第十五話 詠

「詠、何処へ行ってたのですか」


 着物姿の女性は、詠へ言う。


「大広間に、ぼんやりとしていました」


 詠の代わりに、お兄様が答えた。


「まあ、ぼんやりと」

「ええ、ぼんやりと。まるで夢を見ていたかのように」


 まるで、夢を見ていたかのように。

 今までの全てが、幻だったかのように。


「烏有悠家の娘として、貴女は女性らしい振る舞いを覚えなければなりません」


 そんなことを言い、お母様とお手伝いさん達と共に、詠はお料理のお稽古となった。


 ◇

 

 さきほどの大広間。

 

『詠、今日のご飯は、広間で食べますからね』


 お母様はそうおっしゃった。

 その日はおじ様やおば様を始め、親類の皆様方がお屋敷を訪れていた。とにかくたくさんの人が、お家の座敷に座っていた。

 上座にお父様とお兄様、端っこの方に詠とお母様が座り、卓の上にはいつもより豪華なご飯が用意されている。いつもは和気あいあいとご飯を食べるのだけど、この日はみんな真剣な表情だった。なにも楽しくなさそうな顔。空気もどこかピリピリとしていて、居心地が悪い。


代神しろかみも、葉桜はざくらの小僧も、やはり考えを変えんのか」

 

 おじ様は、そのようなことをお兄様に向かって言った。


「はい。今は動くべきではないと、頑なです。彼らは抗うことを諦めかけていると言えましょう。説得はもはや、不可能であるかと」

「っ。臆病者達が……!」


 とても忌々しげに悪態をつくおじ様の姿に、詠はとても驚かせられた。冗談を言って朗らかに笑うおじ様しか、それまでの彼女は知らなかったのだから。


「九泉。代神しろかみは我ら烏有悠うゆゆを目の上のたんこぶとしておる」

「承知しています。ゆえに、代神しろかみの犬である葉桜は確実に敵となるだろうことも」


それは、お父様とお兄様が神妙な顔でなにやら話していたときだった。


透徹とうてつ様! 九泉きゅうせん様!」


 突然、バタバタとお手伝いさんが座敷へ駆けこんできた。とても慌てている様子だったため、何事かと場がざわつきはじめる。


「なにがあった?」


 お兄様が問います。


「お屋敷の付近に、白い化生がい」


 しどろもどろに話すお手伝いさんは、最後まで言葉を発せられず、齧られてしまった。その背後からのっそりと現れる、真っ白な大きな口をばっくりと開いた、異形。


「────!!」


 だん、とお兄様が立ち上がり、刀の鞘を払う。

 周りの大人達もまた、一斉に刀を抜いた。


 すると、縁側に向かっていた障子が一斉に弾け飛び、その奥には、白、白、白……一面の、化物達が。


「あぁ……」


 がたがたと身体が震える。

 歯の音が合わず、目前の化物達に、詠は怯えていた。

 震える詠を、お母様はそっと抱きしめる。背中に回されたお母様の腕もまた、震えている。


 声がずっと、聞こえていた。

 怒号と、悲鳴。

 断末魔と、形容しがたい咀嚼音。


 白い化け物が、人を食い散らかしている。

 詠が震える頭を上げると、小さく丸まるお母様の肩越しに、白い異形たちの奥に、黄金のなにかがあった。


 見覚えのある黄金の双眸、黄金の髪。


「え……」


 どうして、そこに、あなたが、いるの──ヒナ。

 背中から片翼のみの翼を生やし、冷然とこのみなごろし劇を観覧している親友の姿だった。

 

 これは、いったい?

 この光景は、いったい?

 これは、これは、これは、これは、これは。

 分からない。

 私には、分からない。


 ふっと、影ができる。

 後ろを見ると、白の異形が大口を開けていた。

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