第3話
翌朝、まだ身体が充分に起きていないうちに、ルーナたちは帝都に向かって出発をした。
夜のうちに冷えた空気が肌をチクリと刺すが、意外なほどに気持ちが良い。
朝陽はまだ柔らかな優しい光をルーナに投げかけていた。
砂漠を離れて、今度はひたすら固い土の道を走ってゆく。流石に、帝都に近い道は綺麗に整備され、こんなに朝早くても、物流や仕事の為に、商人や騎士たちが行き交っている。
昨日のような刺客が、堂々と顔を出すということはないだろう。それぐらいに、帝都に続く道は、活気を帯びていた。
「これだと、かなり早くに帝都に到着できるだろう。到着してすぐで申し訳ないが、宮殿に向かう。控室で医療の準備をして待っていてくれ」
帝都が近いのを感じてか、ソーレの表情も硬く厳しいものとなる。その横顔は、どこか冷たさも漂っていた。もう、あの気安い青年の顔ではなく、第一騎士団団長としての顔だ。凛とした厳しい横顔がルーナに語っていた。
「解った」
アーキルもまたその横顔に厳粛さを漂わせている。医師としての冷静さと同時に、ひとりの人間としての重い緊張が、横顔から見て取れる。
厳格さと鋭さが感じられるが、ふたりとも、とても良い顔をしていると、ルーナは思った。
ふたりの男の実力は、未熟な自分でも解るとルーナは思う。このふたりが厳しいと感じるほどのことが待ち受けているのだろうかと思うと、ルーナにも神聖なる緊張が漲った。
朝の清らかな朝陽を浴びたソーレの金色の髪が、まるで皆既日蝕の時のダイヤモンドリングのように美しく輝いている。本当に言葉に尽くせないほどに美しい。
蒼い瞳は朝陽を弾いて、宝石以上の輝きを放っている。だが、その眼差しには、今は冷え切ったかた苦しさしかなかった。
まるで神話に出てくる太陽神のようだ。見ているだけで、心が揺さぶられる。まるで芸術品を見ているようだと、ルーナは思った。
「何を見ている」
ソーレはうんざりするように呟く。
「芸術品みたいだなあと思っただけですよ。展示して皆に見せたい」
「はあ!?」
ルーナの惚けた言葉に、ソーレは素っ頓狂な声を出す。それを見たアーキルが、忍び笑いを浮かべていた。
「間もなく帝都シエネだ」
ソーレの言葉に、ルーナの気持ちも表情も流石に引き締まる。
帝都に入るのは初めてだ。
ずっと、帝都に行きたいとは思っていたが、仕事ではなくあくまで遊びに行って、帝都見物を満喫したいと考えていた程度だった。学校に通っていた時の研修で帝都に行くことになっていたが、おばばに行かせてもらえなかった。
今回、初めての帝都だ。だが、これが最初で最後かもしれないから、ルーナは、この目に、しっかりと帝都の様子を焼き付けておこうと思った。このような経験は、もう二度と出来ないかもしれないから。
いよいよ、活気溢れる帝都シエネに足を踏み入れる。いつも過ごすベリトスの町とは比べものにならないぐらいの大きな街だ。
空気が違うと、ルーナは思った。同時に、ベリトスの町とは匂いが違う。ベリトスは砂と乾いた緑の匂いがしたが、ここは砂埃とどこか冷たい無機質な臭いを感じずにはいられなかった。
だが、店も、人も、活気も並外れていて、ルーナは圧倒されそうになる。同時に、息が詰らないだろうかと、心配してしまうほどだ。
流石に街の中に入ると、馬のスピードを緩やかにする。
これからの仕事のことを考えると、悠長に、観光気分には浸っていられなかった。
帝都の住民たちは、ルーナの姿を見るなり、誰もがヒーラーだと噂をする。都会にヒーラーは珍しくはないというのに、珍獣でも見るかのように見ている。
「ねえ、ソーレさん。帝都にヒーラーは珍しくないでしょう?」
「ああ。珍しくはないが、お前のような若い娘がヒーラーなのは珍しい。帝都で活躍しているのは、高いライセンスを持った、熟練のヒーラーたちが多いからな」
「……そうなんだ」
「第一騎士団長が連れているから余計に珍しいんじゃないのか?」
アーキルは苦笑いしながら。町の人々に一瞥を投げた。
第一騎士団団長に連れられた年若きヒーラー少女を、街のものたちは珍しそうに見ている。
帝都は大都会なのだから、ヒーラーなど掃いて捨てるほどいるだろう。だが、アーキルが言う通りに、第一騎士団長と一緒にいることが、好奇の対象になったのだろうと、ルーナは思った。
「宮殿はもうすぐだ」
「はい」
黄金と銀細工が美しい白亜の宮殿が、ルーナの視界にも飛び込んできた。威厳と優美さを兼ね備えた、芸術品とも思えるような、素晴らしい宮殿だ。同時に、ルーナには、救いようのない牢獄にも見えてならなかった。捕えられると、二度と出ることが出来ない牢獄のように見えてしまう。
高い城門が見えてきた。その前に立つ立派な姿をした門番の騎士が、ソーレの姿見つけるなり、直ぐに門を開く。
「第一騎士団長! ソーレ・アポロ殿とそのお連れの皆さま! 参内であります!」
門番の騎士の高らかな声と敬礼に、ルーナは恐縮しながら宮殿の中に入る。なんだか、おまけの立場の自分がここまで敬意を払われるのは、心地悪かった。
門をくぐって、ゆっくりと進むと、あれだけ賑やかだった帝都から一転、とても静かな森が広がっている。
「この先、暫く、走らなければならない」
「はい」
皇帝が住まう敷地である宮殿は、ルーナが想像できないぐらいに広大だった。馬を走らせても、中々宮殿には到達しない。あんなにも近そうに宮殿は見えているのに、なかなかたどりつけない。
空気が違う。この場所だけが、時間の流れとは別の場所に存在しているようにすら、ルーナは感じる。
「もうすぐだ。この森を抜けたら、すぐ奥に厩舎がある。そこで、馬をゆっくり休ませてやってくれ。かなり無理をさせているからな。シエネからベリトスまでは、普通、馬車で3日はみなければならない距離だからな。とにかく、ゆっくりさせてやろう」
「はい」
そう考えると、ソーレの馬は相当無理をしているということになる。短い期間で、シエネとベリトス間を往復したのだから。ルーナは心配になった。
「あの、三頭の馬をヒーリングしても構わないですか? そうしたら、少しは疲れが癒されると思います」
「ああ。頼んだ。癒しの剣を使えば、すぐに疲れは取れるだろうからな」
ソーレは金髪の髪を野性的になびかせながら、どこか考え込むような表情を浮かべた。
まただ。とルーナは思う。昨夜、刺客に襲われた時も、やはり、同じような表情をしたのだ。
何かを言いたくても、黙っているような雰囲気が感じられる。後で、ソーレに訊いてみようと、ルーナは思った。
やがて厩舎が見えてきた。やはり宮殿の中の厩舎と言うこともあり、立派だ。昨日、ルーナたちが泊まった宿よりも、ずっと豪華だ。つい『お馬様』と呼んでしまいそうになった。
三人は、厩舎に馬を預ける。ここで、馬たちの長く過酷な旅は終わりだ。
ルーナはホッとしたような馬たちを、それぞれ抱きしめた。
早く、身体が元に戻るように。疲れが癒されるように。心をこめて、ルーナは癒しの力を送った。
だが、流石に皇帝がいる宮殿では、癒す力があるとはいえ、剣を抜いて振るうことなど出来なかった。
癒しの力はこれで充分だったようで、先ほどまで疲れたように瞳に生気がなかった馬たちが、活き活きとした瞳になる。長距離旅したとは思えないような闊達ぶりが感じられた。
「良かった。少し良くなったみたいね。しっかり癒してね。君はこれで旅は終わりだろうけれど、君たちはまたベリトスまで戻らなければならないからね」
ルーナが馬たちに優しく話しかける様子を、ソーレが厳しい眼差しで見つめている。こういった行為が嫌いなのだろうか。そう思わずにはいられないような冷たい瞳だった。
ソーレは気安くも明るい表情を見せる時と、先ほどのように極端に厳しい眼差しを見せる時とがある。この短時間で、どちらも見せつけられ、ルーナは、どちらが本当のソーレなのかと困惑した。
「さあ、行こう。アーキル、ルーナ。エスメラルダ様がお待ちだ」
「……ああ」
“エスメラルダ”。その名前を聞く度に、アーキルの表情が複雑に曇って頑なになる。ルーナが知らないアーキルの表情だ。どこか甘いやるせなさが感じられる表情だった。
「ルーナ、行くか」
透明感のある低い声で名前を呼ばれて、ルーナの緊張感が全身に走り抜ける。アーキルのこのような声を聞くのは、初めてだった。
「アーキル、ルーナ。ヒーラーとして、医療に携わる者として、全力を尽くしてくれ。もう、お前たちにしか頼ることが出来ないから」
ソーレのルーナとアーキルを見つめる眼差しは、期待というよりは、縋りだった。もう、崖淵にいるような目をする。それ故に、ルーナは重いプレッシャーを感じずにはいられない。今から皇族の治療に行くのだと、改めて思い知らされた気分だった。
「ヒーラーとして全力を尽くします。今、私が持てる総ての力を使います」
ルーナはベストを尽くすことをキッパリと宣言する。自分でも解っている。今はそれしかないのだ。ルーナがやるべきことは、ヒーラーとして全力を尽くすことだけなのだから。
「ああ。頼んだ」
ソーレは生真面目な表情で神妙に呟くと、一瞬、目を伏せた。
「この先は、許可がないと入ることは許されない場所だ。だが、今回は、特別に、お前たちは医師として中に入る。俺は、お前たちに立ち会う者として、中に入ることを許されているだけだ」
第一騎士団長はかなりの重責で、地位も高いとルーナは聞いたことがある、そのソーレすらも自由に出入りが出来ない場所と言うのは、緊張する。本来、ルーナなど、一歩たりとも入る機会などない場所だ。
ソーレは、宮殿の奥深い場所にふたりを誘う。先に進めば進むほど、ルーナは息苦しさを感じずにはいられなかった。
鼓動が速くなり、緊張の余り呼吸が浅くなる。ルーナは思わず、横にいるアーキルを見た。アーキルは、ある意味、ルーナよりも緊張をしているようにすら見えた。
アーキルにとってはよほど大切で、かつ、神聖な場所なのだと、ルーナは感じ取る。
突きあたりに優美な白い扉を見つけ、ルーナの身体は緊張で更にぎこちなくなった。
あの場所に、エスメラルダ姫がいるのだろう。扉からは、いやがおうのない慟哭が、ルーナの肌に突き刺さってきた。ヒーラーの中でも、ひとの想いに敏感なルーナは、哀しみのオーラに共鳴しそうになる。一緒に溺れることがないようにと、ルーナは自分自身に言い聞かせた。そのせいか更なる厳しい緊張が、ルーナを被う。
白亜の扉の前で立ち止まると、ソーレは直立不動になった。
「第一騎士団団長、ソーレ・アポロです。エスメラルダ様のために、医師とヒーラーを連れてまいりました」
ソーレの声に、扉が荘厳な音を立てながら静かに開き、女官らしきかっちりとした女性が中から現れた。どこにも隙のない女性だ。まるで教師のようにも見える。
「ご苦労様でした」
女性は厳かに声をかけた後、感情の感じられない眼差しを、アーキルとルーナに向けた。
「アーキル、お久しぶり。お元気そうね」
「お久しぶりです、ハルマ様。ハルマ様もご健勝でなによりでございます」
ハルマと呼ばれた女性と、アーキルを、ルーナは交互に見る。ふたりの表情を見ていると、何か軋轢があるのではないかと、ルーナは感じずにはいられなかった。
女官と知り合いと言うことは、アーキルはかなりの地位にいた医者だったのではないかと、ルーナは憶測する。
「軍医を辞した後、ここでのお勤めを断り、ベリトスで医師をしているそうね」
「はい」
「その隣にいる子が、あなたのパートナーである、月の民のヒーラーね。随分と若いこと」
ハルマはルーナを値踏みするような目つきで見つめる。容赦のない視線にルーナは思わず身体を硬くした。
「実力は折り紙つきだ。あんたにそのような目で見られる筋合いはありません。ルーナはおばば様が直々に仕込んだヒーラーであり、俺が医術を教えている愛弟子ですから」
アーキルは表面上冷静さを装っているが、ハルマに対して、好ましくない感情を持っているようだった。
「まあ……。では、この子が“月の子”」
ハルマのルーナを見つめる眼差しが益々厳しくなる。ルーナは、どうしてこのような眼差しで見つめられるのかが、解らなかった。
ハルマの眼差しが不快で、ルーナは落ち着かなくなる。正直、このような慇懃無礼な眼差しに遭遇したことがなく、不快にしか感じられない。
「では、お入りください。エスメラルダ様がいらっしゃいますから、どうか、お静かに」
ハルマの後を、アーキル、そしてソーレが続く。ルーナは、緊張の糸が張りすぎて、今にも切れてどこかへ飛んで行ってしまうのではないかと思うほどに、ぎこちない動きをしていた。
エスメラルダ姫がいる部屋に入ると、明るく、そして優美で優しい雰囲気を感じられた。
窓が開かれて、とても心地好い風が入り、花と緑の麗しい香りすら感じる。
この部屋に暮らせば、さぞかし快適だと思う。この部屋にいるだけで、病などどこかに吹き飛んでしまうのではないかと、ルーナは思わずにはいられなかった。同時に、お姫様には相応しい部屋だとも思う。
「エスメラルダ様、医師が参りましたよ。ヒーラーであるルーナ殿と、医師のアーキル殿です」
ハルマが声をかけると、エメラルド色の麗しい髪の色をした女性が、ゆっくりと、どこかからくり人形のように振り返った。
優しい花の香りがする陽射しに照らされた、この世のものとは思えないほどに綺麗な女性が、ルーナの視界に飛び込んできた。
本当に美しい。ルーナが、こんなに美しい女性に今まで出会ったことはないと思ってしまうほどに、美しい。どこか人工的な雰囲気もあったが、流石は姫であると感心せずにはいられない麗しさがあった。
何も語らずに、ただ、ルーナたちを見つめている。心などないとばかりに、虚ろな眼差しを向けている。碧の宝石のように美しい瞳をしているというのに、瑞々しい生気が全く感じられなかった。しかも、ルーナたちが見えているのかも疑わしかった。
こんなにも美しいのに。麗しいのに。全くと言って良いほどに、生きているという感覚がない、まるで人形を見ているようだと、ルーナは思った。
エスメラルダ王女は、ルーナたちに一瞥を投げた後、まるで興味がないとばかりに、再び宙を見つめた。
ルーナは、横にいるアーキルに視線を送る。アーキルは顔色を精製された美しい紙のように白くすると、ただ、茫然と、エスメラルダを見つめていた。驚き過ぎたからか、眼は見開いたままで、動揺して動けないようだった。だがその表情は、どこか痛々しいものを見た時の絶望にも取れてしまう。
「……エスメラルダ……」
アーキルは唇を深く噛み締め、手は震えるほどに強い拳を作る。アーキルの魂からは、慟哭が迸っていた。
ルーナは、アーキルに共鳴してしまい、胸が締め付けられるほどに苦しくなった。
「ずっと、ああなのですよ。誰が癒しても、誰が治しても、改善されないのです。アーキル、あなたを医師として呼ぶのは、正直言って抵抗がございます。ですが、もう、あなた以外に頼れない。帝国一の医師であるあなたにしか……」
ハルマは唇をかみしめ、目を伏せた。もうお手上げの状態であることを伝わる。ハルマはエスメラルダを深く愛しているのだということを、ルーナは感じずにはいられなかった。
それ故に切なくて辛い。同時に、アーキルの想いとハルマの想いは同じなのではないかとも思った。
だが、本当にどうして癒せば良いのだろうか。ルーナは、このように心がないと感じられる患者に出会ったのは初めてだ。今までは患者の心の機微を感じ取りながらヒーリングをしてきたが、これではどうして良いのかルーナには解らなかった。
「診察させて貰っても良いですか?」
「どうぞ」
アーキルは皇族相手と言うこともあり、言葉遣いを慎重にしている。いつもの気さくな医師の顔とは違い、とても丁寧だった。だが、どこか、よそよそしく、近寄りがたい雰囲気も感じられる。
「ルーナ、診察の準備だ」
「はい」
アーキルの表情が、重症患者を目にした時よりも厳しいことをルーナは悟る。アーキルは、エスメラルダがかなりの重症なのだろうと感じているのだろう。
アーキルに言われたとおりに、ルーナは素早く診察の準備をする。準備をしていると純銀の細工で出来た剣が揺れる。しゃんしゃんと良い音が、まるで鈴の音のように鳴り響く。剣からこのような音が鳴るのは、とても珍しいことなのだ。
それをハルマは良く思っていないらしく、いかがわしいものを見るかのように、目をスッと神経質に細めた。
「月の子、その剣は外しなさい。この部屋は皇族のお部屋です。不敬罪となりますよ」
「し、失礼しました」
いつもなら、剣など差さずに診療をするのだが、すっかり外すのを忘れていた。それぐらいに、剣はルーナにしっくりきていた。
ルーナが手早く剣を外そうとすると、ソーレはそれを制止する。
「剣は外すな」
「え?」
ソーレの意外な言葉に、ルーナは思わずその顔を見やる。ソーレはもう一度念を押すかのように、首を横に振った。
「ハルマ殿、月の子であるルーナが携帯している剣ですが、これは決して人を傷つけることが出来ない剣です。この剣は人を癒すことが出来ても、斬ることは出来ません。ですから、安心して頂いて構いません。それに、これはヒーラーとして大切なものです。携帯させてやって下さい」
ソーレは淡々と、言うべきことを固苦しい声で言う。騎士団団長らしい態度と、礼節を重んじる話し方だった。
「解りました。しょうがありませんね。第一騎士団長であるあなたが仰るのなら間違いはないでしょう。月の子、それを携帯したままで構いません」
ハルマは恭しく頷く。ルーナは一礼だけをすると、診察の準備に注力した。
準備がすむと、アーキルは、医師として丁寧、かつ、正確に、エスメラルダの診察を開始する。
診察の間、アーキルの表情は、終始、厳しかった。いつもなら、患者の前では、堂々とした笑顔で診察をしているというのに、今日に限っては、見ているこちらが不安になるぐらいに、冷たくて固い顔だ。そこから、病状の厳しさがあからさまに滲んでいた。
これならば、誰もが自分の病状に気付いてしまうのではないだろうか。
だが、エスメラルダは、相変わらず、心がここにないとばかりに、宙ばかりを見つめている。薄く微笑んだりはするが、自分が診察を受けているという自覚すらないように見えた。
アーキルとも旧知の中だろう。だが、アーキルなど知らないような態度で、全く、視界に入っていない様子だった。というよりは、アーキルの存在すら、認めず、気付いていないようだった。
アーキルは様々な方法で、エスメラルダを診察する。しかし、手ごたえを全く感じられないのか、何度も首を捻った。こんなことをアーキルがするのを見たことがなくて、ルーナは、眼を見開いてしまう。
「ルーナ、皇女様の手を握って、お前なりの診断をしてみてくれ」
「はい」
アーキルの診断は、いつも的確で、百戦錬磨のように見えた。少なくとも、ルーナがアーキルの下で働き始めてからも、間違いはなかった。なのに、あのアーキルが明らかに判断に迷っているようだ。
ルーナは緊張しながら、エスメラルダにゆっくりと近づく。妙な緊張が走る。
「失礼いたします」
ルーナがエスメラルダに声を掛けたものの、全く反応をしなかった。これほどまでに、医師の行動に対して無反応な患者が果たしていただろうかと、ルーナは思わずにはいられなかった。
ルーナは、エスメラルダの前に跪くと、その華奢で白い手を取る。その瞬間、ルーナは皺になってしまうぐらいに眉をひそめた。
アーキルが判断出来ない理由が、ルーナは直ぐに理解する。いくら体温が低いと言っても、生きていることはちゃんと感じられるものだ。ヒーラーはそこから様々なこと読み取って行くのだが、エスメラルダからは全くといって良いほどに、生体反応を感じることが出来なかった。これは面妖なことだ。
ルーナは思わずアーキルを見た。ルーナも同じように感じているとアーキルも感じ取ってくれ、頷いてくれた。
「生体反応が感じられません。癒しの力を送るのも、生体反応が必要ですが、感じられません。だけど、エスメラルダ姫は生きていらっしゃる……」
ルーナは泣きそうな重い気持ちになりながら言うと、エスメラルダの腕をさすった。さすっている間に、温かな癒しの力を送る。これで少しは温かくなるだろうか。だが、ほとんど温かくならならなかった。
ルーナにとっても、今までこのような経験をしたことはなく、驚く以外にはなかった。同時に、胸の奥が苦しいほどの哀しみと絶望を感じてしまう。
ルーナはそれでも諦めたくはなくて、何度もエスメラルダの腕をさする。
「お姫様、ご機嫌はいかがですか? 私は月の民のルーナと言います。蒼い月の日に生まれたので、ルーナです。まだ、半人前ですが、ヒーラーをしています。アーキル先生に、医療について色々と教えて貰っているんです……」
エスメラルダに反応がなくても、ルーナは、自分のことを語って聞かせる。ヒーラーとして、少しでも良いから反応を掴みたかった。ルーナは根気良く、優しい声でエスメラルダに伝える。
すると、エスメラルダの瞳がほんの僅か輝いた。ルーナは一縷の光を捕まえたような気持ちになり、ホッと笑顔を洩らす。僅かでも反応が見られたことが、ルーナには嬉しくてしょうがなかった。
これには、そこにいる誰もが驚いた。
「初めて反応されたわ」
ずっと傍に控えているハルマは、明らかに驚いたようで、ルーナをじっと見つめている。先ほどまでは、ルーナのことを忌々しい頼りにならない小娘ぐらいに思っていたようだったが、今は明らかにヒーラーとして見てくれている。
「色々と、お話をしましょうか? お姫さま。私、お姫様と色々とお話をしてみたいです」
ルーナが語りかければ、語りかけるほど、僅かではあるが、エスメラルダは瞳に柔らかな光を宿す。
同時に、ルーナの麗しい銀細工で出来た剣が、澄んだ波立つ光を発する。光が、エスメラルダに向かう度に、僅かであるが反応を示してくれた。
エスメラルダが生きていることは確かだ。間違いはない。だが、自発的な生命力かと問われれば、そうでないと感じた。
厳密には、生きているのとも、死んでいるのとも違うような気がする。そこが、ルーナにも全く解らないところだった。
エスメラルダの僅かな反応に、部屋にいる者が誰もが表情を明るくさせる。
だが、これ以降、ルーナがいくら頑張ってもそれ以上の反応は難しかった。
しかし、これでも大きな第一歩を踏み出したと、誰もが感じずにはいられない。とにかく、エスメラルダの病状が、少しではあるが好転していると、誰もが考えているようだった。
結局は、これ以上は、いくらヒーリングを行っても進展は見られそうになかった。それに気付いたハルマが声をかける。
「今日のところはここまでで。余り長居をすると、姫様もお疲れになりますから、少しでも、治療が進んだことは喜ばしいことです」
ハルマは先ほどよりも表情を柔らかくしながら、ルーナたちを見つめる。ルーナたちを初めて認めたようだった。
「では、また、明日、お願いします。アーキル医師、今日の診察結果を、また、詳しく分析して、お知らせくださいませ」
「解った」
アーキルはぶっきらぼうに言うと頭を下げる。だがその眼差しは、いつまでもエスメラルダのほうに向いていたのは、言うまでもなかった。
アーキルの瞳は先ほどよりも幾分か優しくなった。しかし、まだまだ深刻さを滲ましているのは変わりなかった。
「姫様、また明日、お伺いいたします。失礼いたします」
挨拶をした後、ルーナたち三人は、エスメラルダの部屋を後にする。息が詰まるような緊張からは、とりあえずは解放されたような気がして、ルーナの身体から力が抜ける。
「先生、長期戦になるかもしれませんね」
「ああ」
アーキルは考え事をしているようで、半分気持ちは上の空のようだ。深刻な考え事をしていることは、ルーナにも直ぐに解った。
「あ!」
一瞬、アーキルの眼差しが鋭く動き、驚愕の声を放つ。
「どうした、アーキル」
ソーレがアーキルを鋭い眼差しでとらえる。
「……いや。一瞬、知り合いがいたかと……」
アーキルはそれだけ言って黙り込んだ。
「とりあえず、お前たちに使って貰う部屋に案内する。俺の仮眠場所も、お前たちと同じところに用意をして貰った。案内する。とにかく、話はそれからだ」
ソーレの言葉に、ルーナは頷く。立ち話で出来るような話でもないからだ。患者は皇女様なのだからしかたがない。
アーキルは相変わらず、考え込んでいるようだった。仕方がないと、ルーナは思う。
あのような患者を診せられたら、医師なら誰でもあのような反応をするだろう。今までエスメラルダを診察した医師やヒーラーが、どのような反応をしたのか、ルーナはすぐに理解することが出来た。これなら、困惑して、治療方針が立てられないのは当然だと思った。
それにルーナも不安になる。自分に出来るだろうかと。
今日は、何とか、エスメラルダを反応させられるところまできたが、これ以上のことが出来るとは、到底思えない。今日の反応は、ルーナが精いっぱいの力をかけて、起こした、いわば、“奇跡”のようなものだと、思った。
暗い気持ちになりながら、ルーナは鞄を抱えて、薄明かりが差しこむ宮殿の回廊を進む。誰も何も言わない。だから余計に、不安になった。
暫く宮殿の中を歩いて、部屋に向かう。全く、宮殿という場所は、想像以上に大きいと思う。ルーナたちが案内されたのは、大臣たちや、騎士団長クラスでないと使えない部屋だった。豪奢な家具などが揃い、ベッドはふかふかで気持ちよさそうだ。昨日の寝床とは全く違う。それどころか、ルーナがいつも使う部屋とも正反対なぐらいの作りだ。そのせいか、部屋に入るのも気後れしてしまいそうだった。
「随分立派な部屋だな、ソーレ」
部屋を見るなり、アーキルは苦笑いを浮かべながら、ソーレを見た。
診察が終わったこともあり、アーキルはいつもの冷静さを取り戻しつつあるようだった。これには、ルーナもホッとする。きっと、エスメラルダの部屋から離れたことも大きいのだろう。
「ああ。エスメラルダ様を治療することが出来るかもしれない、医師とヒーラーをもてなすのだからな」
ソーレの言葉にルーナは胸が痛くて何も返すことが出来ない。何とか出来ないかもしれない----そんなどす黒い不安のほうがずっと大きかったのだから。
「とりあえず、座るか。色々と話さなければならないことはあるようだからな」
「そうだな」
ソーレの言葉に、頷いたアーキルの表情は引き締まったものになる。ルーナもまた深刻な表情を浮かべ、思いつめた気分で頷いた。
猫足の立派な椅子に腰を掛けたが、ルーナはなんだか落ち着かない。いつもの木の椅子がしっくりくる。やはり馴れていない物は、心地が悪い。
「月の子。やはり、お前は見込み通りだな」
ソーレは怜悧さを滲ませた眼差しをルーナに向け、声に深みを持たせるように呟いた。
「え? 私は何もしていないです。もう、ああするしかないと思っていましたし……。明らかに、お姫様からは生体反応が感じられませんでしたから……」
ルーナは落ち込む気持ちを何とか振り払って、冷静になるように言葉を選んで言う。ルーナの言葉を受けて、アーキルは更に厳しい眼差しになり、ソーレは深刻な顔になる。ふたりとも、頭を抱えるような仕草をした。
生体反応がない。それは生きていないと言っているようなものだからだ。
「やっぱりお前もそう感じたのか。お前がエスメラルダ……様の腕をさすりだしたときに、いくらヒーラーでも、死者に対することしか出来ないと判断したのだと思った。俺も生体反応を感じなかった」
そこまで言ったところで言葉を切ると、アーキルは珍しく眉間に皺を寄せ、苦しい感情を全身から発する。その苦悩ぶりに、ルーナ自身も感情を共鳴させる。
魂が震えるほどアーキルは心に傷を負っているのだ。切ないのだ。それが伝わってきて、ルーナはますます暗い気持ちになってしまった。
「……エスメラルダ自体……、生きていること自体がおかしいんだから……!」
アーキナルはずっと魂の奥に抱えていた苦しくて辛い感情を静かに爆発させるかのように、重々しく呟く。
生きていること自体がおかしい----その言葉の意味が、ルーナには解らなかった。
「……アーキル……」
総てを知っているのか、ソーレもまた眉間に苦悩を刻みながら目を閉じる。感情を振り切るように、ソーレは深呼吸をすると、ゆっくりと目を開け、アーキルを見る。その眼差しには、最早、迷いなどはひとかけらもなかった。
「そうだな。確かにお前は一度、エスメラルダ様の死を診断した、だが、姫様は生きている。俺はお前に、本当に、エスメラルダ様が、本当に生きているのかを確かめさせるのはお前しかいないと、ここに呼んだ」
ソーレはどこか突き放したかのように冷静に呟くと、アーキルとルーナを見た。
「何だって!?」
一体どういうことなのだろうかと、ルーナは小首をかしげる。これはソーレが何を話してくれるのか、事態を見守るしかないと、ルーナは思う。
「----アーキル、お前はもう気付いているだろう? エスメラルダ様の死の可能性がどれほどのものかを。エスメラルダ様の身体に蝕まれた病巣は、お前の手ですら取り除けなかった。ましてや、あれだけの深手の傷も負ったんだ。おばば様ですら、ヒーリングが出来なかった。お前とおばば様が一度死を宣言しているにもかかわらず、エスメラルダ様は生きている。影武者でないことも解っているし、ご本人であることは確かだ。なのに、エスメラルダ様は生きている……。これは何かあると判断せざるをえないだろう?」
ソーレの軍人としての鋭い洞察力が声と眼差しに現れる。
「--------そうだな」
アーキルは眼を伏せながら呟く。
「アーキル、お前は再度診察をしてみて、エスメラルダ様のことをどう思った?」
ソーレはあえて遠回しではなく、ストレートに訊いてくる。曖昧にしてもしょうがないと考えたのだろう。
「エスメラルダは死んだ。それだけだ。今いるのは、エスメラルダであって、エスメラルダでない。それだけだ」
アーキルはそれだけを言うと立ち上がり、窓辺に立ち、腕を組んだまま外を見ている。これ以上は何も話す必要はないということなのだろう。
「そうか……。なあ、月の子、お前が、エスメラルダ様は本当に生きていると感じるか?」
ソーレは無駄なく質問をしてくる。
「生きていないと言われれば、違うと言いきれます。だけど、生きていると言われても違和感があるんです。不思議な感じなんです。ただ、自らの本来の生命力で生きていないような、そんな気がします……。ごめんなさい、上手く言葉に出来ないです」
ルーナは自分が感じたことを上手く表現出来ているかどうかは、正直自信はなかったが、それでも伝えなければならないことを、伝えたつもりでいた。
アーキルとソーレの表情が明らかに変わる。愕然としているようだった。
「生きているのに、生きていない。生きていないのに、生きている……。そんな感じか?」
ソーレはルーナの言葉を咀嚼しながら、考え込むように言う。
「まさに、そんな感じです。お姫様の自らの意志とは関係なく生かされているのではないかと。何か理由があるのかもしれない……。お姫様は亡くなっているとも生きているとも、現時点では判断しようがありません。こんなことは初めてなんですが……」
エスメラルダ姫のことなど少しも解らないルーナは、答えを請うようにアーキルを見つめた。
アーキルはしばらく考え込むように、目を閉じていた。
「確かに。エスメラルダ自体は、あのようになってまで生きたいと思う性格ではない。だが、何か理由があるとするならば……。あのような状態で自分を残しておく必要があって、ああいう状態になったのかもしれない……」
もし何かを伝えたいとエスメラルダが思っているとするならば、それはアーキルにではないかと、ルーナは思う。
「自分が本当は生きていないことを、見つけてくれる誰かを探しているとかは、ないか?」
ソーレの言葉も一理ある。ひょっとすると、それを確認して貰ったら、ゆっくりと眠りたいとすら思っているのかもしれない。
「無理やり生かされていることを、誰かに知って貰いたい。そしてそのひとに、解決を委ねたい……。そんな気持ちがあるかも」
ルーナは手を握ったときに感じた朧気な切なさを言葉にする。
「ルーナ、お前はヒーリングをしている間に、ひとの想いが分かるのか?」
「分かるというよりも、心の奥底にある本当に強く望んでいることを、何となく感じるんです。だけど、朧気なので、明確には解らないことが多いんです。こんな説明、曖昧で解りにくいとは思いますが……」
ルーナは思わず苦笑いを浮かべた。だが、ソーレはそれでも構わないとばかりに、しっかりと頷いた。
「エスメラルダ様が、どうしてこのような状態になられたのか、その背景を調べる必要がありそうだな。医学的に死んだ者が生きている……、なんてことが、何故、起こったのかを、きちんと調べて、裏付けを取る必要がある」
ソーレは騎士団長らしい厳しい眼差しを床に向け、考え込むように手を組む。
「そうだな。何か、からくりがあるだろうな。それは俺も解る」
アーキルも頷きながら、同じように床だけを真っ直ぐ見た。」
「明日からも根気よく治療をして、様子を探ってゆくしかないな……」
アーキルの言葉に、ルーナは暗くなる。これ以上、ヒーリングは出来ないのではないかと、弱気な気持ちになる。今までヒーリングをしてきて、これほどまでに反応がないことはなかったのだ。だから不安になる。
「……私、これ以上は、お姫様を癒す自信がありません……」
ルーナは言葉にしたのを後悔してしまうぐらいに、重い気持ちを抱いてしまう。
「いや、お前以上に癒すことが出来るヒーラーはいない。これは確信した」
ソーレはルーナにヒーリングを止めさせないとばかりに、かなり冷徹な声でキッパリと言い放つ。視線も剣よりも恐ろしい。
「俺もそう思うがな」
アーキルも静かに同意をし、ルーナを見た。
もうこの状況から逃げられないのだと、腹を括るしかないのだろうか。それにしては重いとルーナは思った。やらなければならないのは解るが、ルーナはなかなか心に決着をつけることが出来なかった。
「じゃあ手掛かりを早速探しに行くか」
ソーレは早速、調べなければならないとばかりに、立ち上がる。ルーナは慌てて制止する。どうしても今、訊きたいことがもうひとつあったのだ。剣のことだ。
「あ、あの! もうひとつ、私から、伺って良いですか? ソーレさん」
「何だ?」
「私の剣がひとを斬れないというのはどういうことですか?」
ソーレは一瞬、驚いたように目を開いたが、直ぐに目を細めた。
「知らなかったのか……。それよりも、今までひとを斬ったことはあるのか? 月の子」
「ないです」
「癒しの剣だとは昨日伝えたな。お前なら、ひとが斬れない剣を持っていても、支障はないだろう……。確かにその剣ではひとは斬れない。癒しの剣だからな。この剣の癒しぶりは、もう目の当たりしたから、お前にも良く解ってるだろう? 死んでしまうほどの深手を負ったものが、癒されるのだからな。ひとを癒すことは出来ても、命を奪うことは出来ない。つまり、俺の剣とは正反対ということだ。俺の剣は、ひとを傷付けるためにある。攻撃は最大の防御であることを地でいく剣だ。攻撃は最大の防御と言う意味で言えば、生臭医師のアーキルの剣も同じだがな」
「私の剣はひとを癒すことしか出来ない……」
ソーレの言葉を、ルーナは反芻する。魂の底から喜びが湧き出て、思わず笑顔になった。
「剣に癒す力があるのは凄く嬉しいです! だって、剣の力で、ひとを助けることが出来るなんて、とても嬉しい……!」
ひとに力になれる。ヒーラーとして、これ以上の喜びはない。しかも、ルーナの母の形見なのだ。母もまたひとを斬ることがなかったと思うと、それが嬉しかった。
ルーナは剣をしっかりと握り締めると、幸せの笑みを溢す。
「お前らしいな、ルーナ」
アーキルはフッと柔らかな笑みを浮かべた。ソーレもまた、優しい笑みになる。だが、それは一瞬で、直ぐに冷たい厳しさを宿す。
「そうだな、お前らしい。だが、攻撃から、自分の身を護ることは出来ないぞ。だから、気をつけることだ。お前は、皇室の姫のヒーラーをしている以上、今は、狙われる可能性がかなり高いからな」
ソーレに当然のことを指摘されて、ルーナは目を見開く。だが、攻撃によって、ひとを傷付けるよりはずっと良い。それはルーナの持論だ。
「ひとを傷付けるよりはよほど良いです」
「そうか、そうだな……。お前らしい」
ソーレはフッと柔らかに微笑むと、自らの剣の柄を握りしめた。
「その想いがお前を護っていくのだろうな」
ソーレはルーナをまっすぐ見る。
「お前の剣は持ち主を選ぶ剣だ。誰でも持てるものではない、剣を鞘から抜くことが出来るのは、お前だけだ。お前しか使えない剣だ」
「私にしか使えない……。おばば様もそのようなことを言っていました」
「その証拠を見せてやる。お前の剣を貸せ」
ルーナは言われた通りに、ソーレに剣を渡す。ソーレは、ルーナの目の前で、鞘から剣を抜こうとしたが、全く抜けなかった。
剣の技量が素晴らしいソーレすらも、ルーナの剣を抜けないことに、ルーナは驚く。だが同時に、自分しか使うことが出来ない剣を、愛しく思う。
「ほらな。だから悪用されたりすることはないだろう。お前が手放しても、必ず戻ってくるだろうな。そんな宿命の剣だ。だから、大事にしろ」
「はい」
母に繋がる唯一のものである、この銀の剣が愛しくてしょうがなかった。この剣を使って、エスメラルダを癒し、元の姿に戻せるだろうか。それが、ルーナにとって、今は最大の願いだった。
「今日はもう疲れただろう。明日からも大変だからな。ゆっくりと休め。食事は女官に用意をさせるから」
「有り難うございます、ソーレさん。アーキル先生、今日はゆっくりしましょう」
「そうだな……」
アーキルはフッと何処か疲れたように笑うと、頷いた。
「では俺は、騎士団に戻って仕事をしてくる。何かあったら呼んでくれ。仮眠部屋の並びは、アーキル、ルーナ、俺の順で、横並びになっているから。騎士団での仕事が終わったら、こちらに戻ってくるから」
「有難うございます、ソーレさん」
「ああ、じゃあ、ふたりともゆっくりな」
ソーレは軽く挨拶をすると、一旦、部屋から出て、騎士団本部に行ってしまった。
「ルーナ、俺たちも休もう、明日からしっかりと頑張らなければならないからな」
「はい」
アーキルも自室に向かい、ルーナはひとりになり、大きな溜息を吐いた。
これからどうなるのかは読めない。だが、自分なりに全力を尽くしていこうと思う。
「お母さん、見守っていてね」
ルーナは、剣に語りかけると、ぎゅっと抱きしめる。こうしてると、母親に護られているような安心感があった。
本当に色々とあった一日だった。が、思い返して、考えてもきりがない。
ルーナは食事のあと、貪るように深く眠った。
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