「定食」「 時計」「 メンタル」の三題噺

この幸せを例えずにはいられない

 私の家族を定食に例えると白ごはんがお父さん、味噌汁がお母さん、おばあちゃんは野菜サラダで、漬け物のクロマティ(猫)そんな感じ。


 それぞれの家族にはそれぞれの形があると思うけど、おばあちゃんは私のお母さんのお母さんなので、味噌汁 vs サラダ戦争もなく、婿養子で気を遣っているって程ではないけれど、なんでも受け止めてくれる頼りがいのある父ではあっても、家の中ではやや控えめで……

 なので、家族の話題の中心とメインディッシュは、ずっと一人娘の私だった。

 主菜は主菜でプレッシャーとかボリュームとか、いろいろ大変だったけどね。



 そんな家族がアラカルトになったのが8年くらいまえ。

 お父さんが他のオカズに手を出したとかなんとか、そんな鉄板の話で、おばあちゃんは昔の人だからいちどのよそ見くらい辛抱しなさいと言ったのだけれど、お母さんはどうしても許せなかったようで、すったもんだのあげく、結局は別居の末の離婚。


 そのとき私は大学の二回生だったかな? 思春期ってほどでもないし、お父さんのことは大好きだったし、別居してからも会っていて、ときどきちゃっかりお小遣いも貰っていたりして、テヘペロ。


 それでまあそれからはお母さんがとん汁になって頑張っていたんだけど、やっぱり寂しかったのか、十穀米さんって人と再婚することになったんだけどそのときは私はもう就職して近所のマンションに部屋も借りてたし、十穀米さんは体に良い人だし、幸せになって欲しいなぁと思う程度だった。


 それに一緒に暮らして居なくても、精神的には良くも悪くも私は相変わらず定食の中心で、誰とも諍い合うこともなく誰からも愛されて、猫だけはクロマティからクルーンそしてマイルズ・マイコラスへと代替わりしたけれど、おばあちゃんはボケもせずしなびもせず元気いっぱいで、ずっと近くにいて幸せに過ごしてきた。


 


 だから私の人生は順風満帆と言えば、そうだったのだと思う。


 振り返れば、高校の頃はほおっぺたがぱっつんぱっつんでとんかつだったけど、大学からはお洒落に目覚め白身魚フライくらいにはなってて男の子をふるいにかけてた。

 就職してからはそうねぇ、自慢じゃないけどミックスフライと持てはやされて……


 でもね、一つだけ苦い思い出があるの。就職してから5年目の大失恋。ありがちだけど、他のテーブルの料理を好きになってしまって……

 中年の魅力に私は軽くソテーされ、両親の離婚の原因と同じことを娘がするなんて恥ずかしい話なんだけど、それでお母さんには話せなくて、でも元気がないから心配されて、ついついお父さんに喋ってしまったらいきなり沸騰して……


 生まれて初めてひっぱたかれました。


(お父さんの立場でそれする?)って思ったけれど、それとこれとは別腹なんだなって妙に納得したりして、逆に愛されているって実感が持てて、それで不毛な関係にはお会計~したのだけれど、心はみじん切りで、会社では噂にもなっていて居づらいのもあって退職して、サバの味噌煮の手前で近所の輪ゴム工場で働き始めたの。

 そして、もうなんとなく結婚はしないのかなぁなんて、漠然と私は思ってた。





 そんな私が、遂に結婚することになっちゃった。



 相手はその工場を所有している親会社の御曹司。

 最初はたまに来る本社の営業の人なんだろうなぁってだけの印象で、――私は就職したばかりだったからそういう情報には疎くて――水面下では、大家族スペシャルつかみ合いのおかず争奪戦みたいなことになっていて、それにはまったく気づかずに過ごしてた。

 でもそれが、逆に彼の食欲をそそったみたいで、強力な火力で猛烈アタック!!!



 それまでも弱火でコトコト口説いてくる人は居たけれど、冷めていた私が熱くなることはなかった。けれど彼だけは違った。私の心は解凍され、泡立ち、それと同時に会うとなぜかほっと・・・してもっと・・・一緒に居たいと自然に思えたの。


 

 嬉しいことに、大金持ちであるはずの彼のご両親もごく普通のレシピで育った私を大好物だと言ってくれて、29歳の誕生日に彼から輪ゴムと共に、結婚のオーダーをされました。

 それからはフライ返しされることもなく、両家の顔合わせ、結納、挙式の日取り、ハネムーンの準備まで、とんとんとん拍子だったのだけれども……ひとつだけ困ったことが……。





 花嫁の父は誰?


 一緒に暮らしたことがないから十穀米さんはそりゃ健康には良い人で、今現在お母さんを幸せにしてくれていることには感謝しているけど特別な思い入れはないわけで、出席はもちろん嬉しいけれど、バージンロードはやはり本当のお父さんと歩きたいとそう思ってた。

 でも…… 


「あなたは左手首に腕時計を二本するつもり?」 っと、お母さんからきつい一言。



 やはり母の心の痛みは、外からは見えないだけで、ずっとそこにあった。

 改めて自分の過去の行いと、人を傷つけることの罪の重さを感じました。



 彼に相談したら、それじゃ結婚式をおかわりすればいいじゃないと言ってくれたけれど、それじゃあ、炭水化物の取り過ぎで血糖値コストも急上昇で来賓客にも恥ずかしい。それでひとりでぐつぐつ煮込んでいたんだけれど、そこに助け船を出してくれたのは、死んだクロマティでも、タフィ・ローズでもなく、おばあちゃんだった。



 おばあちゃんはお母さんに向かって、


「あんたが結婚するとき、わたしが反対しましたか? わたしはあんたの幸せだけを考えてました。心をシジマールしてみなさい。子供の幸せ以上にこの世に大切なことが他にあるの? ビスマルクみたいに、額に手を置いて神様に聞いてごらん。あんたは昔からまじめでストイコビッチだった。でもね、あんたのその譲れないドゥンガな気性で娘の心に生涯消えない傷を残すつもりなの? そんなメンタルに、あんたを育てた覚えはわたしにはない……なにが本当に大切なのか、ジーコり考えなさい」

 おばあちゃんがサッカーマニアだったことを、私はそのとき初めて知りました。



 結局はその言葉で母が折れ、挙式は無事に執り行われることとなりました。



 当日。

 バージンロードを緊張して少し揚がってるお父さんふたりにサンドイッチされて、盛大な拍手を受け、ステンドグラスから降り注ぐ光の中、掲げられた十字架の真下の彼のもとへ、私はゆっくりと歩いてゆく。


 足下にはカトリック教会なので赤い布が敷かれ、プロテスタントの教会では白い布が敷かれることが多いようで、タヌキと注文すると関東では天かすが入っているけれど、関西では油揚げが乗った蕎麦がでてくるのと同じような理屈なのだなと私は理解しました。





 神父の傍らには彼がいます。因みに、プロテスタントでは牧師……以下略。


 竹輪の交換の後、彼は優しく私の顔の暖簾をあげて、誓いの味見をしました。


 神様の前で注文したんだから、迷い箸なんかしたら許さないんだからねっ!





 デザートでもないのに甘えていた私が、今日のこの日を迎えられたのは、いつの時も私を包み込み、愛してくれた全ての人の御陰だと思います。みんなの愛に感謝し、私も同じように迷うことなくこれからの人生において誰かを愛せる人でありたいと願い……

 ……いえ、誓います。




 そして私は、彼とほっかほかの家庭を盛り付けていきたいと……

 そう、例えます!!



 



 


 

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