第7話

 ルーナは、今の一番の仕事である、エスメラルダの治療に向かう。

 最近は随分と、ヒーリングの力も充実してきて、ルーナとしては喜ばしいことだった。漲る力をもっとヒーリングに役立てたい。ルーナは強く望む。力を高めることが出来るようになっただけでも、今回の仕事を引きうけて良かったと、ルーナは思っていた。

 今日は、アーキルも一緒なので、ルーナにとっては何よりも心強かった。ヒーラーとしても、医師としても、まだまだ半人前であるから、ルーナはアーキルに助けてもらいたいというのが本音だった。

 ルーナが、アーキル、ソーレと一緒にエスメラルダの居室まで来ると、扉の前でシュタインが思い詰めたような表情を浮かべて佇んでいる。

「今日は、俺も同席させてもらって良いか?」

「そんな必要があるのか?」

 アーキルは、相変わらず厳しい光をを浮かべながら、疑うようにシュタインを見る。

「お前たちの治療の様子を見学させてくれ。頼む」

 プライドの高いシュタインが、頭を深々と下げる。その姿に、ソーレとアーキルは顔を見合わせた。

「勝手にしろ」

 アーキルは言い捨てると、静かにノッカーで扉を叩く。

「ただし、俺たちの邪魔はするな」

「分かった」

 静かに扉が開くなり、サルマが冷たい表情を浮かべて立っている。シュタインの顔を見るなり、眉根をあげる。

「シュタイン先生、随分と早いご到着ですね」

「ふたりの診療の様子を見たくてね。私には必要だから・・・・・・」

 シュタインは、一瞬、サルマの視線を避けるように目を伏せた。

「そうでしょうか? あなたには必要はないと思いますよ」

 サルマは呆れるように首を傾けると、わざとらしいため息を吐く。

「どうぞ、お入り下さい」

 サルマが慇懃に部屋に迎え入れてくれ、四人は気まずさを滲ませながら、部屋に入った。ルーナは、静かにエスメラルダの前に跪く。

「エスメラルダ様、こんにちは。今日はにゃんこちゃんのご飯を取った、アーキル先生のお話をしますね。勿論、本人も後ろに控えていますよ」

「お前、いらねえこと言いすぎだって」

 ルーナとアーキルが話している様子を、エスメラルダは穏やかな表情で聞いてくれている。以前に比べて、随分と柔らかな表情になった。

今日は、診察の時間から、シュタインがいる。まるでルーナたちの診療を楽しみにしているような、そんな雰囲気すら感じられた。

ルーナはいつものように、エスメラルダの手をしっかりと握りしめながら、少しずつ力を注ぎ始める。こうしているとルーナは温かな気持ちになる。親しい者といるような気持ちになる。

「私が診療所に住み着いているにゃんこちゃんに、いつもごはんを作っているんですが、たまに、お腹が空くからとかで、アーキル先生が食べてしまいます。あくまで猫のために作っていますが、アーキル先生が、食べるから困っているんですよ。にゃんこのご飯を盗むなんて、飼い主としては風上にもおけないですよね。しかも猫のご飯だから、お魚たっぷりに汁かけてるだけなのに」

エスメラルダが楽しめるようにと、ルーナはなるべく面白おかしく話をする。

「ルーナ、お前は本当に一言多いんだ」

アーキルが怒ったようにわざと言うと、ルーナを優しいげんこつで小突いた。

「暴力反対です、アーキル先生。本当のことでしょう? だけど、エスメラルダ様は楽しそうですよ。先生の色々な話を覚えていて良かったです」

ルーナはわざと明るく言いながら、力をエスメラルダの身体に注いでいく。だが、固い何かにぶつかったような感覚があり、思わず目を見開く

「……!!!」

力を高めて、注げば、注ぐほど、ルーナは違和感を覚えて眉根を寄せた。力が固い何かにぶつかって戻ってくるような感覚がある。

ヒーリングの力を注げば、注ぐほどに、力が跳ね返されて抵抗が大きくなり、ルーナは思わずエスメラルダから手を離した。

自分のヒーリングの力が日に日に充実しているのは分かっている。その力を強くすると、跳ね返る。折角、もっとエスメラルダを癒すことが出来ると思ったのに、それが敵わないのが切なくて、悔しくて唇を噛み締めた。

「どうした? ルーナ……」

ルーナの表情の変化にいち早く気付いて、アーキルが低い声で鋭く訊いてくる。

「ヒーリングの力が跳ね返ります……」

「力が……?」

「はい。力を強めると跳ね返ってくるんです。……まるで拒絶されているような、そんな感じがするんです……。命を否定されているような、そんな雰囲気が……」

上手く言葉では説明できなくて、ルーナはもどかしさを感じた。

「ヒーリングの力は、生命力を更に強くするためのものですが、その力を跳ねのけてまるで命を拒絶しているような……。命を、生きる美しさを否定しているような……。上手く言えませんが……」

ルーナはもどかしくてたまらなくなる。どうして上手く言えないのだろう。

だが、ルーナの言いたいことが伝わったのか、シュタインは心臓が止まるようなリズムで息を呑んで、顔色を変える。何か、恐ろしいことに気づいたかのような表情だった。

「……命を否定するような……」

アーキルは眉を潜めながらルーナの言葉を反芻した後、直ぐに、聴診器をエスメラルダの胸に置いて、心音を確認する。同時に、紙に数字を書き入れ始めた。

アーキルの表情は厳しく真摯に患者と病に向き合っている医師の顔だ。とても精悍で男らしい。エスメラルダも、アーキルのこのようなところを愛しいと思っていたのだろうか。なら、その想いを蘇らせて欲しいと思った。

アーキルに密着されても、エスメラルダは全く反応しない。ただ、瞳は不思議と夢見るように輝いている。恋する人形のような表情だった。

アーキルはその間、ひたすら心音のリズムを記録し続けていた。エスメラルダの様子は見ず、ただひたすら心音を追いかけている。

真剣にエスメラルダと向き合うアーキルを見つめながら、ルーナは少しでも彼の持つものを吸収できればと思い、ただ凝視した。

ふと、アーキルは、エスメラルダの腕にも聴診器を当てる。

何も聞こえないはずなのに、じっと何かを聞いているかと思うと、確信したように頷いた。

そして、エスメラルダの手を、しっかりと握りしめる。

するとエスメラルダの瞳が開かれたかと思うと、甘いはにかみの余りにドキリとしたような反応を見せた。

「……人形ではないのか……」

アーキルは、明らかな反応を見せたエスメラルダを、じっと観察する。今までは、何処か苦しい恋情を滲ませていたのに、今や冷静で事務的だった。エスメラルダを診る度にあれほどまでに、動揺を滲ませていたアーキルが、誰よりも冷静に診ているのがとても不思議だ。何か心境の変化でもあったのだろうかと、ルーナは思った。

「人工的な部分、そしてそうでない部分……」

アーキルは自分の考えを整理するように、ぶつぶつとひとりごとを言う。

「エスメラルダな部分とそうでない部分……」

アーキルのひとりごとに、ルーナも、何かもやもやとしたエスメラルダの状況が、分かりつつあるような気分になる。

同じように、アーキルの一人言に耳を傾けていたシュタインは、苦し気に唇を噛み締めた。サルマも表情もいつもに増して神経質になっている。

「ルーナ、今日はこれまでだ。これ以上施術しても同じだろう・・・・・・」

 アーキルは珍しく低く冷たい声で呟くと、不機嫌さを静かに滲ませながら診療道具を片付ける。ルーナも慌てて診療道具を片付けた。

「サルマ殿、これで、俺たちは失礼します」

「あ、あの、エスメラルダ様、サルマさん、シュタイン博士、失礼します」

ルーナは、仕事道具を抱えながら、先を急ぐアーキルを追いかけて行く。

アーキルは、離れた場所で診察の様子を見ていた、シュタインを見る。アーキルは、シュタインに外に出るようにと、視線で話しかける。

シュタインもまた、アーキルが彼に対して何を言いたいのか、何を訊きたいのかを、直ぐに理解したようで、外に出た。

「……お前に訊きたいことがある、シュタイン。・・・・・・まだ、医療からくりの研究を行っているのか?」

ふたりの雰囲気が強張る。ルーナは鉄よりも重たい深刻な空気を感じ取って、心がずっしりと来る。ふたりは、お互いに何を話すのか解っているのだろう。

「……ここでは込み入った話は無理だ……。夕方で構わないか? 月の子と、ソーレも一緒に話がしたい」

シュタインは、いつものように目線を外すということはなく、ただ、真っ直ぐと、ルーナとアーキルを見つめてくる。

そこには闇はなく、誠実な光しか、ルーナには感じられない。シュタインがふたりに対して、そしてエスメラルダに対して誠実でいたいのだと、感じ取れる。

「……解った……。受け入れる」

アーキルも、シュタインの気持ちを理解したのか、静かに頷いた。

「では、オヤジの酒場で」

 シュタインが部屋に戻ろうとしたところで、壁にもたれ目を閉じて話を訊いていたソーレが、静かに目と口を開く。

「・・・・・・立ち聞きが趣味ですか? サルマ殿」

 ソーレの感情のない低く鋭い声と視線に、サルマは目を一瞬見開いた後、踵を返して部屋に戻った。

アーキルは無言で、感情のない冷徹な顔をしている。静かに激怒しているのは、明白だった。

「行くぞ、ルーナ」

アーキルは足早に回廊を突っ切って行く。

「アーキル先生、待ってください」

ルーナが声を掛けると、アーキルはピタリと歩みを止めた。

「ルーナ」

アーキルはルーナを一瞬、見つめた後、目を伏せる、

「……あれは、エスメラルダであって、エスメラルダじゃない……。完全なエスメラルダじゃない……」

アーキルはまるで呪文を呟くように、切ない声を出す。

「アルベルトと決着をつけるまでは、まだ時間はある。ルーナ、俺についてこい。街に出るぞ」

アーキルは、ルーナに可否を訊く前に、更に歩みを早くする。ルーナは、着いて行くしかなかった。

「ルーナ、お前は本当にエスメラルダが生きていると思っているか?」

随分と難しい質問をアーキルはしてくると、ルーナは思う。

「……判断が難しいんですよ。正直、私はエスメラルダ様が生きているとは思えないです。けれども、死んでいるとも思えないんです……」

「……亡霊め……」

アーキルは小さく低い声で、忌々しいように吐き捨てる。

亡霊----きっとアーキルには、元に戻らないエスメラルダは、亡霊であり、忌々しいものなのかもしれない。

「ソーレ、お前に調べて貰いたいことがある」

アーキルは思い詰めたように、ソーレを見る。

「何を?」

 ソーレは眉根をひそめ、厳しい顔つきになった。

「おばば様と、俺が、エスメラルダの死亡を判断した後、生きていると確認されるまでに、エスメラルダの亡骸が消えたとか、そのようなことがなかったか、調べて欲しい」

面妖なことだと、ソーレも完璧な迄に整った顔を更に厳しくさせた。

「エスメラルダ様の亡骸が……。解った、直ぐに調べよう」

「恩に着る」

「姉さんに訊けば、何か解るかもしれんな……。アーキル、お前が直接訊いても構わないぞ」

「ヴィーナスさんだけは遠慮しておく。ガキの頃の稲妻ラリアットの悪夢が……」

アーキルはあからさまに恐ろしそうに呟いた。

「・・・・・・まあ、しょうがない。俺が訊いておく。どうせ、報告で姉さんのところに行かなければならなかったしな。そのことについては、姉さん経由できちんと調べておく。夕刻までに結果が解れば知らせる」

「ああ、頼んだ」

 ソーレは頷くと、ルーナに視線を送る、このような魅惑的な瞳で見つめられて、ドキリとしてしまう。

「では、月の子、また、後で」

「はい、ソーレさん」

 ルーナは、優雅でかつ逞しいソーレの後ろ姿を見送りながら、その背中の逞しさと精悍さに、どこか敬意を感じていた。


 ソーレは、すぐに、姉のいる軍の総括本部へと足を運ぶ。ここに行けば、大概の事が解るからだ。姉は、帝国の様々な情報に精通しており、ソーレの願う情報のありとあらゆるものを、教えてくれるのだ。

「アポロ将軍、ソーレです」

「ソーレ、入って!」

 立派すぎるくらいの彫刻が施されたドアをくぐり、ソーレは司令官室へと入った。

「まあ、あなたが訪ねてくるのは珍しいわね。どうせ、欲しい情報でもあるんでしょ?」

 ヴィーナスはストレートに言うと、実の弟であるソーレと同じ色の瞳を、向けてくる。その瞳は厳しく、ソーレの心を抉るような激しさを持っている。

「流石はアポロ将軍、話が早い」

「で、どのような、情報なの? ソーレ」

 ヴィーナスは凛とした態度で、率直に訊いてくる。

「アーキルと、おばば様がエスメラルダ様の死亡を確認した後から、生きていることが確認するまでの間で、エスメラルダ様の身体がなくならなかったか、調べて欲しいんだ」

 ソーレの話を聞きながら、ヴィーナスは眉根を寄せた。表情が幾分か強張ったと言っても良い。

「解ったわ、直ぐ調べるわ」

「頼んだ。姉さんにしか頼めないことだから」

「確かに用件が用件なだけに、私以外は頼めないわね。アーキルから頼まれたことよね?」

「ああ」

「そう。あいつ、余り私の所に顔を見せないのよねえ。昔、散々、稲妻ラリアットをかましたかしら? また練習したいから、顔を出し手と伝えておいて」

 ヴィーナスの不敵な笑みに、ソーレは苦笑いを浮かべる。アーキルは絶対に顔を出さないと、表情をひきつらせて言う姿が、安易に想像することが出来た。

「……まあ。伝えておく」

「ええ。しっかり伝えておいてね。今からすぐに調べるわ。恐らくすぐに解ると思うから」

「恩に着る」

 ヴィーナスはいつも厳しいことを言ったりするが、結局はソーレのために動いてくれることが多い。これには本当に感謝していた。

 ヴィーナスはフッと笑みを浮かべた後、将軍らしい厳しい表情を浮かべる。まるでソーレを値踏みするかのような視線を向けてきた。

「ソーレ、月の子の様子はどうなの?」

「ああ。アーキルをよく助けているとは思う。エスメラルダ様の件も、月の子がいるから、真相に辿り着きつつある」

 ソーレも鋭いナイフのような表情を浮かべる。

「そう……。能力が、目覚めつつあるということ?」

「ああ。まだ、発展途上ではあるが、能力はかなり高まっているのは確かだ。今まではおばばさまの力で、その力を抑え込んできたが、それが解放された今、力が滲み始めている。だが、それに月の子の心の成長が追いつかなくなる恐れもあるかもしれない……。今回のエスメラルダ様の件でも、かなりの異能力を発揮している。エスメラルダ様の身体が消えた、消えないの、件も、恐らくは、月の子のヒーリングで、アーキルが気付いたものでしょうから」

「そう……。有難う」

 ヴィーナスは頷くと、切なそうに眼を伏せる。どこか、哀しげな眼差しになった。

「ソーレ、あなたの任務は、月の子を護ることよ。引き続き、しっかり守って頂戴。あの子は、いずれこの帝国ではなくてはならない存在になるのだから」

「解っています」

 ソーレは神妙な表情で頷きながらも、表情を冷たく陰らせる。

「月の子は、素直で無邪気で、可愛らしいわね。あの子を見ていると、それだけで癒されるわ。だから、アーキルもきっと、あそこまで立ち直ったんでしょうけれど」

 ヴィーナスはまるで母親のように愛しげに眼を細めながら、寂しい笑みを浮かべる。その笑みは、温かさと物悲しさが同居したような眼差しだった。

「確かに、素直で、前向きで、良い子だと思う……。今どき、あれほどまでに純粋で素直な女の子は珍しい。おばば様がきちんと育てたからだろうと、俺は思う」

「そうね。あなたも、癒されているのかしら? ソーレ」

 ヴィーナスは柔らかく首を傾げながら、姉として優しい眼差しでソーレを見つめてくる。だが、ソーレは、その眼差しを拒絶するかのように、目を伏せた。本当に、癒しなど何も受け入れたくなかった。

「気立てのよい娘だとは思っているが、それ以上でも以下でもない」

「頑なね。あなたはあの子に恋してしまいそうなそんな気がしていたけれど……、それは杞憂のようね・・・・・・」

 ヴィーナスは軽く溜息を吐きながら、瞳を陰らせる。切ない光が愁いのある眼差しに換えていた。

「----俺は“月の子”に恋はしない。絶対に。これは誓える」

 ソーレはキッパリと言い切ると、ヴィーナスをきっぱりと見据えた。ヴィーナスはそれを受け入れるように頷く。

「そうね。それなら安心したわ」

 安心したと言いながらも、ヴィーナスはホッとしたような表情ではなく、むしろ、どこか優しくて哀しい表情を浮かべていた。

「では、俺はこれで。アーキルの件をお願いします」

「解ったわ。ソーレ、ちゃんと報告書を上げてきなさいよ。最近、さぼりがちよ。まあ、アーキルや月の子と一緒にいるのが楽しいというのは解るんだけれど」

 ヴィーナスは総てをお見通しとばかりに、フッと微笑んだ。それがソーレには気に喰わない。

「解りました。ちゃんと報告書は上げます」

 ソーレは、最近、エスメラルダの件を夢中になって調査をしていたから、すっかり忘れていた。姉に言われて、それだけ充実している日々を送っているのは確かだと、ソーレは思った。

「夕方ぐらいには解ると思うけれど、その時にはどこにいる?」

「ああ。アーキルとロベルトと約束をしている。オヤジの酒場で落ち合う予定だ」

「そう。オヤジの酒場ね。解ったわ」

 ヴィーナスは頷くと、ソーレをもう一度まっすぐ見た。その眼差しはとても厳しく、冷静だ。

「ソーレ、アーキルによろしくね」

 ヴィーナスは、一寸不敵な笑みを浮かべて、手をひらひらと振る。

「ああ。じゃあ、失礼する」

「じゃあ、また後で」

 ヴィーナスの部屋を出た瞬間、ソーレは気付く。

 ヴィーナスはきっと、エスメラルダの遺体についての報告を口実に、アーキルに稲妻ラリアットの技を掛けに、オヤジの酒場にやってくるはずだ。それを見たルーナが、更にヴィーナスを尊敬して、憧れる様子が目に見えている。ソーレは頭を抱えたくなった。


 馬で街に出て、観光がてらに、ルーナはアーキルのお供をしていた。

 アーキルは、問屋を色々と尋ねては、町の患者のための薬草を大量に買い求めた。

「アーキル先生、随分と沢山買うんですね」

「ああ。もうすぐ俺たちの仕事は終わる。十中八九な。だから、沢山の薬草を仕入れておきたいと思ってな。ここはやはり最高の薬草問屋が揃っているから、良いものが目白押しだ。今のうちに買いそろえておかなければな」

「そうですね。私も、何かヒーリングの材料を見ておいたほうが良いですね。後は、患者さんたちにお出しするハーブティの材料なんかも見たいなあ……」

 大都会の問屋であるから、種類も豊富でルーナも目移りする。自分の少ない収入の中で、何とかやりくりしながら、ハーブを買わなければと、つい意気込んでしまう。

「お前も、後悔がないように買い物をしておけよ。ここまではなかなか来られないし、ここまで来るのは相当骨が折れるからな」

「はい」

ルーナは気合を入れて買い物をする。洋服などには本当に頓着しないのだが、ハーブ類や薬草類はつい拘ってしまう。これは月の民だからだと心から思った。

「買い物が済んだら、待ち合わせ場所に行くぞ。今後の対策を立てる為にも、お前もしっかり話を聞いて、真剣に参加してくれ」

「はい」

 シュタインの話を聞いた後、いよいよ、エスメラルダの本格的な治療方針が立てられるのだ。だからこそ、アーキルはもうすぐ終わると豪語することが出来たのだろう。ルーナは緊張の面持ちでしっかりっと頷いた。

 初めての大きな仕事がもうすぐ終わりを告げる。自分がやるべきことは、ベストを尽くすことだけだと、ルーナは思わずにはいられなかった。

 結局、茜色の澄み渡った見事な夕陽が空を染めるまで、アーキルとふたりで買い物三昧をした。

 よく、女性がストレス発散に買い物をすると言うが、まさに、今日のアーキルとルーナもそれに似たような状況だった。買い物は本当に楽しくて、ルーナはすっきりとした笑顔で、夕方を迎えられた。

「本当によく買えましたし、買いましたね」

「ああ」

 買い物に於いては、アーキルもルーナも勝利者だと信じて疑わなかった。本当によく買い物をしたものだと、ルーナもアーキルも思う。お互いにほくほく顔だった。

 引いている馬の鞍にはすでに荷物でいっぱいだ。見事な戦利品を見せびらかしているように雰囲気すらあった。

「楽しかったです」

「そうだな」

 アーキルはフッと笑った後、空を見て、懐中時計を確認する。するとその表情は真剣なものに変わった。

「さてと。ルーナ、待ち合わせ場所に行くか」

「はい」

 買い物モードから、仕事モードに切り替えなければならない、ルーナもまた、緩んでいた表情を引き締めた。

 待ち合わせ場所に向かう間、ルーナもアーキルも全く無言だった。既に、厳しい話になることは、お互いに予想がついていたからだ。アーキルは医師として、ルーナはヒーラーとして、お互い最大の試練になるということは、充分過ぎるぐらいに解っていたからだ。

「もうすぐだ。オヤジの酒場の飯はかなりうまい。それだけは楽しみにしておくと良い」

「はい」

 ルーナは頷きながらも、いつものように素直な笑顔を浮かべることは出来ずに、どこか強張った笑顔だけを浮かべてしまっていた。

 オヤジの酒場の前には小さな広場のようなものがあり、そこにはすでに、シュタインが待っていた。どこか思いつめたような表情で空を見上げている。まるで迷子のようだと、ルーナは思わずにはいられなかった。きっと、シュタインは魂の迷子なのだろうと、ルーナは思った。

「シュタイン博士」

アーキルがむすっとした不機嫌な表情をしていたので、ルーナが躊躇いながらも声をかけた。

「月の子、アーキル……」

 シュタインはどこかホッとしたような穏やかな笑みを浮かべた後、ふたりに近づいてきた時だった。

「「「……!!」」」

 三人は同時に息を呑む。

 恐ろしいほどに不気味な大量の殺気を感じ取り、ルーナは素早く剣の柄に手を掛ける。人を斬れない剣。だが、はったりぐらいにならなると思ったのだ。

 アーキルもルーナよりも素早く剣を抜く。そして、意外にもシュタインも俊敏な仕草で剣を抜いた。

「お前がはめたのではなさそうだな……」

 アーキルは苦々しい低い声で呟く。

「俺のはずがない。恐らく、ずっと俺をつけていたのか、お前たちをつけていたのかのどちからなんだろうな」

 シュタインは静かに呟くと、冷徹な炎を剣に宿らせる。シュタインもまた、かなりの剣の技量を持っているのだと、ルーナは本能で気付いた。

 刺客の数など、数えたくないほどだった。これほどの数が一体どこから湧いてくるのだろう。ゆうに十人以上はいる。

「・・・・・・あの女か・・・・・・。想定内・・・・・・かもな」

 アーキルは呻くと、深呼吸をした。

 夕陽が最後の力を振り絞って、空と街を紫色に変化させる。アーキルの剣に夕陽が反射したのと同時に、剣は振り下ろされた。

 刃がきらめく中、アーキルは刺客たちの剣を飛ばして、容赦なく次々と斬ってゆく。そして、シュタインもまた華麗なる剣術で、まるで舞っているかのように、刺客たちに襲いかかって行った。

 ふたりがいくら倒しても、様々な場所から刺客が湧いてくる。まるで増殖するカビのようだ。

 ルーナも応戦しようとしたが、斬れない剣である以上は、峰打ちをするのが精いっぱいだった。しかも、ルーナの剣を振るうと、刺客たちの傷が癒されて、また立ち上がる者もいる。

「刺客よ! 逃げなきゃ!」

「打ちあいだ!」

 市民たちは、街の真ん中で堂々と始まった闘いに恐れをなして逃げてゆく。誰もが、恐怖に感じてしまうほどに、激しい剣の打ち合いになりつつあった。

 背筋に嫌な物が流れる。

 このまま、こちらが疲れ果てるまでの闘いになってしまうのだろうか。

 息が出来ないほどの恐怖と焦燥を感じながら、ルーナは剣を振るった。それ以外に、自分を護る術などないように思えた。

 アーキルの額からも玉のような大粒の汗が弾き、シュタインもまた銀色の髪を汗で湿らせる。

 先ほどまでまれほど騒がしかった通りが、今はすっかり静まり返ってしまっている。誰も、近づくことが出来ないほどに、静かに、そして激しい打ち合いになっているのは、確かだった。

 ルーナは、刺客たちの剣を何とか受け止める。

 かなりの技量の上、相手は男だ。少女であるルーナが到底受け止められる力ではなかった。それでも何とか対峙していたものの、体力は削られてゆく。

 苦しくてたまらない。同時に、手が痺れて、力が入らなくなってきた。

 足元もふらふらする。

 剣を振るう度に、自分の力が取られてしまい、相手に力を与えているような、そんな錯覚に陥る。いや、実際にそうなのかもしれないと、ルーナは自覚する。

 足がもつれて、上手く、立ち回りが出来ない。いつもならば、ひょいと身体が軽くなって簡単に、剣を振るうことが出来るというのに。

 この瞬間に限っては、全く、いつものことが出来なくなってしまっていた。

 どうすれば良いのか。

 アーキルとシュタインに助けを求めようにも、この大勢の刺客の相手をするのに精いっぱいのようだった。

 ルーナが何とか踏ん張ろうとした時だった。

「……!!」

 何かに足を取られて、そのままもつれてしまい、ルーナはその場で滑って尻もちを吐く。

「ヒーラー覚悟っ……!!」

 いかにも腕っ節が強そうな強烈に良い体躯を持つ男が、ルーナに向かって大剣を大きく振り下ろしてくる。

 鼻先まで剣を感じ、もう駄目だと思い、目を強く瞑った時だった。

「月の子!」

 透明感のあるガラスの剣のような声が聞こえたかと思うと、目の前にシュタインが現れた。同時に、男の剣が、シュタインの背中を切り裂く。

「うっ・・・・・・!!」

「シュタイン博士!?」

 ルーナは大きな瞳を見開いたまま、ただ呆然と、シュタインが倒れてゆく様子を見つめることしか出来なかった。全身が一気に冷え、震えが止まらない。どうして良いのか分からず茫然とした。

 まるで、そこだけ時間が止まったかのように、シュタインは、ルーナの目の前で、ゆっくりと倒れ込んでいく。

 ルーナは胸が締め付けられ、喉から何か恐ろしいものが出てしまうのではと思うほどに、痛みを鮮烈に感じた。肉体的な痛みではなく、それは魂の痛みだった。

 ルーナは大きな瞳を見開き、そこから大粒の涙を零すことしかできない。身体が震え、表情は悲しみで強ばった。

 ルーナが身体を小刻みに震わせていると、シュタインの瞳とルーナの瞳が重なる。

 銀の髪をまるで宝石のように揺らしながら、シュタインは静かに微笑みながら倒れていった。

「シュタイン博士!!」

 ルーナの悲痛な叫びは、星が瞬き始めた空にこだまする。だが、それは悲しくてやるせない響きでしかなかった。

「好都合だ! シュタイン博士と次はお前だ! ヒーラー!」

 男は調子に乗ったように、今度はルーナをぎらぎらと好戦的に輝いた瞳でとらえると、一気に剣を振り下ろしてゆく。

「……うっ、ううっ!!」

 アーキルが男の背後から、頭に向けて剣を振り下ろす。そのまま男はルーナの目の前に倒れ、ピクリとも動かなかった。

 アーキルは表情を変えなかったが、一瞬、シュタインを見たときには、瞳に絶望にも似た悲しみを滲ませていた。

「……アルベルト……」

 シュタインと男が斬られるすがたを目の当たりにしたせいで、ルーナは恐怖のあまり、腰から下に力が入らなくなる。いくら立ち上がろうとしても、上手く、力が入らない。

「……アーキル先生、シュタイン博士が……」

 アーキルは解っているとばかりに、一度だけ頷いた後、感情を振り切るようにルーナを見つめる。

「ルーナ、大丈夫か!?」

 見かねたアーキルがルーナに手を差し伸べようとした。その背後で、更に別の刺客が今度はアーキルの頭に向かって剣を振り下ろそうとしていた。

 恐ろしさに余りに声が出なくて、ルーナは心臓がこのまま止まってしまうほどの驚きに、胸に激痛が走る。

 嫌だ、もう嫌だと思った時だった。

 だが、アーキルを狙っていた刺客は、今度は別の力強い剣によって駆逐されてしまった。

「遅くなった」

 現れたのは、ソーレだった。金色の髪を優雅に揺らして、何でもなかったかのように、剣から血液を振り落とす。ソーレはすぐに厳しい眼差しでルーナを捕えた。

「月の子、今のうちに逃げろ!」

 ソーレが言うと同時に、馬がルーナに向かって走ってくる。かなりの勢いだ。

「月の子、それに飛び乗れ!」

「え、あ、あの!?」

 暴れ馬のように突進してくる馬に、ルーナはどうして良いのかが解らずに、戸惑ってしまう。しかも、腰を抜かしてしまった今となっては、馬になんて、そう俊敏に飛び乗ることなど、出来るはずもなかった。

 ルーナが逡巡していたのはほんの一瞬だったが、ソーレは素早くルーナを抱き起したかと思うと、そのままルーナの身体を軽々と持ち上げ、暴れ馬に乗せてしまう。

「あ、あのっ! シュタイン博士や、先生は!?」

「いいから、すぐに掴まれ!」

「は、はいっ!」

 ルーナは言われるままに馬につかまる。馬になんて普段は乗り慣れているのに、今は怖くてしょうがない。

「ソーレ、月の子と一緒に宮殿まで逃げなさい。その子が一番優先よ! 月の子を護るのがあなたの責務でしょ!?」

 鋭い声と共に、優雅な巻き毛を野性的に揺らしたヴィーナスが現れた。剣を片手に、既に、かなりの刺客を倒していた。

「解った。後は頼んだ!」

 ソーレはヴィーナスに素早く礼を言うと、すぐさま、ルーナが乗る暴れ馬に飛び乗った、

 いきなり背中を護られて、ルーナは心臓が跳ね上がるほどどきりとした。温かくて、そしてとても優しい温もりとたくましさを感じる。ドキドキしながらも、それは決して不快なものではなかった。

「もう大丈夫だ。震えなくても良いんだ・・・・・・」

「ソーレさん・・・・・・」

 ソーレの優しいが男らしい低い声に、ルーナは全身に安堵が流れ込んでくるのを感じた。これで大丈夫だ、ホッとすると、不思議と、身体のこわばりが楽になってきた。

「ソーレさん、有り難うございました」

「このまま、宮殿まで向かう。あの場所が一番安全だからな。ある意味な」

 ソーレは、黄金の見事な髪を夕陽に輝かせながら、風を切るよう靡かせる。

 太陽に愛された太陽神のようだと、ルーナは思わずにはいられない。本当に美しく、精悍な人だ。こうしていると、しっかりと護られているのだと、ルーナは強く実感していた。

 自分はこうして助けられたし、助かった。さが、アーキル、シュタインたちはどうなるのだろうか。自分だけが助かるのは、これほど苦しいことはない。

「ソーレさん、アーキル先生とシュタイン博士は……」

「大丈夫だ。三人とも必ず無事に戻ってくる」

 ソーレは全く迷いがないようにキッパリと力強く言いきってしまった。

「どうしてですか?」

「ロベルトは死んでいない。医者であるアーキルも一緒にいる。それに、殺してもアーキルは死なないだろうし、それよりも、百回殺しても死なない姉さんが一緒だからな。恐らくは、俺たちよりも少し遅くに、宮殿から戻ってくるだろう」

 ソーレの言葉を聴くと本当にその通りのような気になってくる。ルーナはほんの少しだけ、心配の枷を外して、身体から力を抜く。

「はい。ヴィーナスさんがついているから大丈夫ですね」

「ああ、もちろんだ。安心しろ」

「はい」

 ルーナは大きく深呼吸をする。目の前にあるソーレの広く逞しい背中に顔を埋めて縋ると、不思議と落ち着いた。ソーレの穏やかな鼓動と、ルーナの鼻をくすぐる男らしくも優しい香りは、安心と同時に胸を甘く騒がせる。

 ルーナがぎゅっとソーレの背中にしがみつくと、一瞬、ソーレの背中が強ばった。

 もう、何も話さなかった。

 今はソーレのことを信じよう。ルーナに今できることはそれしかないと思った。

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