第十九話 いずくんぞあらんや

「五番目は、死んだようですわね」

「ええ」


 残るは、あと二人だ。

 ヒナの最初の攻撃で、あの真っ白の女の上半身は無くなった。そこまではきっと現実だったはず。これで既に二人減った。勇者を殺すまではいかなかったのが残念だが。

 ビルの前に立ち、私達は草原を駆け抜ける風を受けていた。

 私達は、待っていた。

 勇者が此処へ訪れてくるのを。

 来ないのなら、それでもよかった。

 私達は追いかけない。


「……来た、みたいね」

「ええ」


 遠くから、草を踏み分け歩み来る。

 果たして現れたのは、たったの一人だ。

 それは勇者でもなく、あの礼服を着た黒の少女でもない。


 真っ白な、死んだはずのその女だった。


 ◇


 ホームルームが始まる前。

 慌ただしくなり始めた廊下。

 生徒達の喧騒を扉の外に聞きつつの、その会話。


「四季山先生」

「なんでしょう?」

よみは、今日も休みます」

「はい、分かりました」


 受け持つクラスの双子の姉妹。

 その姉が、妹の欠席を伝える、なんてことはない光景。

 先生と呼ばれたその女が事情を尋ねることはない。自らが受け持つクラスの、詠なる少女の身体の虚弱性を、彼女は知っている。その真実を、知っている。


 ◇


「あなた方はまず、自らを想い出す必要があります」


 白の女は、疲れたような笑みを浮かべ、そう言った。


「特に、ヨミさん」


 なぜ、名前を知っている。

 白の女はこちらを向き、にこりと微笑んだ。


「あなたはとても優しい子です。過去に縛られず、過去に対して割り切っている」


 褒められた。


「過去を知りつつもなお、十三篇を斬らなかった」


 確かに私は過去を見、知った。

十三篇と呼ばれているのは、ヒナ……か。

だが、それをなぜ、目の前の女が知っている。


烏有悠うゆゆ家を喰い散らかした白の異形は、叛逆の意志を胸に蓄えていたころの十三篇が率いていた者達です」


 理解した。

 あの夢、幻、光景──見せたのは、この女だ。


「う」


 呻き声。見ると、ヒナが気丈に肩を強張らせている。これ以上、白の女が喋るのはきっとよくない。


「聞く必要のない話だわ」


 白の女へ向けて、私は駆け、刃を振るう。その白い首筋はばっくりと裂かれ、血が噴き出す。横向きに倒れる女の、その声が、


「あなたの真実は、如何なるものか」


 耳に、響いた。


 ◇


 大広間に、私がいる。

 賑やかな食事の場だ。

 上座にいるのは、烏有悠うゆゆ透徹とうてつと、九泉きゅうせん。お父様と、お兄様だ。そうして、おじ様達が並び、おば様達がいる。端のほうに、硝子しょうこお母様とまだ小さなよみ

 

 ? 


 ◇


「ヨミ!?」


 ヒナの叫びが聞こえる。

 白の女は立っている。

 対して私は、草に顔を埋めている。

 なぜ、と思う。

 見ると、足が崩れてしまった。太ももから先が、崩れている。脚は、赤黒い群体となってしまっていた。まるで寄せ集められていた肉の塊が解けてしまったかのように。

 

「貴女は烏有悠詠ではありません」


 私は、ヨミではない。

 右腕の感覚が途絶える。

 右腕が合った箇所には、赤黒い肉の欠片が腕の形状を成し、その先端に金の刃が転がっている。


「貴女は自身を、烏有悠詠の再創体だと考えたようですが、事実はそうではない。あなたは」

「────!!」


 横殴りの雨のような、光。

 白の女は「わわっ!?」と慌てふためき、地面に倒れるように無様に避けた。避けなければならない身体に、あの女は今、あるのだ。


「あら、避けますのね」

「死にたくはありませんので」


 ヒナの言葉に、白の女は答える。

 斬られれば、死ぬ。

 斬ることができれば、殺せる。


「そうですの、でもあなたに構っている暇はありません。さようなら」


 光の線が、地面に転がる白の女を覆う。

 私が殺すその前に、ヒナが殺してしまった。

 あっけないものだ。けれども本当に殺せたのだろうか。一度殺して、蘇った。二度目もまた……


「ヨミ!」


 ヒナが駆け寄り、私の傍へ膝をつく。

 自らの太陽の描かれた顔の覆いを外し、私の月の覆いを外し。

 私たちは、素顔で向き合った。

 ヒナの顔は、今にも泣きそう……というよりも、もう涙を零している。


「ヒナ……」


 立ち上がろうにも、両足がダメになっている。

 右腕はもはや使えず、左腕のみが動く状態。

 この傷は、治る傷ではないみたい。

 泣きじゃくるヒナを、少しでも宥めようと、私はヒナの頬へ、残った左腕をのばした。


「ヨミさん」


 やっぱり。

 声が、聞こえた。

 死した筈の白の女の声。

 ヒナも気づいたのか、声のする方向を見る。


「あなたは、烏有悠家の屍肉の集合体に芽生えた意識であり、誰でもありません」


 だが、もう遅かった。

 私は、私を知った。


 ──屍肉烏んぞ少女有らんや。


 それが、私の真実だ。


 ◇


屍肉しにくがどうして、少女足り得るのでしょうか」


 現れた道化は、私に向けてそう言った。


 ◇


 反射、だった。

 あの白の女は、二度ヒナに殺され、二度蘇っている。

 血は噴き出て、身体が残っているものの……あれは、実体とはいえない。

 そう──虚ろで、実体のない存在。


『残り続ける記憶のような、そのような想念もまた、斬れるのかもしれません』


 記憶の片隅に残る、ヒナの言葉。

 双刀について語った時のその言葉。


「────!」


 左手に握る黒の刃の柄を、歯で噛みしめる。

 そうして、左手に金の刃を呼び、────白の女へと投擲した。


「それは……」


 白の女が、金の短刀ナイフを掴む。それがなんてことはない刃であったなら、恐らく彼女は避けずに喰らっただろう。本能的に忌避し、その刃を掴んだのだ。

 虚空の道が、開く──「ほはひへ」言い、白の女の眼前へと空間を跳んだ私は、くわえている黒の刃を彼女の首に思い切り突き立てた。そして、着地できずに地面に落っこちた。左腕の感覚が途絶えた。


「あ」


 喘ぐ白の女は、そのまま仰向けに倒れる。


「ああ……まさか……私は……」


 信じられないように、彼女はつぶやく。


「……消える……消えてしまう…………記憶、私の記憶…………」


 悲愴な声で、宝物を奪われた少女のように、彼女は嘆く。

 その身体が横向きになり、女の顔が、真っ白の瞳が、私の方へ向けられた。


「ああ、詠さん…………体調は、もう…………あら。あなたは……? 初めまし……て…………私の、名前は……? 私……だれ……でし、た……け……?」


 なにもかもが落っこちた底抜けの箱のように、その瞳は空っぽになり、もうなにも喋らず、その身体は砂のように崩れ落ち、霧散した。

 哀れな最期だが、同情は湧かない。

 白の女は、実体ではない、幽霊のような存在だった。


「あ……ああ……!」


 誰かが、私を抱く。

 ヒナだ。黄金の瞳は潤み、開けられた口は震えている。


「あああ……!!」


 意味のある言葉を発せられず、ヒナはただ、顔をくしゃくしゃに、どうすることもできずに私を見ている。その瞳にある、絶望、無力、悲痛、淅瀝、悲哀、慟哭……どうすれば、和らげられる。終わる私は、彼女になにを言い残せる。


「そんな悲しい顔をしないで。仕方ないことなの。誰にも、どうすることもできない」

「ですが、わたくしは貴女に、生きて」

「残念だけれど、それはできないお願いよ」

「う……」


 ヒナとて分かり切っている。

 徐々に、身体の感覚が途絶えゆく。

 元に戻りつつある私に生を願う、叶えようのない願いと知っていても。

 ヒナとてそれを分かり切っている。


「ま、待っててヨミ、わたくしがまた、零番を見つけ出して、その羽根を貰って、貴女を」

「ううん、もう、いいの」

「なぜ、です」


 胸部の感覚が途絶えた。

 終わりは近い。

 残すべき言葉を、私は、彼女へ。


 元に戻りつつある私の中には、皮肉なことに過去が蘇ってきていた。

 さながら、あの白の女から抜け出た記憶が私に流入しているかのように。


「楽しい時間を過ごせたわ」

「それなら、もっと」

「そろそろ、貴女は自分を許すべきなのよ、姉さん────」


 私は、彼女の贖罪の象徴だ。

 私がいる限り、彼女は罪を償い続ける。

 彼女が罪を償う限り、私が在り続ける。

 私がいるために、彼女は自らを苛む。

 

 これより、彼女の罪わたしは消え、もう蘇らない。


「そんな、罪ではなくわたくしは、あなたが大切だから、わたくしには貴女が必要だから……!」


 烏有悠詠に、姉はいない。

 だが、私にはいた。

 桐姫詠である私には、桐姫舞雛という双子の姉がいた。

 寄り添い続ける双子が、お互いに支え合い、生きていた。 

 病弱で虚弱な私と、そんな私をいつも助けてくれる姉さんがいた。


 ────と。


 ふと、視界の端に。

 草原の奥に、白い群れが見えた。

 青空の下、草の緑の間、真っ白な丸いなにかが、たくさん。

 その気配を姉さんも感じたのか、背後を見、憎々しげに唇を噛んだ。

 

 ああ、首元の近くにまで、終わりが。

 最後に私は、言わなければ、その、言葉たちを。


「行って、姉さん。貴女の未来これからを生きて」


 ヒナの泣き顔へ、私は心からの言葉を、遺した。


「今まで、ありが

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