第九話 就寝、夢

 正面から見上げるビルは、やはりビルだった。

 非現実的ファンタジーの中にある(私にとっての)現代の象徴たるオフィスビルは、やはり世界に溶け込めていない。不自然だ。


「このビル、いつ頃からあるの?」

「世界が滅んだ瞬間からですわ」


 ……生えてきたのだろうか。

 草と草の間から、にゅにゅにゅっと。そんなわけない。馬鹿な想像をした。

 

『KIRIHIME, Inc.』


 入口の上に突き出ているひさしに、そのような文字を見つけた。社名のようだ。


「キリヒメって、有名な会社?」


 記憶に全くない。


「さあ、わたくしも存じ上げません」


 言って、それ以上の関心を示すことなく、ヒナは入口のドアへと歩いて行った。音を立てつつ、自動ドアは当然のように自動的に開く。

 私はヒナの後について、ビルの中へと入って行った。


 ◇


 先ほどの休憩室の扉を開け、カチリと電灯がつけられた。


「疲れたでしょう?」

 

 ヒナは聞く。


「そうね」


 言ったものの、私は疲れていない。まだ動ける。


「睡眠は、そこのソファーでお願いいたします」

「分かった」


 目覚めたときに私が横になっていたソファーだ。


「ベッドを用意できなくて、ごめんなさい……」

「いいの。でも、ヒナはどうするの?」


 休憩室の中にあるソファーは一つだけだ。


「わたくしは、別の階にあるソファーに横になりますわ」


『いつも、そうしていましたので』と、ヒナ。


「それではお休みなさい、ヨミ。良い夢を」

「ええ、お休み、ヒナ」


 言い、ヒナは休憩室から出て行った。

 ふかふかのソファーに横たわり、私は電灯をつけっぱなしでボーっと天井を眺めている。清潔な、白い天井だ。まるでキャンバスのよう。いつしか真っ白な天井には映像が描かれ始めた、白いキャンバスに誰かが絵を描き始めたのだ──私の視る夢は、そのような始まりだった。


 ◇


「今日、遂に転入生が来るんだって!」


 うれしー! と満面の笑みを浮かべるのは、七星ななほしさん。彼女はいつも幸せそう。どんなときでもニコニコしていて、自らが常に幸せであると示していた。


「ほおう、遂にですか」


 久々角くぐつのさんが、七星さんに尋ねている。七星さんと仲良しの彼女は、綺麗に透き通った、人形のような瞳をしている。無機質な眼だ。


「でも、運が悪かったよねぇ」

「うんうん、まさか王里に着いた初日にシヨクに殺されるだなんて」

「けどようやく、私のガールミーツボーイが始まるんだぁ、ふふふ」

「え、奈々あなた。まさか一目ぼれしたの?」

「えぇ!? いやいやいや違うよ!? まだ好きになってなんかっ……!」

「『まだ』?」

「ちがっ。それ言葉のあや的なっ」


 二人の会話はまだ続く。

 けれども私はそれ以上を聞くことなく、ぼんやりと椅子に座っていた。


 ここは、教室。どこかの、いつかの。


「弥代、お昼どうする?」

「カレーパン」

「そっか、愚問だったね……」


 別の席。別の会話。

 話しかけているのは、天祠乃あましのさん。

 答えているのは、銀城かねしろさん。

 銀城さんの髪色は特徴的だ。綺麗な長髪は銀色で、一本だけ三つ編みが垂れ下がっているというふうに。そんな銀城さんはいつも気難しげで、けれども天祠乃さんと会話するときは楽しそうにしている。


「碧……転入生くん、今日からみたいね」

「ああ」

「ふふ……」

「なにか良いことでもあったのか?」

「ううん、なんでも」


 彼女たちの会話も、いつの間にか消えていた。


「ヨミ?」


 傍で、声。

 そちらを向くと、まず黄金の眼があった。


「ヒナ……」

「ぼんやりとしていましたけれど、寝不足ですの?」

「うん……そうかも」


 ヒナだ。

 今の(今の?)ヒナよりもまだ幼い、高校生の頃のヒナ。

 そして私も、高校生の頃の私。


「体調は、どうですか?」

「ううん、平気平気。とても元気だよ」


 心配そうに尋ねるヒナに、そう答えた。


「悪くなりそうだったら、すぐにわたくしに……」

「了解してるよ、大丈夫大丈夫」


 ヒナは、心配性だ。

 そして、過保護だ。

 

 そのとき扉がガラッと開かれ、真っ白な髪の女性が入ってきた。

 私たちの担任、四季山先生だ。なにもかも真っ白で、忘れっぽい人。


「少しトラブルはありましたが、遂にこのクラスに転入生がやってきました。さあ、どうぞ、自己紹介を────」


 そうして"彼"は、教壇に立った。


 ◆


 黄金の双眸、黄金の髪、周囲に浮かぶ鏡の破片、片翼のみの無限足り得ない純白の翼。

 

「なぜ、このような……残虐な……わたくしは……」


 そこはどこかの古屋敷。

 畳の敷かれた大広間は血と脂肪と肉と腸に塗れていて。

 そんな地獄のような光景の中、一人の天使が小さな腕を胸に抱き、罪悪に圧し潰されていた。彼女は、その根本があまりにも人間的であったのだ。

 それ故に、天に叛いた。

 零の天使の羽根を媒体に、彼女は唱える。

 それは自らの力の範疇を超えた、贖罪の祈り。


「集いなさい。場に漂う、無念の残滓たち……わたくしはもう、天にくみすることをやめます。あまりにも、惨すぎる……!」


 創篇十三綴の末席にあたるシルティーナは。

 淵源が最も人に近似しているが為に、叛逆の意志を持った。

 皆殺しにされ、喰い散らかされた烏有悠うゆゆの古屋敷にそして、想念と肉達がその存在へと形を成した。


 ◆


 起きると、けれども外は真っ暗。

 何か夢を視ていた。

 いつかの光景を見ていた。

 しかし、なにも思い出せない。

 夢は、所詮夢なのだ。

 それは現実ではない。

 それは実体ではない。

 ただ、どんな夢を見ていたのかは、分かるような気がする。


 きっと、悪夢だ。

 でなければどうして、こんなにも汗をかいているのか。

 

 ああ、湖に入って、汗を流してしまいたい。

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