第二章 その二
【第二章 その二】
二日間の後宮入りする
凜莉は、赤い地に白い
「お似合いですよ。凜莉様!」
着付けを手伝ってくれた涼果が鏡
あれよあれよというまに、鏡の中の自分はそこそこ身分が高そうな
仕上げが終わって呼ばれた木蓮は、部屋に入ってきて目を見張った。
「うんうん。綺麗だ。手をかければ、凜莉も見られるね」
「手をかけなければ見られないんですね」
時々木蓮はとても失礼だと思う。
「すまない。つい正直な感想を……いやいや、とりあえず、着物は他にもたくさん用意したから。かんざしと靴と
「申し訳ないです。こんなに用意してもらって」
「いいんだ。後宮に入るならそれなりの
「……それはあまりに現実味がなさすぎて、いくらわたしでも信じられません」
「ええっ? 凜莉はどんな
木蓮がわざとらしく目を丸くした。そしてすぐに苦笑して気を取り直したように口を開く。
「まあ、
「恩があるのはわたしの方。木蓮が調合を教えてくれたおかげで、香を売って生活できるようになったし。今回だって身元引受人になってくれたおかげで宮廷に入れるんですから」
木蓮は、父が亡くなって生活が苦しくて困っていた時に、金銭的な
自立したいという思いを告げると、調合の仕方を教えてもくれた。
彼は調合の
「凜莉に宮廷で秘宝香を作る手伝いをしてもらいたいと私も思っているんだ。もし調香会で失敗したら、香道省は
木蓮がふと、心配そうな顔つきになった。
「ところで蓮歌様に後宮の事は話したのかい? 蓮歌様は西堂様の秘宝香の成果を認めなかった宮廷にあまりいい感情はもっておられなかった。後宮なんてと反対されたのでは?」
「ええ。きっと言ったら止められると思って、しばらく
?をつくのは心苦しかったが、身体が弱っている母にこれ以上心労はかけたくなかった。
医療所なら
「そうか。ではこの事は蓮歌様には
三人で輪になって
宮廷を
「父さまと来た時とぜんぜん変わってない」
門の中は白い玉
「父さまは
父が調合に
「いたっ……!」
「どうしたんだい?」
正面に座っていた木蓮と涼果が心配そうに顔を向ける。
「父さまの事を思い出そうとすると、いつもなぜか頭痛がするんです。宮廷に入って父さまの事を少し思い出しかけたんですけど、頭痛のせいで……」
木蓮が一瞬真顔になった。
「……あまり無理をするとよくないよ。この宮廷には西堂様との思い出もあるだろう。無理に思い出さなくても、そのうちまた頭に浮かび上がってくるさ。それにしても、西堂様はすごいね。香料を娘に
「父さまは何というか……浮き世
ようやく頭痛が治まってきたので、外に目を向けた。
「たくさん建物があるんですね。子どもの頃来た時は、
「建物は
木蓮が言葉を句切ったと同時に、馬車が止まった。
「ここが煌翔様の後宮として作られた麗華宮だ」
馬車から見上げると、真新しい朱色の柱が印象的な大きな建物が
「できたばかりだと聞いていましたけど、作られてからまだ一月も
「よくわかったね。つい二十日ほど前に完成したばかりだ。そんな事も鼻でわかるのかい?」
「はい。木の香りで建築されただいたいの年月がわかるんです。まだ木の香りがみずみずしいから、建ててそう時間は経っていないなと思って。それにしても立派ですね」
木蓮が先に馬車から降りて、手を差し出してくれる。
その手を借りて地面に足をつき、改めて麗華宮を見上げた。
後宮なんて見たのは初めてだ。しかも自分が入る事になるなんて、夢にも思わなかった。
(後宮は女性ばかりでもめごとも多いって聞くわ。
改めて決意していると、木蓮がこちらに向き直った。
「じゃあ、私はここで。あとは頑張ってね」
「ええっ!? もう行っちゃうんですか?」
「後宮に入れる男性は、皇族と許可を得た警護の兵だけだ。私が入ったら首を切られるよ」
冗談めかしているが、それは現実に起こりえる事だった。
「女性達の争いに巻き込まれて、毒を盛られたりしないでね。ああ、それは心配ないか。毒を盛られても、凜莉の
「ぜんぜん安心じゃないです! 毒以外で何かされたらどうするんですか。っていうか、そんな事が本当に起こるんですか? 後宮ってそんなに危険なところなんですか!?」
「冗談だよ……って言いたいけど、今回ばかりは冗談とも言えないね。死んだりしないでくれよ。ここに連れて来たのは私だから凜莉が死んだりしたら
そのひと言は、いまの
(木蓮……なんだかんだ言って、やっぱり
「じゃあ凜莉。気をつけて」
優しい指の
自分で決めた事は、最後までやり
「後宮のお部屋にご案内します。凜莉様」
先導して歩き始めた涼果を見て、思わず首を
「涼果は麗華宮に
「はい。私はもともと翼舞宮で母と
涼果のあとをついて、麗華宮に足を
手入れされた庭は、
「中も
しばらく歩くと、左手にある庭から
いい香りだが、思わず顔をしかめる。香りを嗅いで頭に浮かんだのは、
「すごい美人
東屋では、女性達がお茶を
彼女達は自分と年は変わらないように見えるが、
「凜莉様。頭を下げてください。みなさん、
涼果の小声での忠告にはっとした。
(確か、四妃は
涼果に
できるだけ
「あら、初めて見る方ですわね」
東屋から出てきた女性達が、
女性達は三人いた。前に立っている二人の姫ももちろん美しいが、目を
すらりと背が高く、まるで高価な人形のように品があって
(この立ち位置からすると、後ろにいる綺麗な姫が一番身分が高そうだわ)
さっと状況を
「こちらにいらっしゃるのは、
(いまのところ、皇族の次に位が高いのは
二日間で詰め込んだ知識を総動員して、いまの状況を理解した。
「ご
「特技で後宮入りしたの? だったら姫なんて呼ぶ必要ないわね。才人として勤めるのがせいぜいじゃない。女官と一緒だわ」
つんと顔を上げた珠華に、蘭々が
「ええ。特技があれば身分が
翡翠はじっとこちらを見据えている。年は同じくらいだろうが、圧倒的な美しさと迫力ある
「煌翔様が、麗華宮には一芸に
翡翠の
「は、はい。煌翔様のお考えに
しどろもどろで答えた蘭々がきっとこちらを
「だいたい、あなたも挨拶が
(ええ!? 挨拶はちゃんと教えられた通りにしたし、何も失礼な事はしていないわよ。翡翠姫に
そう思ったものの、口答えはしない方がいいと頭を下げた。
「申し訳ありません。至りませんで……」
「凜莉様は
涼果も頭を下げたが、その言葉がまたしても蘭々を
「疲れているですって? 挨拶もろくにできないくらい疲れているの?」
「それは……」
「たかが女官の分際で口答えなんて身分をわきまえなさい。なんて失礼なんでしょう。あなたみたいな女官がこの麗華宮にいるなんて許せないわ。
蘭々の声に、東屋で控えていた女官が数人集まってきて、涼果の
「待ってください。涼果は……」
慌てて止めようとしたが、
「逆らうおつもり? 私達は、身分も美しさも認められてこの後宮に来たのよ。四妃候補としてね。あなたはせいぜい才人どまりでしょう。煌翔様と会う事さえ叶わず後宮で一生を終えるのよ。後宮で出世したければ、私達の言う事を聞きなさい」
後宮で生きていく
しかし、
立ち上がり、涼果の腕を
「何をするの!」
「さっきの会話で涼果が口答えしたとは思えません。それなのに、下着姿で放り出すなんて」
「まあ、どういう口の
女官達も
「四妃候補の姫様達とは口を利くのも
なるべく冷静に、言葉を発した。蘭々達と同じように感情的になってはならないと思った。
「生意気な! 後宮で私達に逆らったらどうなるかわかっているの」
「十分わかっています。ですが罪のない涼果が
静かな
「何ですって……!」
「待ちなさい」
珠華と蘭々がぴたりと動きを止めた。翡翠が持っていた
「もうそのぐらいにしなさい。あまり騒がしくすると、麗華宮の品位が疑われるわ」
そのひと言に、珠華と蘭々はすぐに口を閉じた。翡翠が美しい黒い
「凜莉と言うのね。忠告しておくわ。あなたのような性格では後宮では長生きできなくてよ」
珠華や蘭々の嫌がらせの言葉より、翡翠のひと言の方が
翡翠が背を向けて歩きだすと、珠華と蘭々が
「凜莉様。助けてくれてありがとうございます。でも翡翠様達を敵に回してしまいました。どうしましょう。目立たないようにと木蓮様に言われていたのに。私のせいですね……」
「
涼果は目的を
「涼果はすごく助けてくれてる。ここにきた目的は煌翔様に
二人で目を合わせて頷きあう。どうやら後宮での生活は波乱の幕開けとなったようだった。
後宮で
凜莉はその部屋を見回して、目をきらきらとさせた。
「
下町の長屋とはとうてい比べものにならなくて、どこに座ったらいいものかと落ち着かないでいた。そわそわしつつ、入り口の戸を見つめる。
「涼果に
一月後には
「調香会に出るには陛下か煌翔様の許可をとらなくちゃ。でも二人とも、わたしなんかが簡単に会える方達じゃないわ。会って、しかも訴えを聞いてもらう為には準備が必要よ」
入り口の戸をそっと開いた。傷一つない
「落ち着いて。夢を
調香会まで時間がないと思うと、
涼果が帰ってくるまで待っていればいいのだが、その時間すら
いま自分にできる事をしようと、廊下に一歩
外観からすると、麗華宮はかなりの広さのようだ。とりあえず部屋の周りだけでもどうなっているのか
部屋から出た正面は庭に面していた。麗華宮は開放的な作りで、廊下は庭に面している事が多いようだ。手入れされた庭は、白い玉
涼果の話ではここには
「やっぱり広いな。これは覚えるの大変そう。道に迷ったらどうしよう。…………あれ?」
廊下を歩いて辺りを観察していたが、しばらくしてふと立ち止まる。そして振り向いて目を
「
建物の中なので、そうそう迷子にはならないだろうと思っていたが、来た道を戻っても同じような光景が続くだけで、自分の部屋がどこかわからなくなっていた。
「うわっ、どうしよう!」
頭を
「麗華宮には百人ぐらいいるはずなのに、どうして誰にも会わないんだろう。困ったな……」
混乱しつつ廊下を行き来していると、ふいに鼻がすっきりするような刺激のある
「甘いけど
火をつけなくても常温で香る香を小さな
「匂い香の香りがするって事は、……つまり、この香りの先には誰かいるって
改めて自分の
「よし、ここがどこか教えてもらおう!」
「いたっ!」
勢いよく背後にひっくり返ろうとしたが、誰かが腕を引っぱってくれたおかげで、何とか転ぶのは
「何をそんなに慌てているんだ」
声には聞き覚えがあった。見上げると、皇太子である煌翔がじっとこちらを見つめていた。
「こ、煌翔様……!?」
(なんて幸運なの……! こんなに早く皇太子様に会えるなんて。そういえば焦っていて気付かなかったけど、この香りは前に
煌翔の表情が、医療所で見た時のような優しいものではなかったからだ。煌翔はまるで相手を
「どこを見ている。この俺にぶつかるなんていい度胸だな」
冷たい表情と声は、
乱暴な口調は、医療所で会った煌翔とはまったく別人のようだ。
「は? え? あの?」
(も、もしかして、煌翔様によく似た別人? いやいや、だって赤い髪と灰褐色の瞳なんて皇族にしかいないし。それにこの匂い香の香りは、
「返事もできないような女官は俺の後宮にはいらん。色気もへったくれもないような
低い声からは、うんざりしている様子が伝わってきた。
「ここは俺の私室の近くだ。俺の許可がない者は近づいてはならん決まりだ。そんな決まりも守れないなんて、使えない女官だな。お前は」
さきほどからの言葉を頭で
混乱しつつも、ここに来た目的を思い出して、何とか立ち上がって口を開いた。
「わたしは凜莉と申します。あの……」
調香会の話をしようとする前に、煌翔の片眉が上がった。
「名乗る必要はない。俺が名前を覚えるに
さきほどからぐさぐさ
(いくら皇太子様でもそんな言い方はないんじゃないの!?)
馬鹿にされているのだろうと思うと腹は立ったが、何とか気持ちを落ち着かせた。
相手は皇太子だ。
「許可なく私室近くに来た事はお
何とか落ち着いた声を出したが、煌翔はふっと
「皇族である俺とお前が同等だと?」
「同等だとはいいません。あなたは皇太子ですから。ですがそれは生まれの問題で、あなたの徳が皇太子にふさわしいかどうかはまた別の問題です。きっとあなたの周りには……あっ」
言い過ぎたと気付いて、慌てて口元を押さえた。徳の高い皇帝には、
「
「きっとあなたの周りには、その
考えを言葉にすれば、罰を受けるかもしれないとわかってはいた。それでも勇気を
煌翔が
「本当に面白い女だ。名前は凜莉だったな。覚えておこう。大人しそうだが、案外気は強そうだ。今日は急ぐから、これぐらいで
廊下を去っていく煌翔は後ろ姿さえ美しかったが、彼の心は外見とはまったく違うようだ。
「どうしよう。怒らせちゃったわよね。しかも、
追いかけようかと思ったが、自分に対していい感情はもっていないだろう煌翔に、いま調香会の話をするのは得策ではないと思った。時間をおいて改めて
「ああ、わたしの馬鹿。間違った事は言ってないけど、何の
廊下に面した庭に向き直り、思わずしゃがみ込んで
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