入れてくださいっ
次の日、紗凪が朝の木々のいい香りを嗅ぎながら、店の敷地に入ろうとしたとき、後ろから誰かが走ってきた。
振り向くと、ビニール袋を手にした哲太が立っていた。
「どうしたんですか? 遅刻ですか?」
「……お前と一緒にするな。
買い出しだ」
と手にしていたコンビニのものらしい袋を見せてくる。
「そういえば、お前、最初のとき以外はいつもひとりで来てるが。
会社で店の宣伝とかしてくれてるのか?」
「するわけないじゃないですか」
と言うと、哲太は扉を開けかけたまま止まる。
「だって、みんなが先輩見て、格好いいーとか言い出したら困るじゃないですか。
絶対、宣伝なんてしませんーっ」
目の前で扉を閉められた。
「あーっ!
入れてくださいよーっ」
いやーっ、遅刻するーっと外で叫んでいると、中は中で、マスターが、
「哲太っ、鍵閉めないでっ。
お客さん来れないよっ」
と叫んでいた。
……なんとか入れてもらいました。
紗凪はカウンターに座り、メニューを開いたが、実は最初から決めてあった。
「今日は、シナモントーストとっ」
トーストと? と珈琲豆の瓶を手に後ろを向いていた哲太がこちらを見る。
「ロイヤルミルクティーでっ。
マスターのシナモントーストが好きなんですっ。
私、なんにでもシナモンかけたいくらい、あの鼻につんと来る香りが好きなんですけど。
此処のは、薄めのパンにたっぷり塗られた無塩バターが溶けて染み込んでて。
それと焦げたシナモンとグラニュー糖の混ざり合った感じが絶妙で、もうって感じなんですよっ」
と力説している間、哲太は背を向けたまま、無言だった。
「すみません」
と店内から遠慮がちな声がする。
「あの、私、追加でシナモントーストを」
なにっ? と哲太が振り返る。
「それに、ロイヤルミルクティーがぴった……」
と言いかけた紗凪の口を注文を取りに出ようとした哲太の大きな手が塞ぐ。
すみません、つい、と言ったつもりだったが、ふがふがとしか聞こえなかったと思う。
……しかし、先輩の手が唇に触れてしまいましたよ。
珈琲のいい香りを嗅ぎながらシナモントーストを待つ間、紗凪はちょっぴり幸せだった。
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