第2話


 町から帝都までは、早馬でも二日はかかる。だが、一行はなるべく早く到着したいと思い、馬をかなりのスピードで走らせた。砂漠で生まれ育ったルーナの馬は強靱で、砂を蹴飛ばしながら走る。ヒジャブを被ってきて良かったと、ルーナは思わずにはいられない。これがなければ、砂だらけの、砂女になってしまっていただろうから。名前を聞くだけで妖怪のようだと、ルーナは苦笑いをした。

 不意に砂埃と生臭さが鼻を突いた。今までにない臭いだ。不快な汗の臭いと血生臭さが入り混じっていて、気持ちが悪い。

 何かがいる。それは確かだ。だが、砂埃のせいか視界はほとんど取ることが出来ず、感じられるのは臭いと、息を吸うと感じる独特の砂味の空気だけだ。

 ルーナですら解るということは、当然、ソーレとアーキルはその前から気付いていたようだった。だが、彼らは独特の落ち着きを払っている。

「……来たか」

「ああ。お約束通りだな」

 アーキナルとソーレの声が、明らかに低くなり、緊迫さが増した。恐らくは距離が近いのだろう。

 ルーナは、風の向きが変わり、渦を巻いているのに気付いた。もうすぐ嵐がやって来る。

「砂嵐がもうすぐ来るよ」

「流石は月の民、砂漠の天気は解るか……それに、その前に、ある意味砂嵐がやってきたみたいだな」

 ソーレは腰に差していた剣を、素早く鞘から抜いた。アーキルとルーナも同じように鞘から剣を抜く。

 緊張が肌を刺激し、ルーナは痛みを感じた。

 砂嵐が起こる予感通りに、多くの刺客が砂ぼこりに混じって、三人に襲いかかってきた。

 刺客は目視しただけでも十人以上はいる。

 ソーレとアーキルは素早く馬から降りると、直ぐに剣を構える。ルーナも同じように馬から降り、剣を構えた。

剣術ならば、幼いころから鍛えられてきた。月の民は、貴重なヒーラーであるから、誘拐も多いのだ。自分の身は自分で守れるようにしっかりと鍛錬を積んできた。生半可な刺客ならば、充分に勝てる自信がある。ルーナは、精神を集中させる。

 ソーレとアーキルの剣の技量が確かだということは、その構えで解った。第一騎士団長のソーレは当然として、アーキルの技量がかなりのものだというのは、意外だった。アーキルが剣をかなえる姿を、ルーナは一度も見たことはなかったからだ。

 三人が剣を構えると同時に、刺客たちは躊躇うことなく襲いかかってくる。

 ルーナに飛びかかる刺客を、彼女が剣を振り下ろす前に、ソーレが素早く剣を胴に打ち込み、斬り捨てて行った。刺客たちは剣を握り締めたまま、その場に倒れて動かない。

 息をする間もないような速さで、ソーレは次々に刺客たちを斬り捨ててゆく。刺客たちはひもの切れたあやつり人形と同じように、いとも簡単に倒れてゆく。見事としか言いようがない剣術の確かさに、ルーナの背筋はゾクリ震えた。

ソーレの剣捌きに敵う者は、化け物ぐらいしかいないのではないかと、ルーナは思った。

風のように舞う剣。軽々としているように見えるのに、その太刀を身体に受けると、たちまち、命すらも失ってしまうのではないかと思うほどの破壊力を持っている。見た目で判断すると怪我をする太刀だと、ルーナは思った。

 一方、同じ剣の巧者でも、アーキルの剣は重厚で、確実に、ひとりずつを斬ってゆく。

「どうしてもというときだけ、お前は剣を振るえ」

 ソーレも、アーキルもルーナを護るようにしながえら剣を振るう。

 それでも間に合わない場合は、ルーナも剣で、刺客たちをなぎ倒していった。だが、ルーナはあくまでひとは斬らない。昔からヒーラーが命を奪うものではないと、教わってきたからだ。峰打ちをするだけだ。

 首や胴に剣を入れて、次々に刺客を気絶させていった。

新しい剣であるにも拘わらず、手にしっくりとくる。まるで自分のために作られたように思うのは、母が使った剣だからだろうと、ルーナは思う。

 ソーレたちの剣によって、刺客たちは、砂を巻き上げながら、次々と倒れてゆく。ルーナに倒された者以外は、斬って捨てられていった。彼らの血が砂に染み込み、言葉に表現するのが嫌になるぐらいの生臭さが漂ってくる。

 だが、不思議なことに、砂に滲んだ血は直ぐに霧散した。血で汚れてねっとりとしたはずの砂は、直ぐにさらさらの柔らかな砂漠の砂に変わる。

 面妖なことだ。

 これには、ソーレも、アーキルも怪訝そうな表情で顔を見合わせた。

 ソーレたちが刺客を斬り倒し、刺客たちが血を流して砂漠に倒れ込む。ルーナも剣を振るうが、そのたびに、刺客たちが流した血が霧散した。

刺客を総て砂の上に倒した後、ソーレは鋭い眼光で、ルーナの剣を凝視する。

「月の子、お前は峰打ちしかしないのはわかるが、ひょっとして、その剣では、人が斬れないんじゃないか?」

 ソーレに指摘をされても、ルーナは小首を傾げることしか出来ない。人を斬る感覚がどのようなものかは、解らない、

「……私は剣で人を斬ったことがないので、解らないです」

「そうか……」

ソーレは一瞬考え込むような表情をすると、ルーナが倒した刺客を見やった後、直ぐに馬に飛び乗る。

「行くぞ、先を急ぐ」

「ああ」

 アーキルも続いたため、ルーナは慌てて馬に飛び乗った。

「このままにしておいて……」

 ヒーラーとしての良心が咎める。ルーナは意識のない刺客たちを見て戸惑いを覚えたが、ソーレたちは問答無用とばかりに先を進んでゆく。今は彼らについて行くしかない。

 死んではいないとはルーナは思う。深い傷を負ってはいるが、生体反応は感じる。それがルーナにも不思議でならなかった。

「いいから早く来い! ルーナ」

「はい」

 ルーナは心残りを感じながらも、馬を走らせて先を急いだ。 ルーナは、前を走る二頭の馬にすぐさま追いつく。

「お待たせしました」

 追いつくまでゆっくりと走ってくれていたのだろう。ルーナは直ぐにソーレに追いつくことが出来、肩を並べて走る。

 ルーナが隣に来たことを確認するように、ソーレは馬のスピードを上げた。

「今日は行けるところまで行くからな」

 ソーレはかなりの速さで馬を走らせながら、話しかけてくる。ルーナは頷きながら、ひたすら、後についていった。

 日が傾き、ルーナは疲労と複雑な気持ちで身体がずっしりと重くなるのを感じる。

「今日中にこの砂漠を越えてしまうぞ。砂漠を越えたところに小さな村があるから、今夜はそこで休む。明日の昼までには、帝都に辿り着きたいからな」

 ソーレの言葉に、ルーナは頷く。

「俺はもっと急ぎたい……」

 アーキルは少しでも早く帝都に辿り着きたいという思いを滲ませながら呟いた後、ソーレとルーナ、そして馬を見た。

「一刻も早く、帝都に・・・・・・!」

一晩中でも馬を走らせる勢いで、アーキルは噛みしめるように言う。アーキルがいち早く帝都に着きたいと願っていることは、流石のルーナにも解った。だが、いつも焦ることのないアーキルが急ぐのは、よほどのことがあるのだろうとも思う。

 王女エスメラルダ。名前からしてきっと美しい女性なのだろ。王女様をどうしても助けたいアーキルの気持ちが、ロマンティックだと、ルーナは甘く思った。

「焦るな。エスメラルダ様のためにも」

 冷たい月のように響くソーレの声に、冷静さを取り戻したかのように、アーキルはため息を吐いた。

「……しょうがねえか……。馬のためならな。急がば回れだな」

「到着した時のことを考えたら休息は取っておいたほうが良い。そのままエスメラルダ様に謁見予定だからな」

「解った」

 ソーレの言葉に、アーキルはただ頷いた。

 休憩することなく走ったからか、何とか夜の早い時間に砂漠を横断することが出来た。

今夜はこの先の小さな村で休めると思うと、ルーナはホッとする。

 流石に、このまま走り続けることは、体力的には厳しかった。

 すっかり夜空になり、美しい月が荘厳な光を放っている。今宵は、上弦の月だ。この光を浴びるだけで、ルーナは癒された。

 蒼い月の夜に生まれたからだろうか。月の光を浴びる度に、励まされているような気持ちになり沢山の勇気が貰えた。気持ちが前向きになれるのだ。

 村に入り、宿へと向かう。

 宿と言っても、本当に休息するだけの粗末な場所だった。仮眠を取るだけだから、これで充分だと、ソーレは笑う。

第一騎士団団長であっても、少しも威厳を振りかざさないところが、ルーナには好感が持てた。第一騎士団団長ならば、最高級の宿に泊ってもおかしくないというのに。

まるで倉庫のような部屋に案内される。そこは、月と星の光が入る場所で、ルーナはこれで充分だと思った。馬も一緒に入れるのも有難い。つまりその程度の部屋だった。

部屋に入るなり、ソーレはルーナに向き合う。

「なあ、剣を俺に向かって振るってくれないか?」

 ソーレが真面目腐って言うものだから、それがふざけたことではないことは、直ぐにルーナは解った。

「こんなところで?」

「ああ。ここが良い」

「解った。剣を振るえば良いの?」

「そうだ」

 ルーナは、言われたように、ソーレに向かって真っ直ぐ剣を振るう。

 すると剣は、月の光や星の光を反射するかのように輝き、星屑のような光が、ソーレの身体に降り注いだ。

「……疲れが取れる……」

 ソーレは噛み締めるように言いながら、驚愕ではなく、どこか神妙な表情になる。

「じゃあ、俺に向かってもやってみてくれ。ルーナ」

「解った。アーキル先生」

 ルーナはアーキルに対しても太刀を振るう。すると同じように、星屑のような光が、アーキルにも降り注いだ。

「確かに、ここまでかなりハードに来たのに、一気に疲れが取れた。馬たちにもやってくれないか」

「う、うん。馬に効くかは解らないけれど……」

 ルーナはアーキルに言われたとおりに、剣を真っ直ぐ振るう。すると馬たちは大きく啼いたかと思うと、瞳に輝きを取り戻した。

「……やっぱりな。それは癒しの剣か……」

 ソーレはひとりごちるように言うと、剣を見た。

「癒しの剣……」

 ルーナは、自らの剣をじっと見つめる。

 この剣が癒しの剣であるのは嬉しい。母の形見だからなおさらだ。ルーナはつい笑顔になった。

「大事にしなくっちゃ……。お母さんが持っていた剣だとおばば様から聞いたから、大切にしないといけないと思っていたけれど、余計に大事にしなければと思います」

「……お前の母が使っていた剣……か」

 ソーレは、ルーナが聞いた中で一番魅力的な低い声で、どこか切なそうに呟く。その声の響きに、ルークの心が切なくなるぐらいだった。

「大事にしろよ。その剣を絶対に離すな。お前を護ってくれるだろうから」

「はい」

 ソーレはルーナの艶と癖のある艶やかな髪クシャリと撫でてくれる。まるで子供のように扱うが、それは悪い気はしなかった。アーキルもいつも同じように頭を撫でてくれるから、ふたりにとっては、ルーナはまだまだ子供なのだろう。

「アーキル先生と、ソーレさんはやっぱり似ていますね。類は友を呼ぶというか」

「んなわけねえだろ、ルーナ、明日は早いからとっとと寝るぞ」

 アーキルはいかにも嫌そうな顔をするが、それがわざとであることは、ルーナが一番良く解っていた。微笑ましくてつい笑ってしまう。

「そうだな、明日は早いからな。明日の日が出たと同時に、全力疾走で帝都に向かう。剣で癒したとはいえ、明日もまた過酷だからな。馬を少し休ませないともたないだろう」

 ソーレが休息を取った理由が、人間のためではなく、馬のためであることを、ルーナは知って、納得する、これには、アーキルもどうしようもないと思ったようだった。

「おばば様から握り飯を頂いたからな。これを食べて、少し眠るぞ。今夜は雑魚寝だ」

「え!? 雑魚寝?」

ずっと女しかいない家庭で育ってきたルーナは、ソーレの言葉に、一瞬、戸惑う。

「だ、だって、ソーレさんと、アーキル先生は男の人で……」

ルーナの戸惑いなど吹き飛ばすように、アーキルが笑った。

「そんなこと気にするなんて、お前も年頃の娘なんだなあ」

 にやにやと笑いながらしみじみと言うアーキルが、憎たらしくなる。

「先生、からかうのはやめて下さいよっ!」

 アーキルを意識することは全くないのだが、やはり先ほど逢ったばかりのソーレには、妙な気を遣ってしまう。アーキルは家族同然だが、出逢ったばかりの、ソーレはやはり他人だという感覚がルーナにはあった。

「お前が女子だってこと、今の今まで忘れてたな」

 ソーレまで喉をくつくつと鳴らして笑うものだから、ルーナはすっかり拗ねた。

「どうせ、私は子供ですよ!」

「まあ、拗ねるな。ほら、握り飯を喰らって寝るぞ」

 アーキルはルーナに握り飯をさしだす。それを受け取って、ルーナは無言で頬張った。

「……美味しい。やっぱりおばば様のおにぎりは美味しい」

 ルーナにとって、おばばの味が母の味だった。

「喰ったら寝るぞ。明日は早いからな」

「はい」

 ソーレは握り飯でお腹を満たした後、そのままごろんと床に横になる。まったくルーナを意識してはいないようだった。

アーキルも同じで、ルーナもそれに従うことにした。

ルーナは、粗末な布団を頭からかぶりながら、小さな窓から見える上弦の月を見上げる。

今夜の月は、一等綺麗に思える。満月ではないのに、こんなにも月が綺麗なのだと思ったのは、初めてかもしれない。

ルーナは月を眺めながら、疲れが心地よく、ゆっくりと身体に下りて来るのを感じる。それがとても心地好いのだ。

 初めての大きな仕事。おばば様が許可してくれた仕事であるから、半人前でも出来る優しい仕事だと、最初は勝手に思い込んでいた。だが、実際には、いきなり刺客に襲われたりと、余り雲行きの良い仕事ではないようだ。

 だが、きっとやりがいがあるはずだ。

 おばばのことだから、このようなことも想定したうえで、送り出してくれたのだろう。ソーレとアーキルがいれば、大丈夫だと。

 ルーナが考え事をしていると、男たちは寝息を立てているのが聴こえた。馴れているのだろう。思わず笑みを零してしまう。

ルーナはふたりが羨ましく思いながら、母からの形見である剣を抱きしめ、目を閉じる。

明日も早いから、眠ってしまおう。明日になれば、また前を向いて、一生懸命頑張って行かなければならないだろうから。

ルーナは寝息を立てて深い眠りに堕ちる。

長い、長い一日が終わった。

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