閑話 トワの葬
「────!」
ころんころんと、転がりゆく。
果たしてそれは、なんであったか。
◆
ちゅんちゅんというこの鳴き声は、
窓から差し込む朝の陽ざしは眩しく、昨晩から開け放っていた窓からは涼やかな風が吹き込んでいます。
「勇者殿、入りますよ」
コンコンコンというノックの音がして間もなく、返事をする前に彼女は入ってきました。
真っ黒の双眸に可愛らしい顔、礼服のような服装──クラウさんです。
「今日も良い天気です。朝食の用意が終わりましたので、気が向かれたら食堂までお越しください」
言い終わるとにこりと笑い、「ああ、あと」と言い足しました。
「マシロが到着しました。また、どこぞで記憶を失っていたようで、フラフラと
マシロさん……上から四番目の方です。クラウさんは三番目なので、一つ下ということになります。
「あの、クラウさん」
「はい?」
「トワさんは、その、本当に……」
私の問いかけに、クラウさんはにこりと笑います。そうして、ひとつの悲哀も感じさせない声色で、
「二姉様は火葬されました。枯種の撃破に大いなる貢献を為された故の、栄誉ある死です」
そう、答えました。
枯種……魔王幹部の一体と、神殿で習いました。
その枯種が、このアギョウ村の近くに広がるアメンの森の奥にいたそうです。だからトワさんが倒しに向かって、相討ちになりました。
◇
「そうですか。トワが、死んだのですか」
さくっというトーストの齧られる音。
マシロさんが先に椅子に座り、クラウさんの作った朝食を食べていました。
「イロハさん、怪我はありませんでしたか?」
「い、いえ、私はずっと
昨夜、クラウさんに知らされるまで、私はなにも知らずにいました。
このアギョウ村は、なんと村ぐるみで魔王配下だったそうです。枯種の呼び声に応じて招集され、襲い掛かってきたみたい。
枯種の討滅が済んだ今、この村の中はすっかり無人です。
「そう。それが一番良いわね。イロハさん、勇者である貴女の役目は、生きることが最前ですから。魔王討伐は、勇者の一義的な目的であり、勇者でしか達成し得ないものです」
言って、マシロさんは穏やかに笑います。
彼女はなにもかもが白い女性です。髪も、肌も、雰囲気も。いかにも落ち着いた大人の女性、という感じで、(失礼な言い方ですけど)とてもクラウさんの妹さんには見えません……そのスタイル、発育的にも。
「私は少し、村の中を見てきます。これからの旅に役立つ何かがあるやもしれませんから」
「あら、
マシロさんのにこやかな皮肉に、クラウさんは薄笑いを浮かべたまま、
「勇者殿の権能を、従者である私がお借りするのですよ」
私の権能……家のタンスや壺を漁っても何も咎められないという、あれでしょうか。ロールプレイングゲームはあまり詳しくはありませんが……兄や学校のお友達なら解かるのかしら。……元気に、してるかなあ。といっても、向こうからしてみたら消えたのは私の方だし、危険なのは私の方か。だって、あっちの世界に魔物なんていないし。魔法……のようなものは、どうだったっけ。
「マシロ、勇者殿の護衛を忘れてはなりませんよ」
「ええ、しかと承知していますとも」
考え事をしている間に、クラウさんは軽やかに外へと出て行きました。
ぱたりと静かに扉が閉められ、食堂の中は静寂に包まれました。サクサクのトーストが齧られる音と、カップとお皿が触れ合う音。白く清潔なお皿にはスクランブルエッグとブロッコリーが綺麗に盛り付けられています。まるであっちの世界のような食事です。神殿にいた頃も、こんな風なご飯だった……どうしてだろう。
「『なぜ、このような朝食が出てくるのか?』でしょうか」
「え、」
「不思議そうに、皿の上を眺めていたものですから」
コーヒーカップを片手に、マシロさんが微笑しています。
「この世界は、箱庭に配置された小景の、そのひとつ、その続き……」
「そ、それって、どういうことなんですか」
箱庭? しょうけい? 続き?
「……」
「マシロさん?」
「……忘れてしまいました」
転びそうになりました。
マシロさんは真剣な表情ですから、きっと本当に忘れてしまったんです。疑ったりはしません。《/底の抜けた記憶箱》、それがマシロさんの抱える『存在の
「ごめんなさい、思わせぶりに言っておきながら」
しゅんと、マシロさんの表情に翳が落ちます。真剣に凹んでます。
「い、いえ、良いんです、平気です。得られずとも、答えは自分で見つければ良いんですからっ」
なんとか慰めようとまくし立てる私に、マシロさんはフフと楽し気に笑いました。どうにかなった、のかな。
ふと、私の口が動きました。本当に何とはなしに。
「あの、マシロさん」
「なんですか?」
「トワさんは……」
うまく、言葉が出てきません。
いったい私は何を聞こうとしているのか、それすら分かっていないのですから。
実感の湧かないトワさんの死を、どのようにして理解に落とし込めばいいのか、分からないままなのですから。
「トワについて、話しましょうか?」
「は、はい」
「トワの死は、イロハさんの心を乱しているみたいだから。話すことで気持ちの整理ができるかもしれないわ」
どこか力のない笑みを浮かべ、マシロさんは続けます。
「トワの持つ『存在の創』は、《/腐肉の屍》というものなんですよ。身体がずっと腐った状態になる、とても嫌な
トワさんが
「トワ自身は、腐った自らの身体を忌み嫌っていました。そのためにいつも花の香水を身に纏い、自らの腐肉から発される臭いを消そうとしていた……健気な努力です。特に、彼女の信仰する彼に対しては……」
「彼、ですか」
「イロハさんは、好きな人はいる?」
「え」
唐突な質問を受けて言葉に詰まる私へ、マシロさんは言います。
「トワには、心の底から好きな殿方がいたの。信仰すら持つほどに、ね」
「も、ものすごく好きってことですか?」
「ええ。ものすごく好きってことなの。それが、"彼"。トワは、あんなみっともない恰好をしていても、恋心は純粋だったみたいだから……その信仰する殿方と、いつ会っても平気なように、ああやって香水を常につけていたのよ」
「そう、だったんですか……」
トワさんは、ずっとお花の香りを纏っていました。
「トワの最期は、火葬だったとクラウに聞いたわ」
「私も、そう聞きました」
「不死の腐肉をすら燃やす炎……トワの死は残念だったけど、その死に方は決して悪いものではない。忌み嫌う自らの腐肉を、ようやく荼毘にできたのだから。でも……」
マシロさんは目を瞑ります。瞑ったままで、言いました。
「トワは、"彼"に殺されたかった」
悼むように言い、マシロさんは目を開けます。
真白の眼が、私を見つめています。
「イロハさんは、トワの死を悲しんでくれているのね」
慈しむように、その眼が細められました。
「私達は気の毒な存在だから、人からなにかが欠けてしまった本質的欠損者だから……あなたのような
私は、トワさんの死を悲しいと思っていました。
人は死んだら生き返りません。生き返るはずがありません。
だから、死は永遠のお別れと同義です。もう会えないんです。
だから、──は、もう、──に会──「イロハさん」
マシロさんの声に、はっとしました。意識がどこかへ溶け込んでいきそうに、頭がボーッとしています。寝ぼけたのかな。
「心は、落ち着いた?」
「はい。ありがとうございます」
そこでふと、思いました。
「マシロさんって、先生みたいですよね」
その落ち着いた雰囲気、丁寧な物腰、『イロハさん』という私への呼び方。なんとなくの直感だけど、先生っぽい。
私の言葉に、マシロさんは目尻をさげて、燃え尽きたような笑みを浮かべ、
「そんな時期も、あったのかもしれませんね」
そう、言いました。
そこで、ガチャリと扉が開かれました。
駆けこんできたのは、クラウさんです。
「勇者殿、マシロ」
なんというタイミングの良さ。
まるで会話の切れ目を見計らっていたかのよう。
「あら、クラウ。お早いお帰りですね」
「スペクターが、私を追っています」
「そう。あなたが追い払わないのですか?」
「ふっ、ふふ、私は非力ですので」
クラウさんの肩越しに、人の姿をした影が、ひとつ。
「どきなさい、クラウ」
マシロさんは立ち上がり、凝然とスペクターの姿を見つめます。
人型の影は、じっと佇みこちらを見つめています。目はありませんが。
「……」
睨み合う両者。
私は息を呑み、緊張して震えている身体を抑えこみ、腰に提げた聖剣の柄を握りしめて、動けずにいました。まだ、魔物には慣れません。とても、怖いんです。
「……忘れていました」
ぽつりと、マシロさんは言います。
「私、物理的な攻撃手段を持ち合わせていません」
……へ?
「ですが、安心してください、イロハさん。私やクラウにはあの影は倒せませんが、」
黒く、どす黒い気配。
ぞっと、体中が粟立ちました。
「倒せる者が、今、来ました」
真っ黒な全身鎧が降ってきて、スペクターを圧し潰しました。
「……」
無言で立ち上がり、その真っ黒な鎧の頭部はこちらを向きます。
初めての出会いではないのですが、それでも身体が震えます。
周囲に無差別に殺意を発するその姿は、スペクターなんて比じゃないほどに怖いです。
「ジールさん、まったく、貴女は何処で道草を食っていたのですか」
マシロさんは笑って言います。
対するジールさんは無言です。シカトです。
「……」
そうして、また何処かへと跳んでいきました。
「……相変わらず、よく分かりませんね、あの子は」
呆れたように、マシロさん。
「なにはともあれ助かりました。ありがとうございます、マシロ……はなにもしていませんね。礼を言おうにもジールは去ってしまったし……とりあえずありがとうございます、勇者殿」
クラウさんにお礼を言われてしまいました。
私、何もしていません。
怖くて、震えていただけです。
「いやあ、よかったよかった。こんなところでパーティ全滅だなんて、器の大きな女神様ですら憤怒してしまいますよ」
クラウさんは余裕たっぷりです。
まるで最初っから知っていたかのように……ああ、知っていましたね。クラウさんは未来の分かる本を…………。
ということは、この村での顛末も、トワさんの死も、なにもかもをクラウさんは知っていた。知っていてなお、ことの進む通りにしていた。
「戦いにおいて比肩する者なしのジールが一緒に来てくれれば、これ以上ないほどに心強いのですけれども、如何せん、彼女は心が自壊してしまいましたので……」
喋り続けるクラウさんは、いつも通りです。
いつも通りのその瞳の奥で、これから起こる全てを知っている。
「あの、クラウさん」
「なんでしょう?」
「未来は、確定したら変わらないんでしょうか?」
私の質問の意図を、クラウさんは察したようです。
「過程ならば、変わりますよ。しかし、どう足掻こうとも結果は変わりません」
次いで、クラウさんは言いました。
「変えようのない結果なんて、知らない方がマシというものですよ」
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