたばかりの彼が、わたしの目の前に立っていた。
「どうしたの?」
自分の方から追いかけて来たくせに、末成くんは困ったような顔をした。「あー」とか「うー」とか言って口ごもる。なぜだか彼の顔は真っ赤だ。
「末成くん……?」
お腹の痛みを我慢しつつ、辛抱強く待っていたら、末成くんはいきなりスポーツバッグを道端に放り出した。制服の上着を脱ぎ、続いてセーターも脱ぐ。
わたしは驚いて、彼の顔をまじまじと見つめた。
と、彼のくちびるが動く。
「えっ?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。すぐに訊き返す。
木枯らしが吹いて、歩道に落ちていた枯葉がひらひらと舞った。
「これ、着ていけよ。寒いから」
末成くんの声が、木枯らしの中へ吸い込まれて消えていく。
彼の手には、今脱いだばかりのセーターが握られていた。
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