SIDE:K

天草蛍。

ほたるちゃん、と何度呼び間違えられたことか。

初回授業などでは『天草蛍さん』と呼ばれ、俺が返事をすると担当の教員は罰の悪い顔をする。

そりゃ、『蛍』って漢字を見たらそのまま読みたくなるのも分かる。俺だって、人の名前を見たときに、変に普段使わない読み方や、聞き慣れない発音を使ったりすると、なんでそれにした?と思うこともある。


蛍とかいて、『けい』と読む。

今はそうでもないけど、小学生の頃はあまり好きではなかった。


「けい、あんた出かけるとか言ってなかった?」


自室のドアの向こうから、一番上の姉にそう言われ、俺はスマホで時間を確認する。

やばい。


俺は普段着ている着慣れた服を着て、愛用の鞄にスマホと財布を詰めて、部屋のドアを開ける。


「えー、それでいくの?」

「あんたもちょっといい格好あるでしょ」

「相手に恥かかせる気?」


部屋の前には姉が3人も待機していた。

お前、時間大丈夫?的な発言してきたってことは、危ないのしってんだろうが。引き留めるな馬鹿……なーんて言えるはずがない。


女ってのはめっちゃくちゃ些細な一言でこれでもかと騒ぎ立てる。

世界中の女がそうとは思わないけど、ウチの3姉妹はそうだった。

そんな姉たちと育って、俺は余計なことを言わない、そんなことを学んだ。あとは女に逆らわない。


もちろん理不尽きわまりないことを言えば逆らうけれど、そうでなければしない。言うことを訊くわけでもない、適当に流すのだ。

雑といういう意味の『テキトー』ではなく、文字通り適切にという意味の『適当』だ。


「……なに、ダメ?」

「ダメっていうか、よくない」


何が違うんだそれは。


「相手の子の写真見たけど、可愛らしい子だったじゃん。アンタにもったいない」

「じゃあどうしろと」

「入るわよー」


そう言って、特に許可を出したわけでもないのに姉3人が部屋に上がり込んできた。そして、一番上と一番下の姉がタンスの中を物色する。


「あら、いいもんあんじゃん、これにしなさい。清楚っぽくて素敵」

「……ダサ」

「いつまで金髪ピアスの気分でいんのよ。髪も黒に戻したんだから似合うわよ、はい決定」


姉に渡された服を俺は高々と掲げて上から下まで見る。

ださい。

いや、町中とか雑誌とかで見る男性諸君が来ているような無難な服ではあるけど、俺の好みじゃない。


「文句あんの?」と一番下の姉に睨まれて、俺はやけくそ気味に来ていた革ジャンをベットに投げた。


それを2番目の姉が手に取り、まじまじと見る。


「姉貴はそういうの好きだろ?」

「その子の意見は当てにしちゃダメ。ヤンキー好きなんだから」

「もぉ!私の話じゃなくて、蛍の話でしょ!」


図星を突かれた姉は、恥ずかしさに任せて拾った革ジャンをベットに思いっきりたたきつけた。……いいけどさ、別に。


「あと、その服の下に付けてる趣味の悪いネックレスも外しなさい」

「指輪もね」


俺は抗わずに付けていたそれらを外し、机の上に丁寧に置く。

……かっけーと思うけどな。


真ん中の姉がそのアクセサリーの方に向く。

小さく「私はいいと思うけど」と呟いたのが聞こえて、仲間はいるけど同じく疎外されてるのだと諦めた。


アイデンティティとも言えるものを外すように言われたら、もうやけだった。

俺の服装は上から下まで、俺の意見一切なくコーディネートされた。


てっきりアクセサリーを付けていったらダメなのかと思ったが、「黒縁眼鏡はおっけ」「むしろ付けてけ」と言われ、俺はコンタクトを外して学生時代に使っていた眼鏡をかけた。


鏡を見る。そこにはがらりと変わった自分が映っている。

お前眼鏡似合わねーのな、と他人事のように自分を観察する。


もはや誰なんだこいつは。

マジでだれ。


「あんたもうダッシュで行かないと遅刻確定よ」

「誰のせいだと思ってんだ!」

「レディに対してそんな口聞くの?デートDVまっしぐらね」

「あァ?なんでだよ!」

「そのガン付けも禁止。なんか、フツーにできないわけ?フツーに」


これが俺の普通だ。超絶普通。


「あんた、遅れていったらなんて言うわけ?」

「遅れて悪ィ」

「くたばれポンコツ」

「姉貴の方が口悪ィよなァ!?」

「暴言反対。サイテー男一直線。将来孤独死確定ね」


何故姉という生き物に逆らえないのだろうか。

俺の長年の疑問である。


「遅れたのは事実よ。変な言い訳はしちゃダメ。誠心誠意ココロから『遅れてごめんなさい』て言いなさいよ」

「遅れた理由は完全にお前らのお遊びなんだけどな」

「えー、じゃあ仕方ないわねぇ。お姉ちゃんが弟のデートの待ち合わせに言って事情を説明してあげるわよ」

「は!?やめろ、来んな!」

「でしょ?じゃあんたが謝るしかないのよ」

「お前は俺に謝る気ねェのか」

「ごめん。アンタのためを思ってのことだから、許して?」


そうだけど、そうじゃない。

このまま歯向かっても遊ばれる。余計に時間を食うだけだ。


「親戚来たときみたくすりゃいいんだろ?」

「堅すぎちゃだめよ。優しくね」


注文が多いことで。

なれないことをいっぺんに複数できるかってんだ畜生め。

俺はすり替えられていた靴には文句を言わず、速足で目的地へと向かった。

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