五/魔王の影

 ジールは高揚していた。

 久しく忘れていた、心の熱を感じていた。

 壊れしまった心が、再生していく様が映じていた。


 全霊を込めた大剣の一撃が、目の前の影に弾かれる。ジールはそれに怯まず、すかさず一歩を踏み込み、大剣を真横に薙ぐ。だが、なにも斬った感触はない。避けられたのだ。


 あれは魔王の影。

 けれども、いつものような雑魚とは違う。

 魔王から直接分離した、言葉通りの影そのものなのだ。

 ゆえに、速度、力、存在の圧、知性……なにもかもの格が上がっている。魔王に近い実力の存在となっている。いくらジールであろうとも、油断すれば負ける。そう、負けて、死ぬのだ。それは、とても嬉しい事実だ。


「く、くくひっ、はははっ!」


 湧き起こる笑みが、止められない。

 私が今戦っているのは、私を殺せる相手。

 私が今戦っているのは、私を殺せた者の影。

 心は、更に昂る。それに比例するかのように、ジールの速度は、力は増す。音速をすら超えて放たれる剣撃に、しかし影はついてきている。ジールの望み通りに、影は対応している。

 渾身の斬撃を振るうと、それを受け止めた影が刹那に静止する。

 ジールは地を割り、後方へと跳んだ。


「強い、強いなあ、あなたは」


 周囲に、再び黒点。

 弾けると、すらりとした刀身の、片刃の太刀。ジールはもう片方の手でそれを握り、一瞬にして数度、片手でもって閃かせた。重さはなくとも、その一振り一振りが超音速。真空が生じ、放たれ、影を斬り刻む。しかし影はものともしていない。それがまた、ジールを喜ばせた。

 ジールは太刀を、影に向かいぶん投げた。くるくると回りながら迫る刃を、影は叩き弾く。その眼前には、もうすでにジールが大剣を薙いでいた。

 胸部に当たる箇所を斬られるものの、影は消滅せず、その鉄パイプをジールの兜目掛けて叩き込む。直撃し、ジールは脳が揺られた。だが、ひしゃげてはいない。まだ戦える。

 兜には罅が走り、ばっくりと割れる。

 その中から現れたのは、結い上げられた銀色の長髪と、琥珀の虹彩をもつ眼。端整で理知的であろうはずのその顔は、狂喜と興奮と頭部より流れる血で凄惨たる有様となっている。

 ジールの興奮は、さらなる高ぶりを見せる。


「ふふふひ! やっぱり好きだ、私は私を殺せるあなたが大好きだ……!」


 今、確かに死が訪れようとした。訪れようとした! 嬉しい!

 大地を蹴り割り、ジールは影に迫る。

 その両手は大剣を握りしめ、その刃は白銀の輝きを帯びている。

 空を切り裂く轟音とともに刃は降ろされ、影が受け止める。

 再びの競り合い。

しかし、力を増しつつあるジールに、影は追い付けなくなっていた。


「あなたはいつだって、私と戦う時は真正面からやってくる。実に愚かだ」


 返答を期待せず、ジールは影に言う。

どうせ影は喋れないのだ。そこは少し、つまらない。

 

「……それ……ハ……オマえモ、ダ」

「────!?」

 

 喋った。

 ジールは、その琥珀の眼を丸く見開いた。

 そして、感じた。

 眼前の影の圧が、更に高まり、その存在の種類が変化している事実を──それはさながら、魔王その人にさらに近づいたかのような。


「ああ、そうくるか……ふ、はっ……!」


 暗闇の影に、赤の紋様が走りはじめた。


「は────ははははははははははっっ!!!」


 ジールは笑った。

 絶頂を伴うその狂笑は、ジールに自らのレベルの増加を覚えさせた。


 ◇


 黒鎧の動きはもはや、一体を除き追えなかった。

 赤の紋様を全身に走らせる影のみが、喜びの絶頂にあるジールを追える。


「久しい、久しいな、魔王! いや、何と呼べばいい、いつの名を呼べばいい!?」


 叫びながら、ジールは滅茶苦茶に大剣を振り回す。一振り一振りが絶命の威力をともない、衝撃のみで草を薙ぎ払い、大地を割り、空間を斬る。

 その様は無茶苦茶だった。

 あまりにも破壊的な空間が、ジールの周囲に出来上がってしまっている。

 その破壊空間の中点でありながら、今もなお影は生存している。実体を持たぬが為に生存できている。腕を斬り飛ばされようと、首を裂かれようと、胴体を破裂させられようとも、即座に再生する。けれども影の持つ再生の為の素因──空素くうそは確実に減少している。空素それは魔王を構成する一義的な素子であり、他の生命とはその根本から異なる存在の基底。虚構の悪魔に愛されたがゆえに、魔王の総頁レベルは複素的展開を行う。魔王のチカラには虚ろが伴う。そして、その影であるそれも、また──


「ひは────!」


 琥珀の目を大きく剥き、ジールは大剣を横に薙ぐ。そのあまりの速度に音が遅れ、剣線には真空が起こる。受け止めるものの、影はその力に圧され、後方へと吹っ飛ばされた。

 剣を振るった余韻などなく、ジールは大地を蹴り割る。

 瞬時に吹っ飛んでいる影へ追い付き、その身体を縦に叩き斬る。

 影は真っ二つに割れ、即座に再生する。空素が消費された。


「くくきひは」


 奇声をあげ、ジールは大剣を振るう。

 再生した影を肩口から斜めに斬り下ろし、その勢いのままぐるりと回転し斜めに斬り上げる。

 斜め十字に斬られた影は、やはり再生する。空素が消費された。


「……」

 

 影は判断する。

 勝ち目はない、と。

 ジールは、狂喜のあまりにどんどん強くなっている。もはやその速度には追い付けず、力では圧倒されている。斬られ続けて消費する空素は、底が見えてきた。

 敗北は必定だ。


「む……。貴様、諦めたか?」


 動かなくなった影を前にジールは止まり、不機嫌そうに眉をハの字に曲げ、言う。まだやり足りないといった風、勘弁してほしいと影は思う。影の思考は、魔王に似る。


「……」


 いかな影であれども、魔王である。

 滅多に干渉しないとはいえ、付近には仲間である幹部がいる。

 

「もう、終わりか……なんだ、そうか……終わりか……」


 明らかに落胆しつつ、ジールは言う。その表情は幻滅だった。


「そウ、オわリダ」


 お前も、俺も。

 瞬間、影に走る赤黒の紋様が強く輝き始める。空素を消費した。

 

「ま────!」


 ジールの眼が輝く。また戦えるのか!? とその瞳は期待している。

 残りすべての空素を消費し、魔王はジールに肉薄する。


「な!?」


 捨て身の特攻に虚を突かれ、ジールが瞠目する。


「シね」


 凝縮した悪意と敵意と殺意を込めて言い放ち、影はジールを抱擁ハグする。


「へ?」


 きょとんと目を丸くするジールを起点に巨大な赤黒の球体が生じ、大草原の一画を球状に消滅させた。影は最期に、ジールを巻き込んだ自爆を選んだのである。

 かくして、影は消滅した。

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