第二章 その一

【第二章 その一】


 調香会の話を聞いた二日後には、木蓮が後宮に入れる許可をもぎ取ったと訪ねてきた。

 すぐに準備に取りかかろうと彼のしきに連れて来られた凜莉が目にしたのは、美しいしようの数々とごうなかんざしやそうしよく品。そして自分より少し年下の可愛かわいらしい少女だ。

しようかいするよ。凜莉。彼女はりよう。私がやとった、後宮で君の世話をしてくれる女官だ」

 涼果はれんという言葉がよく似合う少女だ。

 かみを三つ編みにして二つにい、白いじゆくんを着て青い帯を巻いていた。

 衣装がかべに並べられた広い部屋で向き合うと、涼果がおじぎした。

「初めまして。どうぞよろしくお願いいたします。凜莉様」

 ややずかしそうな様子の涼果を見て、あわてて木蓮に顔を向ける。

「女官なんてわたしにはもったいないです。自分の事は自分でできます」

「でも凜莉はもとは貴族とはいえ、宮廷での作法はよく知らないだろう。それに一応后妃候補なんだから、女官の一人ぐらいいないと。涼果は宮仕えが長いから、いろいろ教えてもらうといい。それと涼果には、凜莉が秘宝香作りに挑戦したいと思ってる事も伝えてあるから」

 おどろいて目を向けると、涼果は何もかも心得たように頷いた。そんな彼女に思わず一歩近寄る。

「わたしは目的をいつわって後宮に入ります。それはみんなに知られたらばつせられるこうです。わたしといつしよにいたら巻き込まれるかもしれない。わたしは自分の夢の為に命をけるつもりだけど、あなたを危険な目にあわせたくないわ」

 涼果は顔色一つ変えず、決意の色を浮かべたまなしをこちらに向けた。

「事情は木蓮様から聞いています。何もかもわかった上でお引き受けしました。……実は木蓮様は私の母の恩人なんです。木蓮様の香で母はながわずらいから快復して、いまはどうにかつうに生活できるまでになりました。木蓮様がお困りだったら、今度は私がお手伝いしたいんです」

 涼果の決意の強さを感じながらも、やはり他人を巻き込むのにはていこうがあった。

 なやんでいると、木蓮が神妙な顔でこちらと涼果をこうに見た。

「凜莉と涼果の身元引受人は私だ。凜莉が後宮に入った目的が秘宝香作りだとばれて、万一とがめられるような事になったら、その罪は私がすべて負うつもりだ。凜莉と涼果は何とかがしてあげるから。凜莉、心配だろうけど、涼果を連れて行ってくれ」

 木蓮の言葉はやさしかった。思わず彼を見つめ、そして息を深く吸い込んだ。

「……わかりました。彼女には一緒に来てもらいます。ただし本当の目的が知られて、もし罰を受ける事になったとしても、彼女は逃がしますがわたしは逃げません。だってわたしはわたしの夢の為に後宮入りするんですから。それを見咎められて罰を受けるのは覚悟の上です」

 悪くすれば、処刑される事だってあり得るだろう。本当は恐くて仕方ないが、木蓮だけに責任を取らせて逃げるなんてできなかった。しようした木蓮に頭をぽんっと軽くたたかれる。

「そう気を張らないで。うまく皇帝陛下や煌翔様を説得して秘宝香作りをしてもいいという許可をもらえれば、だれも罪には問われないんだから」

 心には不安がつのっていたが、それを何とかふうじ込めてがおを作った。

「ええ。秘宝香を作れれば、わたしは父さまのめいを回復できるし、香道省はつぶされずにすむ。まずはわたしがうまく後宮にけ込んで、皇帝陛下か煌翔様にお目にかかって秘宝香作りと調香会への参加の許可を頂く事が大事ですよね」

 強大な力を持つと言われる秘宝香を手に入れたいと皇族も思っているはずだ。だったら、父の調合の場に立ち会っていた自分のきゆうかくは役に立つとうつたえれば、希望はあるはずだった。

「凜莉ならだいじようだと私は信じているよ。だけどまずは準備が必要だ。いまから宮廷や後宮の事を説明するから、しっかり覚えて心構えをしてくれ。凜莉は后妃候補だから、そう簡単に後宮から出られない。きゆうていに行ったら涼果が私と凜莉とのれんらく役を引き受けてくれるから」

 涼果に目を向けると小さくうなずいていた。木蓮が右手を自分の肩に、左手を涼果の肩に置く。

「これから私達三人は運命共同体だ。秘宝香という何百年も誰も完成させる事ができなかったものを作る為には、少々……いやかなり危険な事もしなければならない。だけど、それを乗りえればきっといい結果をむかえられるはずだ」

 木蓮の言葉は力強かった。一度息をついてから、改めて涼果に目を向ける。

「危険な事に巻き込んでごめんなさい。だけど、どうしてもやりげなければならない事があるの。あなたの身の安全は絶対に守るから、協力してください」

 頭を下げると、涼果が驚いた顔をした。そして小さく微笑ほほえむ。

「いままで私が仕えた方達は、みんな私の事なんて人間あつかいしないような方達ばかりでした。頭を下げてくださるなんておそれ多いです。私も精いっぱい仕えさせて頂きます。凜莉様」

「様なんてつけなくていいわ。呼び捨てにして」

「とんでもない。凜莉様はご主人様ですから。私の事は涼果とお呼びください。女官を呼び捨てにしないなんて、後宮であやしまれます」

 確かにそうだと思った。仕方なく、涼果に再び目を向ける。

「じゃあ、涼果。どうぞよろしく」

 うれしそうに微笑んで頷いた涼果を見て、木蓮がぱんぱんと手を叩いた。

「話がついたところで、そろそろお勉強の時間にしよう。宮廷と後宮と秘宝香について凜莉も知っている事もあるとは思うけど、一度かくにんしあっておいた方がいい。こっちにおいで」

 木蓮にうながされて、涼果と一緒に奥の部屋に進んだ。





 凜莉は丸い机を囲んで、木蓮と向かいあって座っていた。

「お茶をどうぞ」

 目の前に置かれた、涼果がれてくれたお茶のかおりを胸いっぱいに吸い込む。

「いい香りね。これってへいちやでしょ」

「はい。私が作ったんです。した茶葉を固めてかんそうさせて作るんですよ」

「茶葉を手作りするなんて器用ね。すごいわ!」

 口にふくむと、ほどよい苦みがあって、口の中がさっぱりした。

「おいしい! 店で売っている高級な茶葉と変わりないわ」

 涼果が嬉しそうにほおを赤らめた。木蓮もお茶を口にして、姿勢を正す。

「では一服したところで、そろそろ宮廷と後宮について話をしようか。涼果も座って」

 おいしいお茶にほっと一息ついていたが、慌てて気を引きめた。

 涼果がおずおずとみぎどなりに座るのを見届けて、木蓮が眼鏡を押し上げた。

「前にも言ったが、こうてい陛下のしゆれいぶん様は体調をくずされていて、あまり部屋から出て来られない。皇太子である朱煌翔様がまつりごとのほとんどをになっておられる。煌翔様が皇位をがれるまでには、秘宝香を完成させたいというのが、皇帝陛下のご意向だ」

 話に耳をかたむけていると、木蓮がうでみをした。

「秘宝香は存在すら不確かなこうだけど、すべての香士達が秘宝香の完成を目指しているといっても過言ではない。なぜかわかるかい?」

 木蓮の問いかけに、表情を引き締めた。

「秘宝香を作れる者だけが、香士の頂点である正香士を名乗る事が許されるからです。そして正香士になれば、皇帝からずいじゆうしようごうの一つ〝りん〟の座をいただける。麒麟の称号を戴ければ、皇帝に従って国の政のちゆうすうを担う事ができます」

 瑞獣とは国を守り栄えさせると言われるげんじゆうだ。

 神瑞国では、子どもでも知っているきつちようの獣だった。

「そうだ。えいある瑞獣の称号は三つある。凜莉、答えられるかい?」

「はい。この国をべる皇帝が『りゆう』の称号を戴き、皇帝の守り神とされる『ほうおう』の称号を軍をつかさどる大将軍が戴き、仁の心で国を守ると言われている『麒麟』の称号を正香士が戴く」

 木蓮が満足そうに頷いた。

「そう。麒麟と鳳凰の称号を持つ者は、龍の称号を持つ皇帝のとなりに座る事を許される。皇帝の次に権力を持つのは普通ならさいしようだ。しかし麒麟と鳳凰は宰相より立場が上になる。つまり皇帝に次いで尊ばれる存在となるんだ。二人がどれほど権力を持つ事になるか想像できるよね?」

 話がそうだいすぎたが、何とか理解して頷くと、木蓮がお茶を口に含んでから話を続けた。

「龍と鳳凰の称号は代々決まった一族に引き継がれている。龍はもちろん皇族だし、鳳凰は代々大将軍をはいしゆつする一族のおさだ。だけど麒麟だけはちがう。麒麟の称号を戴く正香士になる条件は〝秘宝香〟を作れる事だ」

「ええ。いままでも麒麟の称号を求めて、たくさんの香士が秘宝香を作ろうとしてきたと父から聞いています。でもいまだに成功した者はいないので、麒麟の称号を得た者はいないとも」

 木蓮と話をしていると、ふともじもじしている涼果に気付いた。

「どうしたの? 涼果」

「すみません。勉強不足であまり話についていけなくて」

「わからない事があったら聞いて。涼果も仲間なんだから、えんりよしないでいいのよ」

 優しく話しかけると、涼果が言葉を選ぶようにして口を開いた。

「瑞獣が神瑞国にとって尊い存在だというのはわかります。麒麟の称号をもらえると、この国の……ええっと皇帝陛下の次くらい位が高くなるのですよね?」

 たどたどしい口調の涼果に向かって、木蓮が頷いた。

「そう。陛下はその三人の瑞獣の称号を持つ者をそろえたいとおつしやってるんだ。今度ある調香会の目的は秘宝香を作るためだけど、秘宝香を作れる香士を探す為でもある。高官達や香道省をきらっている軍からは、もし調香会までに秘宝香を作れないようなら、香道省を潰すとまで言われているんだ。今回の調香会は香道省の長である私にとっても正念場なんだよ」

 木蓮は思案顔だ。涼果がやや首をかしげた。

「でも陛下は香がお好きだとうかがっていますし、いままでも香道省に目をかけておられたと聞いています。いくら高官達や軍が潰すと言っても、陛下は香道省を守ってくださると思うんですが、どうして今回に限ってそんなに瑞獣の称号を持つ三人を揃える事を望まれるのですか?」

 涼果の疑問はもっともだった。木蓮がそっと声をひそめた。

「瑞獣の称号を持つ三人が揃えば、国が栄えると言われている。それは有名な話だし、凜莉も涼果も知っているだろうけど、実はその話には続きがあるんだ」

 木蓮がやや前のめりになって、さらに声を小さくした。

「瑞獣の称号を持つ三人が揃うと、世界をせいできる強い力を得るという言い伝えがある」

「世界を制覇する力!? それっていったい、どんな力なんですか?」

 思わず身を乗り出した。

 あまりにとつぴようもない話だが、木蓮のしんけんな表情からするとうそではないようだ。

「私にもわからないよ。だけど陛下はそれを信じておられる。何より瑞獣は我が国に根強く残る昔からの文化だ。称号を持つ三人が揃えば、たみは宮廷へのしんらいを厚くし心を一つにして国力も上がるだろう。陛下と煌翔様はそう考えて、調香会を開く事にしたみたいだ」

 話を聞いていて、ずっと疑問に思っていた事を口にした。

「瑞獣の話はわかりました。ずっと聞きたかったんですけど、そもそも秘宝香ってどんな効能なんですか? 父さまが完成したって喜んでいたのは覚えているんですけど、実際どんなものかまでは覚えていなくて。皇族と香道省の一部の人しか知らない国秘だと聞きましたが」

 秘宝香はどんな大国をもげき退たいできる強大な力を持つと聞いている。

 しかし具体的にどんなものかはわからないなぞの香だった。木蓮が顔をしかめて腕組みした。

「教えてあげたいんだけど、秘宝香の秘密をらすとを言わさずけいだ。秘密を知りたいなら、秘宝香を調合する許可を陛下か煌翔様に頂かないといけない。それまではいくら凜莉でも教えられないんだ。だからまずは、調香会への参加の許可をもぎ取ってくれ」

 話を聞いていた涼果が、まどうように視線を動かした。

「では、凜莉様は調香会に参加する許可を直接陛下に頂く為に、よくぐうへ行かれるのですね」

「翼舞宮って?」

 聞き覚えのない名前に首を傾げると、木蓮がこちらに顔を向けた。

「陛下の後宮の事だ。でも、陛下はお身体からだの具合が悪いから、最近は翼舞宮へおわたりになる事はないらしいんだ。だから凜莉に翼舞宮に入ってもらっても陛下にお目にかかる事はできないだろうと思って、煌翔様の後宮……れいぐうに入ってもらう事にしたよ」

 煌翔のうるわしい姿を頭に思いかべて、ふいに顔が赤くなる。

「そ、そういえば、秘宝香作りにばっかり考えがいってましたけど、後宮に入るって事は、つまりこう候補になるってわけですよね?」

 煌翔は見た事もないほど整った顔立ちで、性格も良さそうだった。あんならしい方にもしめられたらと思うと、ずかしさと照れくささでどぎまぎした。

だいじようだよ。麗華宮にはれいで品があるひめがたくさんいるから、凜莉には声もかからないと思うよ。安心して!」

 木蓮が満面に浮かべたみを見て、複雑な気持ちになった。

「……それってわたしは綺麗じゃないし品もないから、心配いらないと言いたいんですか?」

 容姿に自信があるわけでは決してないが、木蓮の口から改めて言われるとさすがに傷付いた。

 木蓮がはっとした顔になる。

「いや、そういうわけじゃなくて。後宮に入っても凜莉なら相手にされな……ああ、いや」

 話すたびにけつる木蓮は、一度ごほんとせきばらいしてからまた口を開いた。

「凜莉がどうこうじゃなくて、実は煌翔様は后妃をめとるのをしぶっておられるらしいんだ。麗華宮もできたばかりで十人ほどの姫が住んでいるけど、まったくお渡りにならないらしい」

 煌翔が后妃を娶るのを渋っているというのもおどろきだが、もっと気になった事があった。

「麗華宮には十人も姫がいるんですか!?」

「少ない方だよ。翼舞宮には百人をえる側室がいるからね。女官まで含めると、千人以上の女性が暮らしている。麗華宮にもこれから続々と姫達が集まる予定らしいよ」

 あまりの規模の大きさにあいた口がふさがらなかった。

「すごいですね。……それにしても煌翔様はなぜ后妃を娶るのを渋っておられるのですか?」

「さあね。でも皇位を継ぐ時には、后妃を娶っていなければならないという決まりがあるんだ。だから煌翔様も遠からず后妃をお選びになるはずだ。麗華宮にはこれからたくさんの美女が集まるんだから、いくら渋っていても一人ぐらい気に入った女性も見つかるだろうし」

「そうなんですか。そういえば、後宮の女性達にも身分があると聞きました。具体的に、わたしはどういう身分で麗華宮に入るんでしょうか?」

 央西堂のむすめだというのは、かくした方がいいだろうと木蓮に言われていた。

 くやしいが、父は秘宝香作りに失敗したと思われている。その為、きゆうていでの立場はくなったいまでもよくないらしい。央西堂の娘だと知られたら、官人達から注目されるだろう。

 目立つのはけたかった。調ちようこう会まで時間もないのでまずは目立たず後宮に入り、煌翔と二人で話せる機会をさぐって秘宝香作りの許可を得るのが一番早いのではないかと、木蓮と話し合っていた。身元をいつわるのなら、自分はどういう立場で後宮に入るのか知っておきたい。

 疑問に答えてくれたのは、涼果だ。

「凜莉様は才人という立場になります」

「それっていったい側室としてはどれぐらいの身分なの?」

「わかりやすくいうと、かなり下の方です。才人は女官の仕事もけんする事が多くて、翼舞宮では一度も陛下にお目にかかった事がないという才人がたくさんいます」

「そうなんだ。ほかには後宮ではどんな身分の女性がいるの?」

 貴族ではあるが、下町暮らしが長かったので、そういう事にはうとかった。

「麗華宮はできたばかりでまだ姫達も少ないので、わかりやすいようにまずは翼舞宮での身分のお話をしますね。翼舞宮で一番高い位はもちろん后妃様です。ですが后妃様は数年前に亡くなられました。ですから翼舞宮を取り仕切るのは、四妃と呼ばれる四人の側室達になります」

 さすがに宮仕えが長い涼果は、後宮の事にはくわしかった。

「四妃とは、貴妃・しゆく・徳妃・けんという位をあたえられた姫達です。その下にきゆうひんと呼ばれる九人の側室。その下に二十七世婦と呼ばれる側室達がひかえています。凜莉様は才人ですので二十七世婦の身分になります」

 聞くだけで頭が混乱しそうだった。何とか頭の中を整理しつつ、涼果の話に耳をかたむける。

「后妃は四妃から選ばれるんです。ですが麗華宮はできたばかりで四妃も決まっていません。近いうちに四妃を決める行事も行われると思いますが、調香会が終わってからだと思います」

 聞いた事のないめいしようについていくのがやっとだった。思わず机にす。

「わたし、覚えられるかしら……?」

「覚えてもらわないと困るよ。後宮入りは二日後だ。それまでに最低限のれいあいさつと後宮のしきたりを覚えてもらうからね。びしばしきたえるからかくして」

 にっこり笑顔の木蓮が、本気になったらどれだけ厳しいか調合のである自分はよく知っている。おそらく二日間る間もないだろう。

「が、がんります……!」

 しかし弱音だけはかないと自分に言い聞かせて、こぶしにぎって決意を口にした。




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