閑話 影を狩る者

「はあ、はあっ」


 街道をひた逃げる少女を、追う者がいる。

 それは人の形をしているの、影であった。魔王の影スペクターと呼ばれる、上位階級の魔物である。一体に対して高位の傭兵が数人で挑んでなお、死の危険を考慮しなければならない相手。少女に敵いようはなかった。


 ──どうして、こんなことに。


 死への恐怖に顔を歪ませ、少女はそう後悔していた。

 アメンの森、少女たちが『太陽のない森』と呼ぶその広大な森林が、枯れていっているという話を聞いたのだ。森が死にゆくその姿を、大人達が心配する生態系への影響などではなく、ただ好奇心の為だけに少女達は見に行った。ついでに、森の傍にあるアギョウ村へ遊びに行こうなどと考えながら──結果、少女以外の少年少女は死んだ。子どもの総頁でも倒せるような、大した魔物しか出ないはずのこの東地方の森周辺に、北地方でしか出現が確認されていないスペクターが出てきてしまったのだ。少し後ろの方にいた少女は、前に立つ三人の身体が一斉に弾ける瞬間を見た。為す術はなかった。

 ひとり生き残った少女は恐慌の最中に逃げ続け、今に至る。

 前方にはずっと街道が続いている。

 背後からの気配を考える余裕はない。

 逃げるしかない。逃げるしか──


「────────」


 少女の眼前、街道の中央に、夜闇のように漆黒の全身鎧フルプレートアーマーの誰かが、一人。巨大な漆黒の突撃槍を逆手に、こちらへと向かって投げつけた。

 

「え」


 そこで、少女の意識は劫に途絶えた。


 ◇


 上半身を円状に穿たれ、哀れな少女の身体は血を撒き散らしながら倒れ伏し、そのまま動かなくなった。そして、そのすぐ背後にいた影もまた、消滅した。


「……」


 ジールは影が消滅したのを確認すると、少女の遺体に一瞥すらせず、踵を返した。

 そのまま地を抉り、重量のある鎧をまるでものともせず、凄まじい速度で移動し始めた。

 目的はアギョウ村である。

 もう一体、魔王の影スペクターの反応を感知したのだ。

 移動の間、ジールは思考しない。

 スペクターに自動的に反応し、消滅させ、また別のスペクターへと向かう。そういう存在に、ジールはなってしまっていた。

 ジールを知る者達は、口々に言う。


 彼女は心が壊れてしまった──と。


 そうしてジールは跳び、虚空を蹴って跳び、小さな家の玄関前にいる真っ黒な魔王の影を、直上から圧し潰した。あっけなく、影は消滅した。


「ジールさん、まったく、貴女は何処で道草を食っていたのですか」


 白い女が言う。どうでもいい。

 その奥に真っ黒の女。不愉快だ。

 そしてその奥に────


「……」


 なにも特別なことはない。

 少女がひとり、驚いた表情で見ていただけ。


 スペクターの反応を感知。


 西の方角──ジールは再び駆け出した。

 大草原があり、以前、からすのような雰囲気の女を見た場所である。あのときは得物を横取りされ、そのまま帰還した。さて、今度はどうか。


 なぜこうも、魔王の影ばかりを殺すのか。

 ジールはその理由を知らないし、考えようともしない。


 ただ、感じるのみだ。

 自らを終わらせる者の気配を。

 ようやくの兆しを────確かに渇望していた、私のおわりの前兆を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る