第10話
結局、シュタインは罪には問われなかった。
ヴィーナスとソーレの尽力が大きかったのは、言うまでもない。
サクルは皇位継承権を剥奪された上、貴族と騎士としての地位も失ってしまい、罪を償う為の裁判を待っている。サルマも裁判を待つ身だ。
そして。ルーナは、エスメラルダのヒーラーとして最後の仕事に臨む。彼女の葬儀だ。
この葬儀が終われば、ルーナはアーキルと共に、町に帰るのだ。
ルーナは月の民に伝わる喪服を着て、参列をする。頭からヒジャブを被り、黒いくるぶしまである長いドレスを身にまとった。いつもはショートパンツで走りまわっているルーナだが、今日ばかりは、正式な喪服を見に着けた。
アーキルは、かつて軍医だった頃に作った軍服を着て、参列する。喪服を作っていないというのが、その理由だった。
葬儀は宮殿内の皇室の教会で厳かに行われる。
ルーナはアーキルとふたりで、隅の方で参列する。シュタインはふたりのかなり後ろで、ソーレとヴィーナスの姉弟は、皇帝を護るために、そのそばにいる。
ルーナとアーキルからは、ソーレとヴィーナスの姿は、見ることが出来ないほどに、離れている。これが身分の違いであり、住む世界の違いだと、ルーナは思う。
時間を共有し、仲間だと思ってはいても、ソーレは身分の高い、騎士団長なのだということを、ルーナは改めて確認をしたような気持ちだった。
ふたりは白い花を持ち、エスメラルダとの最後の別れのために待っている。
「俺も町に帰ったら、月の民式の喪服を作るかな」
「またいい加減なことを、アーキル先生は」
「いい加減は生まれつき。変えられないな」
アーキルはいけしゃあしゃあと笑いながら言う。その笑顔は屈託がなくなっていた。きっと、今、エスメラルダの魂はアーキルに寄り添って、苦笑いをしていると、ルーナはつい考えてしまった。
いよいよ、エスメラルダのお別れが、ルーナとアーキルの番になる。
アーキルは、慈しみ溢れる優しい笑みになる。とても温かな笑みだ。愛が溢れた一瞥をエスメラルダに投げる。
「またな、エスメラルダ」
まるでアーキルは明日にでもエスメラルダに逢うのではないかと思うぐらいの、温かくて素敵な挨拶だった。
「……エスメラルダ様、アーキル先生を、シュタイン博士を見守って下さいね。あなた様に月の女神様のご加護とお導きがありますように……」
ルーナは胸が切なさでいっぱいになるのを感じながら、花を柩に入れた。
教会から出ると、外は躍動感に溢れる光に溢れており、アーキルは目を細めたあと、身体を思いきり伸ばした。
「終わったな、総て」
「そうですね。本当に終わりましたね」
ルーナも、また、しみじみと感じる。これで、依頼された仕事はすべて完了だ。終わったのだ。何もかも。
「さあ、町に帰るか。婆さんたちが待ってくれて……いるだろうからな」
「アーキル先生は、軍医には復帰されないんですね」
「ああ。俺はその気は全くねえよ」
アーキルはキッパリと言い切る。そこには、迷いは何一つなかった。
「さあ、帰る支度をとっととしねえとな」
アーキルが雑に歩き出した時だった。
「月の子、アーキル」
完璧なまでの正装をしたソーレがふたりの前に現れる。背筋が完璧に伸び、凛とした隙のない素晴らしい姿だとルーナは思った。
「皇帝陛下がお逢いしたいと申されている。ふたりとも、来てくれないか」
「皇帝陛下が!?」
ルーナはそのようなことがあるなんて信じられなくて、思わず立ち尽くしてしまった。皇帝に逢うなんて、一生かかってもないとルーナは思っていた。平凡なヒーラーであるルーナが、皇帝陛下の傍に行くことなど、あり得ないと思っていたからだ。
ルーナは思わず、横にいるアーキルを見る。光栄なことのはずなのに、アーキルはなぜか厳しい表情をしていた。
「アーキル先生……?」
「ああ。行くか。謁見」
アーキルは上の空のように答える。
「ああ。ついてきてくれ」
ソーレはそれだけを言うと、ふたりに背中を向けて歩き出す。ルーナは緊張しながら、ぎこちなく、ひょこひょこと突いていく。まるで油の差していないからくり人形のような動きしか出来なかった。
きっと、エスメラルダのことで呼ばれたのだろう。そうでなければ呼ばれることなどないとルーナは思いながら、着いてゆく。
高い天井と優美な造りが印象的な回廊を渡って、連れて行かれたのは、謁見の間だった。流石に、ヒジャブを外して、ルーナは謁見の間に進む。
柔らかな光が石造りの重厚な扉を輝かせる。この先に皇帝がいる----そう思うだけで、ルーナは息が出来ないぐらいに緊張してしまった。
「皇帝陛下、医師アーキルと、月の民のヒーラー・ルーナを連れてまいりました」
「入ってくれ」
「失礼致します」
アーキルの凛とした良く響く美声が響くと同時に、重々しく扉が開かれる。
「アーキル、月の子、中に入れ」
「ああ」
「はい」
二人は深呼吸をして謁見の間に進むと、そのまま跪いた。ルーナたちが中に入るとすぐに、足音が聴こえた。
「月の民ルーナ、医師アーキル、顔を上げなさい」
艶やかな大人の男の色気が滲んだ、高貴な声が聞こえて、ルーナは導かれるように顔を上げた。
すると、玉座には漆黒の髪と琥珀色の瞳をした、精悍で艶やかな容姿を持つ、皇帝が座っていた。
真夜中に薬草園で出会い、サクルから救ってくれた人が、皇帝陛下だったとは。ソーレが堅苦しい態度であったことも合点がいく。
この人が皇帝陛下----ルーナはその姿を見つめるなり、どこか懐かしいような温かさが込み上げてきた。皇帝は、ただじっとルーナを見つめてくる。その眼差しには、どこかノスタルジックな温かさが感じられると共に、高貴な光を宿していた。
「ふたりとも、今回はご苦労だった。ふたりの活躍は、ソーレやヴィーナスから聞き及んでいる」
皇帝は、ふたりの活躍に満足するかのように微笑んだ。
「有難き幸せでございます」
アーキルとルーナは改めて、皇帝に深々と頭を下げる。皇帝陛下からこのような言葉をいただき、それだけで、ルーナは幸せだった。
「エスメラルダも喜んでいるだろう・・・・・・。からくりの躰を望んだのは、エスメラルダじしんだったが、最後に、アーキル、ルーナに癒やされて、幸せだっただろう・・・・・・」
皇帝は、深みのある声で、静かに慈愛を滲ませた声で、追憶をするように呟いた。
胸に迫る声と言葉に、ルーナーは息が苦しくなるぐらいに切なくなった。
「アーキル、お前は、国家の医療長官の職務を断ったそうだな」
「申し訳ございません。私は、町医者であることが性にあっているようです」
「お前らしいな」
皇帝は苦笑いを浮かべ、本当に残念がっているようだった。
「月の民、ルーナ。お前も良くやったな。お前は、この宮殿で、ヒーラーとして勤務する気はないか?」
皇帝は率直にルーナに尋ねてくる。だが、ルーナは心が全く動かなかった。
ヒーラーとしてまだまだ修業をしなければならないこと。そして、町の皆にも、誰にも、まだ、恩は返せてはいない。
ルーナは穏やかに微笑むと、皇帝に向かって穏やかな表情を向ける。
「皇帝陛下。私は、ヒーラーとしてまだまだです。出来ましたら、アーキル先生の下でまだまだ修業をしたいと思っています」
不敬になるかもしれないことは、ルーナでも予測は付いた。だが、それでもルーナは宮殿のヒーラーではいられないと思った。
「……そうか。あい、わかった」
皇帝はしっかりとどこか寂しげに頷くと、ルーナに柔らかな笑みを浮かべる。
「ルーナ、これからも、おばばの下、アーキルの下で、しっかりと修業に励みなさい」
「有難うございます、皇帝陛下」
ルーナは深々と頭を下げ、寛大なる皇帝に心から感謝をする。本当に、素敵な皇帝陛下だと、ルーナは心から感じた。
「ルーナ、お前は下がって良い。アーキル、ソーレ、少しだけ残ってくれぬか。ルーナは控えの間で二人を待っておれ。すぐに話は終わる」
「はい、畏まりました」
ルーナは皇帝に深々と一礼をすると、謁見の間から静かに出る。
皇帝に背中を向けても、温かなオーラが沢山感じられる。こんなに温かな感覚は他にはないとルーナは思わずにはいられない。ルーナは何度も振り返りたい衝動に駆られたが、なんとか入口に辿り着く。
そして立った一度だけ、ルーナは振り返って、皇帝を見た。
皇帝と一瞬、視線が絡む。こんなにも温かで落ち着く眼差しは他にない。どうしてこのような気持ちになるのか、ルーナにはまだ解らなかった。
ソーレとアーキルは改めて、皇帝と向き合う。
「ふたりとも本当にご苦労だったな」
皇帝は感慨深げに呟くと、二人の青年に、感謝の光を投げかける。
「特に、アーキル。おばばと共に、ルーナを見護ってくれ、育ててくれ、感謝をする。本当に有難う」
皇帝が深々と頭を下げるものだから、アーキルは恐縮して、更に頭を深く下げた。
「陛下、頭は下げられませんようお願いいたします」
「そうはいかん。あの子をずっと見守っていてくれているのだから」
皇帝はピシャリと言うと、アーキルとソーレを見つめる。
「ふたりとも、これからもルーナを頼む。シュタイン博士にも頼んでおいた。三人で、力を合わせて、どうか、ルーナを護ってくれ」
皇帝は改めて頭を下げると。そこには、威厳のある皇帝の姿など、どこにもなかった。
「ルーナと話されなくて良かったのですか?」
アーキルの言葉に、皇帝はフッと寂しげな笑みを浮かべる。
「今さら、どの顔を下げて、父親だと名乗るのだ……。あの子の母の命を奪った張本人だと……。ルーナには、恋をさせぬよう、そして、一生、誰とも結ばせぬよう、お前たちは引き続き、見守っていてくれ」
皇帝は魂の奥から苦々しい声で呟くと、父親特有の苦悩を表情に浮かべる。
皇帝の顔を見つめながら、ソーレとアーキルは、更にルーナを護らなければならないと誓った。
謁見の後、ルーナは、直ぐに町に戻ることを、アーキルに伝えられて、慌てて、出立の準備をした。本当に慌ただしくて、ルーナは息を吐く暇もなかった。
「どうして、お前も一緒なんだ、アルベルト」
アーキルはうんざりとしながら、シュタインを見つめる。
「お前の町の研究所の研究員として向かうんだろう……。皇帝陛下直々の辞令だからな」
シュタインは、アーキルにすまして言う。
「まあ、賑やかなほうが良いじゃないですか? それに、シュタイン先生のからくり医術は、きっと町のひとに新たな希望を持たせてくれますから!」
ルーナは本当に、シュタインの技術が、医療を更に発展させてくれると、信じて疑わなかった。それほどまでに、シュタインのからくり医術は素晴らしいのだから。
「流石は月の子だ。これからも宜しくな」
「はい、シュタイン博士!」
「では出立するか」
町までは、ソーレが送り届けてくれる。ルーナはそれが嬉しかった。折角仲間になったのだから、出来る限り、一緒にいたいと思っていたのだ。
「月の子ちゃん、元気でね。途中何かあったら男たちを放って逃げて構わないからね!」
「有難うございます。ヴィーナスさん。ヴィーナスさんもお元気で、また、町や月の民の村に遊びに来て下さい」
「ええ、有難う。月の子ちゃん、また逢いましょう」
ヴィーナスに見送られて、ルーナたち一行は、馬に揺られて町に向かって出発する。
この数週間、様々なことが起こった。この街に来たのが遥か昔に感じてしまうほどに、様々なことがあった。同時に、自分自身も成長できたと、ルーナは思う。
この宮殿のある街を後にしながら、ルーナは、月の民でいて、ヒーラーでいて良かったと新たに思う。
街を出ると、馬のスピードを上げる。明日には生まれ故郷の町に着く。
町に向かうこの旅は、ルーナにとって、新たな人生のスタートを切るのと、同じことだと、ひしひしと感じていた----
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